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2005年08月21日

山岡鉄舟と清水次郎長を高橋敏氏が講演

好評にて、第二弾のご案内を申し上げます。
第二回山岡鉄舟全国フォーラム2005は、歴史学者の高橋敏氏をお招きして、開催いたします。
歴史というものには、裏表があり、敗者の歴史は表舞台の正史から葬られてしまいがちです。この裏の歴史の稗史を掘り起し、正しい評価を加えてこそ、本当の歴史となるものです。
国立歴史民俗博物館の名誉教授である高橋敏氏は、この稗史に注目し、ご自分の足で歩いて、探し出し、今まで知られていない資料を発掘し、次々と近世、近代史の知られざる側面を発表されてきた方です。
今回の講演は、「山岡鉄舟と清水次郎長」をテーマに講演いただきます。

山岡鉄舟と清水次郎長との出会いには2説あると高橋敏氏は書かれています。
1)単身駿府に来た鉄舟が、薩?峠まで来たところで官軍の銃撃を受け、望嶽亭に隠れ
た鉄舟を、清水次郎長が助けて道案内をしたという説。
2)咸臨丸事件と幕府軍の戦死者の死骸を埋葬、供養した清水次郎長を、「そのようなことをするのはけしからん」と詰問する山岡鉄舟に、「敵も味方も死んだ後は同じ仏」という次郎長の返答に打たれた鉄舟が清水次郎長のよき理解者となったという説。

高橋敏氏は「清水次郎長と幕末維新―『東海遊侠伝』の世界―」や「博徒の幕末維新」等をお書きになっています。
その研究から講演していただく、「山岡鉄舟と清水次郎長」には、どのような歴史に現れていない事実が隠されているか、講演が待たれます。

*もう一人の講師は、お馴染み山岡鉄舟研究家の山本紀久雄氏です。今回も現場からの報告がなされることでしょう。そして常に今の時代との接点を見出して、鉄舟の生きた時代の鉄舟の考えを、今に見事に生かして紹介してくれることでしょう。

*また、今回特別ゲストとして、英国人「フェリックス・ベアト」が残した愛宕山から
一望した幕末の江戸パノラマ写真について研究しNHK放送博物館にて解説されていた
小川福太郎氏に登場いただき、まだ誰にも知られていないベアト写真の秘密を発表いただきますので、ご期待ください。

日時:平成17年9月11日(日) 13:00~16:00
会場:学士会館 (千代田区神田錦町3-28  03-3292-5936)
最寄駅:東京メトロ半蔵門線・都営三田線・都営新宿線神保町駅
A9番出口より徒歩1分
参加費:2500円
講師:高橋 敏氏 国立歴史民俗博物館名誉教授
山本 紀久雄氏 山岡鉄舟研究家
小川 福太郎氏 元NHK放送博物館館員

尚、当日会場にて、「清水次郎長と幕末維新―『東海遊侠伝』の世界―」を販売いたします。
(但し20冊限定)
スケジュール
13:00~13:10 開会の挨拶
13:10~14:30 高橋敏氏講演 並びに質疑応答
14:40~15:55 山本紀久雄氏・小川福太郎氏講演 並びに質疑応答
15:55~16:00 閉会の挨拶
ご参加をお待ちしています。
お申し込みはトップページの例会参加申込みからお願いいたします。

投稿者 Master : 18:59 | コメント (0)

2005年08月04日

「鉄舟の臨機応変」を山本さんが語る 7月例会(2)

3.山本さん発表 7月の鉄舟研究「臨機応変」

望嶽亭の松永さだよさんと先代の年齢の関係を語る山本さん

山崎さんの講演を拝聴し、シャンソンを通して生涯学習として、自己実現をしているのが素晴らしいと思った。自己実現とは、生きている限り、人の役に立つか、自分の役に立つか、ということである。

今日は、内閣府主宰の「高齢社会研究セミナー」でパネリストとして参加した。
参加したのはNPO法人でリーダーたちが多い。基調講演は自己実現のお話しをされている、生涯学習の専門家である一橋大学名誉教授の江見康一さんで、81歳で東京から赤穂まで自転車で完走した事例で感動した。
私は日本を外国人がどう見ているか、という「日本を見る目」ということをお話をした 世界中の家で、ほとんどの家に日本製品がある。外国人は、日本製品を使っている・日本のアニメを知っている・日本の車「トヨタ」の性能が良いことを知っている・日本食レストランを知っている。日本の実績を評価している。
マンガ、アニメ、絵本を「Cool Japan」と言って日本のクール(かっこいい)文化だと外人は言っている。
しかし、何故に日本がそのような素晴らしい評価を受けているか、その日本の思想的背景は新渡戸稲造の「武士道」で理解しようとしているのが現実である。新渡戸稲造の「武士道」は、日本人の道徳観念を言葉にしたもの、と理解している。
実際の武士道を体現しているのは山岡鉄舟である。ですから、この実態を世界に知らせることが私の自己実現と思っている。

1)海舟と西郷の江戸無血開城会見の場所
3月5日に慶喜から指示を受け、海舟と会った鉄舟は6日に江戸を出発した。しかし、駿府に到着するまでの7・8日は空白の2日間と言われている。9日は駿府で西郷と会っている。望嶽亭の言い伝えでは、7日夜半に薩?峠(さったとうげ)という険しい峠で、官軍に追われて望嶽亭に助けを求めて入ったと言われている。

望嶽亭第23代当主夫人の松永さだよ氏にお会いしてお話しを伺った。
鉄舟が望嶽亭に入ったのはさだよさんの曽祖父に当たる3代前のこと。3代前女将の「かく」さんが鉄舟に直接会い、官軍との対応を現場で行っている。そのとき「かく」さんは33歳で、75歳でご逝去されたが、孫嫁に当たる22代孝一の嫁である「その」さんがお嫁に来たのは、「かく」さんが73歳のとき、つまり、「その」さんは鉄舟と直接会い、官軍と対応した「かく」さんからダイレクトに経緯を聞いているのである。
そのダイレクトに経緯を聞いた「その」さんの息子の宝蔵さんの嫁が「さだよ」さんで、「その」さんから直接話を聞いているのであるから、随分昔のことであるようだが、実際は「かく」さんの話を一人入っただけで現在の「さだよ」さんに伝わっているのである。

女将かく(73歳)— その(55歳)— さだよ(19歳)

「さだよ」さんが19歳で嫁した際に、義母の「その」さんから聞いた話であるから、遠い昔の話ではなく、ほんの少し前のことであるのに聞いてみて驚いた。
話を整理してみて、これは本物と思った次第である。

3月14日に江戸無血開城が決まった石碑がJR田町駅近くにある。その前日の3月
13日に下交渉したが、それがどこの薩摩屋敷であるか諸説あり、よくわかっていない。
南條範夫  山岡鉄舟   高輪南町 薩摩中屋敷(現在の品川ホテルパシフィック)
子母沢寛  勝海舟    高輪南町 薩摩下屋敷
佐藤 寛  山岡鉄舟   高輪   薩摩屋敷
大森曹玄  山岡鉄舟   高輪   薩摩下屋敷
松浦 玲  勝海舟    高輪南町 薩摩下屋敷
             三田   薩摩上屋敷・・・二説あり
             (現在のセレスティンホテル)
石井 孝  勝海舟    高輪   薩摩藩邸
神渡良平  春風を斬る  高輪   薩摩屋敷

2)会見が終わって愛宕山に上ったという説を採ると、
愛宕山の近くであれば上屋敷になる

3)海舟と西郷の二人は愛宕山に上って何を語り合ったか推測しなければならない。
このときは立場が逆転した。以前、大坂で薩摩の西郷は第一次長州征伐の際に、幕府の中枢の人間である海舟に時の情勢分析について教えを仰ぐために海舟の宿泊先を訪問したのである。その際、海舟は「攻めても仕方ない。日本は未曾有の局面に対応している。幕府は将軍職を天皇に返上し、一大名になるべきだ」と言った。これに西郷はビックリして圧倒された。幕府内の人間がこのような考えを持っていることを始めて知り「海舟は素晴らしい人物」と大久保利通に手紙を書いていて、深く海舟に時流を学んだのである。
海舟が世界観の違いを見せたからだ。しかし今度は、海舟が薩摩屋敷まで訪れた。

4)愛宕山から見下ろした江戸景観と現代の東京景観
現代の和歌山市の事例
和歌山市は87メートルの高層ビルを、今年の春に和歌山城のすぐ近くに建て、景観を壊している。今でもこのようなゼネコン主導の開発があることに驚いている。
江戸の景観については、イギリス人写真家フェリックス・ベアトは当時の建物を記録している。(レンズを開けっ放し・・・人物が動いたら写らないので、建物しか写っていない・・・ が、良く見ると5人が写って同じ方向を見ている。なぜか。)この件については、9月11日の全国フォーラムで小川さんより解説がある。

愛宕山は海抜26メートル。愛宕山・飛鳥山の2つが高かった。北と南の名所であった。今は乱脈な景観になっている。
(参考)『持続可能な都市—欧米の試みから何を学ぶか—』福川裕一・矢作弘・岡部明子著 岩波書店

5)上野寛永寺大慈院の一室で慶喜から指示を受けた鉄舟はどのような行動を採ったか・・・常識的な行動と非常識的な回答
常識的な行動とは、海舟は当時の首相に当たる人であり、訪ねて見解を請うのは当たり前である。鉄舟はそれまで政治面は全くタッチしていなかったので。
しかし、海舟が「どうやって駿府まで行くのか」という問いに対して、鉄舟の「臨機応変にやるは胸中にあり」というのは並の人では言えなく、これは非常識な回答である。

6)後日、海舟が鉄舟を評した内容
鉄舟の臨機応変について「これが本当、他人がしたならチャンと前から計画する。そんなことなら鳥の網にはいるようなもの。計画なくして、計画ができている、真に臨機応変」
これは、先は分からない=計画は立たない、すべて予測できない時は計画できない。
ここで現代のトヨタと尊徳を比較して話す人が多く、私もそのようにしているが、両者に共通しているのはデータの蓄積を大事にして、それから計画をつくることである。
鉄舟の場合は違う。データがないままに駿府に向かったのである。すべて予測することは不可能 予測(計画)と現実との乖離が魅力であり、これを乗り超えていくことをロマンというが、そのためには日常の修行が必要であるので、一般的には常識的にデータを取り揃えて行動することである。しかし、データなきままに直感的に行動しうまく行かない理由を後で整理する人が殆どである。
鉄舟の行動は並大抵の人にはできないという事実、だから、普通の我々は一般セオリーに基づくデータ重視を心がけたい。

●事務局の感想
無血開城は、まさに鉄舟の「臨機応変」がなければ成り立たなかった。これは鉄舟が並みの人ではなかったということです。
毎回現場からの報告は、臨場感があり、新しい発見があります。9月11日の全国大会での発表が期待されます。

投稿者 Master : 17:23 | コメント (0)

シャンソンの魅力を山崎さんが語る 7月例会(1)

●7月の例会記録をご案内いたします。
発表者:山崎さん、山本さん、事務局

1.事務局より
1)「ぬりえ文化」出版記念講演と3周年記念パーティの開催のご案内
8月26日(金)18:00〜21:00、ホテルニューオータニ インターナショナルレストラン 「ガンシップ」において、開催いたします。 出欠の連絡のお願いいたします。

2)第二回山岡鉄舟全国フォーラム(全国大会)
9月11日(日)学士会館(前回と同じ会場)にて開催
小川福太郎氏にゲストスピーカーとして来ていただき、フェリックス・ベアトの写真の秘密を発表いただく。ご期待願いたい。


2.山崎さん発表「シャンソンと私」
 
楽しそうにシャンソンについて語る山崎さん
1)はじめに
今日お話しすることは、普遍的とは言えない私のおしゃべりの世界であることをお断りしておきたい。また、日本人として日本語訳詩で歌うということを大事に考えている。シャンソンは歌詞が命であり、それをお伝えしたいから・・・。

2)音楽との出会い、中断、再開
少女時代から歌は大好きだった。私の子守唄は父の「赤城の子守唄」や「なにわ節」だったが、小さい時から、音楽は何でも好きだった。
中学2年生の時、地元でのNHKのど自慢で「帰れソレント」を歌い、鐘が2つ鳴った。それで自分でもますます歌うのが好きになった。いつも歌っていて周りの人にもよく褒められていた。
高校は工業高校の化学科に進学し、ここでは歌うことが少ない寂しい音楽時代だったと思う。
大学入学後から、女性合唱団、聖歌隊、労音合唱団に加わり、大曲を歌ったり、毎日が歌うことに染まっていた。
その後、出産・育児で合唱団も辞め、歌うことを15〜16年間中断したが、その間は、ラブソングや童謡を子守唄として歌っていた。
やがてカラオケで歌うようになり、数年後には、「大人のためのシャンソン・カンツォーネ教室」で本格的に歌う生活に復帰。

3.シャンソンとの出会いとその後
青春時代、当時は芦野宏、高英男、越地吹雪、岸洋子、ほかシャンソン全盛時代で「銀パリ」もあった。何よりシャンソンを日本に普及させたは石井好子の活躍が欠かせない。その当時設立された日本シャンソン協会は今も続いている。
私のシャンソンとの初めての出会いは学生時代で、友人に教わりながらシャンソンをデュエットで歌ったことである。
長い中断の時期を経て、1988年から舞台芸術学院シャンソン・カンツォーネ教室に入学した。歌い上げることの多いカンツォーネは、学生時代にクラッシックの世界にいたので馴染みやすかったが、シャンソンは、語りの歌なので、私には非常に難しかった。今やっと、語れるようになってきたかな、というところである。
1994年ソロやジョイントコンサート活動スタート
1998年からは毎月のシャンソニエのライブに出演しはじめ、現在に至る。
その他、カウンセラーとしてDVシェルター運営にも関わっている関係から、DV被害者支援のためのチャリティソロコンサートを毎年1回行っている。
    
4.シャンソンの魅力
シャンソンは通説「人生を語る"3分芝居"」と言われ、物語性(人生の様々な況と心の機微を表現)がある。
歌い継がれた長い伝統(時代を語り継ぐ歌、古い歌〜新しい歌)がある。ちなみに有名な「さくらんぼの実のなる頃」は1866年に作られた詩。1871年のパリコミューンの戦いで、ルイーズという看護婦がさくらんぼを持って傷ついた兵を見舞い、そのまま戦場に残って看護しつづけ、彼女自身も戦火に倒れるという出来事があった。その彼女に捧げる詩歌が付け加えられ、やがて歌われるようになったと言われ、今では一番古いシャンソンであるとされている。
これまで、シャンソンの魅力とは何か、と改めて考えてみたことはなかったが、今日のために悩み、考えた結果、キーワードは「多様性」ではないかと気付いた。

テーマ・・・・愛、失恋、再会、戦争、夢・希望、挫折、平和、不倫、浮気、戦争、平和、殺人、死、生きる、自然、望郷、旅  など
登場人物・・男、女、老人、若者、子ども、兵士、夫婦、娼婦、死人、ピエロ、歌うたい、音楽師、農夫、泥棒、詩人、浮浪者  など
登場場所・・フランス以外の国々も舞台(アメリカ、イタリア、ロシアなど)
森、空、海、川、大地、酒場、ホテル、牢獄、戦場、街・雑踏、別荘、橋の下、村、ダムなど
リズム・・・・ワルツ(ジャバ=三拍子が原型)、タンゴ、ボサノバ、サンバ、ブルース、ポップス、バラード、語り など 
歌唱法・・・・スローテンポからビートアップまで、囁きから絶叫まで など
シャンソンアーティスト・・・・多国籍(多民族)である。それぞれの国・民族の文化とシャンソンが生まれたパリを中心としたフランス文化が交じり合い、より陰陽のある深く豊かな世界が形成されているのだと思う。

5.おわりに
歌は愛、わたしの人生のキーワードも"愛"である。
しかし、例えば同じように男女の愛を歌っていても、シャンソンは演歌と違うある種のクールな目、客観性を持っているように感じる。
私にとって、歌うことは自分を生きること(自分と向き合うこと)だと思っている。例えばコンサートなどの選曲では、自分の好きな曲、伝えたい思いが含まれているものなどから選らぶが、そこには自分の価値観や思想性なども含めて自分が現われる。
コンサートアンケートの中に「お客様は歌を聴きながら、それぞれ哲学をしていらっしゃるのだと思う」というコメントがあった。
シャンソンは歌詞が命。だから詞を大事にして、自分なりに思いをこめて歌い、語るときに、お客様も自分の人生になぞらえて聴き、解釈なさっているのだろう。
これからも歌えることに感謝しながら、お客様に喜んで頂けるよう、精進し歌い続けて行きたい。

●事務局の感想
山崎さんにとってのシャンソンを伺うことにより、山崎さんが考えるシャンソンの魅力は多様性であることを知り、多様性があるから深みがあり、より多くの人を魅了していくことが理解できました。歌い手の想いや表現、そして歌われる歌詞を感じながら聴くことは聴き手の人生を豊かにするものだと感じました。

投稿者 Master : 17:11 | コメント (0)

国立歴史民俗博物館を見学

9月11日は国立歴史民俗博物館、名誉教授「高橋敏」氏をお迎えし山岡鉄舟全国フォーラムを開催いたしますが、その噂に高い国立歴史民俗博物館を見学してまいりました。

国立歴史民俗博物館前にて、山本紀久雄氏と金子代表

国立歴史民俗博物館は千葉県佐倉市に所在します。佐倉は江戸時代初めに、土井利勝によって城が築かれ、幕末において安政の通商条約を結んだときの老中首座である堀田正睦を出した名門譜代大名であって、その城内跡に国立歴史民俗博物館があります。

日本を知る上で、その規模といい、内容の正確さといい、外国人からも高い評価を受けていて、国内歴史研究家の間では、日本歴史の最高裁判所といわれるほどの高いレベルにあります。

館内展示は第一展示室から第五展示室まであり、企画展も随時行われています。

日本の歴史に関心ある方は一見の価値ある素晴らしい博物館です。また、周りの自然環境にも恵まれていますので、鉄舟・21・サロンで来年当たりに見学会を行いたいと思っています。
その際は皆様のご参加をお待ちしております。

投稿者 Master : 11:50 | コメント (0)

鉄舟忌奉納古伝武術演武会開かれる

平成17年7月23日(土)、静岡・山岡鉄舟会では、山岡鉄舟忌・奉納古伝武術演武会を催行いたしました。
会場の静岡市・不二見公民館多目的ホールは満員御礼の200人以上の人が集まり、目前にて演武される古伝武術に興奮と感動の時を過ごしました。

「日本の伝統武術である古武術は、日本人が育んできた文化の結晶である」と主張するとおり、無刀流、天真正伝香取神道流、神道夢想流、一心流、水鷗流居合剣法の各流派が一堂に会し、その流派の極意を会得された師範から鋭く華麗な演武が公開されました。

演武会後、鉄舟寺において鉄舟忌法要も行われまして、鉄舟を慕う多くのファンが回向いたしました。
なお、鉄舟・21・サロンからは山本紀久雄氏が代表して参加いたしました。

投稿者 Master : 11:41 | コメント (0)