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2009年02月02日

鉄舟が少年期を過ごした飛騨高山に行ってきました

去る1月30日、飛騨高山に行ってまいりました。

今回の目的は、7月19日の鉄舟翁忌日に、鉄舟のご両親が眠る高山の地で法要会を催すため、そのご協力を各方面にお願いするためです。

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(鉄舟の書の師匠・岩佐一亭宅。当時のままの建物。今もご子孫が住んでいらっしゃいます)

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鉄舟の忌日である7月19日には、鉄舟が眠る東京・谷中の全生庵、鉄舟が再建に尽力した静岡・鉄舟寺など、各地で盛大に法要が行われています。
では、鉄舟が少年時代を過ごし、その「人間力」を醸成した、いわば鉄舟の人間形成に多大なる影響を与えた地である飛騨高山はどのようになさっておられるのでしょうか。
聞くと、ご両親の眠るお寺「宗猷寺」のご住職が、お一人でひっそりとされているというではありませんか。
嗚呼、やんぬるかな。

それでは、我々山岡鉄舟研究会が、高山での法要に馳せ参じたらどうか。
そう思い立った山本会長に同行し、高山での法要会に参加のお許しを得るべくはるばる高山を訪ねたのです。

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飛騨高山へは、東京より新幹線で名古屋へ行き、特急ひだ号に乗り継ぐルートが最短です。合計4時間あまりの道程です。

高山駅を降り立った我々は、早速鉄舟のご両親が眠る地、臨済宗・宗猷寺に赴きました。

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(高山の町並み)

当日は曇り空でしたが、雪はなく、夕刻には雨が降るという暖かさでした。さすがに東京などに比べれば寒いのですが、宗猷寺ご住職曰く、この時期に道路が見える状態であるのはとても珍しいとのこと。まれにみる暖冬ということだそうです。

駅より歩くこと20分あまり。宗猷寺に到着。

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(宗猷寺門前)

石垣の苔むした具合や立て札の木の擦れ具合が、長い年月を経て今ここにあることを感じさせます。建立は寛永9年(1632)といいますから、377年もの歴史を刻んでいるのです。現在の本堂は築190余年だそうです。ということは、鉄舟が禅の修行に励んだときのものと同じ本堂が、今も残っているのです。時は隔てども少年鉄舟と同じ場所に立つ感慨が沸き立つのを感じました。

高山の寺社はとてもユニークです。
山々に囲まれた盆地に南北に走るJR高山本線を中心に、東西に高山の市街は広がっているのですが、その東側の山の麓に、いろいろな宗派のお寺や神社が並ぶように建てられているのです。これは、この地が天領になる前の領主、金森氏が行ったものだそうです。自然、墓地もこの周辺にかたまっています。そのため、お彼岸のお墓参りの時には町民がこぞって集結することになり、昔はお墓参りが若者のお見合いの場にもなっていたそうです。若い娘さんなどは着飾ってお墓参りに来たのだとか。
鉄舟のご両親も、この光景を微笑ましく見守ってくださっていたことでしょう。

お話が逸れました。
ご住職に会い、法要会開催のお願いをしなければなりません。
とそこへ、宗猷寺の今城(いまじょう)住職がやってこられました。
ご住職に促され、本堂内へ。
東京からの珍客に少々面食らったご様子のご住職でしたが、当会の主旨に快くご賛同くださり、7月19日の法要会開催を約束してくださいました。
ということで、山岡鉄舟研究会は、今年の鉄舟法要を高山にて行います。
高山の豊かな自然に身を包み、少年鉄舟が、剣に禅に書に励んだ光景に思いを巡らせたいと思います。

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(左・鉄舟が持ち出そうとした鐘。右・鉄舟の碑)
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(左・本堂。右・今城住職と山本氏)

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ご住職に再会のお約束をし、次に我々は高山市役所に向かいました。

高山で法要会を開催するのですから、在の鉄舟ファンにも是非お知らせし、法要を盛大に行いたいものです。そのため、高山市にもご支援いただけないかとお願いするために行ってまいりました。

高山市役所では、田中文化財課長が私たちのお話に耳を傾けてくださいました。
今城住職同様、最初は東京からの奇妙な二人連れに戸惑っておられるご様子でしたが、我々が真面目に研究を行っていること、鉄舟の法要会を催し、鉄舟と縁深き高山の皆さんに、鉄舟のことを思い起こして欲しい、他に二心あらずとの山本氏の熱弁により、当会の主旨をご理解いただくことができ、うち解けることができました。そして、法要会に広報面でのご協力を賜ることをご快諾くださいました。

田中課長は、高山市郷土館の館長も兼任されており、そこに鉄舟を加えたいとかねがね願っておられたようです。と申しますのも、年々、在の若者は鉄舟に関心が薄くなっているとのこと。我々でお手伝いできることがあれば是非とも協力させていただくことをお約束し、市役所をあとにしました。
僅かではありますが、鉄舟を想う火が灯り続けていたことを嬉しく思いました。

嗚呼、本懐果たしけり、重畳。
事を成し終えた我々東京からの珍客は、ついでに法要会の時の宴会会場まで見極めをつけ、さらについでにそこで一献重ね、満悦の体でホテルに投宿したのでした。

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高山での鉄舟法要会開催に、快くご協力を賜りました宗猷寺の今城住職様、並びに田中文化財課長様、本当にありがとうございました。7月にお会いできますのを楽しみにしております。

読者の皆様、7月は高山にて鉄舟を偲ぶ法要会に是非お出かけください。
詳細は春以降お知らせすることになると思います。
お楽しみに。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 2009年02月02日 21:05

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