2013年09月20日

高橋育郎氏の著書が産経新聞で紹介される

山岡鉄舟研究会の高橋育郎氏の著書「実録新制中学『我等の木崎』」が、産経新聞の「芸術と地球」の「心に緑と木を植えよう」という企画で選ばれ、2013年9月11日の朝刊で紹介・推薦されました。

投稿者 Master : 08:56 | コメント (0)

2013年04月27日

東都よみうり新聞社「東京村.com」に掲載される

東都よみうり新聞社「わが町リポーター」の原島さんが、4月20日史跡巡り例会を投稿していただき、4月25日に同紙に以下のように掲載されました。

山岡鉄舟研究会が錦糸町・両国散策

山岡鉄舟研究会(山本紀久雄会長)主催の江戸無血開城「鉄舟・海舟ゆかり史跡めぐり」が4月20日、錦糸町・両国周辺で開催され、吉良邸跡、北斎生誕地、力士始祖神社の野見宿祢神社、落語と禅の三遊亭圓朝旧居跡、世直し江川大明神ゆかりの地などを巡りました。

 説明にあたった矢澤昌敏氏と、初参加の史学家・松島茂氏は、女性講談の田辺一乃さんの一言「これらの史跡・人物を 新観光講談に!」の声に「大賛成!」。

 最後は、ちゃんこ鍋を囲んでの懇親会でした。参加者の中には、清川八郎のご子孫、齋藤わか奈さんもおり、多彩な顔ぶれでした。

                                      わが町リポーター 原島花華

投稿者 Master : 07:05 | コメント (0)

2012年08月25日

山岡鉄舟翁顕彰会命日法要及び講演会

岐阜県高山市の「山岡鉄舟翁顕彰会命日法要及び講演会」のご報告

7月19日(木)10時から12時に宗猷寺にて、鉄舟命日法要と講演が行われました。

①北村豊洋氏の講演

鉄舟研究を通じた学びをビジネスに生かしている事例発表として

●山岡鉄舟は、自らの剣法を「一刀正伝無刀流」と名付け、「一刀流兵法箇条目録」のなかで十二箇条あげている。その一・二条の「二之目付(にのめつけ)之事」「切落(きりおとし)之事」を日常のビジネスとして「会話力」「洞察力」「スピード力」につなげて実践している事例について具体的にご発表いただき頷くところ大でした。

●鉄舟の書が読めない。先人達の意味ある漢字が読めない。つまり、先人と会話が出来ないという実態に我々は陥っているが、それにはどのような背景があるのか。それは明治維新時の漢字に対する様々な見解と、戦後の漢字全廃の動きなどが影響していることについての解説

②山本紀久雄の講演

明治天皇に鉄舟が如何に影響を与えたかについては、明治天皇21歳時点の写真と、36歳時点の御真影を比較することで解説し、その鉄舟が持つ人間力には「高山の地」が強く反映しているので、その「高山の地」が持つ素晴らしい潜在力を高山の皆さんが究明する事が必要で課題だと述べました。

投稿者 Master : 05:58 | コメント (0)

2012年01月26日

歴史秘話秘ヒストリア

NHK総合TV「歴史秘話秘ヒストリア」

2月1日22:00~22:43

「“相棒”はお前だけ~西郷隆盛と山岡鉄舟・明治をつくった熱い絆」

が放送されますので、皆様ご期待ください。

投稿者 Master : 05:38 | コメント (0)

2010年11月04日

高橋育郎氏作詞の「大きな木はいいな」がグランプリ

山岡鉄舟研究会のメンバー高橋育郎氏の活躍を報告いたします。 

11月3日、五反田の「ゆうぽうと」で開催された「全国童謡歌唱コンクール・大人部門」でグランプリを受賞したのは愛知県豊田市の宮内麻里さんで、歌は高橋育郎氏作詞の「大きな木はいいな」でした。

 高橋氏は著名な作詞家です。偶々10月の鉄舟会例会で「何故に童謡はグローバル化がなされないのか」というテーマで、縷々お話が展開され、その際に今回のコンクールの事も紹介されましたので、会場に伺ったのです。

 折角行ったのですから、舞台から三列目でじっくり童謡を楽しみましたが、グランプリの宮西さんが歌い終わった時「この人が獲得するだろう」と直感しました。

 その理由は、歌い始める前の紹介で「新しい歌詞を探していたところ『大きな木がいいな』に出会い、自分の心に深く入ってきた」とあり、彼女と歌詞の一体化が会場内に大きい波となって流れ、場内の拍手も一番多かったと感じたからです。

 この日の模様は11月28日(日)BS朝日で15時から放送されますので、ご関心ある方は是非ご覧いただきたいと思います。

 しかし、これだけの規模でコンクールを展開している日本の童謡が、世界では無名に近いということに驚きます。童謡を素晴らしい日本ブランドとして磨くべきでしょう。

「大きな木はいいな」  高橋育郎 作詞  白川雅樹 作曲

大きな木は いいな
わかばが ひかって そよいでる
うれしいのかな
たのしいのかな
風がさやさや うたってる

おおきな木は いいな 
あおばが こんもり すずしそう
あせをかいたね
やすんでゆこう
ゆうだちザァッと ふってきた

大きな木は いいな
はっぱが きいろや あかになり
ああ きれいだな
ああ うつくしい
みんなではくしゅを してあげよう

投稿者 Master : 09:51 | コメント (0)

2010年04月06日

静岡に鉄舟を訪ねる旅

静岡県・駿府博物館で開催されました『山岡鉄舟と明治の群像展』に参加されたメンバーから、鉄舟ゆかりの地を訪ね歩いた旅行記をいただきました。
ご紹介します。

>>>PDFで見るにはコチラ

壮士の墓
shizuoka100320_01.PNG
慶応四年、清水港に浮かぶ咸臨丸の脱走藩士の亡骸を、次郎長が丁重に葬ったのが壮士の墓です。賊軍に係わるのをさけ、放置されていた無残な遺体を収容する次郎長さん。そして、それを取り締まる立場の鉄舟さんが「よく葬ってあげた」と褒めてあげる。私はこのエピソードが大好きです。今回の縁の地を訪ねる旅で是非訪ねたい場所でした。私がイメージしていたのは、高山旅行の時の都竹正雄さんのお墓を小さくした様なお墓だったのですが、よく見る形の墓だったので意外でした。

shizuoka100320_02.PNG
お墓の後ろに写っているのはお年寄りが集まる集会場です。次郎長さんに係わる写真が飾られています。最近ではあまりテレビドラマや歌などに登場することが少なくなった次郎長さんですが、今も清水の人たちには生活の中に溶け込んでいるヒーローなのです。

shizuoka100320_03.PNG
沢山の写真が飾られています。右に見えるのは望嶽亭の鉄舟さんのピストルでは?

梅陰禅寺
shizuoka100320_04.PNG
次郎長さんの菩提寺です。次郎長さんはじめ大政、小政さん他次郎長一家の皆さんのお墓です。全生庵の鉄舟さんのお墓の周りでも感じるのですが、凛として、温かく、そこだけ少し明るいような気を感じます。次郎長一家の皆さんは清水を愛し、亡くなってからも、この地を守っているような感じがいたしました。

shizuoka100320_05.PNG
有りました
「精神満腹」
鉄舟さんが次郎長さんに贈った書です。何時もに増して、凄い迫力です。大親分が持つのに相応しい素晴らしい字ですね!!
「精神満腹」鉄舟さんにそんな風に思われたら、もうこの世に思い残すことは有りませんよね・・・
この書を貰ったとき次郎長さんはどれ程嬉しかったことでしょうか・・・

shizuoka100320_06.PNG

鉄舟寺
shizuoka100320_07.PNG
鉄舟さんが揮毫し、それを次郎長さんが広く寄進を募り再興したお寺です。
このお寺の歴史は古く、およそ千三百年の昔久能忠仁公によって創立せられました。
国宝 紙本墨書法華経、県文化財 大般若写経などが、何気にどうということなく陳列されていたのに驚きました。重文だから価値が有るとか,幾ら位の値段が付けられるとかの、価値を基準にしていないで、こんなものが伝わっているので、観て下さいという様な感じで展示されているのがさすが鉄舟さん縁の寺だと思いました

shizuoka100320_08.PNG
また、義経が牛若丸時代から愛用したと言われる横笛の音色がBGMで流れています。年に一度生で演奏されるそうです

shizuoka100320_09.PNG
今回の旅行はこの坐像を拝見させて頂くのが一番の目的でしたが、遥々来てヨカッタ!!とても端正なお顔立ち、そして本当に鉄舟さんがそこに座っていらしゃるのでは・・というほどの存在感があるのです。
悩み事を相談しに来る人がいるという事を聞きましたが、その気持ち解ります。私はずっと傍にいたいと思いました。

shizuoka100320_10.PNG
素晴らしい!!

shizuoka100320_11.PNG
チョッと写真がナナメッテいるのが残念

shizuoka100320_12.PNG
全生庵と鉄舟寺では
鉄舟さんの戒名が違います

鉄舟寺の戒名
鉄舟寺殿前宮内少輔
従三位
勲二等
雲外高歩大居士

生家・末広
shizuoka100320_13.PNG
次郎長の生家
鉄舟会の親分方
お世話になりやす・・・

shizuoka100320_14.PNG
船宿・末広
天田愚庵の詠んだ碑が有りました。

望嶽亭
shizuoka100320_15.PNG
駿河台記念館で行われた第4回山岡鉄舟全国フォーラム後の懇親会で若杉さんから始めて望嶽亭のお話を伺ってから、いつかは訪れたいと思っておりました。
「望嶽亭」は室町時代末期には名所図会に名を残している由緒ある建物です。
さだよ お母さんのお話によると、安政の大地震で土地が隆起して、地形が変わった
のに、この建物は無事だったそうです。
地形が変わる前は眼下に海が広がるとても眺めの良い所で、あわび等の新鮮で美味しい貝をお客さんに提供していたそうです。

shizuoka100320_16.PNG
展示されている中に望嶽亭を特集した週刊誌があり、そこにシーボルトが写した望嶽亭の写真が載っていました。本当に今と地形が違うのです。

shizuoka100320_17.PNG
鉄舟さんを匿った蔵屋敷の入り口です

shizuoka100320_18.PNG
望嶽亭を当時姿のまま後世に伝えようとここに住み守り続けている さだよおかあさん
訪れる方にここであった事を一生懸命語り伝えます。年代などもしっかり覚えておられて、その記憶力のよさに驚きました。
さだよ お母さんのお話では、数箇所の寺子屋から追い出された次郎長さんの教育がてら、生活を共にしていたという、とても、次郎長さんとのご縁のあるお宅で、牧の原の開墾その他次郎長さんのその後の業績を考えると、鉄舟さんがここに逃げ込んできたのは偶然ではなく必然だったように思われました。

shizuoka100320_19.PNG

shizuoka100320_20.PNG
コレがアノ隠し階段です
松永純一様 竹生様 でさえ子供のころ降りたことがなかったそうです
有り難い事に、使わせていただきました。幅が狭く、急勾配なのがまさに隠し階段!!
ここが、無血開城につながっていったのか・・
来て好かった・・感動です。有難うございました。

shizuoka100320_21.PNG
人が降りるとこんな感じです。
外に出る扉は3重になっていて、木で作られた仕掛け錠が付いています。
昔から、セコムさんに負けないくらいセキュリティ万全でした。

鯛屋旅館
shizuoka100320_22.PNG
天和2年1682年創業の老舗です。
鉄舟さんと次郎長さんの定宿でした。
二人の豪傑は大酒を飲み、大いに語らい、楽しい時を過ごしたことでしょう。
全国フォーラムでお目にかかった、18代当主の佐野さんに笑顔で迎えられ、鉄舟さんの字の看板を見せていただきました。
鯛屋興三郎 ここにありと言う様な堂々とした看板でした。
ご先祖が鉄舟さんとご縁があり、こんな凄いお品が家に有るなんて羨ましいかぎりです

shizuoka100320_23.PNG
手作りお雛様を作る会に場所を提供しているということで、可愛いお雛様が飾ってありました。

松陰禅寺
shizuoka100320_24.PNG
移動中の車の中で、今井さんが昔白隠禅師の松陰寺に座禅をしに行ったことがあり、そこに、白隠さんが、すり鉢を投げて、それが落ちることなく今もそのまま木の上に覆い被さっている松があるんだヨ・・と話してくれました。
* なぜ、すり鉢を投げたのか?
* なぜ、すり鉢なのか?もっと投げやすい物はたくさんあるのに・・
* ヒョットして白隠さんは癇癪もち?
など、沢山の疑問が浮かんできたのですが、今井さんももう昔の事なので、その謂われは
忘れてしまったという事で、急遽その松と謂われ書きを見に松陰寺に行きました。
残念ながら説明の表示板はなかったのですがすり鉢は確かにありました。

白隠さんのお墓です
shizuoka100320_25.PNG
その後、今井さん 若杉さんが謂われを調べてくださいました
松陰寺の擂鉢の話 こうでした
http://www.geocities.jp/marira2003/hakuin2.htm
すり鉢を投げたのではなくて、ヨカッタです

帰りの車は、今井さん 山崎さん 橘の三人でした。
やまざき れいこ のCDを流し、所々ご本人の生の歌が入る シャンソンの会で盛り上がりました。
CDの曲の説明を山崎さんから聞きながら耳を澄ましていると、お芝居のように情景が浮かんで来るのです。
大人の歌って凄いですね。

静岡鉄舟会の皆様のご案内で沢山 縁の地を訪ねる事が出来、また、山崎さんの歌に感動し、素敵な思い出を作る事が出来ました。
皆さん 有難うございました

(終)

>>>PDFで見るにはコチラ

投稿者 lefthand : 16:30 | コメント (0)

2010年03月31日

山本兼一氏講演会の感想

去る3月10日〜22日、静岡県静岡市で開催されました『山岡鉄舟と明治の群像展』のイベントとして行われました、直木賞作家・山本兼一氏の講演会に参加された方から感想をいただきました。
以下ご紹介します。

*****

直木賞作家山本謙一氏の講演会

平成22年3月20日(土)、静岡県静岡市にあるコンベンションアーツセンター「グランシップ」において直木賞作家で今回山岡鉄舟の小説「命もいらず 名もいらず」を出版される山本謙一氏の講演会が催されました。
天候にも恵まれ、定員を超える入場者に立見の人の姿も見受けられる盛会ぶりでした。

山本さんは「利休にたずねよ」で第140回直木賞を受賞されました。受賞作の他にも、「火天の城」(第11回松本清張賞受賞)「千両花嫁」などの作品があります。

山岡鉄舟の研究家ではなく、いちファンとして、鉄舟の小説を書かれたそうです。
そもそも、鉄舟さんとの出会いは20年程前、神田の古本屋で「おれの師匠」ほか鉄舟さんの本と出合ったことから始まります。
ゆで卵100個のエピソードの、子供じみた意地っ張りで、どんなバカな事でも真剣にやるところに魅了されたそうです。

また、鉄舟さんの素晴らしい点は、素直で負けん気が強い素質に、自分に恥じない拘りを持って、徹底的にやり遂げ、自分を磨き上げたところ、そして、一般的に武士が、最も大切にした名前を残す事、それすらも執着しなで、名も名誉も残さなくても、自分の心に恥じなければ良い、人の評価はどうでもよい、という突き抜けたところにあるとおっしゃいます。

また、山本さんは、近代文学は心の戸惑いや、葛藤、人の弱さを書いているが、歴史小説はその対極にあり、主人公を通して、人の強さや、生き方を自分の見本として、考えることができるので、沢山読んで欲しいとおっしゃいます。
鉄舟さんについても、小野家の相続などを、こういう人であって欲しいという小説的真実と、自分の為になることを行うのは、人の為にもなるという事をテーマに書かれたそうです。
既刊の小説よりも,もっと素敵な鉄舟さんに出会える事を楽しみにしております。

投稿者 lefthand : 11:32 | コメント (0)

2010年03月10日

淑徳大学で鉄舟の公開講座が開かれます

淑徳大学にて山岡鉄舟の公開講座が開かれます。
当会会長・山本紀久雄が講師を務めます。

山岡鉄舟の生き方に学ぶ
混迷の時代でのブレない生き方

期 日:5月8日(土)〜7月3日(土)の5回シリーズ
時 間:15:30〜17:00
講 師:山本紀久雄、平井正修、佐藤寛
受講料:10,000円
会 場:淑徳大学サテライトキャンパス(池袋)

************

淑徳大学公開講座(番号A-035)

山岡鉄舟の生き方に学ぶ
混迷の時代でのブレない生き方

■講 師  山本紀久雄・平井正修・佐藤寛
■定 員  50名(全5回)
■日 程  平成22年5月8日(土)~7月3日(土) 
      15:30~17:00
■受講料  10,000円
■会 場  淑徳大学サテライトキャンパス
      (JR池袋駅西武口より徒歩2分)
[ポイント]
今の時代、100年に一度と言われる世界的な金融危機、世界最大の借金大国という日本財政悪化、加えて、デフレによる経済成長の行き詰まりなど、鬱積した不安社会が時代を覆っています。だが、眼を過去に遡れば、今よりもっと凄まじい時代と社会が幕末維新にありました。
鉄舟という人物の魅力は、誰も見通しをつけられなかった激動の時代に、徒手空拳で立ち向った豪胆武勇さと、西郷との駿府会談でみせた政治外交力と論理的構築力、さらに、女の子の遊び手毬歌に唄われ民衆から敬愛された「人間力」にあります。
今回のシリーズでは、日本の近代黎明期になぜ、このような人物が私たち日本人の中から生まれたのか、それを噛み砕き、説き起こし、今の時代の生き方指針につなげてまいります。
[講座内容]
1.5月8日(土)午後3時30分~5時00分
 『鉄舟の成し遂げる根源力から学ぶ』
  山岡鉄舟研究会会長 山本紀久雄          

2.5月22日(土)午後3時30分~5時00分
 『基礎力を鍛えた高山少年時代から学ぶ』
  山岡鉄舟研究会会長 山本紀久雄     

3.6月5日(土)午後3時30分~5時00分
 『一刀流正伝無刀流極意から学ぶ』
  山岡鉄舟研究会会長 山本紀久雄

4.6月19日(土)午後3時30分~5時00分
 『最後のサムライ 山岡鉄舟』
  全生庵七世住職 平井正修

5.7月3日(土)午後3時30分~5時00分
『知られざる幕末・維新の仕事人-静岡藩副知事、茨城・伊万里両県知事そして天皇の家庭教師へ』
  実践実務教育研究所所長 佐藤 寛 

[講師プロフィール]
山本紀久雄(やまもと きくお)
1940生まれ、中央大学商学部卒、山岡鉄舟研究会会長。月刊ベルダ誌にて「山岡鉄舟」連載、著書「鉄舟研究録 巻之一~五」他多数

佐藤 寛(さとう ひろし)
経営心理カウンセラー。大学教授、鉄舟禅会理事、企業・団体研修講師として活躍。『山岡鉄舟幕末・維新の仕事人』(光文社新書)など著書多数。

*****お問い合わせは 下記 まで*****
〒171-0022 東京都豊島区南池袋1-26-9 MYT第2ビル7F
「淑徳大学エクステンションセンター」
TEL 03-5979-7061
FAX 03-3988-7470
E-mail ext@ccb.shukutoku.ac.jp

※上記に直接お申し込みください。

投稿者 lefthand : 20:17 | コメント (0)

2010年03月02日

清河八郎〜もうひとつの埋葬地

当会にご参加のあさくらゆう様より清河八郎についてご自身が書かれたことをご紹介いただきました。

「清河八郎〜もうひとつの埋葬地」
詳しくは下記の、あさくら様のブログをご覧ください。
>>>『無二無三』あさくらゆう様ブログ

投稿者 lefthand : 10:18 | コメント (1)

2010年02月26日

高山での研究会が紹介されました その2

去る2月19日(金)に行いました、岐阜県高山市での鉄舟研究会の様子が、地元高山にて紹介されました。

岐阜新聞 2010.2.21付

(クリックで拡大)

山岡鉄舟への思い語る
研究会 高山市で初の特別例会

幕末、明治の政治家で少年時代を高山市で過ごした山岡鉄舟の研究会が19日、同市宗猷寺町の宗猷寺で特別例会を開き、参加者が激動の時代を生きた鉄舟の姿に思いをはせた。
同研究会は毎月、東京都で勉強会を開催。同会が特別例会を高山で開くのは今回が初めて。
特別例会には東京都や同市内から約30人が出席。同研究会の山本紀久雄会長が講師を務め、近年の世界情勢についても自論を展開しながら、鉄舟の人物像や偉業を語った。
山本会長が「時代変化に伴い、日本人も考え方や価値観を変える必要がある。鉄舟も攘夷から考えを転換し、新しい時代に貢献した」などと話すと、参加者が熱心に聞き入っていた。

投稿者 lefthand : 18:06 | コメント (0)

2010年02月24日

高山での研究会が紹介されました

去る2月19日(金)に行いました、岐阜県高山市での鉄舟研究会の様子が、地元高山にて紹介されました。

中日新聞 2010.2.23付

(クリックで拡大)

『鉄舟の人生に学ぶ』
高山 宗猷寺で研究会例会

山岡鉄舟研究会(東京都)が、高山市宗猷寺町の宗猷寺で例会を開いた。会員や市民ら30人が参加し、幕末に江戸無血開城に貢献した鉄舟の生き方から人生の粋を学んだ。
研究会は、鉄舟の偉業と人物像から、現代人の指針を見出そうと研究を続けている。
鉄舟は幼少時を高山で過ごし書を学んだ。研究会の例会が高山で開かれるのは初めて。
同会会長で経営コンサルタントの山本紀久雄さんが「鉄舟大悟す」と題して講演。剣術の世界では「向かうところ敵無し」だった鉄舟が幕末の剣客、浅利又七郎との立ち会いで完敗したことを挙げ「鉄舟は負けたことを簡単には忘れず、自分の過去を整理してその後の人生に生かした。人間の多くは過去を思い出だけにしておくが、鉄舟のように生きていくことが大事だ」と語った。

本例会で、鉄舟の生き方を高山の方々に伝えることができ、皆様の生き方のヒントとなればこの上ない幸せです。
今後も高山での例会は7月19日の鉄舟法要とあわせ、年2回のペースで行っていく予定です。
鉄舟の人間力を育んだ高山の皆様に、地元の豪傑の人生を知っていただき、誇りに感じてくださることを祈念いたします。

投稿者 lefthand : 11:07 | コメント (0)

高山・丹生川地区講演会の反響をいただきました

去る2月19日(金)、岐阜県高山市・丹生川地区での講演会の感想をいただきました。
ご紹介します。

「山本紀久雄先生

2月19日(金)高山市丹生川町ホールの鉄舟の講演を一般参加で拝聴させていただきました。
大変興味深く、楽しく聞かせていただきました。
とても分かりやすかったです。
司馬遼太郎や龍馬との接点などもっと聞きたかったです。
いち市民として少しは知っておくべき部分を勉強できよかったです。
ありがとうございました。

一般市民」

ご感想をお寄せいただき、ありがとうございました。
高山は鉄舟のふるさとです。
これからも皆様と共に学びあいたいと思います。

投稿者 lefthand : 10:36 | コメント (0)

2010年02月13日

高山研究会が新聞に掲載されました

来たる2月19日(金)に開催いたします、岐阜県高山市での鉄舟研究会が、地元新聞で紹介されました。
高山での鉄舟研究会は地元でも話題になっています。
高山も、次第に鉄舟研究熱が上がっているようで、嬉しい限りです。

新聞記事をご紹介します。

■岐阜新聞(2010.1.10)
山岡鉄舟研究会
2月19日午後4時から、高山市宗猷寺町の宗猷寺本堂で。同研究会(東京都)の特別例会。
少年時代を高山で過ごした鉄舟の人物像について同研究会の山本紀久雄会長が講演。
参加費1500円。同日午後6時30分からは参加費3500円で懇親会も開かれる。
申し込みは高山世話人の水口さん。

(クリックで拡大)

■高山市民時報(2010.1.13)
高山で幼少期を過ごし、明治維新の際には江戸無血開城に貢献するなど、政治・思想家として活躍した山岡鉄舟。その偉業と人物像を広く知ってもらおうという「山岡鉄舟研究会」(東京都)が、2月19日夕4時から宗猷寺で特別例会を開く。
同研究会長・山本紀久雄さんが、鉄舟の生き方を研究した成果を発表する。
参加1500円。
申し込み、問い合わせは高山側の世話人を努める水口さん。

(クリックで拡大)

■中日新聞(2010.2.5)
高山ゆかり 鉄舟知って
江戸無血開城に貢献

幼少期を高山で過ごし、明治維新の時に江戸無血開城に貢献した政治家、山岡鉄舟の偉業をしのぶ研究会や講演会が19日に高山市内の2会場で開かれる。

(クリックで拡大)

>>>高山・丹生川地区講演会

>>>高山・特別例会

投稿者 lefthand : 22:59 | コメント (0)

2010年02月04日

静岡で鉄舟展が開催されます

山岡鉄舟と明治の群像展講談と講演で語る山岡鉄舟

静岡県の成立と近代教育の夜明けと題し「山岡鉄舟と明治の群像展」が静岡駅前の【駿府博物館】で、2010年3月10日(水)〜22日(月)まで開催されます。
鉄舟ゆかりの「全生庵」所蔵の文化財約45点が静岡で初公開されます!!

また、期間中、特別イベント「講談と講演で語る山岡鉄舟」が、3月20日(土)14:00〜開催されます。
講談は宝井馬琴氏、講演は直木賞作家の山本兼一氏です。
山本兼一氏は近々、山岡鉄舟の本をご出版予定です。

鉄舟の書や所縁の品の数々と、直木賞作家・山本兼一氏のお話に出会えるまたとないチャンスです。
是非、足をお運びください。

■「山岡鉄舟と明治の群像展」
期間:2010年3月10日(水)〜22日(月)
   9:30〜17:00まで
会場:駿府博物館(静岡駅前)
   静岡市葵区紺屋町15-4
   駿府博物館サイト

*鉄舟ゆかりの「全生庵」所蔵文化財約45点静岡初公開!!

休館日:3月15日(月)
入場料:一般 300円

■特別イベント:「講談と講演で語る山岡鉄舟」
 入場無料/事前申し込み
日時:3月20日(土)14:00〜
場所:グランシップ 6階交流ホール
   JR東静岡駅南口からメインエントランスまで徒歩3分
   グランシップサイト
出演:宝井馬琴(講談師)、山本兼一(小説家)
申込方法:FAX.E−mailは、郵便番号、住所、氏名、電話番号、
     参加人数を明記ください。
TEL:054−203−5714、FAX:054−203−5718
E−mail:info@granship.or.jp

投稿者 lefthand : 11:54 | コメント (0)

2010年01月25日

高山・丹生川地区で講演会を行います

高山・丹生川(にゅうかわ)地区で講演を行います。
2月19日(金)13:00〜

この講演会は、丹生川社会教育運営委員会のご依頼を受け、当会会長・山本紀久雄が講演を行います。
高山でも、鉄舟研究の気運が高まってまいりました。
同日の研究会、そして7月19日の命日法要研究会と、さらに高山の地で鉄舟研究の熱が高まることを願っています。

山岡鉄舟講演会

日時:2月19日(金)
   13:00〜14:45
場所:岐阜県高山市・丹生川文化ホール
   高山市丹生川町1
講師:山岡鉄舟研究会会長 山本紀久雄
講演テーマ:山岡鉄舟の生き方から学ぶ
主催:高山市丹生川地区
   社会教育運営委員会・文化協会、
   ふる里歴史学習会

内容
高山で幼少期を過ごし、幕末の政権交代を決定づけた江戸無血開城に貢献し、明治に入ってからは明治天皇の侍従となるなど、明治維新の激動期に活躍した山岡鉄舟。その生き方は、鉄舟が幼少期を過ごした高山の地にて培われました。社会構造が大きく変革しようとしている今、百数十年前に行われた革命の時代に生きた鉄舟の生きざまは、同じように世界が大きく変化しつつある現代の我々の生き方の指針とするにふさわしい、地元の偉人です。鉄舟の生き方を知り、その生き方から示唆を得る講演会です。

●お問い合せは、丹生川社会教育運営委員会まで
 TEL:0577−78−2468

投稿者 lefthand : 13:29 | コメント (1)

2009年12月07日

「望年会」について

当会では、忘年会を「望年会」と表記しております。
これは、メンバーの方からのご提案で、年を忘れる「忘」ではなくて、新しい年に希望を託す「望」をもじって「望年会」としたらどうかといただいたことがございまして、それ以来「望年会」と表記しております。
いくつかお問い合せを頂戴しました。
説明不足をお許しください。

新年に希望を託す「望年会」に、ご参加お待ちしております。

投稿者 lefthand : 01:35 | コメント (0)

2009年10月28日

高山市・田中 彰氏の講演に行ってきました

去る10月26日(月)、高山の鉄舟法要で大変お世話になりました、高山市郷土館の田中 彰氏が、東京で講演をなさるということで馳せ参じました。

tanaka091026_01.JPG

講演は、千代田区主催「街道文化講座・千代田塾」というシリーズのひとつとして行われました。
田中氏のご講演タイトルは『飛騨高山に残る江戸の面影』。
古くから交流が盛んであった高山と江戸の、互いに影響し合った文化をご紹介くださいました。
高山は江戸との交流が盛んだったそうです。地理的条件から見ますと、むしろ京都や大坂の影響を受けることが自然に思えますが、さにあらず。高山の文化風習は江戸からの影響が色濃く反映され、今でも残されているのです。

田中氏から資料として一枚の地図をいただきました。
「嘉永六年飛騨高山日下部徳立編輯街道図木版」というものです。

これを見ますと、高山から江戸までの道のりが事細かに記載されているのが分かります。だいたい二〜三里ごとに茶店や宿場があり、それを辿っていくと自動的に江戸に着くという、大変便利なものです。江戸時代は交通網が大変よく整備されていたため、こうした地図ひとつで旅をすることができたのです。
ちなみに、地図の左下に主要な目的地への距離が記載されています。これで目的地まで何日かかるか一目で分かるのですが、その中に「善光寺」が含まれています。
当時、旅行をするには通行手形が必要で、それを発行してもらって初めて旅ができたのですが、この手形は基本的には男性にしか発行されないものだったそうです。また、行き先と目的も厳しく聞かれたそうです。その中で善光寺参りは女性も参詣が許されていて、なおかつ手形の発行が「甘かった」そうで、善光寺に参ると言っておけばパスできたという事情があって、わざわざ目的地のひとつとして書き出してあるのでそうです。おもしろいですね。

tanaka091026_02.JPG
田中氏の講演は、とても分かりやすく、そしてユーモアに溢れていて大変おもしろく、心地よく聴かせていただくことができました。何より、お詳しいことに感服しました。高山の歴史、文化、風習、祭り、家屋、匠の技、伝説など、多岐にわたる内容を分かりやすく、おもしろく紹介くださいました。
そして、最後に山岡鉄舟についても触れられ、その中で我が山岡鉄舟研究会のこともご紹介くださいました。お心配り、感謝申し上げます。

田中氏の内容濃い講演は、100名を超える聴衆の割れんばかりの拍手で終了しました。田中彰様、ありがとうございました。
講演後、参加者に取り囲まれ質問攻めとサイン攻めにあっている田中氏にご挨拶し、会場をあとにしました。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 11:00 | コメント (0)

2009年09月23日

高山市郷土館・田中彰氏の講演

初秋の候、皆さまお元気でお過ごしでしょうか。

飛騨高山で行いました、「鉄舟法要と記念講演会」にて、地元・高山のお世話役として多大なるご協力を賜りました、高山市郷土館の田中 彰様が、東京にてご講演をされると聞き及びましたので、ご紹介いたします。

chiyodajuku09102601.JPG
(高山・鉄舟法要会でのご講演風景)

街道文化講座 第四回『千代田塾』
「飛騨高山に残る江戸の面影」-街道、山王祭り、江戸旗本の学問文化-

まちみらい千代田と、千代田区、全国街道交流会議との共催による街道文化講座『千代田塾』。
第四回は、岐阜県高山市の協力による「飛騨高山に残る江戸の面影」。高山市郷土館の田中彰氏を講師にお迎えして、高山祭の江戸型屋台や江戸街道など、徳川幕府の直轄地であった飛騨高山の各所に残る江戸の歴史風情や江戸の学問・文化との関わりについてお話しいただきます。
10月26日は、11時より千代田区役所ロビーにおいて高山市による『街道交流広場』が設けられ、飛騨高山の特産品の販売や観光PR(パンフレット配布等)などが行われます。
日 時 平成21年10月26日(月)18:30~20:00
場 所 千代田区役所1階 区民ホール(東京都千代田区九段南1-2-1)
定 員 150名(申込順)
参加費 無料
申込締切 10月15日(月)
主 催 千代田区、まちみらい千代田、NPO法人全国街道交流会議
共 催 高山市、街道交流首長会
後 援 千代田区観光協会、国土交通省、文化庁、観光庁、全国市長会、他

詳細は下記のホームページをご覧ください。
>>> 千代田区ホームページへリンク
※本会ではお問い合せ・お申し込み等承っておりません。
 直接千代田区様へお問い合せ・お申し込みください。

投稿者 lefthand : 14:28 | コメント (0)

2009年09月18日

鉄舟を訪ねる旅 〜下呂

鉄舟にゆかりのある人物や場所などどこへでも馳せ参ずる我々鉄舟会。
今回は、下呂に鉄舟と親交のあった人物があると聞き及び早速向かいました。

gero090915_01.JPG

*****

下呂市は、岐阜県・飛騨地方の南部に位置し、「日本三名湯」の誉れ高き温泉地です。前夜遅く下呂駅に着いたため、街の様子がさっぱり分からなかったので、翌朝、付近を少し散策してみました。

gero090915_02.JPG gero090915_03.JPG
下呂駅付近

駅から線路をくぐり、温泉街へ。
そこは、大きな旅館が建ち並ぶ一大旅館群の密集地でした。
温泉街は、下呂駅至近の旅館「水明館」を中心とした集落と、飛騨川を挟んだ川向こうにも大きな旅館やホテルが林立し、温泉街の大規模さに驚きました。
飛騨川の河川敷に露天風呂があることを知っていたので、それを探しに散策しました。ありました。綺麗に整備されている河川敷のかたわらに、ちょこんと小さな露天風呂が…。あまり情緒というものが感じられない、小綺麗なお風呂でした。しかも、入浴は「水着着用のこと」。水着持ってませんでした。がっかり。

gero090915_04.JPG gero090915_05.JPG
下呂の温泉街(左)、河原の露天風呂(右)

温泉について少しお話ししておきましょう。
私が入ったホテルの温泉の泉質は、「アルカリ単純泉」とありました。
お湯は透明で、アルカリのPHが高いらしく、湯につかると肌がヌルヌル、というかスベスベ、といった感覚で、なかなか気持ちよかったです。

*****

目的の場所は下呂でしたが、温泉ではありません。鉄舟です。
JR高山線で下呂駅から2つ名古屋寄りの「飛騨金山」に向かいます。
ここは平成の大合併で平成16年に下呂市になりました。それまでは金山町でした。
金山は、飛騨と美濃の境に位置する小さな町です。
飛騨金山駅に降り立つと、緑深き山々が我々を迎えてくれます。とても空気が澄んでいて気持ちいい。山々の呼吸が鮮やかな緑と心地よい風を我々に届けてくれています。これが日本なんだなあとしみじみ感じました。

なぜ我々はこの飛騨の山中に降り立ったのか。
幕末から明治にかけ活躍した、加藤素毛(かとうそもう)という人物がいます。
彼は、日米修好通商条約の批准に向かった使節団のひとりです。この地では、「日本初の世界一周をした人物」として、地元の有名人のひとりに数えられています。その使節団に加わるのに、山岡鉄舟が尽力した、というのです。
金山には、「加藤素毛記念館」という建物があります。加藤素毛の業績をたたえ、様々な資料を展示しているとのことでしたので、鉄舟に関する資料があるのでは…と期待し、訪れたというわけです。

加藤素毛記念館は、加藤素毛の生家を補修したものでした。
開館は毎月1、15日。狭き門です。
到着すると、中島清館長が迎えてくださり、さっそく中で説明を拝聴しました。

gero090915_06.JPG gero090915_07.JPG
加藤素毛記念館(左)、中島館長(右)

加藤素毛は、1825年、地元の名主の次男として生まれました。名字帯刀を許された裕福な名主の息子だったわけです。
素毛が23歳のとき、高山の飛騨郡代・小野朝右衛門高福(たかよし)の公用人になりました。このとき、鉄舟との出会いがあったようです。素毛と鉄舟は、国学を高山の地役人・山崎弘泰から、その子弓雄から和歌をともに学んだそうです。鉄舟との親交はここに始まり、生涯続いたのだそうです。ちなみに素毛は鉄舟より11歳年上でした。
両親の死別とともに鉄舟は江戸へ帰りました。その頃素毛は九州へ吟行の旅に出ていました。長崎に長く滞在し、外国文化の影響を強く受けたといいます。
帰郷した素毛は、押し寄せる外国の脅威にいてもたってもいられず、江戸へ出ました。そして、日米修好通商条約批准書交換のための、幕府遣米使節随行員77名のひとりとして、米軍艦ポーハタン号に乗ったのです。
素毛(当時33歳)の遣米使節随行が実現した事情は、実はよく分からないのだそうです。これには、鉄舟が素毛の遣米使節随行に絶大な協力をしたと、パンフレットやインターネットでは書かれていますが、鉄舟は当時22歳。そのころの鉄舟は、山岡家に婿入りし、ひたすら剣に打ち込む一介の貧乏旗本でしたので、遣米使節という幕府の代表ともいうべき重要な役割のメンバーになるのに、口添えができるような身分ではなかったのではないかと思われます。
中島館長のお話では、遣米使節が派遣されるにあたり、その物資の調達や賄い方を請け負った「伊勢屋」という商家と、素毛の親戚筋に取引があり、その筋から縁がつながったという説が有力だと考えられているそうです。
素毛は大変筆まめだったらしく、世界を一周したときの様々な記録や現地の資料を持ち帰っています。日記、スケッチ、アメリカの新聞や手に入れたいろいろな道具などが、記念館に収蔵されています。

中島館長のお話によれば、素毛と鉄舟は11歳の年の差があったため、素毛よりむしろ素毛の弟と仲がよかったようです。が、いずれにしても、高山時代の鉄太郎少年のよき勉強仲間、遊び仲間であったのでしょう。高山時代の鉄舟に関わる人物がいたことを知ることができたことは、とても有意義であった今回の下呂の旅でした。

*****

加藤素毛記念館に、鉄舟の書がありました。ご紹介します。


「福 喬 松」
(松は赤松子、喬は王子喬、ともに長寿の仙人)
<画像クリックで拡大します>


「利 是 界 三」
(三界とは、衆生の住む欲界・色界・無職界の3つの世界で、全世界を指す)
<画像クリックで拡大します>


「徳 明 功 表」
(功を表わし徳を明らかにす)
<画像クリックで拡大します>

鉄舟の書に出会えました。感無量でした。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 16:52 | コメント (0)

2009年09月06日

埼玉県の神社を巡るバスツアー

近代出版社の若林様から、ご案内をいただきましたので、ご紹介します。

「埼玉県内の神社を巡るバスツアーのご案内でございます。
神職さんが同行し、説明していただけるツアーですので、大変深い理解を得られることと存じます。
近い日程もございますが、まだ若干の定員があるとことですので、ご興味ございましたら、ご参加くださいませ。
また、お知り合いの方へもご紹介いただければ幸いでございます。
宜しくお願いいたします」

>>>詳細はこちらのパンフレットをご覧ください

※山岡鉄舟研究会ではお申し込みを受けつけておりません。
 直接パンフレットのお申し込み先にお申し込みお願いします。

投稿者 lefthand : 22:59 | コメント (0)

2009年07月21日

高山での鉄舟法要と追悼記念講演会 無事終了しました

7月19日、岐阜県高山市・宗猷寺にて『鉄舟法要と追悼記念講演会』を無事執り行うことができました。
ご参加の皆様、並びに開催にあたりましてご尽力賜りました皆様、ありがとうございました。
報告は後日ご連絡申し上げます。
お楽しみに。
tessyuu_09takayama.JPG

8月の例会は夏休みです。
9月は16日(水)18:30〜、東京文化会館・中会議室2(会議室が変わります)です。
皆様、よい夏休みをお過ごしください。

投稿者 lefthand : 15:31 | コメント (0)

2009年05月19日

高山に行ってまいりました

高山に行ってまいりました。
今回の目的は、来たる7月19日(日)に開催する「鉄舟法要と追悼記念講演」の当日の段取りの打ち合わせと事前の準備確認をするためです。

takayama090512_01.jpg
高山の古い町並

**********

特急「スーパービューひだ」にて高山を目指します。
飛騨は新緑の季節です。木々の様々な緑の濃淡のコントラストが美しく、いきいきとしています。また、風景も渓谷や田園など、さまざまに姿をかえ私たちの目を楽しませてくれます。
takayama090512_09.jpg takayama090512_10.jpg
特急「ひだ」からの風景

高山駅に到着。
さっそく、会場である宗猷寺に向かいます。
宗猷寺では、庫裡の建設が進んでいました。とても立派な庫裡です。
takayama090512_04.jpg
建設中の庫裡

庫裡は木造です。細かな部分に飛騨匠の技術と情熱を感じます。
飛騨にはまだ宮大工の技術が継承されていて、各地の寺社建設などに駆り出されることも多いそうです。
竣工は6月中旬頃だそうです。7月の法要研究会は、この新しい庫裡をお借りすることになります。楽しみです。
takayama090512_02.jpg takayama090512_03.jpg
宗猷寺本堂(左)、鉄舟ご両親の墓(右)

鉄舟のご両親に手を合わせ、本堂にて今城住職様と打ち合わせ。当日の段取りを確認しました。

宗猷寺のある東山一帯は、高山の町を見渡せる山の高台に位置します。
この界隈を歩いていて驚くのが、あたりを散策しているのが外国人ばかりということです。ヨーロッパ系のバックパッカーの方々があちこちにいらっしゃいます。住職のお話では、日本人観光客でここまでのぼってくる人たちはほとんどおられないそうです。日本人は、街中の「古い町並」をうろつき、お土産の物色に余念がないのです。日本人と外国人の観光スタイルに大きな差があることに興味を覚えました。
高山は、「ミシュラングリーンガイドジャポン」で★★★に選ばれています。それを見て年間17万人の外国人が高山を訪れます。しかしそれは、飛騨牛が美味しいとか、古い町並の景観が美しいことばかりでなく、外国人が憧れを抱く何かが存在しているように思うのです。宗猷寺の境内は、その何かがあるのだと感じたのでした。
takayama090512_05.jpg takayama090512_06.jpg
(右写真)宗猷寺・今城住職様(左)と山本会長

**********

宗猷寺を後にした私たちは、高山陣屋のある町屋通に足を運びました。
高山ご出身の当会メンバー、北村様のご実家を訪ねるためです。
ご実家にはお母様が住んでいらっしゃいます。
2月の例会で、北村様に高山についてお話いただいたとき、高山には江戸時代からの町屋造りが今も残されていることを伺いましたが、北村様のご実家はまさにそんな江戸時代そのままのお屋敷でした。何と、築130年だそうです。

2月例会へのリンク

道から見える部分はとにかく低く造られているように見えます。平屋のように見えます。低い玄関をくぐり、中へお邪魔すると、奥へ行くほど広くなっています。驚きです。
二階の座敷にお邪魔すると、その荘厳さに驚きました。屏風に御簾、掛軸と造作にも歴史の重みを感じます。聞けば、北村様のお母様が通常の家の何倍も手をかけて手入れされておられるとのこと。例えば、柱は油をつけて磨き、その後ほこりがつかないように何度も何度も水拭き、乾拭きなどされるとのこと。そこに住んでおられる方々のひとつひとつのご苦労が合わさって、高山の素晴らしい歴史文化を今に伝えているのだと思うと、感慨ひとしおでした。外国人の心を揺さぶる「日本」は、このようなところに滲み出てくるのではないでしょうか。

お母様のご差配で、地元の方々をお呼びくださっておられました。
今回、法要講演会でご挨拶いただく高山市郷土資料館の田中彰氏、市議会議員で元英語の先生の水口氏、元校長先生の藤沢氏と、地元の名士の方々にわざわざお越しいただき、恐縮至極でした。
当日の段取りと事前の準備、その役割分担を確認し、地元での広報と当日の懇親の手配などをお願いすることができました。
打ち合わせが終わると、お母様が手料理を振る舞ってくださいました。恐縮している内に郷土伝統のお料理がズラッと、あっという間に並びました。その多さに驚愕しきり。そして、美味しいこと!山菜の天ぷら、豆腐を煮染めた郷土料理、おいも、などなど、どれも美味しかったです。独身の私には涙が出るほど嬉しい「お袋の味」でした。

takayama090512_07.jpg takayama090512_08.jpg
北村氏のお母様(左)、座敷にて話が弾む面々(右)

美味しいお料理に囲まれて、話もはずみました。
郷土資料館の田中氏は、高山のことは何でもご存じです。これには感服いたしました。
高山市郷土資料館は、今から1〜2年を目処に大改装されるそうです。郷土館隣のお店があった空き地を買い取り、今の数倍の広さの資料館に生まれ変わるそうです。早ければ今年の末には着工とのこと。今回の高山での鉄舟法要のイベントを機に、鉄舟関連のコーナーも是非つくっていただきたいと、強くお願いしてまいりました。

**********

鉄舟を学ぶこと。
それは、鉄舟の生き方を通じ、私たちの人生の指針とすること。
これが山岡鉄舟研究会の主旨ですが、鉄舟という150余年も前に没したひとりの人間を通じて、本来なら出会うこともなかったのではないかという方々との出会いがあることは、とても素晴らしいことであり、鉄舟という人物の偉大さであるなあと感じた、今回の出張でした。

今回の出張にお手配りをくださいました、北村様、お母様、今城住職様、田中彰様、水口様、藤沢様、感謝申し上げます。ありがとうございました。

7月19日にお会いできますのを楽しみにしております。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 00:05 | コメント (0)

2009年04月28日

山梨県・北杜市に鉄舟を訪ねる

2009年4月19日
山梨県・北杜市に鉄舟を訪ねる

去る4月19日、山梨県に行ってまいりました。
向かった先は、山梨県北杜市。ここに鉄舟の書があるとのことで、山本会長と馳せ参じました。

nagasaka090419_01.JPG

**********

新宿から約2時間。JR中央本線・長坂の駅を降り、まず向かったのは、北杜市白州(はくしゅう)町。甲州街道の宿場町で、今も街道の風情を残すところです。ここに「山梨銘醸株式会社」という酒蔵があり、そこに向かったのです。

nagasaka090419_02.JPG nagasaka090419_03.JPG
山梨銘醸株式会社

山梨銘醸は、創業300年というとても歴史のある造り酒屋です。
江戸時代には白州宿の本陣も兼ねていたそうです。
ここに、鉄舟の書があるという噂を聞きつけ、やってきました。

長坂駅からタクシーで約15分。山梨銘醸の前に降り立つと、立派な店構えの建物が目に入ります。大きな杉玉に「七賢」の看板。どれも大きくて立派です。
中に入るともろみのいい香りがします。酒蔵の香りです。
入るとすぐ、「行在所(あんざいしょ)ご案内時間」の看板が目に入りました。訪問客のために行在所を案内してくれるようです。

nagasaka090419_04.JPG nagasaka090419_05.JPG
山梨銘醸の座敷

説明が遅れました。
山梨銘醸には、明治13年、明治天皇ご巡幸の折、母屋の奥座敷を行在所(仮の御所の意)としてお使いになったのだそうです。そのとき、鉄舟は先んじて巡幸ルートを回ったので、書はそのとき書いたものかもしれませんね。

さっそく行在所である奥の座敷に。
この座敷はつい最近まで酒蔵のご主人が生活されていたのだそうです。とても天井が高く、立派な梁が縦横に組まれています。
次の間に入ると、いきなり鉄舟の書が目に飛び込んできました。
高さ一間あまりの大きさの屏風です。感動!

nagasaka090419_06.JPG nagasaka090419_07.JPG
座敷にあった鉄舟書の屏風

屏風は全部で3幅。落款が「鐵舟高歩書」とあるように読み取れます。
明治13年といえば、鉄舟は45歳。3月に大悟したとされる年です。この山梨巡幸は6月ですので、大悟の3ヵ月後ということになります。

 
 
 
(上の写真はクリックすると拡大します)

明治天皇の賜り品そっちのけで鉄舟の書ばかりじろじろ見て案内の方に不思議がられながらも、鉄舟の豪快な筆の跡を心に焼き付けようとじーっと眺めておりました。
我々は山岡鉄舟研究会で、鉄舟の書があることを聞きやってきたことや、鉄舟の功績などを逆案内しました。
あとで案内の方が「そんなお方の大層なものをこんなところに放置していたんじゃ罰が当たるかしら」などとおっしゃっていましたが、訪れる皆さんに気軽に見ていただけるようにしていることこそ、大事なことなのではないかと思います。
その意味で、ここは素晴らしいです。

「これらの書の読み方はお分かりになりますか?」と質問してみました。
係の方は何度も尋ねられているらしく、「ごめんなさいわからないんですよ」と即答。しかし、「そういえば昔、いらっしゃったお客様が訳してくださったものがありますよ」と、ひとつの屏風の裏側を指し示されました。

 
(上の写真はクリックすると拡大します)

何だかわからないが、素晴らしい。
実に貧弱な鑑賞の仕方で大変恐縮ですが、書から溢れんばかりの勢いとパワーを鑑賞することが、鉄舟の書の鑑賞方法だと独り決めしている次第です。
いつか読めるようになりましたら、ご報告申し上げます。


山梨銘醸は、「七賢」というブランドのお酒を造っています。現在の当主は12代目だそうです。
店の入り口に利き酒コーナーがあり、喜んで利かせていただきました。
私には少々甘口でしたが、とても美味しかったです。

**********

次に訪れたのが、「長坂郷土資料館」。
ここは、美しい山々と田園に忽然と建てられたとても立派な建物でした。
ここの学芸員、大庭様を訪問いたしました。

nagasaka090419_10.JPG nagasaka090419_11.JPG
長坂郷土資料館内部と富岡敬明展

このとき、館では「富岡敬明展」を行っておられました。
富岡敬明は、山梨県最初の権参事(副知事)で、晩年この地域の文化活動、文人育成に貢献した人物です。
富岡敬明はもともと佐賀の人です。地租改正実施の際、農民の暴動が起きたのを鎮めるため派遣されてきました。そのとき、どうも鉄舟が関係しているようなのです。鉄舟は伊万里県(佐賀県)権令の任に少しの間就いていましたが、そのとき知り合っていたようです。山梨県への役人派遣の際、鉄舟が富岡敬明を推薦したといわれているそうです。
学芸員の大庭様は、「文人」についての研究をご専門とされているそうです。これは一度当会でご発表いただきたいものです。その後、山本会長の熱心な説得がしばし続きました。大庭様、近いうちにご発表よろしくお願いします。

nagasaka090419_12.JPG
学芸員の大庭様(左)と山本会長

**********

それにしましてもここ、山梨県北杜市・長坂の地はとても素晴らしい景色の地でした。
四方を雄大な山々に囲まれ、なだらかな田園風景に点在する家々がなんとものどかです。時の流れ方が違うようです。
江戸情緒を残す造り酒屋で鉄舟に触れ、南アルプスを頂く雄大でのどかな風景に心癒された、今回の鉄舟を訪ねる旅でした。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 18:06 | コメント (1)

2009年03月29日

「幕末の志士 山岡鉄舟2」講演会

淑徳大学にて、昨年行われた山岡鉄舟講演会が再び行われます。
ご参考にお知らせします。

幕末の志士 山岡鉄舟2

■日 程:平成21年5月16日(土)
     ~7月18日(土) 15:30~17:00
■会 場:淑徳大学サテライトキャンパス(JR池袋駅西武口より徒歩2分)

■講 師:松本検・竹田博志・近藤勝之・亘悦啓・阿部一好
■定 員:50名(全5回)
■受講料:10,000円
■公開講座番号 A-001

[ポイント]
江戸幕府の徳川慶喜に仕えた山岡鉄舟は、勝海舟とともに、幕末の江戸城無血開城の立役者です。また、剣・禅・書の達人ともいわれた山岡鉄舟は、明治天皇の教育係りを10年つとめています。その足跡は、日本の近代化に大きな影響を与えましたが、一部の熱烈なファンによってしか、多く語られていません。
そこで、この講座は、昨年に引き続き、山岡鉄舟を取り上げ、転換期を生きた山岡鉄舟のその剣・禅・書を中心として、その人となりや行動、弟子や社会への影響など、その全貌に近づきたいと思います。

[講座内容]
1)5月16日(土) 午後3時30分~5時00分
  『鉄舟と次郎長』静岡山岡鉄舟会会長 松本 検
2)6月 6日(土) 午後3時30分~5時00分
  『鉄舟と天田愚庵』日本経済新聞社文化部編集委員 竹田 博志
3)6月20日(土) 午後3時30分~5時00分
  『鉄舟と書(収集家からみた)』 合気道「大東流」本部長 近藤 勝之
   ※鉄舟の書の収集では第一人者 全生庵に書を寄贈している
4)7月11日(土) 午後3時30分~5時00分
  『鉄舟と刀について』刀剣研究家 亘 悦啓(わたり よしひろ)
5)7月18日(土) 午後3時30分~5時00分
  『鉄舟と伊豆の長八』山岡鉄舟研究家 阿部一好

*** お問い合わせは下記まで***
〒171-0022 東京都豊島区南池袋1-26-9
MYT第2ビル7F「淑徳大学エクステンションセンター」
TEL 03-5979-7061
FAX 03-3988-7470
E-mail ext@ccb.shukutoku.ac.jp

投稿者 lefthand : 12:20 | コメント (0)

2009年03月09日

日経新聞「核心・田勢康弘」氏のコラムから

お知らせ・・・日経新聞「核心・田勢康弘」氏のコラムから

日本経済新聞客員コラムニスト「田勢康弘」氏が、2009年3月9日(月)の「核心」で再び「南洲翁遺訓」に触れました。

「いろいろな指導者論が存在するが、結局は西郷隆盛の言葉につきると思う。『命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは艱難をともにして、国家の大業は成し得らぬなり』西郷没して百三十年のいまも、この言葉は輝いている」と。

田勢氏は2005年12月5日の同「核心」でも、同年9月11日の衆議院総選挙で多く当選した新人議員、いわゆる小泉チルドレンと総称される八十三人に対し「政治家の心構え」として、西郷隆盛の「南洲翁遺訓」を手渡し、次のように語ったと記しています。

「この『南洲翁遺訓』に『国のリーダーとしての生き方がすべて書いてある。ぜひ読んでほしい』。また、要点は一つだと読み上げたのが『命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人はしまつに困るものなり。このしまつに困る人ならでは艱難をともにし、国家の大業はなし得られぬなり』であった」と。

西郷隆盛はこのくだり、誰をイメージして遺訓に書き残したのでしょうか。

それは山岡鉄舟です。駿府における江戸無血開城交渉・談判において「すべてを捨て去り迫ってくる鉄舟の人間力」に感動した西郷は、勝海舟との江戸薩摩屋敷における正式会談後、江戸市中を見渡せる愛宕山に登り、鉄舟を評して語った言葉が「南洲翁遺訓」に記されたのです。

つまり、今の世の中、鉄舟のような人材が最も求められていると、田勢氏が語っているのです。

山岡鉄舟研究会の目的は、鉄舟の生き方を研究し、今の時代生きる我々に活かしていこうというものです。

鉄舟を研究し共に学ぶこと、それが今の時代の最先端なことを、日本経済新聞の田勢氏が認めてくれました。

投稿者 Master : 12:11 | コメント (0)

2009年02月02日

鉄舟が少年期を過ごした飛騨高山に行ってきました

去る1月30日、飛騨高山に行ってまいりました。

今回の目的は、7月19日の鉄舟翁忌日に、鉄舟のご両親が眠る高山の地で法要会を催すため、そのご協力を各方面にお願いするためです。

takayama090130_00.JPG
(鉄舟の書の師匠・岩佐一亭宅。当時のままの建物。今もご子孫が住んでいらっしゃいます)

*****

鉄舟の忌日である7月19日には、鉄舟が眠る東京・谷中の全生庵、鉄舟が再建に尽力した静岡・鉄舟寺など、各地で盛大に法要が行われています。
では、鉄舟が少年時代を過ごし、その「人間力」を醸成した、いわば鉄舟の人間形成に多大なる影響を与えた地である飛騨高山はどのようになさっておられるのでしょうか。
聞くと、ご両親の眠るお寺「宗猷寺」のご住職が、お一人でひっそりとされているというではありませんか。
嗚呼、やんぬるかな。

それでは、我々山岡鉄舟研究会が、高山での法要に馳せ参じたらどうか。
そう思い立った山本会長に同行し、高山での法要会に参加のお許しを得るべくはるばる高山を訪ねたのです。

*****

飛騨高山へは、東京より新幹線で名古屋へ行き、特急ひだ号に乗り継ぐルートが最短です。合計4時間あまりの道程です。

高山駅を降り立った我々は、早速鉄舟のご両親が眠る地、臨済宗・宗猷寺に赴きました。

takayama090130_01.JPG takayama090130_02.JPG
(高山の町並み)

当日は曇り空でしたが、雪はなく、夕刻には雨が降るという暖かさでした。さすがに東京などに比べれば寒いのですが、宗猷寺ご住職曰く、この時期に道路が見える状態であるのはとても珍しいとのこと。まれにみる暖冬ということだそうです。

駅より歩くこと20分あまり。宗猷寺に到着。

takayama090130_03.JPG takayama090130_04.JPG
(宗猷寺門前)

石垣の苔むした具合や立て札の木の擦れ具合が、長い年月を経て今ここにあることを感じさせます。建立は寛永9年(1632)といいますから、377年もの歴史を刻んでいるのです。現在の本堂は築190余年だそうです。ということは、鉄舟が禅の修行に励んだときのものと同じ本堂が、今も残っているのです。時は隔てども少年鉄舟と同じ場所に立つ感慨が沸き立つのを感じました。

高山の寺社はとてもユニークです。
山々に囲まれた盆地に南北に走るJR高山本線を中心に、東西に高山の市街は広がっているのですが、その東側の山の麓に、いろいろな宗派のお寺や神社が並ぶように建てられているのです。これは、この地が天領になる前の領主、金森氏が行ったものだそうです。自然、墓地もこの周辺にかたまっています。そのため、お彼岸のお墓参りの時には町民がこぞって集結することになり、昔はお墓参りが若者のお見合いの場にもなっていたそうです。若い娘さんなどは着飾ってお墓参りに来たのだとか。
鉄舟のご両親も、この光景を微笑ましく見守ってくださっていたことでしょう。

お話が逸れました。
ご住職に会い、法要会開催のお願いをしなければなりません。
とそこへ、宗猷寺の今城(いまじょう)住職がやってこられました。
ご住職に促され、本堂内へ。
東京からの珍客に少々面食らったご様子のご住職でしたが、当会の主旨に快くご賛同くださり、7月19日の法要会開催を約束してくださいました。
ということで、山岡鉄舟研究会は、今年の鉄舟法要を高山にて行います。
高山の豊かな自然に身を包み、少年鉄舟が、剣に禅に書に励んだ光景に思いを巡らせたいと思います。

takayama090130_05.JPG takayama090130_06.JPG
(左・鉄舟が持ち出そうとした鐘。右・鉄舟の碑)
takayama090130_07.JPG takayama090130_08.JPG
(左・本堂。右・今城住職と山本氏)

*****

ご住職に再会のお約束をし、次に我々は高山市役所に向かいました。

高山で法要会を開催するのですから、在の鉄舟ファンにも是非お知らせし、法要を盛大に行いたいものです。そのため、高山市にもご支援いただけないかとお願いするために行ってまいりました。

高山市役所では、田中文化財課長が私たちのお話に耳を傾けてくださいました。
今城住職同様、最初は東京からの奇妙な二人連れに戸惑っておられるご様子でしたが、我々が真面目に研究を行っていること、鉄舟の法要会を催し、鉄舟と縁深き高山の皆さんに、鉄舟のことを思い起こして欲しい、他に二心あらずとの山本氏の熱弁により、当会の主旨をご理解いただくことができ、うち解けることができました。そして、法要会に広報面でのご協力を賜ることをご快諾くださいました。

田中課長は、高山市郷土館の館長も兼任されており、そこに鉄舟を加えたいとかねがね願っておられたようです。と申しますのも、年々、在の若者は鉄舟に関心が薄くなっているとのこと。我々でお手伝いできることがあれば是非とも協力させていただくことをお約束し、市役所をあとにしました。
僅かではありますが、鉄舟を想う火が灯り続けていたことを嬉しく思いました。

嗚呼、本懐果たしけり、重畳。
事を成し終えた我々東京からの珍客は、ついでに法要会の時の宴会会場まで見極めをつけ、さらについでにそこで一献重ね、満悦の体でホテルに投宿したのでした。

*****

高山での鉄舟法要会開催に、快くご協力を賜りました宗猷寺の今城住職様、並びに田中文化財課長様、本当にありがとうございました。7月にお会いできますのを楽しみにしております。

読者の皆様、7月は高山にて鉄舟を偲ぶ法要会に是非お出かけください。
詳細は春以降お知らせすることになると思います。
お楽しみに。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 21:05 | コメント (0)

2009年01月16日

山岡鉄舟研究会について

年もあらたまり、2009年となりました。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

年頭にあたり、山岡鉄舟研究会の目的と本年の活動予定をお知らせいたします。

◆山岡鉄舟研究会の目的

鉄舟の生き方を研究することを通じ、今の時代の我々の生き方を学ぶ会です。

◆今年の例会開催予定

【1】毎月の例会は現状通り、毎月1回・第三水曜日に行います。

【2】発表は、原則として会長・山本紀久雄が研究発表を行います。
   ただし、ゲストをお迎えする場合があります。
   候補者がおられたらご推薦お願いします。
   ただし、謝礼は交通費程度となることをご了解お願いします。

【3】年間の予定
   下記の月は例会に替え特別イベントを予定しております。
・4月15日(水)ジョン万次郎の曾孫である「中濱武彦」氏の登場
         著書『ファースト・ジャパニーズ ジョン万次郎』講談社
・6月14日(日)靖国神社にて特別例会
・7月19日(日)岐阜県高山市宗猷寺にて鉄舟法要例会
・11月28日(土)全国フォーラム(場所は別途ご案内)

詳細はその都度当ホームページにてお知らせいたします。
ご参加くださいますのを楽しみにしております。

投稿者 lefthand : 08:47 | コメント (0)

2009年01月01日

2009年 新年のごあいさつ

謹賀新年 本年もよろしくお願い申し上げます

投稿者 lefthand : 18:31 | コメント (0)

2008年12月25日

金子マサ代表が勇退し、山本紀久雄氏が会長に就任しました

11月いっぱいをもちまして、金子マサ氏が当会の代表を勇退いたしました。
金子氏が運営されております「ぬりえ美術館」の活動が多忙になり、そちらに専念したいとのご意向がありましたので、ご本人の意志を尊重いたしました。
誠に残念ではございますが、ご発展のための卒業ですので、是非ともご声援のほど、よろしくお願い申し上げます。
かわりまして、山本紀久雄氏が会長として就任いたします。どうぞよろしくお願い申し上げます。
このような変化がございましたが、研究は粛々と続けてまいりますので、今後ともご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

投稿者 lefthand : 01:21 | コメント (0)

2008年12月20日

2008年12月例会の感想 その二

続いては、山本紀久雄氏の鉄舟研究発表です。
今回のタイトルは『新将軍誕生』です。

11月は鉄舟全国フォーラムを開催しましたため、清河八郎の話は少々ご無沙汰をしておりました。

reikai_081217_04.JPG reikai_081217_05.JPG
プロジェクターを導入しました(左右)。
今後もこのスタイルで発表いたします。

さて、清河八郎は、混迷を極める幕府の意向を敏感に感じ取り、浪士組結成の提案を幕府におこない、結成に至らしめました。
京へ上った浪士組を率いる清河は、京都に着くなり強引な論理で朝廷への上書を提出したのです。
確かに我々は幕府の手当で京都まできた。それは、尊王攘夷を遂行するためだ。
一方、我々は幕府の禄を食んでいない。幕吏ではないのだから、幕府とは別の組織となり、つまりは幕府と対等の立場にあるのだ。だから孝明天皇に直接建白し、天皇直属の組織として活動すべきだ。
清河は皆を説得し、孝明天皇に上書を提出したのです。
この、清河の一世一代の策略は見事に受け入れられ、浪士組は天皇直属の攘夷実行組織となったのです。
さらに清河は、生麦事件をネタにして再度上書を建白し、これも容れられ、攘夷実行のため江戸に向かうことになりました。

司馬遼太郎はこう言っているそうです。
『ついに清河の野望が達せられた。清河はこの瞬間、事実上の新将軍になった』
このことは、そのくらいの意味を持つ出来事であったのです。

当然このことは幕府の耳に入り、清河を暗殺せんと刺客が向けられたのです。
清河暗殺の顛末については新年の例会にて。

**********

鉄舟を学ぶこと。
それは、我が人生を素晴らしきものにするため、鉄舟の生き方からそれを学ぶことに他なりません。
現代社会は目まぐるしく変化しています。
しかし、それは皆同じこと。皆に同じように変化はやってくるのです。
にもかかわらず、それぞれで結果が異なる。
それはなぜでしょう。
それは、それぞれの生き方基準が異なるからです。
自分の中にしっかりした基準を持っていると、結果は素晴らしいものになるはずです。
その基準を、鉄舟を通じて学ぶのが、当会なのです。
その意味で、鉄舟は我々に様々な示唆を与えてくださいます。

**********

reikai_081217_06.JPG reikai_081217_07.JPG
reikai_081217_08.JPG reikai_081217_09.JPG

2008年最後の例会でしたので、忘年会ならぬ『望年会』と称して、一年の労をねぎらうとともに、来年に「望(のぞみ)」を託す会といたしました。
今年一年、山岡鉄舟研究会をご愛顧いただき、誠にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 21:39 | コメント (0)

2008年12月例会の感想 その一

朝晩、そして冬の冷え込みが厳しくなってまいりました。
そんな中、鉄舟研究会、12月例会が行われました。

reikai_081217_01.JPG

今月一人目の発表は、斉藤広子氏です。
タイトルは『シニアの趣味』でした。

reikai_081217_02.JPG reikai_081217_03.JPG

斉藤氏は、多彩な趣味をお持ちです。
新しもの好きとご本人は謙遜されていますが、いきいきとご活動されているその様子から、人生を楽しく過ごしたいという前向きな姿勢を窺い知ることができます。

数ある斉藤氏の活動の中で、最も長いのは「木彫り」だそうです。
何と25年のキャリアだそうで、今年は所属されている木彫りの会で「25周年記念展」を開催されたそうです。

今回の発表に際して、木彫りについての様々なことを調べられ、ご発表いただきました。その中には、今回発表されることが決まり、あらためて研究していただいたこともあるようでした。木彫りの歴史や日本における木彫りの発展、また、彫り方の種類や材料となる木の種類など、私たちの知らなかった世界の一端をご紹介くださいました。

最後に、斉藤氏の人生哲学をご紹介します。
斉藤氏は現在のご自身を「第三ラウンド」にいると表現されています。
第一ラウンドは、幼少〜青年期。親に扶育されている時期です。
第二ラウンドは、社会人としての時期。働いたり、結婚して子育てをする時期です。
そして、第三ラウンドは、第一、第二ラウンドの集大成と位置づけられています。
それは、最後に残された大切な時間で、いかに充実した時間が過ごせるか、このことが最も重要であると、斉藤氏は語ります。
フランスのシャンソン歌手であり俳優のイヴ・モンタンは、彼の臨終の際にこう言ったそうです。
『ぼくは、充分に堪能した!』
自分の人生、自分自身に楽しみがあり、充実して、人生に誇りを持っている人は、決して老いない。
斉藤氏の格言です。
充実した人生を送るという基準を設け、たゆまぬ努力を続けられる斉藤氏を拝見し、喜びの人生も、嘆きの人生も、己の心がけ次第であることを感じました。
最後に斉藤氏からひと言。
『皆さん、どうか楽しいことをたくさんしましょう!』

投稿者 lefthand : 21:33 | コメント (0)

2008年12月01日

第五回 鉄舟全国フォーラムの感想 その二

続いては、山岡鉄舟研究家・山本紀久雄氏による鉄舟研究発表です。

山本氏の今回の発表は、「鉄舟のブレない生き方に学ぶ」でした。

鉄舟のブレない生き方とは如何なるものか。それを語るのに、同時期に活躍した人物との比較を以て語るという手法を、山本氏は試みられました。

08forum081129_06.JPG 08forum081129_07.JPG

幕末、幕府のご威光は下降の一途を辿っていました。
一方、孝明天皇を中心とする朝廷の名を借りて、薩摩や長州が政治に対する発言権を強めていたのです。
このころ、政治の指示系統は2つになっていたことを理解する必要がある、と山本氏は指摘されました。
すなわち、朝廷と幕府です。
孝明天皇のご存命中、日本は「京都朝幕政権」という体制になっていました。すなわち、一橋慶喜、松平容保(会津)、松平定敬(桑名)の一会桑が攘夷に向けた政権を担い、一方、幕府側では十四代家茂が開国政策を行っていたのです。孝明天皇のご威光のもと、幕府と朝廷は微妙なバランスながらお互いが成立し得ていたのです。
しかし、そのバランスは孝明天皇の崩御とともに崩れ去ったのです。

**********

孝明天皇崩御から明治維新に至る変革の中で、時の英雄たちはどのように振る舞ったのでしょうか。
山本氏は今回、勝海舟、榎本武揚、そして山岡鉄舟といった幕臣たちの人間像を浮き彫りにすることで、鉄舟の「ブレない」生き方に迫りました。

勝海舟と榎本武揚。
両者の考え方は異なる方向性を持っていましたが、共通するものがあります。
それは、世界を見聞し、世界から日本を見つめたことです。
勝は、外国語を学び、大海軍構想を打ち立て老中に進言しました。
榎本は、デンマークで得た「外でうしなったものは、内で取り戻す」という発想をもとに、函館に新国家の建設を企みました。
その根底には、幕藩制度の限界がありました。
「幕府はもうダメだ。幕府を壊して、新しい国家を築かねば諸外国に対抗できない」
勝は、幕臣の身でありながら西郷にそう話したといいます。
その意味で勝は、政治家であり、政策を重視した人物でした。

08forum081129_08.JPG 08forum081129_09.JPG

勝と榎本、そして鉄舟。
三人とも幕臣であり、かつ維新後新政府に出仕した共通点があります。
しかし、鉄舟は他の二名と決定的に異なる点があります。
それは、明治天皇に直接仕えたこと。
そして、没後、悪評がまったくといっていいほどのぼっていないことです。

鉄舟は記録を遺さなかったといわれていますが、いくつかの自戒を書き遺しています。
嘉永3年(1850)15歳、『修身二十則』
安政5年(1858)23歳、『宇宙と人間』、『心胆錬磨之事』、『修心要領』

『我れ幼年の時より、心胆錬磨の術を講ずる事、今日に及ぶと雖も、未だ其蘊奥(極意の意)を極むる事能はざる所以のものは、一ツに我が誠の足らざるが故なり。右は只だ其感ずる所を楽書し、習練の余暇、時々之を披(ひら)きて以て自ら励まし、爾後益々勤勉して、其源に到達せん事を期す』
(心胆錬磨之事より)
『故に余の剣法を学ぶは、偏に心胆錬磨の術を積み、心を明めて以て己れ亦天地と同根一体の理、果たして釈然たるの境に到達せんとするのみ』
(修心要領より)

鉄舟は、己の過去経験を整理し、活かすことを修行としたのです。
自分の中にあるものから、自分に相応しいものを引き出す努力をもって、修行としたのでした。
その結果、自在に自分をコントロールする胆力を持ち得る人物となり、そのことが西郷と面しても憶さず、無血開城の談判に遺憾なく発揮されたのです。

鉄舟は「人間の出来が違う」人物だったのではない。
自らを厳しく鍛錬し、その結果「人現の出来が違う」人物と周りを唸らしめた人物になったのだ。
これが、鉄舟のブレない生き方なのだ。
山本氏の研究は、このことを私たちに教えてくださいました。

**********

ご両名のご講演は、大変実りあるものでした。
明治天皇の思想的背景となったのは、鉄舟の真摯なる教育姿勢であったこと、そして、鉄舟がそれを成し得たのは「心胆錬磨」という自己実現のためのブレない鍛錬であったことを学びました。
佐藤一伯権禰宜と山本紀久雄氏に感謝を延べ、感想としたいと思います。

**********

フォーラム終了後、懇親会を行いました。
フォーラムご参加の方の多くが代々木駅近くの居酒屋に移動し、盛大に盛り上がりました。

08forum081129_10.JPG 08forum081129_11.JPG

今回の全国フォーラムは、明治神宮・神楽殿の参拝〜フォーラム講演会〜懇親会と、丸一日がかりの行事になりました。
ご参加くださいました皆さま、誠にありがとうございました。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 07:49 | コメント (0)

第五回 鉄舟全国フォーラムの感想 その一

第五回 鉄舟全国フォーラムが明治神宮にて盛大に行われました。
当日は雲ひとつない日本晴れでした。
縁深き明治神宮での開催を、鉄舟が喜んでくださっているようでした。

08forum081129_00.JPG

当日は結婚式や七五三といった行事が重なり、お忙しい中をご無理申し上げフォーラムを開催いたしました。
結婚式に至ってはこの日何と13組の挙式が組まれており、てんやわんやの状態であったにもかかわらず、明治神宮様にはこの上ない歓待をいただきました。誠にありがとうございました。

08forum081129_01.JPG

明治神宮は、申し上げるまでもなく明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社です。
三が日で300万人が初詣をする日本一の初詣スポットであり、全国から献木されたおよそ10万本、365種の人工林が70万平方メートルの広大な敷地に広がり、憩いの場所として親しまれています。

**********

神楽殿での参拝の後、昼休憩をはさみフォーラム開始。

最初の講演は、明治神宮権禰宜であり、国際神道文化研究所の研究員、佐藤一伯氏です。

08forum081129_02.JPG 08forum081129_03.JPG

明治天皇と山岡鉄舟のご縁はとても深く、鉄舟は若き日の明治天皇の侍従を勤めただけでなく、その後も宮内省の御用掛として関わりました。
今回は、明治天皇、そして鉄舟の生き方を通じて、国際神道文化研究所の研究員としてのお立場から日本文化を探るご発表をいただきました。

今年は明治維新140年です。
この時期に、明治維新を学ぶ。
これには、いかなる意味があるのでしょうか。
佐藤氏は次の御製(天皇の短歌)を例に出され、こうお話しされました。

『いそのかみ 古きためしを たづねつつ 新しき世の こともさだめむ』

これは現在、明治神宮の「代々木の舞(神楽舞)」にもなっている言葉だそうですが、故きを温ねて新しきを知る、つまり温故知新を謳っておられるのです。140年前に行われた世界に類例のない革命は、きっと現代の私たちに何かの示唆を与えてくれるに違いない…。佐藤氏は私たちにそう教えてくださいました。

皇室の正式な記録に、山岡鉄舟は登場します。
それは、『明治天皇紀』という、宮内庁編纂の書物によって私たちも確認することができます。
『明治天皇紀』宮内省臨時帝室編修局編修・吉川弘文館発行

佐藤氏によりますと、その中での鉄舟の取り扱いは破格だそうです。
例えば、宮内少輔の後継に順当な人事をあえて変更し、鉄舟を飛び越し任命したこと。飛び越しの任命もさることながら、その人事を明治天皇が自ら指示されたと記録にはあります。天皇自らが人事に口を出されるというのはとても異例であったそうです。
また、「済寧館(さいねいかん)」という、宮内省の職員のための武道場を建て、その指導官に鉄舟を任命しました。
このことは、侍従時代の鉄舟が説いた「武士道」が、明治天皇に大いなる影響を与えた結果であろうことが考えられるのです。
さらに、鉄舟薨去の時の様子も記述があります。
そこには、「資性廉直にして躬行能く奉仕せり」という一文があります。鉄舟の人柄を表現した一文です。
『明治天皇紀』全編を通じて、一般の人物の人となりが語られているところは非常に稀で、また鉄舟薨去のくだりも長い行を割いて記述されており、鉄舟への思い入れが感じられると、佐藤氏は分析されています。

08forum081129_04.JPG 08forum081129_05.JPG

このように、明治天皇が行った様々な政策に、鉄舟の影響が垣間見えることを、佐藤氏は私たちに示してくださいました。
それは、「徳」でした。

明治15年(1882)1月4日、『軍人勅諭』を詔勅。
明治23年(1890)10月30日、『教育勅語』を下賜。

上記の詔勅の前、明治12年に、『聖旨教学大旨』という、明治天皇のご発言の記録があります。
これには、下記のようなお言葉が天皇よりあった旨が記されています。

『教学の要、仁義・忠孝を明らかにして、智識・才芸を究め、以て人道を尽くすは、我祖訓、国典の大旨、上下一般の教とする所なり。
・・・(中略)・・・
其流弊、仁義・忠孝を後にし、徒に洋風是競ふに於ては将来の恐るる所』

明治天皇はこのころには道徳の大切さを認識し、自らを含め、国民にも広く道徳が重要であることを説いておられるのです。
天皇のこのお考えに多大なる影響を与えたのが、鉄舟をはじめとする天皇の侍従たちでした。
鉄舟が明治天皇の思想に影響を与えた逸話として、道徳と法律の議論が交わされたことが、全生庵発行の『鉄舟居士の真面目(しんめんもく)』に記されています。
詳細は省略いたしますが、道徳はもう古い、これからは法律で治めるべきだと宣う陛下に対し、鉄舟は、日本を法律のみで治めれば、国民は伊勢神宮を拝まなくなるでしょうと、遠回しに諫言したそうです。
このことは明治天皇の逆鱗に触れましたが、やがて天皇はご自身の非をお認めになり謝罪されたのだそうです。
この逸話は、鉄舟が明治天皇の思想的背景の大きな拠り所となっていたことを示すといえるでしょう。

教育勅語は、次の文章で締めくくられています。
『朕爾(なんじ)臣民と倶(とも)に 拳拳服膺して 咸(みな)其徳を一にせんことを庶幾ふ(こいねがふ)』
(私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います)


鉄舟のような優れた人材により、明治天皇は為政者として大成されました。
明治神宮も、明治天皇が目指された国づくり、すなわち
「国民一人ひとりが、真心を輝かせて幸せになっていく国づくり」
に貢献したいと願っていると、佐藤氏は話され、講演を結ばれました。
宗教ではなく、思想でもない、皆が幸せになれる社会づくりの象徴として、明治神宮はあることを実感した、佐藤氏のご講演でした。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 07:10 | コメント (0)

2008年11月02日

全国フォーラムが開催される明治神宮の夜間ライトアップに行ってきました

11月29日に行われる「第五回・鉄舟全国フォーラム2008」の会場である明治神宮で、
『明治神宮復興50年記念 夜間ライトアップ』
が行われましたので、行ってまいりました。

meijijingu_lightup081030_01.JPG

JR原宿駅を降り、明治神宮正門へ。
まず目を奪われたのが、鮮やかな提灯のディスプレイです。
左から右へ波のように色彩が変わり、とても華やかでした。

meijijingu_lightup081030_02.JPG

門をくぐり、中へ。
参道はブルーの足元照明で、まるで穏やかな海の上を歩いているよう。
ところどころライトアップされている木々が暗闇の中に浮かび、厳粛な雰囲気に包まれていました。

鳥居をくぐり、本殿方面へ。
参道はとても幻想的で、すべての木々や建物がひっそりと佇んでいる中を、砂利の音だけが聞こえてきます。万物の精霊が静かに見守ってくれているような心持ちがしました。

meijijingu_lightup081030_03.JPG meijijingu_lightup081030_04.JPG

拝殿に到着し、参拝。
この日は事前の内覧会にもかかわらず、たくさんの人が訪れていました。

meijijingu_lightup081030_05.JPG meijijingu_lightup081030_06.JPG

昼間とはまた違う神社の顔を見ることができ、とても素晴らしい経験をいたしました。
身も心も清められたように感じ、感無量の訪問でした。

11月29日にはここで「第五回・鉄舟全国フォーラム」を開催いたします。
拝殿での参拝、明治神宮権禰宜・佐藤様の講演、そして山本氏の鉄舟研究発表と盛りだくさんの内容で皆さまのお越しをお待ち申し上げております。

forum08_banner_big.JPG
 →くわしくはこちら

是非足をお運びくださいますようお願い申し上げます。

投稿者 lefthand : 13:56 | コメント (0)

2008年10月16日

10月例会の感想

秋も深まってまいりました。とてもよい季節です。
そんな上機嫌のある秋の日、鉄舟会・例会が行われました。

reikai_081015_01.JPG

今回も初参加の方がお見えになりました。
鉄舟に並々ならぬ情熱を燃やしておいでのご様子。
いろいろお話をお聞きできそうで、とても楽しみです。
末永いお付き合いを、是非お願い申し上げます。

今月は、童謡合唱の面倒を見ていただいている高橋育郎先生の、音楽事始第3回でした。

reikai_081015_02.JPG reikai_081015_03.JPG

西洋音楽は、学校唱歌として明治期に導入されました。
しかし、最初はなかなか日本人に馴染まず、試行錯誤があったといいます。
最初の唱歌は、賛美歌であったそうです。しかし、賛美歌であることを表には出せず、日本に馴染む歌詞をつけてカモフラージュしつつ、普及を図ったのだそうです。
物事の黎明期には、私たちの想像を絶する苦労と努力があったことが窺われたお話でした。


続いて、山本紀久雄氏の鉄舟研究です。

reikai_081015_04.JPG reikai_081015_05.JPG

今回、山本氏はイギリスで開催されている「山岡鉄舟展」を取材されました。その様子は『ロンドンで鉄舟に出会う』エントリーにありますので、是非ご覧ください。

●エントリー『ロンドンで鉄舟に出会う』

さて、清河八郎です。
清河は、浪士組結成の建白を幕府に提案しました。これは、とても絶妙なタイミングで行われたのです。機を見て策を練り上げる清河の時代編集能力は素晴らしいものでした。

改革には、それを導く指導者が必要です。
それも、改革を思想的に導く「提案者」、そして、改革を実行に導く「実行者」の2つの要素を強力に推進するリーダーが、それぞれに必要であるのです。
それが、浪士組においては清河であり、鉄舟であったのです。
時代はその場面場面で人材を要求し、それに適う振る舞いをした人物が登場したとき、歴史の歯車は大きく動くことを、この時代の偉人たちのエピソードから実感することができます。


幕府は清河の提案を容れて浪士組を結成しました。
浪士組の最初の任務は、京都に向かうことでした。
その浪士組の実質的なリーダーが、鉄舟だったのです。
京都での浪士組の顛末は、次回をお楽しみに。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 22:58 | コメント (0)

2008年09月11日

9月例会の感想

秋晴れに恵まれた9月の吉日、鉄舟例会が行われましたので、ご報告いたします。
reikai_080910_01.JPG

今月は初めて参加される方が7名もおいでくださいました。ありがとうございました。とても嬉しいです。
山岡鉄舟を、そして山岡鉄舟を学ぶことを、時代が求めているように思えました。ちょっと考えすぎですか…。

reikai_080910_02.JPG reikai_080910_03.JPG

今回も、先月に引き続き高橋育郎氏に、「明治維新と西洋音楽」の第2回をお話しいただきました。
今回は「唱歌の誕生」と題し、唱歌が教育にどのように取り入れられていったかが語られました。
「学生」の制定とともに、小学校には「唱歌」という科目が創設されましたが、当時音楽を教えられる人材がなく、唱歌はしばらくの間教えられませんでした。
そこに登場したのが、「伊坂修二」でした。
高橋氏は、彼こそが日本の西洋音楽普及の祖であるとおっしゃっています。
詳細は講演記録をお楽しみに。


続いては、山本紀久雄氏の鉄舟研究です。

reikai_080910_04.JPG reikai_080910_05.JPG

今回も、清河八郎を追います。
伏見寺田屋事件の現場に、なぜ清河はいなかったのか。
その謎が明かされました。
このことには、本間精一郎というお金持ちのボンボン浪士が関わっていました。
彼との船遊びが、清河を事件から遠ざけたのです。
詳細は講演記録をどうぞ。


時代は常に変化していきます。
その変化にどう対応するか、すなわち、変化をどう自分に取り込むかによって、自分の生き方が変わってくるのです。
清河八郎は、そんな時代の変化条件を活用できる人物でした。
ひとつは、学者を志して上京したが、革命家に目覚めた瞬間。
ひとつは、全国で攘夷を謳ってまわり、多くの志士を京都に集結させたこと。
ひとつは、浪士隊を結成することにより、自分や志士たちを正規軍として承認せしめたこと。
清河は、時代の変化の瞬間を捉え、活かす術に長けていたといえるでしょう。
ただ、それがよかったかどうかについては、後の彼の運命が語っているのではないでしょうか。


今回の山本氏の研究で、ダーウィンが語ったといわれている有名なあの一文を思い出しました。
「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるわけでもない。生き残るのは変化に敏感なものだけである」

鉄舟をこれに照らし合わせるとどんな分析ができますかね。
今後の研究が楽しみです。

来月もお楽しみに。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 06:59 | コメント (0)

2008年09月08日

山岡鉄舟展を見てきました

茨城県・茨城県立歴史館にて「茨城県初代知事・山岡鉄舟展」が行われています。
(2008年8月30日〜9月28日)
そこで、水戸を中心に「鉄舟を訪ねる旅」をしてきましたのでご報告いたします。
mito080906_00.JPG

* * * * * * * * * *

mito080906_01.JPG
『幕末と明治の博物館』
茨城県・大洗町
幕末の志士として活躍し、明治天皇の宮内庁長官を務めた田中正顕(みつあき)伯爵が、明治天皇の御下賜品や明治維新の志士、元勲達の書画などを展示した博物館。
幕末の水戸藩、または水戸出身の人物を中心に、明治維新を紹介されていました。
鉄舟の書が一幅ありました。
mito080906_02.jpg
『四時行楽吾輩亦 風月主人』鐵舟居士書
(季節が春夏秋冬を遊び楽しむように、私もまた風月を迎えて楽しむ)
(書は幕末と明治の博物館ホームページより転載)

* * * * * * * * * *

mito080906_03.JPG mito080906_04.JPG
『茨城県立歴史館』
茨城県・水戸市
「茨城県初代知事・山岡鉄舟展」開催中。
東京谷中・全生庵所蔵の鉄舟の墨蹟や書簡など多数が紹介されていました。

全生庵にて同展示会が開催されます。
2008年11月1日(土)〜10日(月)
 →詳細は全生庵のホームページをご覧ください。

* * * * * * * * * *

mito080906_05.JPG mito080906_06.JPG
『弘道館』
茨城県・水戸市
国指定重要文化財。
徳川光圀(義公)は、水戸藩士の教育のため、藩校の建設を計画したが、「大日本史」編纂で多忙を極め果たせず、徳川斉昭(烈公)が継いで、開館したものです。
悠然とした建物のたたずまいは素晴らしかったです。また、展示資料も見応えがありました。
隣接する三の丸小学校は、弘道館を意識したとても素敵な建物でした。勉強したくなること間違いなしでした。

* * * * * * * * * *

mito080907_01.JPG
『鹿島神宮』
茨城県・鹿嶋市
ちょっと足を伸ばして、鹿島神宮に詣でました。
朱塗りの荘厳な楼門をくぐると、本殿・拝殿が横にあります。
奥に広がる広大な鹿島の杜は、樹齢数百年はあろうかと思われる大きな杉に囲まれた、霊験あらたかな場所でした。

mito080907_02.JPG
『香取神宮』
千葉県・香取市
鹿島神宮とともに東国三社のうちのひとつ、香取神宮にも詣でました。
香取神宮の本殿はとても壮麗でした。軒下のカラフルな装飾に目を奪われたかと思えば、萱葺屋根に雑草が青々と生えており、そのコントラストが社に荘厳さを与えているように感じました。素敵な建物だなあ。

mito080907_03.JPG
『伊能忠敬記念館と佐原の古い町並』
千葉県・香取市
日本全土の測量を成し遂げた伊能忠敬記念館の見学と、周辺の町並を散策しました。
古い商家が立ち並び、川沿いには柳の並木が続きます。江戸情緒ただよう素敵な風景です。

* * * * * * * * * *

mito080907_04.JPG
『小御門神社』
千葉県・香取郡下総町
別格官幣社。
鉄舟直筆による手水舎があります(下)。
祭神:藤原師賢公は、内大臣藤原師信の御子。
   花山院と号した後醍醐天皇の側近。
祭神のお墓が背後にあり、お墓の前に建つ神社という、とても珍しい神社だそうです。訪問時は宮司様がご出張中とのことでお話を伺えませんでした、残念。


(クリックすると拡大します)
『清素』正四位山岡鐵太郎書(?)

* * * * * * * * * *

ゆったりとさまざまなところをまわった、鉄舟三昧の旅でした。
これだけいろいろなところを訪ねても、何かしら鉄舟に関連するものやことが見つかるのは、どういうことでしょうか。
鉄舟という人間の大きさを、あらためて想う旅になりました。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 16:40 | コメント (0)

2008年08月28日

靖国神社にお礼に行ってきました

残暑厳しき折、いかがお過ごしでしょうか。

去る6月15日に開催しました「靖国神社正式参拝と遊就館見学〜周辺散策」のお礼をお伝えするため、靖国神社を訪問いたしました。

yasukuni080828_01.JPG

代表の金子さんをはじめ、山本氏ほか5名で訪問し、三井権宮司にお礼を申し上げました。
そして、お礼として、ご参加された方に寄せていただいた「お礼と感想文集」を謹呈させていただきました。

yasukuni080828_03.JPG

いつも大挙して押しかけ、無理なお願いばかりして申し訳ございません。
しかし、今後毎年一回、靖国神社にて参拝と例会を催させていただけることになりそうです。感謝です。

yasukuni080828_02.JPG

雨が降ったりパッと晴れ間がのぞいたりと、とても気ままなお天気でしたが、訪問者全員、三井権宮司の寛大なお人柄に触れとても心地良い気持ちで神社を後にしました。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 19:43 | コメント (0)

2008年08月05日

山本紀久雄氏講演のご報告

8月5日(火)、清話会主催のセミナーで、山本紀久雄氏による
山岡鉄舟に学ぶ「激動期のブレない生き方」
と題した講演が行われました。
その様子をご報告いたします。
seiwakai080805_01.JPG

当日は雷が鳴り豪雨も降る不安定なお天気でしたが、70名近くの熱心な清話会・会員さんがお集まりになられました。

seiwakai080805_02.JPG
清話会・お世話役の佐々木さんの司会で始まりました。

seiwakai080805_03.JPG
いささか緊張気味の山本氏。
いつもの鉄舟研究会とは勝手が違います。

seiwakai080805_04.JPG
ビデオカメラ2台に録音機にデジカメが山本氏の一挙手一投足を捉えます。
手が抜けません。

軽い緊張感とともに始まった講演。
今回の講演は、いわゆる「山岡鉄舟初心者」の方々への入門コースのような側面もあったかと思います。
お話は鉄舟が生きた時代背景の語りから始まり、次第に一介の身分低き旗本の鉄舟がなにゆえに歴史の檜舞台に登場したかが語られていきます。

seiwakai080805_05.JPG
途中から雨が激しくなり、雷鳴も轟く中、山本氏の話も次第に熱を帯びてきます。
いつもの「山本節」が響き渡りました。

なぜ、山岡鉄舟を学ぶのか。
山岡鉄舟は私たちに何を教えてくれるのか。

『鉄舟は、自らの人生に戦略を持ち、戦術を持って行動した人物である。
 その「ブレない」生き方は我々に大いなる示唆を与えてくれる。』

このことを、あらためて感じることのできた講演でした。


満場の拍手の中、大団円。
雨もいつの間にかやんでいました。
山本さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 22:59 | コメント (0)

2008年07月19日

鉄舟居士毎歳忌法要

7月19日の鉄舟の命日に、全生庵にて「毎歳忌法要」が行われました。
法要に参加してまいりましたのでその様子をご報告します。

tessyuu_houyou080719_02.JPG

当日は梅雨明け宣言が発表された暑い日でした。
100名あまりの方々がお集まりになり、法要が始まりました。

tessyuu_houyou080719_01.JPG
住職が本堂に入ってこられました。

tessyuu_houyou080719_04.JPG
法要がはじまりました。
皆で般若心経を唱えます。

tessyuu_houyou080719_03.JPG
焼香台がまわってきました。

tessyuu_houyou080719_05.JPG
主賓のご挨拶

tessyuu_houyou080719_06.JPG
「鉄舟伝」と題した講談が披露されました。

tessyuu_houyou080719_08.JPG
法要も無事に終了し、会食へ。

tessyuu_houyou080719_09.JPG
外国人の方も多く参列されていました。

剣・禅・書の各分野から、また世界中からの参列者を集め、盛大に鉄舟居士の法要が行われることは大変素晴らしいことと感じました。

何名かの方々とご挨拶をしたおり、当会をご存じの方が多くいらっしゃったことも付け加えておきます。当会も皆に知られるところの会に成長してまいりました。
これからも私たちの活動を通じて、鉄舟居士の生き方を伝え、それが皆さんの生き方の示唆となることを願っております。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 23:03 | コメント (0)

2008年07月18日

7月例会の感想

盛夏です。暑いです。
そんな中でも鉄舟研究会は粛々と研究を続けます。
ということで、7月の例会をご報告申し上げます。

reikai_080716_01.jpg

今月の発表は高橋育郎氏の「明治維新と西洋音楽」。
今月から足かけ3回にわたり、西洋音楽の起源についてお話しいただきます。

reikai_080716_02.jpg reikai_080716_03.jpg

西洋音楽の流れは大きく分けて、二つの流れがあったそうです。
ひとつは、黒船来港における「軍楽隊」の演奏、もうひとつは、少し時を下った明治13年、小学校に「唱歌」を導入したことです。
これらの出会いと発展は、9月の発表にて。


次に、山本紀久雄氏の鉄舟研究。

reikai_080716_04.jpg reikai_080716_05.jpg

鉄舟の同志であり、当時最も過激な倒幕の志士であった清河八郎は、全国を逃亡していました。
しかし、逃亡しながらも倒幕のタネをまき続けたのです。
そのタネとは、「廃帝」のウワサです。
廃帝のウワサは、幕府の公武合体政策にリンクした非常にリアリティのあるものでしたが、ともかくも清河は、この麻薬のように強力なウワサをまき散らしつつ全国の勤王の志士たちを京都に結集させたのでした。
京都に結集した志士たちは、島津久光の上京で最高潮に達します。
しかし、これは誤解であり久光は倒幕の意志などなかったため、騒ぎを静めようと使いをやります。これが伏見寺田屋事件に発展するのです。

寺田屋は当時、薩摩藩の定宿であったようです。
ここに志士たちが倒幕を画策しワンサカ集まっていたわけですが、ウワサを振りまいて皆を焚きつけた肝心の首謀者・清河はここにいませんでした。

なぜか?

次回をおたのしみに。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 18:38 | コメント (0)

2008年06月16日

6月イベント「靖国神社参拝」の感想

梅雨の合間の晴天に恵まれた6月の日曜日。
靖国神社参拝の行事が無事とり行われました。

photo_yasukuni0806.JPG

参加者は40名。大勢のご参加ありがとうございました。

参集殿に集合後、まずは今回の主目的である、靖国神社本殿へ正式参拝をいたしました。
手水をとり、清めます。
reikai_080615_4325.JPG
拝殿脇の入り口より本殿に入り、本会代表の金子さんが玉串を捧げ、全員で拝礼しました。
身が引き締まる思いがしました。
残念ながら写真撮影は禁止でしたので、痕跡が残っておりません。残念。

その後、参集殿にて大山課長様から『靖国神社と武士道精神』と題して講話をいただきました。
reikai_080615_4326.JPG reikai_080615_4329.JPG
日本人の日本人たる武士道の精神を語り継ぎ、後世に残すこと、靖国神社はその大切な役割も担っていらっしゃることを、大山課長様の熱き語り口から感じました。

講話の後は、引き続き大山課長様の引率にて「遊就館」の展示説明をいただきました。
reikai_080615_4335.JPG
武士道精神を象徴するエピソードをいくつかご紹介いただき、涙を浮かべる参加者もいらっしゃいました。皆さんそれぞれに思うものがあるのかなあと拝察いたしました。

遊就館での見学の後は、靖国神社周辺の史跡散策に出かけました。
好天に恵まれ、40人からの老若男女がワイワイガヤガヤ移動するという図は、さぞ奇異に見えたでしょうが、当の我々はそんなのお構いなしで楽しい散策を繰り広げたのでした。

ルートと詳しい説明はコチラ(PDFファイルダウンロード)
map_yswalk.JPG

reikai_080615_4337.JPG reikai_080615_4350.JPG
reikai_080615_4358.JPG reikai_080615_4359.JPG

小一時間ほどの散策を済ませ、懇親会を行いました。
会場は九段会館。
築70年を越す風格ある建物です。
若かりし頃ここで結婚式を挙げられた参加者がおられました。運命ですね。

reikai_080615_4361.JPG
今回は大人数のため個室をとって大いに盛り上がりました。
reikai_080615_4405.JPG reikai_080615_4420.JPG
山本紀久雄氏にも最後にビシッと締めていただきました。

大勢の方々にご参加いただいた今回の靖国神社参拝。
皆さん、お疲れさまでした、そして、ありがとうございました。
今後も様々な企画を行っていきたいと考えています。
よろしくお願いします。


(おまけ)

reikai_080615_4424.JPG
解散後、任務を遂行し感無量のスタッフ陣は機嫌良く散策をしながら帰途につきました。
今回は省略をした『新徴組屯所跡』を眺める様子。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 09:18 | コメント (0)

2008年05月22日

5月例会の感想

真夏を思わせるよい天気になりました。
5月例会の様子をご報告します。

reikai_080521_01.JPG

今月も、来たる6月15日(日)、靖国神社への正式参拝に向けて、上米良恭臣氏から靖国神社についてのお話をいただきました。

reikai_080521_02.JPG reikai_080521_03.JPG

上米良氏が敬慕されておられる幡掛正浩氏から、「士」とはこういうことだということを教わったそうです。

『子曰く、己を行うに恥有り、四方に使して君命を辱めざるは、士と謂うべし』

まさに鉄舟が生涯追い求めた己の姿と思います。
公人として、己を捨てて君のために尽くした鉄舟の胆力は、士と呼ばずして何と呼ばんや。
深く感じ入った一文でした。


続いては、山本紀久雄氏の鉄舟研究です。

reikai_080521_04.JPG reikai_080521_05.JPG

今月のテーマは「幕末の風雲は清河八郎の九州遊説から開幕」でした。

清河八郎は「虎尾の会」を結成し、鉄舟は発起人に連なりました。
結成の盟約書の中で清河は「(自分たちに)敵対するものは醜慮(しゅうりょ・外国人)と同罪であるから、王公将相もことごとくこれを斬る」と、大変過激なことをいっています。

『天璋院篤姫』(宮尾登美子・講談社文庫)によれば、天皇家は外国人など見たこともなかったので、水戸斉昭が朝廷に醜い姿の偉人を描いた錦絵などを送り、外国人のイメージを歪めて植え付け、攘夷に走らせたのだそうです。
ちなみに、本書で山岡鉄舟は登場はしませんが、名前は二箇所出てきます。江戸城無血開城のくだりの天璋院と鉄舟のそれぞれの西郷への談判の顛末は、読んでのお楽しみということで。これをNHKが大河ドラマでどう料理するか楽しみです。

話が逸れました。
虎尾の会結成は、後の鉄舟駿府駆けの壮大なドラマの序章となるものでした。
ここで、駿府駆けの重要人物である益満休之助と出会うのです。
清河八郎は、江戸無血開城という一大革命を成し遂げた縁(えにし)を繋いだのです。

その後、清河は彼をマークしていた同心を斬ってしまい、全国を逃亡することになるのですが、この逃亡生活が九州遊説に転化することになります。
幕末の風雲は九州遊説から始まった。
なぜでしょう。
来月をお楽しみに。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 20:20 | コメント (0)

2008年04月20日

『鉄舟研究録』ホームページでも近日発売

山本紀久雄氏の鉄舟研究の足跡をまとめた『鉄舟研究録』冊子。
2007年10月発行の『巻之一』に続き、2008年4月『巻之二』を発行いたしました。

現在は例会等での直接販売に限らせていただいておりますが、当ホームページからもご購入いただけるよう準備を進めております。
しばしお待ちを。
ご期待ください!

投稿者 lefthand : 22:03 | コメント (0)

2008年04月18日

4月例会の感想

桜の季節も過ぎ、本格的な春がやってきました。
4月の例会の様子をご報告します。

reikai_080416_01.JPG reikai_080416_02.JPG

今月の発表は、上米良恭臣氏による「靖国神社私論」です。

4月、5月と2回にわたって発表いただく今回の靖国神社は、非常にナイーブな問題を抱えています。
それを単なる空論で終わらせるのではなく、上米良氏が実際にお会いされ、見聞きされたことを中心に靖国神社を語っていただくのが今回の発表の主題でありました。
まさに神職の家系に生まれ、ご自身も神職であった上米良氏ならではの見解を聞くことができる絶好の機会でした。

上米良氏は、「原初、靖国は率直なこころの問題であった」と語ります。
靖国神社は国家のために身を捧げた方々の御霊を祀る場所であり、その他の何ものでもないのです。
終戦後、靖国神社の処理問題にあたり連合軍総司令官のマッカーサーは、宗教的な見地からの意見を伺うべく、駐日ローマ法王代表バチカン公使代理のビッテル神父に意見を問うたところ、次のような見解を示したそうです。
『自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意を払う権利と義務があるといえる。(中略)はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。(中略)国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである』
(『英霊の言之葉8』靖国神社発行より)

日本は今や、経済・人口・環境などあらゆる面において成熟した社会となっているように思います。成熟とは、国家全体がひとつとなって発展に向かって突き進むことができるような未発展の分野を見つけることが非常に難しいという意味です。
そのような段階において、昨今「こころの問題」がクローズアップされてきているというのは、自然な流れのように感じます。「こころの問題」を職業に選んだ私としては、このことが特に強く感じられます。
日本という土壌が育んできた「こころ」とはどのようなものなのか。
このことは、日本の文化を語ることのように思えるのは、突飛なことでしょうか。
靖国から、また鉄舟から、日本人の「こころ」について学ぶことが多くあるのではないか、そう感じた、今回の発表でした。


続いては、山本紀久雄氏の鉄舟研究発表です。

reikai_080416_03.JPG reikai_080416_04.JPG

今回も引き続き、清河八郎と鉄舟との関係についての発表をいただきました。

清河は故郷・山形を家出同然で出奔し、江戸へとやってきました。
それは、学者を志し、学問を修めるためでした。
それが突如として「倒幕論者」に翻意するのです。
彼の考えを翻させたきっかけは、桜田門外の変でした。
水戸藩士を中心とする脱藩浪士により、登城中の井伊大老は暗殺されました。
この事件は、その後の日本の歴史を大きく変えるほどの大事件でした。
それを、身分の低い脱藩浪士がおこなったのです。

自分と同じような軽輩の浪士が歴史を変えた。
そのことが、清河の全身を貫いたのでした。
そして、彼は過激な倒幕運動家へと変貌していくのです。

清河はその数年後暗殺されるわけですが、なにゆえに彼はそれほど激烈な戦略転換を図ったのでしょうか。
一方、鉄舟は維新後も生き、国家のために尽くし続け、往生を遂げました。
この違いは何か。
来月をお楽しみに。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 21:48 | コメント (0)

2008年03月20日

「山本時流塾」の開催

当会の講師を担当されている山本紀久雄氏が、「世界から日本を見、日本から世界を見て時流を学ぶ」~目からウロコの時事解説~を開催しますのでご案内いたします。ご参加ご希望の方は世話人にご連絡お願い申し上げます。

  名称   「山本時流塾」  
  講師   山本紀久雄氏 
       経営コンサルタント、山岡鉄舟研究家、経営ゼミナール代表
  開講   平成20年4月11日(金)午後2時~2時間(初回のみ)
       以下毎月第2金曜日 午後4時から2時間 定例会とします
  内容   講師による時事解説と質疑応答

  人数   20名
  参加費  1,000円
  会場   株式会社 東邦地形社(会長 山本浩二氏)会議室
        渋谷区神宮前6-19-3 東邦ビル8階  
       (JR渋谷駅東口から徒歩8分 明治通を原宿方面へ 
                          渋谷女子高校前)
  懇親会  終了後任意参加で行います 会費2,500円程度
  世話人  矢澤昌敏
        E-mail:m_yaza10@eos.ocn.ne.jp
伊藤 実
        E-mail:cyf10254@nifty.com
  申込み  原則として第1金曜日を締め切りといたしますが、定員にな
       り次第締め切ります

                              以上

投稿者 Master : 17:19 | コメント (0)

3月例会の感想

桜の蕾ふくらむ初春の第3水曜日、鉄舟サロン例会が行われました。
その様子をご報告いたします。

reikai_080319_01.JPG

今月の発表者は、今井裕幸氏です。

今井氏は、「大森曹玄老師の思い出」と題し、大森曹玄氏がご指導をされておられた高歩院「鉄舟会」での参禅の様子や、そのときの「禅」の心得などを解説されました。

reikai_080319_02.JPG reikai_080319_03.JPG

「碎啄同時」
ここ数週間の間に、私はまったく異なる2箇所の情報源からこのことばを手に入れました。
ひとつは、作家・夏樹静子さんの著書『椅子がこわい』(新潮文庫)で、もうひとつは今回の今井氏の発表からです。
事をなすには最適のタイミングがあり、それが合致したそのときこそ最大の効果を持って物事が成されるのであり、そのときこそ大いなる悟りが得られるということなのです。
現在編集作業を進めております『鉄舟研究録・巻之二』で展開されている、鉄舟の江戸無血開城の功績は、まさにこの「啐啄同時」の歴史的瞬間であったと感じられます。
鉄舟・海舟・西郷、そして益満休之助や望嶽亭の松永氏…。彼らの絶妙なマッチングは、寸分の狂いがあっても成立し得なかった奇跡の出来事でありました。
「啐啄同時」のタイミングを掴むこと、それは「時流」を掴むことではないでしょうか。
大変示唆に富んだお話をいただくことができた、今井氏のお話でした。


続いては、山本紀久雄氏の鉄舟研究です。

今回は、清河八郎の人物像について迫るお話でした。

reikai_080319_04.JPG reikai_080319_05.JPG

一般に清河八郎のイメージは芳しくないものが多いです。
「山師」「策士」「出世主義者」…。
これらの雑音にとらわれず彼の足跡を辿ったとき、彼の人物像が浮かび上がってくるのではないか、なにゆえ、彼と鉄舟は「同志」の契りを交わす仲となったのか。
今回は、彼が倒幕の志を立てるまでの、生い立ちから青年時代の足跡を追いました。
清河八郎は大変優秀で、周囲の聞こえ宜しい人物であったようです。
このことと、その後の評価には著しいズレがあります。
なぜか。

次回をお楽しみに。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 08:39 | コメント (0)

2008年02月21日

2月例会の感想

真冬真っ只中のぬけるような青空のもと、2月の例会が行われましたので、その様子をお知らせいたします。
reikai080220_01.JPG

今月の発表は、井上喬博氏による「私流アンチエイジング実践法」。
普段から若々しく、あちこち飛び回っておられる井上さんの健康の秘訣を垣間見ることができるとあって、楽しみにしておりました。
reikai080220_02.JPG reikai080220_03.JPG

井上さんは毎日朝・昼・晩と運動をしておられるそうです。
資料を見て、解説を聞いてビックリ。
ちょっとご紹介します。
1.スクワット   朝・昼・晩に各100回
2.骨盤体操    朝・昼・晩に左右各1回
3.胸を広げる運動 朝・昼・晩に各20回
4.四股踏み    朝・昼・晩に各20回
5.手振り運動   朝2000回、昼1000回、晩1000回
6.ウォーキング  一日平均12000歩
7.テレビ体操   朝 6:30〜 1回
驚きました。これをこなすだけで日が暮れてしまうのではないかと心配になりました。
井上さんの健康の秘訣は日々のたゆまぬ努力にあったことをあらためて思い知らされました。

皆さんでやってみよう、ということで、その運動を体験してみました。
reikai080220_04.JPG reikai080220_05.JPG

目標に向け日々の鍛錬を怠らないこと。
鉄舟が身をもって教えてくださっている、このあたりまえなのにできないことをコツコツとこなされておられる方が身近にいらっしゃることを知り、感服いたしました。

続きましては、山本紀久雄氏の発表です。
reikai080220_06.JPG reikai080220_07.JPG

鉄舟が活躍した当時の武士の価値観の下地となる「尊王」という思想はどのように発生したのか。
そして、「尊王」はどのようにして「攘夷」あるいは「倒幕」へと変容していったのか。
鉄舟研究は、当時の武士階級の一般的思想の根元を掘り起こすことから展開するという、新たなアプローチが始まりました。
幕臣であり、「敬幕」であらねばならないはずの鉄舟はなぜこの当時、「倒幕」に加担したのか。清河八郎との関係はどのように鉄舟に影響したのか。
興味は尽きません。
次回の例会をお楽しみに。
(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 15:59 | コメント (0)

2008年01月17日

1月例会の感想

寒くなりました。冬本番です。
2008年最初の例会が行われましたので、ご報告いたします。

reikai080117_01.JPG

今回の発表は、高田東士生氏。
高田氏の豊富な海外渡航経験から、海外事情や海外旅行での注意点などをお話しくださいました。

reikai080117_02.JPG reikai080117_03.JPG

海外での失敗談をオモシロおかしく聞かせていただき、同時に私たちが旅行する際の注意点として活かせる楽しいお話でした。


続いて、山本紀久雄氏の鉄舟研究です。

reikai080117_04.JPG reikai080117_05.JPG

若き日の鉄舟が同志として行動を共にしていた清河八郎は、自ら世の中を「回天」させると公言し、鉄舟にもその旨の手紙を送っていました。文久2年(1862)、鉄舟27歳のときのことです。
しかし、さかのぼること4年前の安政5年(1858)、日本は各国と修好通商条約を結び、国家体制としては開国へとすでに向かっていたのです。
一方、清河から手紙が鉄舟に送られた翌年(文久3・1863)、幕府は「攘夷宣言」をし、外国人の打ち払いを始めるという、大変矛盾した政策を執り始めました。
混迷する政局、幕府権威の失墜、「攘夷」と「開国」で激しく揺れる世の中…。その中で鉄舟は何を考え、いかに生き抜いたのか…。山本氏の研究は新たな展開を迎えます。今後の研究に期待が高まります。

最後に、山本氏からひとこと。
「来月からの鉄舟サロンは欠席できませんよ!」

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 23:07 | コメント (1)

2007年12月23日

12月例会の感想

2007年最後の例会が行われました。
その様子を写真でお知らせいたします。

reikai0712_01.JPG

今回は、ドイツでのぬりえ展を無事終えられた金子さんより、そのご報告を聞かせていただきました。

reikai0712_02.JPG reikai0712_03.JPG

続いては山本さんの鉄舟研究。鉄舟の貧乏生活の意義を問うシリーズも佳境に入ってまいりました。

reikai0712_04.JPG reikai0712_05.JPG

今回は、2007年最後の例会でしたので、終了後に「望年会」を催しました。
一年の労をねぎらい来年に望みを託す。
皆さんにとりまして今年はどんな年でしたでしょうか。
来年もご一緒に研鑽させていただくことができればこの上ない幸せです。
来年もよろしくお願い申し上げます。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 18:18 | コメント (0)

2007年11月25日

11月例会の感想

11月21日、鉄舟例会が執り行われましたので、その様子をお知らせいたします。
前月は全国フォーラムということで、何だか久方ぶりの例会のような感じでした。

reikai_0711_03.JPG

今回は内容盛りだくさんでした。
矢澤さんには明治神宮「秋の大祭」に参加されてのご感想をいただきました。
そして、いつものように童謡・唱歌で緊張をほぐし、いざ発表へ。

今月は、「エコライフ・コンサルタント」中瀬勝義さんに『エコライフへの目覚め』をご発表いただきました。

reikai_0711_01.JPG

中瀬さんは、ご専門を活かされてエコ、つまり資源、エネルギーなど多角的な面から環境問題を考え、「中瀬流」のエコライフを提唱し、自らそれを実践されています。
その中で、「日本列島総自転車論」はなかなか面白かったです。
自転車のエコロジー度に着目し、日本の交通をすべて自転車にすれば、二酸化炭素排出などの問題が解決するばかりでなく、健康にも寄与する、さらにはゆっくり時間をかけて旅行ができる・・・という、中瀬さんの壮大な夢には、可能・不可能を論じるなどという小さな枠に収まらない情熱を感じました。
ちなみに、自転車の利用率というのは世界中で日本がダントツトップなのだそうです。いわゆる「ママチャリ」というのは日本にしかなく、世界的に見れば自転車は「スポーツ」であって通勤・買い物の足ではないのだそうです。これは驚きました。
先日、芝公園を歩いておりましたら「自転車タクシー」なるものが街を走り回っておりました。中瀬さんの夢もあながち荒唐無稽なものではないかもしれません。

続きまして、山本紀久雄さんのご発表。

reikai_0711_02.JPG

今月も「鉄舟が貧乏生活をした本質にせまる」シリーズをお話しいただきました。
世の中がこれまでとまったく違うものに変わろうという「異常事態」の中で、何が異常で、何が正常なのか。
後世において高く評価されている明治維新という一大事業は、当時「異常」な世の中において、一般に「正常」な判断と考えられていたのか。
その中で、鉄舟は何を見つめていたのか。
そこに、鉄舟の貧乏生活の意味と意義が隠されている・・・。
詳しくは講演記録をどうぞ。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 21:22 | コメント (1)

2007年10月08日

第4回鉄舟全国フォーラムご報告

爽やかな秋晴れの晴天に恵まれた10月の土曜日、第4回鉄舟全国フォーラムが盛大に執り行われました。
その様子を写真とともにご報告いたします。

tessyuu_07forum04.JPG

今年のフォーラムの参加者は87名。鉄舟サロン史上最大規模の会となりました。
山岡鉄舟の名のもとにこれだけ大勢の方々がご参加くださったことに感謝申し上げます。


金子代表の挨拶で会はスタートいたしました。

tessyuu_07forum01.JPGtessyuu_07forum02.JPG

今回は、当ホームページからお申し込みいただいた方々、月刊「致知」に掲載いただいたフォーラムの案内を見てのご参加の方、浅草・浅草寺主催の「仏教文化講座」にての山本紀久雄氏の講演でご興味を持たれた方など、多方面からのご参加を賜りました。ありがとうございました。

さて、講演の開始です。

まずは、浜松医科大学名誉教授・高田明和氏の講演から。

tessyuu_07forum05.JPGtessyuu_07forum06.JPG

高田氏は、今回の講演のテーマである清水次郎長の子孫でいらっしゃいます。
清水次郎長の近親である氏ならではの、次郎長と鉄舟の浅からぬ縁(えにし)をお話しいただき、また、氏所蔵の鉄舟の書やその他の貴重な史料をご紹介いただきました。


講演後、活発な質問も交わされました。

tessyuu_07forum07.JPGtessyuu_07forum08.JPG

続きまして、山岡鉄舟研究家・山本紀久雄氏の講演。

tessyuu_07forum09.JPGtessyuu_07forum10.JPG

日本はなぜ植民地支配を免れたか。鉄舟はなぜ貧乏したのか。
日本が民族の独立を貫くことができた影に鉄舟の存在があり、鉄舟が人生を賭して日本を守ったからこそ、現在の日本がある。そのために鉄舟は、自らの生活すべてを捧げていたのです。だから貧乏だった。いや、鉄舟自身が貧乏であることはいかほどでもない、憂うべきは国家である。そのために自分はいかなる状況にも対応できるよう、身を鍛えることに専心する・・・。鉄舟のその胆力に感嘆するほかありません。


講演終了後、懇親会へ。

tessyuu_07forum11.JPGtessyuu_07forum12.JPG

懇親会では、高田氏や山本氏を囲んで鉄舟談義に花が咲き、大いに盛り上がりました。


今回のフォーラムでの両氏の講演は、山岡鉄舟という、幕末・明治の時代が生んだ傑人を通じて、激動の時代にあって己は何を為すべきかを考え、行動したその足跡を通じて、我々が現代を生きる指針とするヒントを与えてくださるものでした。このことは会の主旨であり、鉄舟を通じて私たちが追い求めるテーマでもあります。
今後も研究は続いていきます。
来年は、2008年11月29日(土)開催予定です。
少し気が早いですが、さらに大勢のご参加を、心よりお待ち申し上げております。
なお、毎月の例会にも是非足をお運びください。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 12:27 | コメント (0)

2007年09月20日

9月例会の感想

8月のお休みを挟んで約2ヵ月ぶりの例会が行われましたので、その様子をご報告いたします。
photo_reikai_07091901.JPG

今回は私・田中が発表の大役をおおせつかり、眠れぬ日々を過ごしておりましたが、事に及んで二心なしと、鉄舟の生き様を今こそ見習うべきと腹を決め、発表に臨みました。
photo_reikai_07091902.JPG
内容は「変体仮名を読む〜鉄舟の書をもとに」。
鉄舟の遺された句の原文を解説いたしました。
鉄舟が自ら語っておられるように、鉄舟の書に触れ、皆さんそれぞれの心の鏡で何かを感じ取っていただく機会になればと願い、ご紹介させていただきました。
鉄舟の研究については山本紀久雄氏が精力的に進めておられますが、これとは違った角度から、すなわち鉄舟の遺した書を通じて、鉄舟の人間像について迫っていけるようになれたらと思います。

続いては、山本氏の発表です。
photo_reikai_07091903.JPG
今回のテーマは「鉄舟の貧乏」。
鉄舟はその壮年時代、大変な貧乏をしました。
鉄舟ほどの使い手であれば、剣で身を立てるなど、方法はあったと考える方のが自然です。
なぜそれをせず、専ら心身の鍛練に勤しみ、貧乏であるがままであったのか。
それは、10月6日の鉄舟全国フォーラムで明らかにされるそうです。

全国フォーラムをお楽しみに。
是非足をお運びください!

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 18:24 | コメント (0)

2007年07月19日

7月例会の感想

鉄舟サロン7月例会の様子をお知らせいたします。
photo_reikai_07071801.JPG photo_reikai_07071802.JPG

まずは高橋育郎さんによる童謡の合唱から。
高橋さんはこの度、「昭和追憶」という本を出版されました。
歌を通して、昭和という時代を生きた子供たちを伝えることによって、今の子供たちに本当の子供の姿を甦らせてやりたい、そんな願いから出版された本です。

さて、今月の発表は、小林順子さんでした。
photo_reikai_07071803.JPG photo_reikai_07071804.JPG
小林さんは、少し前までごく普通の主婦でいらっしゃいましたが、「ファンタジーきもの」との出会いにより人生が一変、今はとてもハツラツとした毎日を送っておられます。
素敵な生き方に心が温かくなりました。

そして、山本紀久雄さんの発表。
photo_reikai_07071805.JPG photo_reikai_07071806.JPG
「日本が植民地化の危機を乗り越えたのは、鉄舟の妻、英子(ふさこ)さんとの結婚があったからだ!」という、壮大なお話でした。またしても「ホォー」と唸らされてしまいました。
詳しくは例会報告で。

投稿者 lefthand : 19:52 | コメント (0)

2007年06月17日

6月:明治神宮参拝の様子

鉄舟サロン特別企画、明治神宮参拝に行ってまいりましたので、その様子をご報告いたします。

DSCF1419.JPG
明治神宮入口(代々木方面・北参道から)。

雨という予報でヤキモキしていましたが、予報は見事に外れ、カンカンと照りつける絶好の参拝日和の中、明治神宮参拝の行事が執り行われました。

DSCF1422.JPG
北参道。深い新緑に包まれ、とても清々しかったです。

DSCF1440.JPGDSCF1444.JPG
明治神宮文化館で昼食&午後から集合の方との待ち合わせ。

DSCF1456.JPG
神宮御苑内へ。中は森の中に迷い込んだよう。都会の真ん中にいるとは思えない、緑あふれる空間でした。

DSCF1466.JPGDSCF1468.JPG
菖蒲田。色とりどりの菖蒲が満開でした。絶景!

DSCF1483.JPG
明治神宮本殿へ。本殿の前で記念撮影。

DSCF1485.JPG
結婚式が数多く行われていました。多いときは20組以上の挙式があるとのこと。とても素敵でした。神前挙式ってイイですネ。

DSCF1499.JPG
明治神宮参拝の後、宝物殿へ。貴重な品の数々を見学しました。

DSCF1501.JPGDSCF1503.JPGDSCF1506.JPG
「至誠館」武道場にて、稲葉館長による「鹿島神流」居合道の演武をご披露いただきました。
その迫力とスピードに、写真もピンボケてしまいました。

DSCF1508.JPG
稲葉館長による「武士道」講義。

武士道とは何であるか。
曰く「その人の、命を脅かされたときの対処の仕方」である。
勝ち負けでは決してない。
ましてや、拍手賞賛を送るものでもない。

この言葉が、心に残りました。
以上(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 12:40 | コメント (2)

2007年04月19日

4月例会の感想

鉄舟サロン4月例会の様子をお知らせいたします。
今回から、お部屋を隣の大会議室に移しての開催となりました。
photo_reikai0704_02.JPG
あいにくの雨模様でしたが、初参加の方を含め大勢の方にお集まりいただき、盛況のうちに会を終えることができました。

今回の発表は、二見さんと山本さんです。
二見さんには南インドを訪問された体験記をご発表いただきました。
インドで合気道を紹介されたとのこと。
詳細は記録に譲るといたします(スミマセン、受付やら何やらでお話が伺えませんでした。記録を楽しみにしています)。

山本さんのお話は、鉄舟と山岡静山との出会い。
鉄舟が完敗し、弟子入りした山岡静山とはいかなる人物であるかについて教えていただきました。

photo_reikai0704_04.JPG
二見さんからいただいた資料の中にある、インドで人道活動を行っていらっしゃる「アンマ」という方の言葉です。
『教育には二種類あります。
 生きるための教育と、生きることの教育です。
 医者や弁護士、技術者を目ざして大学で学ぶ、これは生きるための教育です。
 しかし、生きることの教育となると、霊性の本質的な教えを理解していかなければならなくなります。』
山本さん曰く、我々が山岡鉄舟を学ぶということは、「生きること」を学ぶことに他ならないのではないか。
その通りだと感じました。
鉄舟はことばをほとんど残しませんでしたが、その生き方を通じて私たちが「生きること」を自身に問う、非常に大切な機会を与えてくださっているのだと感じた、今回の例会でした。

投稿者 lefthand : 09:19 | コメント (0)

2007年03月29日

3月例会の感想

鉄舟サロン3月の例会の様子をお知らせします。
photo_reikai0703.JPG
この日は汗ばむほどの陽気で、桜もさぞ気持ちよくつぼみをほころばせているだろうと思いつつ、上野にまいりました。
不忍池まで足を伸ばした参加者に聞いてみると、桜もさることながら、お花見の場所取りの人であたりはあふれかえっていたとのこと。あにはからんや。

今回の発表は松村さん。「日本再生のキーワード」と題して、政治、経済、教育、文化と幅広い視点からお話しいただきました。
photo_matsumura0703.JPG
その中で印象的だったのが、「持続可能な開発のための教育の10年」という国連のキャンペーンが2005年から行われていることです。こういうことが行われていることを知らなかった上に、これを国連に提案したのは当時の小泉内閣とのこと。時間の関係で詳しい内容をご説明いただくことができませんでしたが、パンフレットをご提供いただきましたので、じっくり勉強してみたいと思いました。

続いて、山本さんの発表。
photo_yamamoto0703.JPG
今回も豊富な話題と鋭い分析で笑ったり唸ったりでした。
今回学んだのは、「鉄舟の人生の目的」。
鉄舟は大変大きな人生の目的を持ち、それに向かって修行に励んだのです。
鉄舟が掲げた人生の目的、それをぶれることなく貫く意志力。
やはり鉄舟はすごい。

学ぶことの喜びを感じることのできた例会でした。

投稿者 lefthand : 20:53 | コメント (0)

2007年02月25日

山本紀久雄氏がテレビに登場します

毎月、鉄舟サロンで発表している「山本紀久雄」氏が、東京放送TBS系列「本と出会う」30分番組に、「フランスを救った日本の牡蠣」の著者で出演いたします。放映日時は以下の通りです。

3月3日(土)CS「TBSバラード」11時30分
  4日(日)BS「BS-i」7時30分、CS「TBSバラード」11時30分

投稿者 Master : 09:43 | コメント (0)

2006年07月14日

鉄舟のお父さん


ジリジリ、暑〜い真夏の夕刻、今月も鉄舟サロン例会は行われました。
ご参加の方もじわじわと増え、会に活気が出てきました。常連さんも最近参加された方も、和気あいあいと楽しみながら、マジメに学んでいらっしゃる姿に、あらためて鉄舟先生が呼び寄せてくださったご縁に感謝しなければと感じました。

今月の発表は森田さん。森田さんは東京・汐留の遺跡調査に携わられたそうで、遺跡調査のエピソードをいろいろ語っていただきました。遺跡調査というのは未知の世界でしたので、いろいろと興味深いお話でした。
汐留は、江戸時代仙台藩と竜野藩の屋敷があり、その石垣などが出土していますが、そこに火事が何度もあった痕跡が残っていたのだそうです。森田さんが文献で調べられたところによると、仙台屋敷は江戸時代を通じて10回火事に遭っているそうです。20年に1回ぐらいは焼けていた計算になります。ホント多いですね。景気が悪くなると火事を起こしていたなんて説もあるそうで、まさに「江戸の華」だったということが遺跡からもわかるというわけです。

続いては、山本さんのお話。今回は鉄舟のお父さんに関するビックリエピソードを聞きました。
鉄舟のお父さんは79歳で亡くなられたそうですが、そのとき2歳のお子さんがいらっしゃったそうです。鉄舟の兄弟ということになります。当時にしては長命であったことも驚きですが、77歳にしてお子さんを設けられたことも驚嘆に値します。このエネルギッシュな父の影響を、鉄舟は少なからず受けているだろうと推測します。
お父さんは79歳で亡くなられた訳ですが、そのとき3500両の遺産を残されたそうです。今のお金にすると、1億〜1億7千万円!江戸時代は複数の貨幣が流通しており、米価なども含めるとレートが複雑で単純に換算することはできないのですが、それでも一億数千万円の遺産を相続したのです。しかし鉄舟は、その大半を兄弟たちに分け養子に出し、自分は残りわずかのお金を持って山岡家に入ったのです。鉄舟の大きさというのはこういうところにあらわれているのではないかと思います。やはり鉄舟はすごい。

(田中達也)

投稿者 lefthand : 07:53 | コメント (0)

2006年06月22日

6月例会の感想

鉄舟の子ども時代

入梅のジメッとした季節ですが、鉄舟例会はカラッと盛大に行われました。
このところ、鉄舟サロンに初参加の方が多くいらっしゃるようになりました。5月は1名、そして6月はなんと4名。皆さんこのホームページをご覧になって参加されたそうです。いや嬉しい。
これをご覧になられているあなたも一度鉄舟サロンにいらしてみませんか?驚くほどアカデミックで、かつ柔らかいという、とても奥の深い会ですので。

さて、今回の発表は矢澤氏の「日本の西洋美術談義」と、山本氏の「鉄舟の子ども時代から考える」でした。

060621_01.JPGまずは矢澤氏の発表。近世以降、洋画がどのように日本に輸入されてきたのかから、明治期に入っての洋画の創始者の登場、そして、日本美術の素晴らしさを「発見」したのは外国人であったことなどを解説していただきました。

矢澤氏の発表は、10ページ+表3枚に及ぶ資料で、詳細な解説文と図版による絵画紹介、そして矢澤氏の豊かな知識に圧倒されました。
その中で、特に、日本美術の優秀性を発見し、日本の伝統美術復興に大きく寄与したフェノロサについて多くの時間を割いて解説いただきました。フェノロサは来日したとき「日本人が日本美術を大切にしていない」とに大きなショックを受けたといいます。そして、彼は日本美術の復興に邁進したのです。
芸術にしろ科学技術にしろ、世界で高い評価を受けるものや人は、海外に出ないとその価値が認められないような傾向が、現在でもあるのではないかと思います。私たちがこの国の伝統や芸術の価値を正しく理解し、伝えていく必要があるのは今も同じことだと思います。

060621_02.JPG続いては山本氏の発表でした。今回は鉄舟の子ども時代についてのお話でした。鉄舟の子ども時代、母親から受けた影響についてエピソードを交えながら解説していただきました。
人の価値判断の基準は、自己の原体験に基づきます。原体験とは、親の教育であり、育った環境です。生まれてから今までの体験が、その人の判断基準を創っているということです。
自閉症が初めてアメリカで発表されたとき、ちょうどテレビが登場して10数年が経過していたのと合致しており、テレビの普及との関連が言われているそうです。テレビは一方通行、つまりインプット一辺倒の情報入力をするものです。子どもの頃からこれに慣れていると、社会的に共通の判断基準に比重が偏ってしまい、一人ひとりそれぞれの親や環境に基づく基準が薄れているため、実際の社会で個別の問題にぶちあたったとき、それに対処できなくなっているのではないかと、山本氏はおっしゃいます。

その昔、昭和30年代生まれの若者は、無気力、無関心、無責任の「三無主義」の世代といわれました。その後の世代は「新人類」、そのまた後の世代、つまり今の若者は「ニート」と呼ばれる、働かない世代です。そして、彼らニート世代の親の世代が「三無主義」の世代の人々と合致します。
鉄舟の偉大な人間像を形作った、子ども時代の母親や周りの環境から受けた影響=原体験を学びながら、今の若者世代の原体験とはどんなものなのかを考えることも大事なことなのではないかと感じた例会でした。

(田中達也)

投稿者 lefthand : 13:14 | コメント (0)

2006年06月11日

二見さんのお祝いの会(6月9日)

二見さんの春風創刊満20周年記念祝賀会兼定年退職感謝の集い
   
6月9日、パレスホテルにおいて、サロンのメンバーで、現在「武士道」の発表をお願いしてます二見さんの「春風創刊満20周年記念祝賀会兼定年退職感謝の集い」が開催されました。
定年後はさらに自由に活動を広げることができ、時間がたりないくらいに過ごされるのではないでしょうか。ますますのご活躍が期待されます。
サロン関係者は、山本さん、矢澤さん、北川さん、圓佛さん、岡崎さん、金子が参加しました。
会場では、内モンゴル歌舞劇院ソリスト歌手のオドバルさんがお祝いの歌を歌い、二見さんのお祝いの会を盛り上げました。

投稿者 Master : 00:20 | コメント (0)

2006年05月27日

NHK総合TVで「次郎長」の時代劇が始まります。

NHKの木曜時代劇において、「次郎長背負い富士」というタイトルで、久々に次郎長物語が始まります。次郎長役を中村雅俊さんが演じます。
清水次郎長のことは、昨年の全国大会ならびに秋のイベントで茶畑の開墾などをみてきました。今回のドラマでは、どのような次郎長の姿が見られるでしょうか。
今回のこの件をご紹介するのは、もちろん鉄舟に縁の人だからですが、実は私は中村雅俊さんの大ファンなのです。今回は2倍に楽しむことができるので、今から楽しみです。
スタートは、6月1日の木曜日です。
(代表 金子)

投稿者 Master : 20:19 | コメント (0)

2006年05月19日

5月例会感想

鉄舟と栗原さんに学ぶ自然体

あいにくの雨の中、今月も例会が執り行われました。
kurihara01.JPG今回の発表は栗原さんでした。
発表前、ロビーでソワソワされておられましたが、緊張感の中にも集中されておられるご様子。「この10年で考えていること」とはなんだろう。楽しみになってきました。

始まると同時に栗原さんの力強い声が会議室の外に聞こえてきました。私は受付を担当させていただいている関係で、開始後10分間ぐらいは会議室の外にいるのですが、そこにも栗原さんの迫力が伝わってきました。
kurihara02.JPG栗原さんの人生テーマは「さからわず、自然体で生きる」。栗原さんの力強い声に、今までこれを実践して生きてこられた自信を感じることができました。
栗原さんは無農薬での野菜づくりや書をお書きになり、日々を感動とともに充実して過ごされていらっしゃいます。そして、そのような暮らしを通じて人生テーマにたどりつかれたのだと思います。それは、ご披露いただいた書にもあらわれているような気がしました。


yamamoto01.JPG山本先生のお話は、「鉄舟が旅で学んだ最先端思想」。鉄舟は15歳のとき、お伊勢参りに旅立ったそうです。そこで二つの出来事から、自分が知らなかった日本の姿を知り、日本国というアイデンティティに初めて気づいたというお話です。
当時の日本は鎖国政策をとっていたわけですから、将軍を頂点とする階層社会であることをあたりまえに受け止めていたのですが、そうではない事実に直面し、さらに「海国兵談」という書物によって世界の中の日本ということをつきつけられ、鉄舟は考えさせられたのです。これは、鉄舟にとって常識が覆る大変な衝撃だったのではないかと思います。

日本人はこの後、常識が覆される大変な出来事をいくつか経験します。明治新政府の樹立、政治制度の激変、社会制度の激変など、日本人一人ひとりのあらゆる常識がひっくりかえりました。その中で、皆に「お前が慌ててもしょうがないだろう、こういうときこそ各々が普段していることを続けるのだ」と説いてまわった鉄舟の偉大さに感じ入った今回のお話でした。


このことは、栗原さんのお言葉「さからわず、自然体で生きる」姿勢に通じるのではないかと感じました。鉄舟が説いたことはまさに、どんなときもどっしり構え、自然体でいることだということなのではないでしょうか。
栗原さんの「さからわず、自然体で生きる」姿勢に、鉄舟が皆に説いてまわった剛胆さと申しますか、肝の据わったスゴイ振る舞いを垣間見たような気がし、鉄舟サロンと、メンバーの皆様の奥深さを感じた例会でした。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 17:28 | コメント (0)

2006年04月23日

4月の例会感想

今月は古今の印刷を学びました!

鉄舟サロン4月は山本先生がお休みということで、会員の下村辰三さんと私、田中が発表することになりました。キンチョーしましたよ。
   
下村さんからは、現代の「印刷の基礎知識」についてということで、現在の印刷についての基本原理と技術について教えていただきました。そして、私からは「変体仮名について」ということで、学生時代に勉強した古典文学の中での基礎知識である変体仮名を紹介させていただきました。

まずは下村さんの印刷について。現在、印刷は主に3種類の方式を用いて行われています。凸版印刷、オフセット(平版)印刷、グラビア(凹版)印刷です。
それぞれに特長があるのですが、基本原理は皆同じです。それは、青・赤・黄・黒の4色のインクを重ね合わせて印刷するということです。
インクが4色あり、それでいろいろな色を表現できることは、コンピュータを使われていらっしゃる方には馴染みのあることだと思います。パソコン用のカラープリンタも同じ原理を利用しています。すなわち、4色(シアン・マゼンダ・イエロー・ブラック。略して「CMYK」という)を細かい点にして紙にポツポツと印刷すると、私たちの目には色がついているように見えるというわけです。不思議ですね。
これは、色彩学的にいうと、色は物質に固有の特長ではなく、光が物質を反射して目に飛び込んでくるとき、飛び込んできた色の波長を目が脳に送り、脳で処理をして初めて色がついていることを認識するからなのです。物質に色はついていないのです。人間の脳が色を創り出して脳の中で物質に色をつけているのです。難しいッスかね?
印刷物を拡大鏡で覗いてみますと、例えば人間の肌の色もCMYK4色の色の点の集まりで表現されているのです。それを遠目で見ると、肌の色にみえるんですなぁ、これが。
ちなみに、4色の中でも「黒(なぜかBではなくK)」は、理論上他の3色を均等に混ぜるとできる色ですが、そうすると印刷するとき黒は青・赤・黄の3色を使わねばならず、不経済なので黒が別に用意されているんです。印刷物の中で黒が占める割合は多いので、そうなっているそうです。


色彩は人間の心理に影響を与えることが知られていますが、その「色」をよくよく見ると4色の色の掛け合わせになっているというのは、何とも不思議です。絵の具など、本当に混ぜて作る色と、印刷のように目を騙して見える色は、人間の心理への影響は同じなのでしょうか。新たな研究テーマができてしまいました。

続いて、私の発表です。自分で感想書くのもナンですので、下村さんの印刷のお話と関連することを書きたいと思います。

現代の印刷技術は原稿の色を4色の精細な点の集まりにすることによってカラーを表現していますが、江戸時代のカラー印刷はインクの色そのものをベタ塗りする形でした。まさに版画の手法そのものです。
江戸時代のカラー印刷の代表は浮世絵でしょう。これは、各色用に彫った版画を重ね刷りすることでカラーを表現しており、原画に使われる色の数だけ版下(板木という)を彫って何回も重ね刷りするのです。これはまさに職人芸です。彫る技術もそうですが、彫った何枚もの板木に1回1回同じ紙をのせ、狂いなく重ねて刷る技術など、神業といっても過言ではないくらいの精緻さで刷られています。

浮世絵は商業印刷物でありながら、世界で認められている芸術作品でもあります。その芸術性が、日本人の精巧な印刷技術によって支えられていることを思いながら、浮世絵を観察してみてください。きっと今までとは違った視点で「ホォ〜」と唸ること請け合いですよ。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 23:03 | コメント (0)

鉄舟の書を温泉で発見

鉄舟の書を温泉で発見

仕事の関係で宮城県・東鳴子温泉に寄せていただく機会をいただいているのですが、まさかこんなところで鉄舟先生の書に出会うとは・・・。


この書は、明治15年刊行の「宮城縣温泉小誌」の「題辞」として掲載されていたものです。真ん中に活字で「山岡公題辞」とあり、左側に鉄舟先生のサインがあります。
この小誌は、明治14年5月にドイツ・フランクフルトにおいて鉱泉学博覧会が行われるため、日本国内の著名な温泉を採酌して出品するために、各県に温泉のことをまとめろというお達しがあり、まとめたもののようです。
で、なぜかその冒頭に鉄舟先生の書があるというわけです。

このような、鉄舟先生とは関係ないと思われるような書物の中にそれを見つけるということの考察については、山本先生の研究におゆずりするとしまして、皆さんのご興味は「何て書いてあるの?」ということではないかと思います。

結論から申しますと、わかりません。スミマセン。
鉄舟先生の達筆にまだ私の脳力開発がついていっておりません。あしからず。
しかし、ここでめげず鉄舟サロンの方々にいろいろ聞き回りましたところ、冒頭の四文字は
「天然為図」ではなかろうかという総合結果が出ました。
「天然、図と為す」と読み、温泉を書にまとめたよ、というような意味になるのではないかと思うのです。

左はサッパリです。

しかし、このような行為は謎解き的であり、脳のトレーニングとしてなかなか楽しいものであります。
どうか皆さん、読み方と意味をお教えください。
あくまでも脳のトレーニングですので、賞品等ご期待なさらないよう・・・。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 15:39 | コメント (1)

2006年04月09日

4月観桜会の感想

「街道をゆく」水元公園編という気分であった
  &日本人の「型」を学んだ桜ギリギリお花見会の巻

 晴れわたった春の日曜日の昼下がり、我ら鉄舟サロン・レクリエーション班一行は、東京は葛飾・水元公園に繰り出しました。
060409_01.JPG
 今年は開花が早かったため桜がもたないんじゃないかと、昨シーズンの巨人のような半ば諦めムードで迎えた当日でしたが、見事に花は残っていました。やっぱり鉄舟サロンは違う! 何が違うかって、そりゃ日ごろの行いですよ、私の(^_^)。

 バスに乗り水元公園へ。ここへは初めてきましたが、広い!そして、よく整備されていて気持ちがよい!とてもいいところでした。
 春の木々草花を愛でながらトボトボと歩きます。かわせみを撮っているオッチャンをつかまえてチヤホヤしたり、あれは何の花だ、いや違うと、しょっぱなからハイテンションでした。
 桜も我々の到着を待ってくれていたかのようにきれいな花を残してくれていて、抜けるような青空とともにお花見を思い切り堪能しました。一列にズラッと並ぶ桜は壮観で、しかもいろんな種類が植わっており、桃色に白にととてもキレイでした。
060409_02.JPG
 それにしても広い!かなりバテました。5年分歩いたとおっしゃっていた方がいらっしゃいましたが、ホント冗談でなく歩いたよ!
 でも、これだけ広大な空間は、時間をゆっくりと流れさせますね。久しぶりにのんびりした気分になりました。こういう時間は必要ですよ。芝に寝っ転がって本でも読みたいですね。
 しばらく歩いていると、網で何かをとっている子どもの姿が目に入りました。泥んこになって何かをとっています。久しぶりに泥のにおいをかぎました。なんだかすごく懐かしく、子どものころ必死になって遊んでいた田舎を思い出しました。味覚とか嗅覚とかの器官は人間の脳の古い部分、つまり感情を生じさせる部分に直接入力されるそうです。しばし自分の中で懐かしさを楽しみました。子供が泥んこになって遊べる環境があるってすごくいいことだと思います。もっと親に怒られるぐらい泥んこになれよ、子どもたち!
 やがて湖のような川べりに出てきました。釣りをしている人、シートを敷いてのんびりする人、何とものどかな光景です。ああ、日本人は水辺の民なんだなぁとしみじみ感じました。司馬遼太郎さんもそんなことを書かれていたと思います。チョット「街道をゆく」的気分に浸りました。

 休憩所で少し休憩の後、公園横にある「香取神社」へ。
 余談ですが、水元公園の周りには「熊野神社」「日枝神社」「香取神社」と、そうそうたる名前の神社が何故か隣接しています。きっと何かあるのではないかと思います。治水的なことでしょうか。詳しい方、お教えください。
060409_03.JPG
 雑談はともかく、香取神社へ。ここで元神主でいらっしゃったKさんの神社参拝のレクチャーが始まりました。お清めから始まって、境内の真ん中を踏んではいけないということなど、神様に対していろいろな礼儀作法があり、「ほぉ〜」と感心してしまいました。特にKさんの参拝の型といったら、カッコイイの何の!キチンと修行されている方は違うなぁと、感じ入りました。マイッタ!
 日本人は大事な何かを忘れてますね。神社の参拝の作法にしても、キチンと「型」があり、それが伝統的に受け継がれてきていたのに、我々はそれができない。誠に残念に思います。でも、鉄舟サロンのお陰でこういうことを学ぶことができる。その幸せに感謝です。ありがとうございました。
 またまた余談ですが、今の若者はこの「型」ができないから、全体にだらしなく見えるんじゃないかと思うのです。私は「型」ってすごく大事じゃないかと思っています。だから道端でしゃがんだり電車で床に座ったりしちゃうんじゃないですかねぇ。その「型」が「所作」になって日常の身のこなし、振る舞いに出るんじゃないかと思いました。自由だ個性だと言う前に、そういうことを教えるべきではないでしょうか。

060409_04.JPG
閑話休題。
 その後、しばられ地蔵尊にお参りをしました。しばられ地蔵さんは縁結びに霊験あらたかだそうな。縁をしばるというか、結ぶからだそうです。もちろん願かけてきました。
 お参りをすませ、剪画ギャラリーにて剪画を見学後、金町駅まで戻り、懇親会。
 一杯のビールがこたえられませんでした。ウマカッタ!

というような道中でした。笑いあり、涙なし、ウンチクとガンチクはあり、てな感じでした。今回も大変勉強になりました。また、広大な緑に包まれて、久しぶりにのんびりした気分を味わいました。転地療養とでもいいますか、適度な身体の疲れとは逆に、心が軽くなったような気がします。
 皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございました!

田中達也・記

投稿者 lefthand : 11:33 | コメント (1)

2006年03月16日

3月例会参加記

鉄舟サロン3月の例会参加記
今回は必殺の剣法を数理的に解析するというアインシュタインもベロひっこめる脳のトレーニングだった!の巻


久々に晴れわたった東京地方。春近しということで私はコートを脱ぎ捨てて鉄舟サロン例会に出かけました。


今回の発表その1は北川氏による「必勝の剣法」を数理的に立証するというものでした。
お話の概略は、柳生新陰流の活人剣(かつにんけん)は、相手が斬り込んでくるとそれをとばしてさらに相手を斬ることのできる「普遍的な必殺技の原理」である、ということを北川氏が柳生新陰流の道統・柳生延春氏より聞くにあたり、それを数理的に証明することを試み、見事計算式が成り立った、というのです。
どうですか。聞いて分かりますか?「簡単なんですよアッハッハ」と北川氏はいとも簡単に解説されましたが、正直半分も飲み込めませんでした。ヒジョーにクヤシー!でした。このリクツを解くキーワードは「ユークリッド空間」「オイラーのe(ウー)」であり、これらのリクツは相対性理論および量子力学の分野なのでした。マイッタ!不戦敗でした。
北川氏は私がすぐに飲み込めないであろうことを百も承知で、詳細なレジュメを持参してくださっていました。絶対理解してやる!と心に決め、今日はこのくらいでカンベンしてあげようと思いました。


そして、山本先生の発表。鉄舟が生きた時代はどんな時代であったのか。これを理解せずして鉄舟を語ることはできない、ということでした。
日本人は、欧米へ劣等感的な感情を抱いている人が多いという事実があります。そして、この意識の源流はペリーの来航時に形成されたもの、もっと言えばペリーの外交政策として日本人に植え付けたものであるとのこと。私は外国嫌いですが、その本質は外国人嫌いなのだと思います。その原因として、劣等感的感情を根底に持っているのだと思います。
今回の山本先生の発表で心に残ったことは次のことでした。
外人に対する劣等感的意識は、感情の問題であるから当然各人の内なる問題であり、日本が欧米に比して劣る事実があって発生したものではないということが大事なのである。実際に欧米を訪問してみれば、モノやサービスなど、日本が劣るところなどない、むしろ優れているところさえ多い。要は自分で自分に勝手にレッテル貼って苦手意識を勝手に創り出しているに過ぎないということなのだ。それに気づき、変化していくことが自分を幸せにすることにつながるのだ。
いつもながら勉強になります、ハイ。

photo_06031501.JPG
懇親会風景。
勉強、懇親と忙しくも楽しい会でした。

投稿者 lefthand : 00:26 | コメント (0)

2006年01月06日

サロンメンバーの増谷さんの記事紹介

「荒川の人」に増谷秀竹さんが紹介される

ご紹介が遅くなりましたが、荒川区のタウン情報誌「ほっとタウン」に鉄舟サロンのメンバーの増谷さんが登場しました。(平成17年11月1日発行)
増谷さんには、芭蕉を歩く会と一緒になって、千住を案内していただいたり、増谷さんの
描いた墨絵で、徳川慶喜が江戸を去るときを描いた絵をサロンで紹介していただいたりしました。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~acc/hito/hito/181masutanisyuchiku.html

増谷さんは書画家ですが、荒川の福祉ボランティアを初めて15年というキャリアをお持ちの方です。
●墨絵や書道を指導するかたわら、日本文化を研究するサークル「和の会」や「松尾芭蕉を歩く会」などで活動
●浅草生まれ、5歳から習字を絵を学ぶ
書道家の先生が障害をお持ちだったことから、障害のある方々に書画を教えることで、自分の能力を地域ボランティアに生かす活動をされている。
●日本の歴史、地域の古い文化を研究するのが好き。
荒川区は千住をはじめ、名所、旧跡が沢山ある歴史・文化の宝庫の町
それを知って欲しいと街を歩いては、墨絵に表現している。
●荒川区は全国でも有数のお年寄りや障害のある方に優しい町
下町って皆が支えあって生きるという人情に厚い気質がある。
●夢は、荒川区にバリアフリーの美術館を造ること。
障害のある方も健常者も協力して、芸術活動をしたり、発表する美術館を夢見ている。

投稿者 Master : 13:38 | コメント (0)

2005年08月04日

鉄舟忌奉納古伝武術演武会開かれる

平成17年7月23日(土)、静岡・山岡鉄舟会では、山岡鉄舟忌・奉納古伝武術演武会を催行いたしました。
会場の静岡市・不二見公民館多目的ホールは満員御礼の200人以上の人が集まり、目前にて演武される古伝武術に興奮と感動の時を過ごしました。

「日本の伝統武術である古武術は、日本人が育んできた文化の結晶である」と主張するとおり、無刀流、天真正伝香取神道流、神道夢想流、一心流、水鷗流居合剣法の各流派が一堂に会し、その流派の極意を会得された師範から鋭く華麗な演武が公開されました。

演武会後、鉄舟寺において鉄舟忌法要も行われまして、鉄舟を慕う多くのファンが回向いたしました。
なお、鉄舟・21・サロンからは山本紀久雄氏が代表して参加いたしました。

投稿者 Master : 11:41 | コメント (0)

2005年06月20日

安養寺での山岡鉄舟大居士毎歳忌のご報告

サロンのメンバーで金沢在住の北條直敬氏より、情報が寄せられましたのでご案内いたします。

本日(19日)富山県氷見市上泉の安養寺で山岡鉄舟大居士毎歳忌がございました。
臨済宗国泰寺管長 澤 大道 老師の導師で荘厳な法要でした。
国泰寺妙音会(虚無僧)の方々の尺八の法竹や池坊流献華式に始まり無双直伝英信流居合の奉納まで実に鉄舟忌らしく良かったです。
ご存知のように安養寺は本当に小さな禅寺で鉄舟さんの持佛(円空佛)を安置してございます。毎年6月の第3日曜に行われています。

研究会の圓佛公衛さんもいらっしゃいまして昨年の高山研究旅行以来の再会でつもる話で盛り上がり楽しかったです。

投稿者 Master : 11:54 | コメント (0)