« 2004年12月 | メイン | 2005年02月 »

2005年01月31日

2006年活動予定

【鉄舟・21・サロン】2006年のスケジュール(予定)です。
2006年も研究を深めていく「鉄舟・21・サロン」にしたいと考えております。2006年もご参加をお待ちしています。
●2006年 「鉄舟・21・サロン」の例会予定日
1/18、2/15、3/15、4/19、5/17、6/21、7/19、8月はお休み、9/20
10月は鉄舟in NewYork、11/15、12/20

日程講師内容
1月二見氏・山本氏例会
2月上米良氏・山本氏例会
3月北川氏例会
4月田中氏例会
剪画アート&スペース見学とお花見
(葛飾区水元公園近く)
イベント
10月鉄舟講演会とぬりえ展視察ツアー
(10/2~8予定)
鉄舟inNY

投稿者 staff : 15:46 | コメント (0)

吉村昭の彰義隊に登場する鉄舟

会員の矢澤昌敏さんからの投稿です。

吉村 昭氏の新連載小説「彰義隊」を読んで

朝日新聞夕刊に「天狗争乱」以来、11年ぶりの連載となる新連載小説「彰義
隊」は昨年10月21日より始まり、その作者である吉村 昭氏は、昭和2年
(1927年)東京・日暮里に生まれる。
自身の出身地である東京の下町が舞台だけに、臨場感ある物語が展開されそう
だ。

彰義隊は戊辰戦争時に、東京・上野の山に、新政府軍と戦って破れた旧幕臣の
部隊。
戦闘そのものは1日で終わったが、一部は北関東、東北に逃げ、更に北海道に渡った者もいた。

この連載小説の中には、我等が研究している人物・山岡鉄舟(鉄太郎)が重要
な位置付けで登場しております。

まずはその一文、第32回「寛永寺 二」にてのあらすじ、
《江戸に帰った徳川慶喜は、上野・寛永寺にこもって謹慎した。
だが、朝廷軍は江戸に向け進軍を開始。
山岡鉄舟らは、皇族の輪王寺宮に、慶喜の謝罪嘆願を受け入れてくれるよう
朝廷に働きかけてほしい、と懇願する。
宮一行は京に向かい、小田原宿に着くが、朝廷軍先発隊の態度は倣岸だった。》

また、第55回「江戸 七」にてのあらすじ、
《大総督府は、慶喜の謝罪を受け入れず、朝廷軍は江戸に迫っていた。
 勝安房守は、幕臣山岡鉄舟に駿府の大総督府へ行くよう求めた。
 慶喜恭順の真意を説明し、江戸が戦場にならないよう、改めて訴えるためだ。
 山岡は、勝のもとに幽閉されていた薩摩藩士益満休之助を伴い、東海道を下
った。》

そして、もっとも山岡鉄舟が活躍したところ第62回「江戸 十四」では、
《大総督府のおかれた駿府城においての西郷隆盛との会談:山岡の口が、動い
た。
「あくまでもこのまま兵を進めると申されるなら、それは天子様の御軍勢とは
申せません。
 天子様は、民の父であり、善悪を明らかにし、国を売ろうとする者を討ち果
たす、それが天子様の御軍勢と申すべきです。
つつしんで朝廷の御沙汰にしたがうと申している主君慶喜様に対し、寛大な
御処分がなければ、天下これより大乱となることは明らかです。
なにとぞこのことを十分にお考えいただきたい」
山岡の顔には、決死の色が濃くうかんでいた。》

この西郷隆盛との会談は、ここ一番の判断を誤れば、以後の盛衰に禍根を残す
という「切所」がある。明治維新という国家の切所に光芒のごとく現れ、江戸
を焦土から救った山岡鉄舟の捨身の行動が江戸城無血開城という大きな仕事を
し、強いては 日本を維新の混乱から救った。
「晴れてよし曇りてもよし不二(富士)の山、元の姿は変わらざりけり」と、
超越した心境の至った山岡鉄舟の研究に携われる喜びを感じざるを得ません。

以 上

多くの皆様から投稿をお待ちしております。

投稿者 Master : 11:04 | コメント (0)

1月例会記録(2) 発表者山本さん記録

2.山本さん記録
1)幕末維新の志士達、写真詐欺
日経新聞に幕末維新の志士達の陶板写真の販売の広告が掲載されているが、これは以前にもお話したが、詐欺なので、注意してほしい。

2)安田生命の第一号契約者は鉄舟
本を書くには、何かキッカケがないと書けない。イマジネーションと直観力が大事。
猪瀬直樹氏は、直感力で「おかしい」と思い、道路公団の多勢と戦った。
安田生命の第一号契約者は鉄舟だそうである。一号契約者に鉄舟が選ばれたという、当時の鉄舟の位置づけはどのようであったか、大事なことである。

3)靖国神社の首相参拝と今後の方向
靖国神社は、明治2年にできた。明治維新に貢献した人が祀られ、江戸幕府は入っていない。第二次大戦後、サンフランシスコ条約で負けたことを承認したことは、A、B、Cの戦争犯罪を認めたことである。そこを参拝することは、国際法違反になるのではないかと
いうことで、いまA級戦犯を別のところに移すことが動いている。この問題も2~3年で解決するだろう。

4)田中淳一氏の「清水次郎長の次郎長開墾の歩み」出版
昨年の全国フォーラムに参加した 田中淳一氏が、「清水次郎長の次郎長開墾の歩み」を出版された。本を回覧。

5)東海遊侠伝は鉄舟が仕掛け人
浪曲などで有名な清水の次郎長の話は、「東海遊侠伝」に書かれている。それは鉄舟が仕掛け人なのである。詳細は、資料「鉄舟研究」を参照願います。

●事務局の感想
写真詐欺から靖国問題、現代の問題を解説しながら、それが鉄舟と結びついているという山本さんの講演が人気で鉄舟サロンも1月から大盛況でした。鉄舟ファンの中には、田中淳一氏のように個人で研究を続けている方がいます。その方に参加していておただいているということは大変嬉しいことだと思っています。
今月もHPに様々な問い合わせをいただいています。これもサロンが毎月例会を開催しまじめに研究をして発表している成果だと思っていますので、メンバーの皆様、回答へのご協力をお願いいたします。

投稿者 Master : 10:15 | コメント (1)

2005年01月27日

1月例会記録(1) 発表者永島さん記録

発表者:永島さん、山本さん、事務局

1.事務局より
平成17年度の春のイベントのご案内
跡見学園大学(新座市)の桜と跡見学園創始者の資料見学を計画中
日程:4月2日(土)又は3日(日)を予定しています。

2.永島さんの発表 「鉄舟はどのようにして書を学んだか」
1)私と鉄舟との出会い
 平成12年の日経新聞に小川町二葉にて「鉄舟の書の展覧会開催」の記事をみて、書道を勉強しているので、鉄舟については知らなかったが、展覧会見学と講演会に参加したのが、キッカケである。

2)鉄舟、高山での7年間
弘化2年(1845)7月1日 父、たかよし高福、飛騨郡代に任命される。
同年8月24日 父と共に鉄舟(10歳)高山に到着。
富田いやひこ礼彦・節斎の日記、「公私日次記」の弘化2年8月の頃に「御手本認差上云々」と記載あり、鉄舟は高山に到着早々、節斎に師事したと思われる。
嘉永元年(1848)11月、鉄舟(13歳)は入木道五十一世岩佐一亭から「千字文」の肉筆を入手したと思われる。
これを約一ヶ月学んだ後、父が美濃半紙を与え「千字文」を清書するように命じた。鉄舟は直ちに「千字文」を書き上げた。父はその出来栄えと上達の早さに驚嘆し、翌日、これを一亭に見せたところ一亭、短期間の上達振りを賞賛した
その場に居合わせた北辰一刀流井上八郎・清虎も賞賛し励ました。清虎の高山滞在期間から鉄舟13歳の頃と推定される。清虎は高山に嘉永元年(鉄舟13歳)と嘉永四年(鉄舟16歳)の二回来高しているが、第二回目は鉄舟16歳、既に入木道に入門しており時期が遅い。やはり、第一回目(鉄舟13歳)であろう。

★ご存知の方は、ご連絡願います
「鉄舟は書に、年月日を記入したと言っているので、この「千字文」の原本をみれば、いつの頃かが分かる。この原本がどこにあるのかご存知の方は、お知らせ願いたい。」

嘉永3年(1850)3月1日、一亭は鉄舟(15歳)から「入木道書法入門之式一札」の神文書を受けて正式門人にとりたてた。
同年10月、一亭は鉄舟に入木道五十二世の伝統を伝授し、「一楽斎」の号を与えた。
嘉永5年(1852)2月27日、父、死亡。
同年7月21日、鉄舟(17歳)高山を出発、7月29日江戸へ到着。

3)書の手本
書の上達のためには、手習いと目習いが大切である、といわれているが鉄舟は中国の古典であるおうぎし王羲之(十七帖)、ち智えい永(千字文)がん顔しん真けい卿(麻姑仙壇記)等法帖の臨書、又、空海の手蹟研究を通じて書の奥義を会得した。このことは墨跡からも伺える。

4)[守]・「破」・「離」空手の段階と会い通じる
[守]・「破」・「離」を鉄舟と結び付けてみると
「守」-基本を身につける・・・一亭に学んだ頃
「破」-創意を加え殻を打ち破る・・・45歳まで。創意を加えている。
「離」-無心で自由な世界、心・技・体が一つになった心境・・・45歳以降。

鉄舟は手記「書に就いて」の中で「明治十三年三月三十日、余、剣、禅の二道に感ずるところありしより、諸法皆其揆一なるを以って、書亦其筆意を変ずるに至れり」と、述べている。時に鉄舟45歳の春、「鉄舟流」の完成に至ったのである。「離」に至るのは至難の業であるが、「守」がなければ「破」も「離」ないことを我々は学ぶべきである。
 
●事務局の感想
鉄舟サロンには、剣・禅・書の達人である鉄舟の3つの達人分野のいずれか、またはすべてに関心をもってファンになっている方々がいますが、今回は書道という面から、永島さんに発表していただきました。永島さんの書を展示しながらの発表に、書道の奥深さ、魅力を感じました。      

投稿者 Master : 09:49 | コメント (0)

2月例会のご案内

2月例会は、2月16日(水)6:30より開催いたします。
発表者は、二見さんと山本さんです。
1)二見さんからは、「武士道」について、隔月で4回に分けて発表していただきます。昨年「ラストサムライ」の映画が上映されて「武士道」が脚光を浴びました。その時以来、合気道家の二見さんが一番相応しいと発表をお願いしていました。ご期待願います。

2)山本さんからは、「東海遊侠伝の中味は清水次郎長と黒駒勝蔵の争い」と
題しまして、鉄舟と東海遊侠伝のつながりを1月に続き発表いただきます。
明治維新が二つの博徒対立に与えた勝者と敗者の対照的な理由を分析し、これに鉄舟がどのように絡んでいたかを検討いたします。2月も盛り上がる内容が予想されます。
ご参加をお待ちしております。

投稿者 Master : 09:48 | コメント (0)

2005年01月22日

「巣鴨に住んでいた徳川慶喜」

会員の森田悦功さんより以下の情報が寄せられました。

「巣鴨に住んでいた徳川慶喜」

徳川慶喜が巣鴨に移り住んだのは明治30年から明治34年までの4年間であった。
61歳から住み移ったのである。大政奉還後静岡で暮らしていたが、明治31年には皇居に参内し、明治35年には侯爵となり復権への道を歩んだ期間であった。

その住まいの巣鴨邸は、中仙道(現白山通り)に面して門があり、庭の奥は故郷水戸に因んだ梅林となっており、町の人からは「ケイキさんの梅林」と呼ばれて親しまれたという。

その後文京区小日向に移ったが、その理由は巣鴨邸の直ぐ近くを鉄道(目白−田端)の豊島線、現在の山手線であるが、これが通ることが決まり、その騒音を嫌ってのことであった。
今は巣鴨駅近くの白山通りに面して「徳川慶喜巣鴨屋敷跡」の石表示が立っている。

投稿者 Yamamoto : 14:37 | コメント (0)

2005年01月20日

17年1月


●永島さんがご自分の書を前に、熱く発表「鉄舟はどのようにして書を学んだか」を発表。

1月例会記録は、近日中にご案内いたします。

投稿者 Master : 18:14 | コメント (1)

「山岡鉄舟全国フォーラム2004」


・開催日 2004年9月12日
・講演者:跡見学園女子大学学長兼短期大学学部長 山崎一穎氏
・(株)醍醐 若杉昌敬氏、藤屋望嶽亭23代当主夫人 松永さだよ氏
●9月12日「山岡鉄舟全国フォーラム2004(鉄舟全国大会)」が学士会館にて、開催されました。晴天に恵まれ、60名の参加者が集いました。素晴らしい講師の方々の講演に会場は熱く盛り上がり、大盛会のうちに終了いたしました。

詳細はアルバムにて、近日公開いたします。

投稿者 Master : 11:41 | コメント (0)

16年秋のイベント 高山研究旅行


開催日:16年11月6日(土)~7日(日)
見学地:高山陣屋、宗猷寺、岩佐一亭宅並びに高山市内見学
▼高山駅に到着しました。
飛騨高山と言えば、高山祭りの屋台と飛騨の合掌造り。駅前で歓迎してくれました。

詳細はアルバムにて、近日公開いたします。

投稿者 Master : 11:31 | コメント (0)

16年1月 発表者:吉田氏、山本氏、事務局(金子)

■吉田さんの講演 「典座(調理・料理人)を一考する」
調理や料理人についての考えを発表いただきました。

・永平清規(しんぎ) 〜 道元禅師(1200〜1253)
「赴粥飯法(ふしょくはんほう)」 〜 食事を摂るための心得 五観の偈
「典座教訓」 〜 食事を作るための心得

・入宗 真応二年(1223)〜 六年(1227)帰国
二人の老典座(阿育王山/天童山景徳寺)との出合い
*たとえ炊事調理であっても、真心を込めて禅林で修行に励む人々のために作るならば、それは立派な禅の修行であること。煩わしい雑務と思う典座の仕事にひたすら努めるその中にこそ、禅を行う者の本務があること。
*悟りは学問の中だけにあるのではなく、実践、行の中にあることをあらためて確認する 〜 禅の真髄
*典座職より沢山の秀でた人物がでていること
*炊事・調理の仕事を高く評価し、食法一如を唱えた弁道修行にまで発展させた。 〜 典座職の地位向上となる。

■事務局・金子より「16年度計画提案」
1.会の運営に関する提案。
1)例会
毎月第三水曜日、6:30〜8:00PM、ぬりえ美術館にて開催いたします。

2)HPの公開
2月15日公開予定です。今後HPに記録を公開していきますが、講演の際には、山本さんのレジメの分量、まとめ方を参考に準備をお願いいたします。

2.その他のイベント計画
1)鉄舟・西郷隆盛対面の場ならびに茶畑見学会
 開催時期:春
 
2)「山岡鉄舟全国フォーラム2004」(鉄舟全国大会)開催
定期的に鉄舟を研究しているグループは、この鉄舟・21・サロンしかないと佐藤寛先生がおっしゃっていました。全国の鉄舟ファンに呼びかけ、全国大会を開催いたします。
開催時期:9月12日(土)又は9月19日(土)を予定

3)鉄舟ハワイツアー
開催時期:秋 10月頃 3泊5日程度
NHK「その時歴史は動いた」で登場しました鉄舟縁のアンパンの木村屋さんが、ハワイにお店を開店いたしました。これを機会にハワイの現地の人と鉄舟を研究する機会をつくることも狙ってツアーを企画いたします。今年はグローバルに海外に飛び出します。

4)参禅の会(全生庵)
鉄舟を研究していますと、鉄舟が剣、禅、書の方ですから、禅寺に行く機会が多くなります。剣、禅、書の方を研究しているのですから、禅のことを知ることで近づけ、深められるのではないでしょうか。全生庵に参禅してみましょう。

5)北千住界隈を行く
開催時期:春 5月16日(日)開催決定
江戸時代考証に詳しい会員の増谷さんとご一緒に、徳川慶喜、芭蕉ゆかりの北千住界隈を歩き、江戸時代を勉強します。

■山本さんの講演
毎月、山岡鉄舟研究家の山本紀久雄さんから、鉄舟の研究成果を例会で講演いただいております。2月からの鉄舟のHPの公開あたり、その中で、山本さんの山岡鉄舟の研究成果を掲載していくことになり、これを機会に山岡鉄舟の研究について、その方向性を改めてご案内がありました。
その方向性とは、今までにない新しい観点から鉄舟像を探り、その鉄舟像が現代とどのように関係しているのかという視点、つまり、明治維新前夜の日本と、現在の日本、それを鉄舟という人物を通して分析し、大きな変化局面を迎えていく現代を見通していきたい。という研究内容ですが、今後の成果の発表が楽しみです。                          

投稿者 Master : 10:14 | コメント (0)

2005年01月10日

写真詐欺が横行しています

皆様、幕末の志士達が勢揃いしたという写真が日経新聞に堂々と大広告を載せていま す。昨年の12月26日に「陶板額 幕末維新の志士達」として一括値段126,0 00円で販売という広告が出ました。この中の説明に「これは本物である可能性が高 いとされています」と書いてありますが、まず問題なのは西郷隆盛が映っていること です。西郷の写真は一枚も発見されていないのは常識的事実です。岩倉具視も坂本龍 馬も桂小五郎も大久保利通も勝海舟もその他合計で46人が揃うということはありえ ないことです。この写真の真実の姿についての解説を鉄舟サロン例会で解説いたしま す。皆様、騙されないようにしてください。山本紀久雄



投稿者 Yamamoto : 17:08 | コメント (1)

2005年01月06日

2005年1月鉄舟例会のご案内

1月の例会は、1月19日(水)に開催いたします。講師は、永島さんと山本さんです。
永島さんの鉄舟とのつながりは、「書」だそうです。その観点で、永島さんから発表をしていただきます。

山本さんからは、「鉄舟が残した歴史を探る」と題してまして、講演いただきます。
「鉄舟が残した歴史を探る・・・歴史には正史としての表舞台歴史があり、これを我々は学び参考にしています。しかし、世の中は正史に現れる人だけで動いたのではありません。正史に登場するのはほんのわずかな人物だけです。その背景には一般大衆を含めた大多数派の人々がいたのですが、そのことが歴史に記録として残されていないのが現実です。
ところが、その裏歴史の中でもアウトロ−としてのヤクザ世界、それを記録として残した貴重な資料があります。それは「東海遊侠伝」です。これがあったおかげで清水次郎長も大政・小政・森の石松等が今の時代に有名になっているのですが、このような今につながる裏歴史資料つくりは、我らの鉄舟が存在したから可能だったのです。そのことも含め幕末から維新にかけて表舞台と裏舞台がどのようにつながっていたか解明していきます。」

ご参加をお待ちしています。

投稿者 Master : 17:07 | コメント (0)

2005年01月05日

鉄舟の活躍

鉄舟研究会の皆様へ、 本日新しい情報を入手しました。安田火災保険の創業者は安田善次郎ですが、この善 次郎と鉄舟は昵懇でして、安田火災保険の第一号契約者として鉄舟になってもらい、 保険の普及に尽力したのです。パンの普及に協力したのと同じです。資料取り寄せま して詳しく報告します。このように明治になってからの鉄舟は社会の進化に役立って います。山本紀久雄



投稿者 Yamamoto : 15:35 | コメント (0)