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2008年12月01日

第五回 鉄舟全国フォーラムの感想 その一

第五回 鉄舟全国フォーラムが明治神宮にて盛大に行われました。
当日は雲ひとつない日本晴れでした。
縁深き明治神宮での開催を、鉄舟が喜んでくださっているようでした。

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当日は結婚式や七五三といった行事が重なり、お忙しい中をご無理申し上げフォーラムを開催いたしました。
結婚式に至ってはこの日何と13組の挙式が組まれており、てんやわんやの状態であったにもかかわらず、明治神宮様にはこの上ない歓待をいただきました。誠にありがとうございました。

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明治神宮は、申し上げるまでもなく明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社です。
三が日で300万人が初詣をする日本一の初詣スポットであり、全国から献木されたおよそ10万本、365種の人工林が70万平方メートルの広大な敷地に広がり、憩いの場所として親しまれています。

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神楽殿での参拝の後、昼休憩をはさみフォーラム開始。

最初の講演は、明治神宮権禰宜であり、国際神道文化研究所の研究員、佐藤一伯氏です。

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明治天皇と山岡鉄舟のご縁はとても深く、鉄舟は若き日の明治天皇の侍従を勤めただけでなく、その後も宮内省の御用掛として関わりました。
今回は、明治天皇、そして鉄舟の生き方を通じて、国際神道文化研究所の研究員としてのお立場から日本文化を探るご発表をいただきました。

今年は明治維新140年です。
この時期に、明治維新を学ぶ。
これには、いかなる意味があるのでしょうか。
佐藤氏は次の御製(天皇の短歌)を例に出され、こうお話しされました。

『いそのかみ 古きためしを たづねつつ 新しき世の こともさだめむ』

これは現在、明治神宮の「代々木の舞(神楽舞)」にもなっている言葉だそうですが、故きを温ねて新しきを知る、つまり温故知新を謳っておられるのです。140年前に行われた世界に類例のない革命は、きっと現代の私たちに何かの示唆を与えてくれるに違いない…。佐藤氏は私たちにそう教えてくださいました。

皇室の正式な記録に、山岡鉄舟は登場します。
それは、『明治天皇紀』という、宮内庁編纂の書物によって私たちも確認することができます。
『明治天皇紀』宮内省臨時帝室編修局編修・吉川弘文館発行

佐藤氏によりますと、その中での鉄舟の取り扱いは破格だそうです。
例えば、宮内少輔の後継に順当な人事をあえて変更し、鉄舟を飛び越し任命したこと。飛び越しの任命もさることながら、その人事を明治天皇が自ら指示されたと記録にはあります。天皇自らが人事に口を出されるというのはとても異例であったそうです。
また、「済寧館(さいねいかん)」という、宮内省の職員のための武道場を建て、その指導官に鉄舟を任命しました。
このことは、侍従時代の鉄舟が説いた「武士道」が、明治天皇に大いなる影響を与えた結果であろうことが考えられるのです。
さらに、鉄舟薨去の時の様子も記述があります。
そこには、「資性廉直にして躬行能く奉仕せり」という一文があります。鉄舟の人柄を表現した一文です。
『明治天皇紀』全編を通じて、一般の人物の人となりが語られているところは非常に稀で、また鉄舟薨去のくだりも長い行を割いて記述されており、鉄舟への思い入れが感じられると、佐藤氏は分析されています。

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このように、明治天皇が行った様々な政策に、鉄舟の影響が垣間見えることを、佐藤氏は私たちに示してくださいました。
それは、「徳」でした。

明治15年(1882)1月4日、『軍人勅諭』を詔勅。
明治23年(1890)10月30日、『教育勅語』を下賜。

上記の詔勅の前、明治12年に、『聖旨教学大旨』という、明治天皇のご発言の記録があります。
これには、下記のようなお言葉が天皇よりあった旨が記されています。

『教学の要、仁義・忠孝を明らかにして、智識・才芸を究め、以て人道を尽くすは、我祖訓、国典の大旨、上下一般の教とする所なり。
・・・(中略)・・・
其流弊、仁義・忠孝を後にし、徒に洋風是競ふに於ては将来の恐るる所』

明治天皇はこのころには道徳の大切さを認識し、自らを含め、国民にも広く道徳が重要であることを説いておられるのです。
天皇のこのお考えに多大なる影響を与えたのが、鉄舟をはじめとする天皇の侍従たちでした。
鉄舟が明治天皇の思想に影響を与えた逸話として、道徳と法律の議論が交わされたことが、全生庵発行の『鉄舟居士の真面目(しんめんもく)』に記されています。
詳細は省略いたしますが、道徳はもう古い、これからは法律で治めるべきだと宣う陛下に対し、鉄舟は、日本を法律のみで治めれば、国民は伊勢神宮を拝まなくなるでしょうと、遠回しに諫言したそうです。
このことは明治天皇の逆鱗に触れましたが、やがて天皇はご自身の非をお認めになり謝罪されたのだそうです。
この逸話は、鉄舟が明治天皇の思想的背景の大きな拠り所となっていたことを示すといえるでしょう。

教育勅語は、次の文章で締めくくられています。
『朕爾(なんじ)臣民と倶(とも)に 拳拳服膺して 咸(みな)其徳を一にせんことを庶幾ふ(こいねがふ)』
(私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います)


鉄舟のような優れた人材により、明治天皇は為政者として大成されました。
明治神宮も、明治天皇が目指された国づくり、すなわち
「国民一人ひとりが、真心を輝かせて幸せになっていく国づくり」
に貢献したいと願っていると、佐藤氏は話され、講演を結ばれました。
宗教ではなく、思想でもない、皆が幸せになれる社会づくりの象徴として、明治神宮はあることを実感した、佐藤氏のご講演でした。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 2008年12月01日 07:10

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