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2009年09月18日

鉄舟を訪ねる旅 〜下呂

鉄舟にゆかりのある人物や場所などどこへでも馳せ参ずる我々鉄舟会。
今回は、下呂に鉄舟と親交のあった人物があると聞き及び早速向かいました。

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下呂市は、岐阜県・飛騨地方の南部に位置し、「日本三名湯」の誉れ高き温泉地です。前夜遅く下呂駅に着いたため、街の様子がさっぱり分からなかったので、翌朝、付近を少し散策してみました。

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下呂駅付近

駅から線路をくぐり、温泉街へ。
そこは、大きな旅館が建ち並ぶ一大旅館群の密集地でした。
温泉街は、下呂駅至近の旅館「水明館」を中心とした集落と、飛騨川を挟んだ川向こうにも大きな旅館やホテルが林立し、温泉街の大規模さに驚きました。
飛騨川の河川敷に露天風呂があることを知っていたので、それを探しに散策しました。ありました。綺麗に整備されている河川敷のかたわらに、ちょこんと小さな露天風呂が…。あまり情緒というものが感じられない、小綺麗なお風呂でした。しかも、入浴は「水着着用のこと」。水着持ってませんでした。がっかり。

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下呂の温泉街(左)、河原の露天風呂(右)

温泉について少しお話ししておきましょう。
私が入ったホテルの温泉の泉質は、「アルカリ単純泉」とありました。
お湯は透明で、アルカリのPHが高いらしく、湯につかると肌がヌルヌル、というかスベスベ、といった感覚で、なかなか気持ちよかったです。

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目的の場所は下呂でしたが、温泉ではありません。鉄舟です。
JR高山線で下呂駅から2つ名古屋寄りの「飛騨金山」に向かいます。
ここは平成の大合併で平成16年に下呂市になりました。それまでは金山町でした。
金山は、飛騨と美濃の境に位置する小さな町です。
飛騨金山駅に降り立つと、緑深き山々が我々を迎えてくれます。とても空気が澄んでいて気持ちいい。山々の呼吸が鮮やかな緑と心地よい風を我々に届けてくれています。これが日本なんだなあとしみじみ感じました。

なぜ我々はこの飛騨の山中に降り立ったのか。
幕末から明治にかけ活躍した、加藤素毛(かとうそもう)という人物がいます。
彼は、日米修好通商条約の批准に向かった使節団のひとりです。この地では、「日本初の世界一周をした人物」として、地元の有名人のひとりに数えられています。その使節団に加わるのに、山岡鉄舟が尽力した、というのです。
金山には、「加藤素毛記念館」という建物があります。加藤素毛の業績をたたえ、様々な資料を展示しているとのことでしたので、鉄舟に関する資料があるのでは…と期待し、訪れたというわけです。

加藤素毛記念館は、加藤素毛の生家を補修したものでした。
開館は毎月1、15日。狭き門です。
到着すると、中島清館長が迎えてくださり、さっそく中で説明を拝聴しました。

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加藤素毛記念館(左)、中島館長(右)

加藤素毛は、1825年、地元の名主の次男として生まれました。名字帯刀を許された裕福な名主の息子だったわけです。
素毛が23歳のとき、高山の飛騨郡代・小野朝右衛門高福(たかよし)の公用人になりました。このとき、鉄舟との出会いがあったようです。素毛と鉄舟は、国学を高山の地役人・山崎弘泰から、その子弓雄から和歌をともに学んだそうです。鉄舟との親交はここに始まり、生涯続いたのだそうです。ちなみに素毛は鉄舟より11歳年上でした。
両親の死別とともに鉄舟は江戸へ帰りました。その頃素毛は九州へ吟行の旅に出ていました。長崎に長く滞在し、外国文化の影響を強く受けたといいます。
帰郷した素毛は、押し寄せる外国の脅威にいてもたってもいられず、江戸へ出ました。そして、日米修好通商条約批准書交換のための、幕府遣米使節随行員77名のひとりとして、米軍艦ポーハタン号に乗ったのです。
素毛(当時33歳)の遣米使節随行が実現した事情は、実はよく分からないのだそうです。これには、鉄舟が素毛の遣米使節随行に絶大な協力をしたと、パンフレットやインターネットでは書かれていますが、鉄舟は当時22歳。そのころの鉄舟は、山岡家に婿入りし、ひたすら剣に打ち込む一介の貧乏旗本でしたので、遣米使節という幕府の代表ともいうべき重要な役割のメンバーになるのに、口添えができるような身分ではなかったのではないかと思われます。
中島館長のお話では、遣米使節が派遣されるにあたり、その物資の調達や賄い方を請け負った「伊勢屋」という商家と、素毛の親戚筋に取引があり、その筋から縁がつながったという説が有力だと考えられているそうです。
素毛は大変筆まめだったらしく、世界を一周したときの様々な記録や現地の資料を持ち帰っています。日記、スケッチ、アメリカの新聞や手に入れたいろいろな道具などが、記念館に収蔵されています。

中島館長のお話によれば、素毛と鉄舟は11歳の年の差があったため、素毛よりむしろ素毛の弟と仲がよかったようです。が、いずれにしても、高山時代の鉄太郎少年のよき勉強仲間、遊び仲間であったのでしょう。高山時代の鉄舟に関わる人物がいたことを知ることができたことは、とても有意義であった今回の下呂の旅でした。

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加藤素毛記念館に、鉄舟の書がありました。ご紹介します。


「福 喬 松」
(松は赤松子、喬は王子喬、ともに長寿の仙人)
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「利 是 界 三」
(三界とは、衆生の住む欲界・色界・無職界の3つの世界で、全世界を指す)
<画像クリックで拡大します>


「徳 明 功 表」
(功を表わし徳を明らかにす)
<画像クリックで拡大します>

鉄舟の書に出会えました。感無量でした。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 2009年09月18日 16:52

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