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2009年02月24日

2009年2月例会報告 その1

2月の例会は、北村豊洋氏に、飛騨高山と鉄舟の思い出についてお話しいただきました。

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北村豊洋氏

来たる7月19日、鉄舟の法要会を高山で行うことが決まりましたので、高山とはどんなところか、また、高山で鉄舟はどのように想われているのだろうということを、高山で生まれ育たれた北村氏にお聞きしたいと思い、急遽お願いしたのでした。

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北村氏は飛騨高山に生まれ育たれました。そのため、小さい頃から鉄舟のことはご存じだったそうです。鉄舟のブレない生き方をご自身の仕事や生き方に活かしたいと願い、研鑽を重ね、鉄舟会にも参加されていらっしゃいます。

江戸時代、高山は天領でした。
その前の豊臣時代には、金森氏がこの地を治めていました。元禄5年(1692)出羽国上ノ山に転封となり、それ以後天領となります。天領ですから、江戸から代々、代官がやってきて治めることになり、その第21代代官が小野朝右衛門、すなわち鉄舟のお父さんだったわけです。
高山の人びとは、この江戸から来る代官にあまり馴染みを感じていなかったようです。今でも高山の人びとは金森氏を神様のように敬っているのだそうです。
高山は天領という、一種独特の統治形態であったため、街の有力商人である「旦那衆」が自治の実権を握っていたそうです。高山市郷土館には、旦那衆の様々な資料が展示されていました。

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高山市郷土館

高山の人びとにとって、江戸は「遠いところ」という印象なのだそうです。
高山はどちらかというと、京都の文化圏だそうで、方言も京都の言葉がまじっているのだそうです。高山は小京都と呼ばれ、街並も碁盤の目のように縦横に通っています。

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高山市の街並

江戸期、高山は貧しい地域であったといいます。米の収穫量が低く、庶民はかわりに京都や奈良の寺社建築に携わる、いわゆる労働奉仕をしていたのだそうです。これが、飛騨の匠となり、代々継承されてきたのだそうです。春(4月)と秋(10月)の高山祭には、絢爛豪華な山車が街を練り歩くそうですが、この山車も飛騨の匠の技の結晶であるのです。何でもうわさによると1台数億円はするそうです…。

飛騨の匠は家屋にも工夫を凝らしたそうです。
高山には江戸から代官がやってきてこの地を治めたのですが、言ってみればよそ者が土地を治めているのですから、なるべく表向きは質素な生活をしている風を装う伝統が息づいているようです。高山の町屋は、「前貧乏、後ろ豪華」の造りになっていて、通りに面した前側は軒も低く地味な造詣ですが、二階の奥座敷は一段高くなっており、豪華な造りになっているのだそうです。そういえば先日高山を訪問したとき、岩佐先生邸にお邪魔したのですが、中にはいるととても高い天井で、奥へ行くほど広くなっていました。

このように、高山天領における代官はよそ者的存在で、北村氏によれば代官自身も赴任期間を義務的に努めたのではなかろうか、と分析していらっしゃいます。
そんな中、幕末の弘化2年(1845)第21代代官の小野朝右衛門が、その家族を伴ってやってきたのです。

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高山陣屋の御座之間(左)。代官が執務した部屋
鉄舟の父母、小野朝右衛門と磯の墓(右)。宗猷寺境内

鉄舟の父である小野代官は、代々の代官の中でもかなり慕われたと、北村氏は語ります。そして、父に伴ってやってきた鉄太郎少年は、頭もよく、腕もたち、飛騨の自然豊かな風土でのびのびと育ったようです。飛騨の衆の気骨で一途なところにお互い感化され、引かれていったようです。これらのことは、地元の作家、江馬 修さんの『若き日の山岡鐵舟』(田中宗榮堂・1943)や、岩崎 栄さんの『山岡鉄舟 代官の児』(広池学園出版部・1968)などに描かれています。

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若き日の鉄太郎像(高山陣屋前)

『……高峻で、壮大で、しかも景色は柔いうるほひを缺(か)いではゐない。かゝる大いなる自然の美しさが、少年鐵太郎の純な、透明な魂に多くの力づよい影響を與(あた)へたらうことは容易に想像される。例へば國境に立ちつらなる崇高な飛騨山脈が彼の高潔な心情(こころ)と何ら觸(ふ)れるところがなかつたとは到底考へられない。彼は維新の風雲児となるべき荒々しい時代の子ではあつたが、少くとも年少で飛騨で暮らしてゐた頃には、また自然の子でもあつたらう。美しい飛騨よ、お前はこの清らかな、英雄的な魂を育てあげるのに役立つたことを誇つて良い!……』(『若き日の山岡鐵舟』江馬修・1943より)

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若き鉄舟が駆け回った飛騨高山の地は、鉄舟に清らかで雄大な心を育んでくれたことでしょう。
そんな高山で、7月19日、法要を行います。
北村氏にも地元へのお声掛けをお願いしております。
ご発表、ありがとうございました。
そして、法要へのお手伝い、よろしくお願いします。
読者の皆さんも、高山での法要会にご期待ください。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 2009年02月24日 22:16

コメント

高山での法要会を大変楽しみにしております。お手伝いをさせてください。

宗猷寺門前の鷹の湯です。
北村豊洋様、事務局様、今後ともよろしくお願い致します。

投稿者 清水裕登 : 2009年03月14日 12:31

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