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2008年10月16日
10月例会の感想
秋も深まってまいりました。とてもよい季節です。
そんな上機嫌のある秋の日、鉄舟会・例会が行われました。
今回も初参加の方がお見えになりました。
鉄舟に並々ならぬ情熱を燃やしておいでのご様子。
いろいろお話をお聞きできそうで、とても楽しみです。
末永いお付き合いを、是非お願い申し上げます。
今月は、童謡合唱の面倒を見ていただいている高橋育郎先生の、音楽事始第3回でした。
西洋音楽は、学校唱歌として明治期に導入されました。
しかし、最初はなかなか日本人に馴染まず、試行錯誤があったといいます。
最初の唱歌は、賛美歌であったそうです。しかし、賛美歌であることを表には出せず、日本に馴染む歌詞をつけてカモフラージュしつつ、普及を図ったのだそうです。
物事の黎明期には、私たちの想像を絶する苦労と努力があったことが窺われたお話でした。
続いて、山本紀久雄氏の鉄舟研究です。
今回、山本氏はイギリスで開催されている「山岡鉄舟展」を取材されました。その様子は『ロンドンで鉄舟に出会う』エントリーにありますので、是非ご覧ください。
さて、清河八郎です。
清河は、浪士組結成の建白を幕府に提案しました。これは、とても絶妙なタイミングで行われたのです。機を見て策を練り上げる清河の時代編集能力は素晴らしいものでした。
改革には、それを導く指導者が必要です。
それも、改革を思想的に導く「提案者」、そして、改革を実行に導く「実行者」の2つの要素を強力に推進するリーダーが、それぞれに必要であるのです。
それが、浪士組においては清河であり、鉄舟であったのです。
時代はその場面場面で人材を要求し、それに適う振る舞いをした人物が登場したとき、歴史の歯車は大きく動くことを、この時代の偉人たちのエピソードから実感することができます。
幕府は清河の提案を容れて浪士組を結成しました。
浪士組の最初の任務は、京都に向かうことでした。
その浪士組の実質的なリーダーが、鉄舟だったのです。
京都での浪士組の顛末は、次回をお楽しみに。
(田中達也・記)
投稿者 lefthand : 2008年10月16日 22:58