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2006年03月26日

3月例会記録(1)

3月例会記録
北川宏廸氏  「必勝の剣法」はある -剣の「理」と「技」をめぐる数理-

1、「必勝剣法」の二つの流れ

 必殺の剣法はあります。鉄舟研究会でこのことを是非お話したいと思っておりました。30分で解りやすく説明するつもりですが、剣法を言葉でお話することは非常に難しい。言葉の論理は甘いし、我々は五感で感じて事態を判断するが、五感で感じて判断することは思い込むことでもある。思い込むと、対象に対して客観的に迫ることができなくなる。
だから、自然科学者は、認識の手段として、古今東西の共通語である「数学」を使うわけですが、残念なことに、多くの人は数学のことを誤解しております。数学は計算だと思い、答えがでないとあせってしまう苦い思い出を持っておられる方が多いと思います。しかし、数学は客観的に事を認識するひとつの道具と割り切り、肩の力を抜いて、数学をイメージで、捉えていただきたいと思います。

お話ししたいことはレジュメに全て書いておきました。今日は軽く聞き流して、帰ってからもう一度読んでください。
さらに勉強したい方は最後のページに参考文献を挙げておきましたので、これを読んでいただければと思います。
「オイラーの賜物」や「虚数の情緒」という本は、中学生を対象とした参考書ですから、分厚い本ですが、大変とっつきやすく、面白く書かれていますので、興味を持たれた方は是非読んでみていただきたいと思います。柳生延春先生がお書きになった新陰流の秘伝の本は国会図書館に行けばあります。

 今回の話で、1番大事な本は、ここに持ってきました柳生新陰流の21代当主・柳生延春先生が書かれたこの本です。この本には、秘伝が写真つきで出ております。読んでいただければ一番いいのですが、今日はここに書いてある新陰流の剣法についてお話します。
その前になぜ私が剣について語るのかをご説明したい。実は、私は門外漢ですが、剣に触れる機会が2回ありました。
 昨年の秋に開催された鉄舟サロンの静岡研究旅行で、「水欧流」の実技を生々しく拝見しました。
 それ以前に、最初に剣に触れたのは、東大医学部(生命科学)名誉教授の清水博先生が主宰しておられる「場のアカデミー」という研究会で5年前に、名古屋にある柳生新陰流の柳生延春先生道場で、これからお話します柳生新陰流の「必勝の剣法」の奥義の実技を、実際に拝見したわけです。どんなかたちで攻められても、それを受けて、木刀一本で、必ず相手の剣を叩き落して勝つ。これには本当に驚きました。
水欧流の先生も、"死んだら終わり"だとおっしゃっていた。「必勝の剣法」だからこそ、死なないで、今まで綿々と続いてきた。このとき私は、「必勝の剣法」はある、と確信したわけです。そのとき、私は、これは、オイラーのe(ウー)の方程式で説明できると思いました。
それについてお話したい。

 「必勝の剣法」には、宮本武蔵に代表される「殺人刀」と、柳生新陰流の「活人剣」の二つの流れがあります。水欧流も活人剣ではないかと思います。後日お聞きしたいと思っています。
「必勝の剣法」といいますのは、これは、生きものや人間が生きていく、ということとも、密接に絡んでくるわけです。必勝の生き方があるから、我々はこのように生きていることができるのです。
柳生新陰流の発想の原点を作り上げたのは、上泉伊勢守信綱でした。彼が作り上げた新陰流を最も正確に理解したのが2代目の柳生石舟斉宗巌で、伊勢守信綱からその奥義を直伝するというかたちで柳生石舟斉が引き継ぎました。
 なぜ柳生新陰流が有名になったかといいますと、真剣で打ち込んでくるのを木刀一本で受ける、という柳生新陰流の「無刀捕り」のうわさを徳川家康が聞きつけ、家康が自分の太刀を受けてみよ、と実際に試技を命じたことにあるといわれています。家康の真剣を見事に木刀で受け、これを打ち落とした。これが縁で、石舟斉は徳川本家の剣道師範になってくれと頼まれます。しかし、自分は年寄りでお役に立てない、と五男の柳生宗矩を推し、宗矩が徳川本家の剣道師範になった。その息子が柳生十兵衛です。その後、柳生本家は大名になってしまいます。
 柳生の剣法を継いだのは、石舟斉の孫の柳生兵庫介です。彼はなかなかの剣術家で、徳川の中で剣術に造詣が深かった尾張徳川の初代藩主・義直に所望されて、尾張藩の剣術指南役になります。柳生の剣法の本道は、兵庫介に引き継がれました。そして、柳生新陰流の剣法は、現在21代の延春氏まで綿々と引き継がれております。
素晴らしいのは、その剣法の奥義が、きちんと秘伝として残されており、まさにそのまま再演できることです。柳生先生が再演されたのをみて、我々は、驚き、納得し、感動したわけです。

 柳生新陰流は、宮本武蔵の「殺人剣」と違い、「威圧する剣」ではない、ということです。柳生先生曰く、「一刀両段」。この「段」は自分と相手の中心線を重ね合わせて共に斬り下ろすこと。
 相手がこちらに截り込んでくることを確認してから、一拍遅れて、自らの「人中路」(自分の中心線)を一刀両段に、十文字に、打ち下ろす。「一刀両断」(相手を真っ二つにすること)ではない。
そうすると、丁度良いタイミングで相手の太刀の上に、自分の太刀が打ち乗って、相手の太刀を跳ね飛ばし、相手のこぶしを截り下すことができる。
ほんの僅かな時間差、この時間差がポイントで、これを解明するために「数学」が必要になるのです。

①自分と相手が対峙する「截相の時空間」は、時間軸と空間軸の「合成された時空間」だ。この時空間では、相手は「時間軸の時間空間」の中に身を置き、自分は「空間軸のユークリッド空間(縦・横・高さ)」の中に身を置く。

②お互いの太刀が円運動(円弧)で相手を截り裂く力は、それぞれが、それぞれの太刀の円運動(円弧)に投入するところの「エネルギー量」の大きさに比例する。

③太刀の円運動(円弧)に投入される「エネルギー量」の大きさは、太刀の円運動の回転率(円周率)、すなわち回転速度によって《計量》することができる。

④回転率(回転速度)とは、直線運動(一点)に投入される「エネルギー量」と、円運動(回転運動)に投入される「エネルギー量」との比である。
  例えば、円周率のπは、ユークリッド空間における直線運動と、円運動とに投入された「エネルギー量」の比を表す。

⑤すなわち、
・空間軸のユークリッド空間における円運動の回転率(回転速度)は、
       円周率のπ =3.14159265358………
・時間軸の時間空間における円運動の回転率(回転速度)は、
      オイラーのe=2.71828182845………
つまり、
相手が身を置く時間軸の「時間空間」におけるよりも、自分が身を置く空間軸の「ユークリッド空間」の方が、太刀の回転運動の回転率は高く、したがって、太刀の回転速度(スピード)も速い。
すなわち、常に、「自分」は、初めから比較優位の位置にある。

⑥したがって、次のようなことになる。
《相手が、こちらに向かって太刀を截り下ろしてくるのを確認してから、遅れて自分の太刀を一刀両段に振り下ろしたとしても、丁度良いタイミングで相手の太刀の上に、自分の太刀を打ち乗せることができ、その結果として、相手の太刀を飛ばして、相手のこぶしを確実に截り下ろすことができる。》

 この原理を利用したゲームが、野球。
バッターは空間軸、ピッチャーは時間軸に身を置く。したがって、ピッチャーが円弧運動で渾身の力を込めて剛速球を投げたとしても、バッターのスウィングの円弧運動エネルギーの方が大きい。バッターのスウィングのエネルギーの方が大きいから、得点が入るわけだ。バッターは打ち急がず、ボールを良く見極め、きちっとミートさせればホームランを打つことができる。
空間軸の回転スピードが、時間軸より15%速い。ここがポイント。

 また、シマウマを追うライオンの例。
追われるシマウマは、空間軸の15%のハンディキャップがあることによって、食われない確率が五分五分以上となる。だから、シマウマは絶滅しない。

生きものが、リスクを察知して、注意深ければ、生き続けられる理由がここにある。

 無理数「オイラーのe(ウー)」は、無限級数の和で表すことができます。この無理数がどのような式で表すことができるか、また、どのようなイメージで捉えたらよいかは、レジュメの(参照)のところを見ていただきたいと思います。

 eは、スイス人の数学者オイラー(EULAR)が見つけ出した無理数で、「イー」ではなく、「ウー」と読みます。オイラーは、この無理数に、自分の名前のイニシャルの「e」と命名しました。
数学者のオイラーは、直感的にこの無理数の「e」を「エネルギー」「時刻」「生きものの命」とイメージしていたのではないか、と思われる節がある。

私は、eを時間軸、πを空間軸と考えるわけです。我々は、横軸をπ、縦軸をeとする「時空間」の中で生きていると考えるわけです。

話は少しそれますが、
『博士の愛した数式』(映画と小川洋子の小説)の中で「オイラーの方程式」が出てきます。

houteishiki.jpg

オイラーは、この世の中は、このような数式でデザインされていると考えました。
この式は量子力学と相対性理論の基本方程式でもあります。
このように、数式はこの世の中で起きている現象を類推する手がかりを提供してくれます。数学者は皆、数式で厳密に論理を追いながら、神様によってこの世の中が、どのようにデザインされているか、神様の手帳をこっそり覗き込もう、としているのです。それがわかると数学はものすごく面白い。

「必勝の剣法」には2つのパターンがありました。
宮本武蔵の剣は、自分は自分一人で独立して生きているという思い込みが強い。自己中心的です。これに対して、新陰流の活人剣は、自分という存在は、相手があって自分がいる、という自分を相対的な存在として認識しております。
ニュートンの力学は、宮本武蔵の力学。一方、新陰流の剣法は、相対性理論の力学に立っております。空間軸と時間軸を相対的な存在として、自分と相手の関係を相対的に客体化して見つめなおす。これが「相対性理論」の立場です。
「殺人剣」から「活人剣」への転換は、ニュートン力学から相対性理論の力学への大きな転換とも重なります。

その相対性理論も2つに分かれます。

 空間軸に視点を置いて時間軸を相対化したのが、アインシュタインの相対性理論です。これに対して、時間軸の時間空間から、空間軸を相対化して観察したのが、朝永振一郎博士の「超多時間理論」です。
超多時間理論は、この空間のあらゆる一点には、固有の時計が埋め込まれている、と考える。我々は、一人一人、固有の時計を持っている、という考え方。
eという回転スピードの遅い「時間空間」の回転の外周りを、πという回転スピードの速い「ユークリッド空間」が回転運動をしている。
すなわち、eが我々の"いのち"であり、πが我々の"肉体"だ、というわけです。

 我々は、時間が過去から将来に向かって、このユークリッド空間を突き抜けているというイメージを持っているが、時間は、我々の肉体(=空間)の中に内在化していると考えるのです。
内在化している時間が"いのち"。死ぬのは"いのち=時計"を包んでいる肉体(=空間)の方が朽ちるから…外身が朽ちてなくなるから中身の"いのち"が失われる。そのように考えるのが、「超多時間理論」です。

【事務局の感想】
 剣法と数学が結びつくとは思いませんでした。北川さん曰く、数式をやりながら
この世の中をイメージしているのが数学者だということですが、剣法を数学で表した素晴らしい展開でした。算数も苦手な私には数式は難しかったのですが、宮本武蔵の「殺人刀」の自己中心的な考えと柳生新陰流の「活人刀」の相対的理論は、大変よく分かるものでした。自分は、どちらかというと・・・かしら?
 鉄舟を通じて、数学の勉強までできるところが、このサロンが他にはないユニークな点であり、特長だと思っていますので、ぜひメンバーの皆様、発表をお願いしましたら、ご協力よろしくお願いいたします。

投稿者 staff : 16:21 | コメント (1)

2006年03月25日

3月例会記録(2)

3月例会記録
山本紀久雄氏 「鉄舟の生きた時代への判断基準」

北川先生から難しいお話を聞いたのではないか。
 ベストセラー『国家の品格』を読むと著者の藤原氏は数学の出来不出来によって、現在の国家の状態を表すと書いておられる。ニュートンと宮本武蔵はオンリーワンで柳生は共存・共生。アインシュタインは「地球は共存・共生」ということを切り開いた人。

 数学というとアイルランドがすごい。文学もすごい。先日アイルランドへ行って、グレシャムホテルに泊まった。あの経済学の法則の一つ「グレシャムの法則」(悪貨は良貨を駆逐する)から名づけているのです。昔アイルランドは貧しい国だったが、現在は世界で中国並みに成長している。ヨーロッパで一番IT、産業が進んでいる。
 金子さんが先ほど昨日の夕刊にぬりえのことが出たとおっしゃった。掲載した日経新聞では、ぬりえを「塗るもの」ではなく「型」として、違った見方でぬりえを紹介した。塗られるほうからみるぬりえと塗るほうからみるぬりえで本が書けるのではないか。ものの見方は沢山ある。

型は大事。囲碁も定石を、ゴルフもスキーも型を覚えないと成長しない。北川さんは数学を勉強されているから日本経済もわかる。悪い型・習慣が悪いと病気になる。先日お会いした石原先生という方は非常に人気で、今から予約しても診察してもらえるのが2年半も先。講演も月に50本あり、本もベストセラー。30年前より患者より医者が増えたのに死ぬ人が増えるのは、生活習慣病だと先生はおっしゃる。
 鉄舟も時代の影響を受けている。人間の生きた時代を知らずして研究しても駄目だと気がついた。鉄舟の研究本を読んでも、鉄舟が生まれて何をしたかしか書かれておらず、鉄舟の生きた社会についてほとんど書かれていない。なぜ、あんな立派な業績を残したのかがわからない。研究は深めないとならない。穴を深く掘るには幅広く穴を開けないと深く掘れない。深めることは研究になる。だから鉄舟サロンでは、毎回いろんな方にいろんな話しをしてもらっている。北川さんの話で感心したのは、時間を内在させているというのは、禅の思想。起きた事件について世界をみて、そこから対話していく。鉄舟が社会現象をどのように捉えたかについては、今はまだ研究途中である。


1.鉄舟の揮毫数のすごさ
「明治十九年五月、健康が勝れぬ為、医者の勧告で『絶筆』といって七月三十一日迄に三萬枚を書き以後一切外部からの揮毫を謝絶することが発表された。すると我も我もと詰めかける依頼者が門前市をなして前後もわからぬので、朝一番に来たものから順次に番号札を渡した云ふことだ。(明治十九年六月三日東京日日新聞)其後は唯だ全生庵から申し込んだ分だけを例外としてゐたが、其の例外が八ヶ月間に十萬千三百八十枚(この書は全生庵執事から師匠に出す受取書によって知る)と云ふから驚く。或る人が『今まで御揮毫の墨蹟の数は大変なものでせうね』と云ふと、『なあに未だ三千五百萬人に一枚づつは行き渡るまいね』と師匠が笑われた。三千五百萬と云へば、其の頃の日本の人口なのだ。何と云っても、桁はづれの大物は、ケチな常人の了見では、尺度に合わぬものだ」
 小倉鉄樹の著書「おれの師匠」(島津書房)

 鉄舟の揮毫数のすごさを調べた。上記抜粋文の「師匠」は鉄舟のこと。書は塗るものだ!と、鉄舟は書いていないと言っている。書いていたら疲れてしまう。

2.物事の判断方程式 (現状・事実)÷(基準)=判断結果

 パリでお会いした日本人の女性は、自分が今までどんなプロセスで生きてきたか、辛かったことを話し、パリに来て良くなったと話した。フランスに来た当初は劣等感を持っており、劣等感の中でフランス人と付き合い始めた。フランス人と話し、質問されているうちに、日本が評価されていることがわかった。日本の文化が説明できなくて恥ずかしかった。しかし日本人であることの劣等感が解消され、今はフランス人の男性と結婚している。
 劣等感を持ったことも克服できたこともすべて自分の中の基準。自分が問題を起こし、自分が解決した。事実や現実に対し、良い・悪いの判断基準があり、それが判断結果になる。"結果が悪いのは相手が悪いから"と思ったらどうしようもない。自分の中の基準を変えないと結果は良くならない。


3.欧米人の幕末維新時代における日本判断基準

 日本は鎖国しており、外国人と付き合ったことがないので外国人に対して劣等感を持つことはなかった。日本人が一番優れていると思っており、外国人を紅毛僻人と呼んでいた。日本人の劣等感は、ペリーが来て今までの基準が変えられたときから始まった。
 白人の鼻が高いのは寒いから、冷たい空気を鼻の中で温めるため、顔が細いのは風除け、胴が短いのは腸が短いからで、肉を食べるからである。ペリーは日本にお土産として、ライフル銃、ウイスキー、シャンパンなどを持ってきた。日本人が一番興味を持ったのが、電信機と蒸気機関車の模型。日本人は相撲取りを見せた。アメリカ文化の日本経験としては、それは野蛮な力自慢としか感じなかった。アメリカ人は日本を部分的にしか啓蒙されていない人であり、アメリカの行為を科学と冒険がもたらした成功と言った。
 ペリーが日本の街を歩いていて、びっくりしたことのとして、銭湯が混浴だったことと女の人が裸で家にいること。ペリーは"遅れている"と思い、日本はペリーの日本遠征記で半分開かれた国として紹介されている。日本から見れば、混浴という意識ではなく、お風呂を"共同で使っている"という考えであり、相手をじろじろみない、他人の家を除かない、というルールが前提にある。アメリカ人はその前提を無視している。

 アメリカで白色人種が優れていることを学者が発表した。コーカサス人種は脳の容量が大きく、モンゴル人種は器用で模倣がうまいと人種を分けて人種論を展開した。ドイツの森に住んだアングロサクソンがローマ帝国を倒した、だから白人が一番優れているという理論。
 自分たちは天照大神を天岩戸から出したスサノオだとアメリカ人は思っている。暗かった世界に天照大神を出して明るくしたと。アメリカはニュートン方式でオンリーワンだから、どんどん発言していく。聞いたほうは、そんな気がして思い込みはじめる。日本は近代的にいうと機関車もないし、と受け入れていったのではないか。

 パリには高校1年生の女の子も一緒だった。彼女は食事でオペラ座前まで行ったとき、ごみが沢山落ちていて汚い、欧米に対して持っているイメージが違うと驚いていた。
 ボルドーで4つ星ホテルに泊まったとき、ワインは何?と聞いたら「ボルドー」とスタッフが答えた。ボルドーの何の地区か聞いたのに「ボルドー」と。もし地区がわからなかったら「ただ今確認してまいります」と他の人に聞くでしょう。サービス精神も落ちる。そんな欧米になぜ劣等感を持つのかわからない。
 ボルドーが世界遺産を申請している。2004年につくったトラムに乗るための切符売り場で紙幣が使えない。日本の方が進んでいる。基準を切り崩さないといけない。
 鉄舟が生きた時代はどうだったか。あちこちで百姓一揆が起きた時代だった。


4.鉄舟の生きた時代の気象状況
 江戸時代において通常とまではいわないまでも、異常気象は日常的であったという指摘があり、その異常気象を例示したのが以下である。
(江戸の生活と経済 宮林義信著『三一書房』)
①天正19年(1591)~寛永12年(1635)44年間多雨期
(このうち江戸時代は35年間)
②寛永13年(1636)~天和3年(1683) 47年間多雨期
③貞享1年(1684)~元禄13年(1700) 16年間干ばつ期
④元禄14年(1701)~明和2年(1765) 64年間多雨期
⑤明和3年(1766)~安永3年(1774)  8年間干ばつ期
⑥安永4年(1775)~寛政3年(1791)  16年間多雨期
⑦寛政四年(1792)~文化11年(1814) 22年間干ばつ期
⑧文政7年(1824)~安政2年(1855)  31年間干・冷期
⑨安政3年(1856)~明治五年(1872)  16年間多雨期
(このうち江戸時代は12年間)


5.一揆の発生要因
 上の中で江戸時代に該当する年数を合計してみると二百五十一年間になる。何と江戸時代が二百六十八年間続いたうちの94%に該当する年度が異常気象になり、これはいかにも多すぎる。しかし、このデータが事実とすれば、飢饉のリスクは当たり前の日常的であったと推測され、百姓一揆は多発したと予測される。鉄舟が生まれたのは天保七年(1836)であるから上記の⑧にあたり、一揆が多発した時代であり、その環境下で少年時代を過ごした。

 今年も大雪、昨年の夏は暑かった。普通の年は考えられない。部分的には、毎年異常気象だった。一千八百万石、農民が米の生産に励んだ。耕作するためには平和・安全がなければ耕作できない。領主がきちんと備蓄する国には一揆は発生しなかった。


6.一揆の事実 
 作り上げられた「義民伝説」と「竹鎗蓆旗」(ちくそうせつき・竹やりとむしろ旗)

 佐倉義民伝(佐倉惣五郎または宗五郎)
暴力的な百姓一揆を身を挺してとどめ、一身を犠牲にして越訴する義民物語
四代将軍家綱の時代 承応二年(1653)の佐倉騒動
その後口承伝承され198年後の嘉永四年(1851)に「東山桜荘子」として芝居となった。活版として本になったのは234年後の明治20年、荒川藤兵衛刊「佐倉義民伝」が最初である。自由民権運動で民衆の歴史を表に出した。

 竹鎗蓆旗(ちくそうせつき・竹やりとむしろ旗)
これは全くの嘘、事実ではないというのが最近の研究結果
江戸時代一揆史上3200件の中で文政年間(1820年頃)の二例だけが竹やりを持って殺害した事例・・・1818年大和の国と1823年紀伊国一揆には「一揆の作法」が在村世界の社会通念として成熟していた・・・群集の行動作法様式と江戸には「かご訴」を含む訴訟(公事)世話する「公事宿の紀伊国屋」が存在した。    

 この話しは歌舞伎にもある。江戸が始まってすぐの1653年に起きた事件が200年後に芝居になった。時代設定を足利時代に変えて、235年後の明治20年に本になった。本にした理由があった。この時代はこうであったと伝えたい。
竹やりとむしろ旗は事実ではない。一揆には作法があった。江戸幕府に対して申し出ている。それについては詳しく調べてお伝えしたい。

 また、全国大会では北海道大学の井上先生をお呼びして、江戸時代の時代背景についてご講演いただくことを検討している。

【事務局の感想】
 研究を深めるとはどういうことか。穴を深く掘るには、幅広く、穴を開けないと深く掘れるものではない。鉄舟のことだけをするのではなく、その周りも含めて幅広くすることが、研究であるという山本さんの解説を、有り難いアドバイスとして、私もぬりえについて深めて行きたいと思います。

投稿者 staff : 12:28 | コメント (0)

2006年03月16日

4月例会のご案内

4月の例会は、4月19日(水)開催です。
発表者は、下村さんと田中さんです。
下村さんには、「印刷の基本的知識」について発表いただきます。
田中には、平安~江戸時代に使われていた現在のひらがなの原型である「変体仮名」について、発表していただきます。
尚、4月は山本さんの鉄舟研究はお休みです。
会場が東京文化開館の「中会議室 2」になりますので、ご注意願います。

4月もご参加をお待ちしています。

投稿者 Master : 18:18 | コメント (0)

4月9日開催の春のイベント案内

4月9日(日)13:00~19:00
葛飾区水元公園「観桜会」と「剪画アート&スペース」ギャラリー見学会をいたします。
集合:13:00厳守(13:11発のバス利用)
JR金町駅南口ロータリーバス停2番

閘門橋から3.5キロの「さくら堤」をそぞろ歩き、桜のお花見をしばし楽しみます。→「しばられ地蔵」は、メンバーで剪画アート&スペースギャラリーを主宰している小野寺さんのご親戚の寺院です。縁のお話をお聞きします。そして「ギャラリー」では、小野寺さんの解説で剪画を楽しんでいただきます。→その後、金町駅付近の懇親会会場へ。
懇親会:「たる作」 電話:03-3608-7667
時間:17:00~19:00 
参加費は3500円くらいを予定しています
*参加の申し込みは、電話、FAX、メールなどでぬりえ美術館の金子までご連絡願います。
ご参加、お待ちしています。

投稿者 Master : 18:10 | コメント (0)

3月例会参加記

鉄舟サロン3月の例会参加記
今回は必殺の剣法を数理的に解析するというアインシュタインもベロひっこめる脳のトレーニングだった!の巻


久々に晴れわたった東京地方。春近しということで私はコートを脱ぎ捨てて鉄舟サロン例会に出かけました。


今回の発表その1は北川氏による「必勝の剣法」を数理的に立証するというものでした。
お話の概略は、柳生新陰流の活人剣(かつにんけん)は、相手が斬り込んでくるとそれをとばしてさらに相手を斬ることのできる「普遍的な必殺技の原理」である、ということを北川氏が柳生新陰流の道統・柳生延春氏より聞くにあたり、それを数理的に証明することを試み、見事計算式が成り立った、というのです。
どうですか。聞いて分かりますか?「簡単なんですよアッハッハ」と北川氏はいとも簡単に解説されましたが、正直半分も飲み込めませんでした。ヒジョーにクヤシー!でした。このリクツを解くキーワードは「ユークリッド空間」「オイラーのe(ウー)」であり、これらのリクツは相対性理論および量子力学の分野なのでした。マイッタ!不戦敗でした。
北川氏は私がすぐに飲み込めないであろうことを百も承知で、詳細なレジュメを持参してくださっていました。絶対理解してやる!と心に決め、今日はこのくらいでカンベンしてあげようと思いました。


そして、山本先生の発表。鉄舟が生きた時代はどんな時代であったのか。これを理解せずして鉄舟を語ることはできない、ということでした。
日本人は、欧米へ劣等感的な感情を抱いている人が多いという事実があります。そして、この意識の源流はペリーの来航時に形成されたもの、もっと言えばペリーの外交政策として日本人に植え付けたものであるとのこと。私は外国嫌いですが、その本質は外国人嫌いなのだと思います。その原因として、劣等感的感情を根底に持っているのだと思います。
今回の山本先生の発表で心に残ったことは次のことでした。
外人に対する劣等感的意識は、感情の問題であるから当然各人の内なる問題であり、日本が欧米に比して劣る事実があって発生したものではないということが大事なのである。実際に欧米を訪問してみれば、モノやサービスなど、日本が劣るところなどない、むしろ優れているところさえ多い。要は自分で自分に勝手にレッテル貼って苦手意識を勝手に創り出しているに過ぎないということなのだ。それに気づき、変化していくことが自分を幸せにすることにつながるのだ。
いつもながら勉強になります、ハイ。

photo_06031501.JPG
懇親会風景。
勉強、懇親と忙しくも楽しい会でした。

投稿者 lefthand : 00:26 | コメント (0)