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2012年03月24日

2012年4月例会のご案内

2月に引き続き「鉄舟は明治天皇に何を教育したか・・・その二」をテーマに発表いたします
  
開催日 2012年4月18日(水)
場所  東京文化会館第一中会議室
時間  18:30から20:00
   発表者 山本紀久雄
テーマ 鉄舟は明治天皇に何を教育したか・・・その二

司馬遼太郎氏は天皇という存在や制度について、極力ふれないというのが方針ですが、山崎正和氏との対談では明治天皇をテーマに取り上げ、その中で鉄舟についても語っています。(司馬遼太郎対話選集4 近代化の相克)

「あの人(明治天皇)の好きな人は、山岡鉄舟、元田永孚、西郷隆盛、乃木希(まれ)典(すけ)で、きらいなのは山県有朋、黒田清隆です。要するに男性的な人物が好きだったようですね」

また、別の講演の中でも次のように語っています。

「山岡鉄舟はミスター幕臣といってよい存在でした。非常に立派な人で、侍の鑑というような感じだった。たいへん自律的な、自分を完全にコントロールできた精神の人です」

 さすがに司馬遼太郎の鉄舟像は正鵠を射ています。

明治天皇と鉄舟の縁は、明治五年(1872)六月に侍従となったことからはじまり「天皇は、多くの賢臣から薫陶を受けている。しかし、統治や統帥、知性や教養の全体を覆うバックボーンは、西郷隆盛や、その推輓(すいばん)で侍従となった幕臣、山岡鉄舟の存在に負うところが多いのではないか」(山内昌之東京大学教授)といわれるように、明治天皇に対する貢献は大きいと思われますが、それを具体的かつ客観的に解説することはかなり難しいのが実態です。

つぶさに今まで世に出ている鉄舟関連諸資料を検討しても、明治天皇の輝かしい名声に見合う業績に、鉄舟が具体的に関与していたという証拠になるものは少なく、伝説的な逸話が殆どです。

また、2012年2月1日、NHKで放映された「歴史秘話ヒストリア」でも、天皇と相撲をとったことと、アンパンを献上した件が「明治天皇教育」のエピソードとして紹介されていましたが、これで明治天皇への貢献が十分説明できたのか、疑問が残るところです。

したがって、これから例会で検討展開していく「明治天皇業績への貢献」に関与する鉄舟研究内容は、今までの鉄舟研究者の誰もが取り上げていない難しいことへの挑戦であり、それだけに研究アプローチ方法を妥当に採らねばならないと思っております。

そこで、まずは例会でどのような「研究アプローチ」を採ればよいのか、というところからお話申しあげてから、そのストーリーに基づき何回かに分けて研究結果を申し上げたいと思っております。

正に、鉄舟研究のハイライトというべき正念場に至ったわけで、この壁を超えないと鉄舟の素晴らしさを世に広くにお伝えできないと覚悟してります。

2012年5月例会のご案内
  
開催日 2012年5月16日(水)
場所  東京文化会館第二中会議室
時間  18:30から20:00
発表者 山本紀久雄
テーマ 鉄舟は明治天皇に何を教育したか・・・その三
 
 引き続いて「鉄舟は明治天皇に何を教育したか」を考察いたします。


投稿者 Master : 12:02 | コメント (0)

2012年3月例会開催結果

3月例会開催結果についてご案内申し上げます。
    
3月17日(土)18日(日)二日間の特別合宿例会は、16名のご参加で、新潟県阿賀野市出湯(でゆ)温泉の川上貞雄氏邸にて開催いたしました。

17日14時30分新潟駅に集合。川上貞雄氏のお出迎えを頂き、小雨の中、宿泊する清廣館のバスにて瓢湖に向かいました。瓢湖は寛永年間につくられた用水池で、周囲わずか千二百三十メートルの小さな池ですが、昭和二十五年一月突然シベリヤより白鳥が渡来し始め、その後毎年最盛期には五千余羽がここで冬を越します。この日は白鳥737羽で、他に鴨がたくさんいました。

 
出湯温泉に近づきますと正面に華報寺(けほうじ)が見え、その道端にはこの地で出土された石仏が此処彼処に何気なくおかれて、この出湯温泉の歴史の古さを示しています。

 さて、いよいよ川上貞雄氏邸宅の前に立ち、石門柱から向こうを見ると、

12町歩に及ぶ山麓邸宅と、山肌から清水が湧き噴き出て、邸内の池に流れ込んでいる様子、それと宿泊する「日本秘湯を守る会の清廣館」の源泉も川上邸から湧出しているように、素晴らしい自然景観に恵まれた環境下に位置していることが分かります。
さらに、川上邸の庭に面した広い座敷に入った途端、ご参加の方々から一様に「ほー」というどよめきと、「すごい」という声でいっぱいになりました。
それもそのはずで、中心に鉄舟・海舟・西郷書があり、さらに伊藤博文・山県有朋・前原一誠・土方歳三など、名前を挙げればキリがありませんが、かつて温泉名主旅籠であった同家で温泉療養した際に、書き残したものと言われております書が、骨董美術小物と調和をもって見事に美しく配置され、展示されていたからです。

 
中でも圧巻は、佐久間象山の直筆長文書翰でした。吉田松陰の海外渡航事件について象山が安政元年(1854)に細書したもので、川上氏から解説を頂きました。



佐久間象山とは、ドナルド・キーン氏が「晩年の明治天皇が示した態度を分析すると、幕末時代に佐久間象山が唱えた『東洋の道徳と西洋の科学の結合』が特徴づけられる」と判じているように、侍読の元田永孚(えいふ)(注 ながざねともいう)によって明治天皇に象山思想が深く関わっていますので、この点について4月例会で解説申し上げたいと思っています。
遠く寒い新潟県山間部での開催でしたが、地元の方もご参加あり、大変盛況で活発な特別例会であったことをご報告いたします。
川上貞雄様のご協力なくして開催できなかった例会でして、川上様に厚くお礼申し上げます。また、ご参加の方々、雨と寒い中、ご参加ありがとうございました。

投稿者 Master : 11:44 | コメント (0)