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2008年04月18日

4月例会の感想

桜の季節も過ぎ、本格的な春がやってきました。
4月の例会の様子をご報告します。

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今月の発表は、上米良恭臣氏による「靖国神社私論」です。

4月、5月と2回にわたって発表いただく今回の靖国神社は、非常にナイーブな問題を抱えています。
それを単なる空論で終わらせるのではなく、上米良氏が実際にお会いされ、見聞きされたことを中心に靖国神社を語っていただくのが今回の発表の主題でありました。
まさに神職の家系に生まれ、ご自身も神職であった上米良氏ならではの見解を聞くことができる絶好の機会でした。

上米良氏は、「原初、靖国は率直なこころの問題であった」と語ります。
靖国神社は国家のために身を捧げた方々の御霊を祀る場所であり、その他の何ものでもないのです。
終戦後、靖国神社の処理問題にあたり連合軍総司令官のマッカーサーは、宗教的な見地からの意見を伺うべく、駐日ローマ法王代表バチカン公使代理のビッテル神父に意見を問うたところ、次のような見解を示したそうです。
『自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意を払う権利と義務があるといえる。(中略)はっきりいって、靖国神社を焼却する事は、米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。(中略)国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである』
(『英霊の言之葉8』靖国神社発行より)

日本は今や、経済・人口・環境などあらゆる面において成熟した社会となっているように思います。成熟とは、国家全体がひとつとなって発展に向かって突き進むことができるような未発展の分野を見つけることが非常に難しいという意味です。
そのような段階において、昨今「こころの問題」がクローズアップされてきているというのは、自然な流れのように感じます。「こころの問題」を職業に選んだ私としては、このことが特に強く感じられます。
日本という土壌が育んできた「こころ」とはどのようなものなのか。
このことは、日本の文化を語ることのように思えるのは、突飛なことでしょうか。
靖国から、また鉄舟から、日本人の「こころ」について学ぶことが多くあるのではないか、そう感じた、今回の発表でした。


続いては、山本紀久雄氏の鉄舟研究発表です。

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今回も引き続き、清河八郎と鉄舟との関係についての発表をいただきました。

清河は故郷・山形を家出同然で出奔し、江戸へとやってきました。
それは、学者を志し、学問を修めるためでした。
それが突如として「倒幕論者」に翻意するのです。
彼の考えを翻させたきっかけは、桜田門外の変でした。
水戸藩士を中心とする脱藩浪士により、登城中の井伊大老は暗殺されました。
この事件は、その後の日本の歴史を大きく変えるほどの大事件でした。
それを、身分の低い脱藩浪士がおこなったのです。

自分と同じような軽輩の浪士が歴史を変えた。
そのことが、清河の全身を貫いたのでした。
そして、彼は過激な倒幕運動家へと変貌していくのです。

清河はその数年後暗殺されるわけですが、なにゆえに彼はそれほど激烈な戦略転換を図ったのでしょうか。
一方、鉄舟は維新後も生き、国家のために尽くし続け、往生を遂げました。
この違いは何か。
来月をお楽しみに。

(田中達也・記)

投稿者 lefthand : 2008年04月18日 21:48

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