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2010年04月06日
静岡に鉄舟を訪ねる旅
静岡県・駿府博物館で開催されました『山岡鉄舟と明治の群像展』に参加されたメンバーから、鉄舟ゆかりの地を訪ね歩いた旅行記をいただきました。
ご紹介します。
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壮士の墓
慶応四年、清水港に浮かぶ咸臨丸の脱走藩士の亡骸を、次郎長が丁重に葬ったのが壮士の墓です。賊軍に係わるのをさけ、放置されていた無残な遺体を収容する次郎長さん。そして、それを取り締まる立場の鉄舟さんが「よく葬ってあげた」と褒めてあげる。私はこのエピソードが大好きです。今回の縁の地を訪ねる旅で是非訪ねたい場所でした。私がイメージしていたのは、高山旅行の時の都竹正雄さんのお墓を小さくした様なお墓だったのですが、よく見る形の墓だったので意外でした。
お墓の後ろに写っているのはお年寄りが集まる集会場です。次郎長さんに係わる写真が飾られています。最近ではあまりテレビドラマや歌などに登場することが少なくなった次郎長さんですが、今も清水の人たちには生活の中に溶け込んでいるヒーローなのです。
沢山の写真が飾られています。右に見えるのは望嶽亭の鉄舟さんのピストルでは?
梅陰禅寺
次郎長さんの菩提寺です。次郎長さんはじめ大政、小政さん他次郎長一家の皆さんのお墓です。全生庵の鉄舟さんのお墓の周りでも感じるのですが、凛として、温かく、そこだけ少し明るいような気を感じます。次郎長一家の皆さんは清水を愛し、亡くなってからも、この地を守っているような感じがいたしました。
有りました
「精神満腹」
鉄舟さんが次郎長さんに贈った書です。何時もに増して、凄い迫力です。大親分が持つのに相応しい素晴らしい字ですね!!
「精神満腹」鉄舟さんにそんな風に思われたら、もうこの世に思い残すことは有りませんよね・・・
この書を貰ったとき次郎長さんはどれ程嬉しかったことでしょうか・・・
鉄舟寺
鉄舟さんが揮毫し、それを次郎長さんが広く寄進を募り再興したお寺です。
このお寺の歴史は古く、およそ千三百年の昔久能忠仁公によって創立せられました。
国宝 紙本墨書法華経、県文化財 大般若写経などが、何気にどうということなく陳列されていたのに驚きました。重文だから価値が有るとか,幾ら位の値段が付けられるとかの、価値を基準にしていないで、こんなものが伝わっているので、観て下さいという様な感じで展示されているのがさすが鉄舟さん縁の寺だと思いました
また、義経が牛若丸時代から愛用したと言われる横笛の音色がBGMで流れています。年に一度生で演奏されるそうです
今回の旅行はこの坐像を拝見させて頂くのが一番の目的でしたが、遥々来てヨカッタ!!とても端正なお顔立ち、そして本当に鉄舟さんがそこに座っていらしゃるのでは・・というほどの存在感があるのです。
悩み事を相談しに来る人がいるという事を聞きましたが、その気持ち解ります。私はずっと傍にいたいと思いました。
素晴らしい!!
チョッと写真がナナメッテいるのが残念
全生庵と鉄舟寺では
鉄舟さんの戒名が違います
鉄舟寺の戒名
鉄舟寺殿前宮内少輔
従三位
勲二等
雲外高歩大居士
生家・末広
次郎長の生家
鉄舟会の親分方
お世話になりやす・・・
船宿・末広
天田愚庵の詠んだ碑が有りました。
望嶽亭
駿河台記念館で行われた第4回山岡鉄舟全国フォーラム後の懇親会で若杉さんから始めて望嶽亭のお話を伺ってから、いつかは訪れたいと思っておりました。
「望嶽亭」は室町時代末期には名所図会に名を残している由緒ある建物です。
さだよ お母さんのお話によると、安政の大地震で土地が隆起して、地形が変わった
のに、この建物は無事だったそうです。
地形が変わる前は眼下に海が広がるとても眺めの良い所で、あわび等の新鮮で美味しい貝をお客さんに提供していたそうです。
展示されている中に望嶽亭を特集した週刊誌があり、そこにシーボルトが写した望嶽亭の写真が載っていました。本当に今と地形が違うのです。
鉄舟さんを匿った蔵屋敷の入り口です
望嶽亭を当時姿のまま後世に伝えようとここに住み守り続けている さだよおかあさん
訪れる方にここであった事を一生懸命語り伝えます。年代などもしっかり覚えておられて、その記憶力のよさに驚きました。
さだよ お母さんのお話では、数箇所の寺子屋から追い出された次郎長さんの教育がてら、生活を共にしていたという、とても、次郎長さんとのご縁のあるお宅で、牧の原の開墾その他次郎長さんのその後の業績を考えると、鉄舟さんがここに逃げ込んできたのは偶然ではなく必然だったように思われました。
コレがアノ隠し階段です
松永純一様 竹生様 でさえ子供のころ降りたことがなかったそうです
有り難い事に、使わせていただきました。幅が狭く、急勾配なのがまさに隠し階段!!
ここが、無血開城につながっていったのか・・
来て好かった・・感動です。有難うございました。
人が降りるとこんな感じです。
外に出る扉は3重になっていて、木で作られた仕掛け錠が付いています。
昔から、セコムさんに負けないくらいセキュリティ万全でした。
鯛屋旅館
天和2年1682年創業の老舗です。
鉄舟さんと次郎長さんの定宿でした。
二人の豪傑は大酒を飲み、大いに語らい、楽しい時を過ごしたことでしょう。
全国フォーラムでお目にかかった、18代当主の佐野さんに笑顔で迎えられ、鉄舟さんの字の看板を見せていただきました。
鯛屋興三郎 ここにありと言う様な堂々とした看板でした。
ご先祖が鉄舟さんとご縁があり、こんな凄いお品が家に有るなんて羨ましいかぎりです
手作りお雛様を作る会に場所を提供しているということで、可愛いお雛様が飾ってありました。
松陰禅寺
移動中の車の中で、今井さんが昔白隠禅師の松陰寺に座禅をしに行ったことがあり、そこに、白隠さんが、すり鉢を投げて、それが落ちることなく今もそのまま木の上に覆い被さっている松があるんだヨ・・と話してくれました。
* なぜ、すり鉢を投げたのか?
* なぜ、すり鉢なのか?もっと投げやすい物はたくさんあるのに・・
* ヒョットして白隠さんは癇癪もち?
など、沢山の疑問が浮かんできたのですが、今井さんももう昔の事なので、その謂われは
忘れてしまったという事で、急遽その松と謂われ書きを見に松陰寺に行きました。
残念ながら説明の表示板はなかったのですがすり鉢は確かにありました。
白隠さんのお墓です
その後、今井さん 若杉さんが謂われを調べてくださいました
松陰寺の擂鉢の話 こうでした
http://www.geocities.jp/marira2003/hakuin2.htm
すり鉢を投げたのではなくて、ヨカッタです
帰りの車は、今井さん 山崎さん 橘の三人でした。
やまざき れいこ のCDを流し、所々ご本人の生の歌が入る シャンソンの会で盛り上がりました。
CDの曲の説明を山崎さんから聞きながら耳を澄ましていると、お芝居のように情景が浮かんで来るのです。
大人の歌って凄いですね。
静岡鉄舟会の皆様のご案内で沢山 縁の地を訪ねる事が出来、また、山崎さんの歌に感動し、素敵な思い出を作る事が出来ました。
皆さん 有難うございました
(終)
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投稿者 lefthand : 2010年04月06日 16:30