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2008年05月22日
5月例会の感想
真夏を思わせるよい天気になりました。
5月例会の様子をご報告します。
今月も、来たる6月15日(日)、靖国神社への正式参拝に向けて、上米良恭臣氏から靖国神社についてのお話をいただきました。
上米良氏が敬慕されておられる幡掛正浩氏から、「士」とはこういうことだということを教わったそうです。
『子曰く、己を行うに恥有り、四方に使して君命を辱めざるは、士と謂うべし』
まさに鉄舟が生涯追い求めた己の姿と思います。
公人として、己を捨てて君のために尽くした鉄舟の胆力は、士と呼ばずして何と呼ばんや。
深く感じ入った一文でした。
続いては、山本紀久雄氏の鉄舟研究です。
今月のテーマは「幕末の風雲は清河八郎の九州遊説から開幕」でした。
清河八郎は「虎尾の会」を結成し、鉄舟は発起人に連なりました。
結成の盟約書の中で清河は「(自分たちに)敵対するものは醜慮(しゅうりょ・外国人)と同罪であるから、王公将相もことごとくこれを斬る」と、大変過激なことをいっています。
『天璋院篤姫』(宮尾登美子・講談社文庫)によれば、天皇家は外国人など見たこともなかったので、水戸斉昭が朝廷に醜い姿の偉人を描いた錦絵などを送り、外国人のイメージを歪めて植え付け、攘夷に走らせたのだそうです。
ちなみに、本書で山岡鉄舟は登場はしませんが、名前は二箇所出てきます。江戸城無血開城のくだりの天璋院と鉄舟のそれぞれの西郷への談判の顛末は、読んでのお楽しみということで。これをNHKが大河ドラマでどう料理するか楽しみです。
話が逸れました。
虎尾の会結成は、後の鉄舟駿府駆けの壮大なドラマの序章となるものでした。
ここで、駿府駆けの重要人物である益満休之助と出会うのです。
清河八郎は、江戸無血開城という一大革命を成し遂げた縁(えにし)を繋いだのです。
その後、清河は彼をマークしていた同心を斬ってしまい、全国を逃亡することになるのですが、この逃亡生活が九州遊説に転化することになります。
幕末の風雲は九州遊説から始まった。
なぜでしょう。
来月をお楽しみに。
(田中達也・記)
投稿者 lefthand : 2008年05月22日 20:20