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2011年10月26日

「活人剣(かつにんけん)」と「殺人刀(せつにんとう)」

「活人剣(かつにんけん)」と「殺人刀(せつにんとう)」
──「必勝の剣法」はある、それが《武士道》だ──

2011年10月19日
北 川 宏 廸

 

 本日、この山岡鉄舟研究会で是非お話ししたいのは、世の中には何ものにも負けない「必勝の剣法」が存在する、ということについてである。

 結論を先に言えば、山岡鉄舟がいう《武士道》とは、実は、この「必勝の剣法」のことをいっているのである。

剣法の実際の「理」と「技(わざ)」を《言葉》で表現するのは、大変むつかしい。

なぜなら、われわれが五感で認識し、判断し、行動(行為)する、剣法の「理」と「技」を表現する言葉の論理は非常に甘いし、また、われわれの認識には、事実から乖離したある種の思い込みやバイアスが含まれているので、実際に起きている事実をそのまま記述すること自体、そもそも不可能であるからだ。

 したがって、本稿では、剣法を《言葉》で説明しつつ、そのポイントとなる部分では、自然科学者が自然現象記述の手段として使用する「数式」の力を借りて、この「必勝の剣法」の存在を明らかにしたいと思う。

山岡鉄舟の剣法は
「一刀正伝無刀流」

 
山岡鉄舟は、自らの剣法を「一刀正伝無刀流」と名付けている。

 鉄舟の剣法は、一言でいえば、鉄舟自身が「剣法と禅理」( 明治13年(1880年)、鉄舟45歳のとき )のなかで述べているように、流祖・伊藤一刀斉景久の流れを継ぎ、当時、「一刀流」の達人といわれた師範の浅利又七郎義明から学んだ「一刀流剣法」の奥義を、そのとき、京都天龍寺の管長であった禅僧・滴水から鉗鎚(けんつい)を受けた「無相」の禅理───すなわち、「見性悟入」(太刀を用いないで天道発源の心理の極致に悟入すること)の禅理───に、帰一させたところにある、といってよい。

 鉄舟は、「一刀流兵法箇条目録」( 明治15年(1882年)、鉄舟47歳のとき )のなかで、次のように述べている。

 「 抑々 当流刀術を一刀流と名付けたる所以のものは、元祖伊藤一刀斉なるを以ての故に一刀流と云ふにはあらず。一刀流と名付けたるは、其気味(注、含むところ)あり。万物大極の一より始まり、一刀万化して、一刀に治まり、又一刀に起るの理あり。又曰く、一刀流は活刀を流すの字義あり。流すは〝すたる〞(以下、括弧〝〞は、筆者)の意味なり。当流〝すたる〞ことを要す。〝すたる〞といふは、一刀に起り、一刀に〝すたる〞ことなり。然れども其〝すたる〞の理通じ難し。於是か、さきより門前の瓦(かわら)と云へるたとへあり。瓦を以て門をたたき、人出で門開く、此時用をなしたる程に、瓦を捨つ可きを、其儘持て席上に通らば、かへって不用品とならん、是を捨てざるゆえなり。業(わざ)も亦然り、打つべきところあらば、一刀を打ちて用をなしたる故、ここに〝すたる〞ことあらば、またおこる、万化すといへども、みなしかり。打って打たざるもとの心となる、これ刀〝すたる〞の至極なり。」

 すなわち、鉄舟は、自らの剣法「一刀正伝無刀流」の理を、「一刀に起こり、一刀に〝すたる〞」ところにあるというのだ。

 ここで、〝すたる〞という自動詞は、「なきものになる」「あとに残さない」「終わる」「もとに治まる」「はじめに戻る」などの意味で使われている

 また、鉄舟は、「剣法邪正弁」( 明治15年(1882年)、鉄舟47歳のとき )のなかで、「一刀正伝無刀流」の極意を、次のように披瀝している。

 「夫れ 剣法正伝真の極意者(は)、別に法なし。敵の好む処に随ひて勝を得るにあり。敵の好む所とは何ぞや、両刃相対すれば、必ず敵を打んと思ふ念あらざるなし。故に我体を総て敵に任せ、敵の好む処に来るに随ひ勝つを真正の勝と云ふ。譬へば、箇(はこ)の中にある品を出すに、先ず其蓋を去り、細に其中を見て品を知るがごとし。」

 さらに、前述の「一刀流兵法箇条目録」のなかで、「一刀正伝無刀流」のポイントとなる点を、十二箇条あげている。

一、二之目付(にのめつけ)之事
   ( 敵を見るポイントは、太刀の「切っ先」と、敵の「拳」(こぶし)の2点にある )
二、切落(きりおとし)之事
   ( 自分の太刀を切り落とすと、何時の間にやら敵の「拳」にあたる、無拍子の拍子 )
三、遠近之事
   ( 敵の為には打つ間が遠くなり、自分の為には打つ間が近くなること )
四、横竪上下之事
   ( 横竪上下とは、真ん中のこと。上より来るものは下より応じ、下より来るものは上より応じ、横より    来るものは竪に応じ、竪に来るものは横に応じ、心はいつも中央に在って、気配自由なること )
五、色付之事
   ( 色付とは、敵の色(気配)に付くな、ということ )
六、目心之事
   ( 目心とは、目を見るな、心でみよ、ということ )
七、狐疑心之事
   ( 狐疑心とは、疑心を起こすな、ということ )
八、松風之事
   ( 松風とは、合気(拍子)を外せ、ということ )
九、地形之事
   ( 地形とは、順地(つま先下がり)逆地(つま先上がり)のこと。順地は敵を拳下りに打つため有利、    よって敵を逆地におけ、ということ )
十、無他心通之事
   ( 無他心通とは、敵を打つ一遍の心になれ、ということ )
十一、間之事
   ( 間とは、敵合いの間のこと。自分の太刀下三尺、敵の太刀下三尺、とみて、六尺の間。一足出さ    ねば敵にあたらぬ故、打つもつくも、一足一刀。この間合いが大事 )
十二、残心之事
   ( 残心とは、心を残さず打て、ということ。心惜しまず〝すたれ〞ということ )

 鉄舟が、このように、一ヵ条づつあげて、十二ヵ条目録を掲げたのは、剣法は、一刀よりおこって、万剣に化し、また、万刀一刀に帰す、と考えたからだ。

 これはちょうど、一年に十二ヵ月があり、一陽に起こって、万物造化し、陽中陰をめぐみて、万物生じ陰ここに極まりて、年月つくるものと見れば、陰中陽を発して、またいつか青陽の春にかへるようなに、自然の摂理は、必ず陰陽をくりかえす。

 したがって、「一刀正伝無刀流」の鍛錬や修業も、「一よりおこりて十二に終る、而してまたもとの一にかへりて、つくることなし、またもとの初心にかへり、またもとにかへり、無量にして極りなき心に至る」のだ、というのである。

 要すれば、鉄舟の剣法は、敵の好む処をよく見極め、敵の動きに随い、こちらが主導権をとって、敵の「切っ先」と「拳」に目をつけ、迷わず、間髪を容れず、無拍子の拍子で、心残さず、敵の「拳」を一刀両段に打ち据えよ、ということに尽きるといってよい。

 実は、鉄舟の剣法は、後でお話しする、上泉伊勢守を流祖とする「柳生新陰流」の剣法「活人剣」(かつにんけん)そのものだったのである。鉄舟は生涯一度も、幕末の混乱のなかにあっても、刀で人を斬ったことはなかった。

山岡鉄舟のいう
「武士道」とは
 

では、鉄舟は、兵法の道である「武士道」を、どのように考えていたのか。

 これが明らかになるのは、鉄舟が著した「武士道」( 万延元年(1860年)、鉄舟25歳 のとき)のなかの次の一文だ。

 「 わが邦人に、一種微妙の通念あり。神道にあらず、儒道にあらず、仏道にもあらず、神。儒。仏。三道融和の通念にして、中古以降専ら武門に於て、其著しきを見る。鉄太郎之を名付て武士道と云ふ。然れども未だ曾て文書に認め、經に綴って伝ふるものあるを見ず。」

 そして、鉄舟は、「武士道」を次のように定義する。

 「 武士道は、(中略)善悪の理屈を知りたるのみにては武士道にあらず、善ありと知りたる上は、直に実行にあらわしくるをもって、武士道とは申すなり。」

 そしてまた、

 「武士道は、本来心(道理、すなわち天地の心理)を元として、形(行為)に発動するものなれば、形は時に従い、事に応じて変化変転極まりなきものなり」と。

 すなわち、鉄舟は、「武士道」で大切なのは、起きている事の善悪を天地自然の道理に照らして判断する「判断力」だけではなく、その判断に基づき自分の目前で起きている事態の改善に向けて行動を起こす「決断力」の方にある。その行動は、これから起きる不測の事態に対して、常に「臨機応変」でなければならない、と考えたのである。

「必勝の剣法」
の二つの流れ

 剣法の歴史をみると、戦国時代が終わった1600年の関ヶ原の戦いを境にして、「介者剣法」(鎧をつけた兵士の剣法)から、「素肌剣法」(甲冑を身につけない剣法)への大きな流れの転換がみられる。
 すなわち、「殺人刀」(せつにんとう)の介者剣法から、「活人剣」(かつにんけん)の素肌剣法への移行だ。
「活人剣」の原形はすべて介者剣法の中にある。介者剣法から剣法のエッセンスを抽出したのが、「柳生新陰流」の上泉伊勢守であった。

 介者剣法は、重たい兜を被り、鎧をまとって戦った戦国時代の剣法だ。甲冑での戦いは重たい兜や鎧を着けているため、重心を低くした「沈なる身」での斬り相いとなる。
 この剣法の極意は、とにかく「相手の拳(こぶし)を斬ること」であった。なぜなら、甲冑から露出していて、こちらから一番近いところにあるのが、相手の拳であるからだ。

 介者剣法では、「切っ先三寸」(太刀の先端から三寸、約9センチ)で、相手の長さ三寸ほどの拳を斬ることを「三寸二つ」と教えている。

 さらに、相手の拳を斬るために、「十文字勝ち」をいう教えがある。たとえ敵がどのように打ってきても、敵と正対し、自らの《人中路》を、真っ直ぐ、一刀両段(新陰流では「断」ではなく、「段」という)に断つように斬ると、必ず敵の拳が斬れる、という教えだ。

 人中路とは、自らの身体の中心を貫くラインのことだ。敵の人中路と、自らの人中路を合わせて、自らの人中路を断つように斬ると、切っ先三寸で相手の拳が斬れるのである。

 介者剣法では、この刀法を「拳を見て拳に勝つ」と言い習わしてきた。

伊勢守の活人剣でも、やはり、自らの《人中路》のこの「十文字勝ち」が、剣法の「技」の根幹におかれている。

 しかし、介者剣法の「理」の根元は「殺人刀」にある。殺人刀は、自分の得意とする技に磨きをかけて、その得意技を生かしてスピードとパワーで敵に勝つ、という考え方だ。

 殺人刀の「殺人」(せつにん)とは文字通り、人を殺すという意味ではない。「殺」とはスピードとパワーで敵を威圧し、委縮させることをいう。

一対一の斬り相いは、相対する二つの存在の熾烈なぶつかり合いになるが、殺人刀で勝てるのは相手に対して自らの実力が勝っているときに限られる。

 つまり、殺人刀では勝つチャンスもあれば、負けるリスクもある。勝敗がどちらに転ぶかは、実際に剣を交えるまでわからない。

 しかし、江戸時代に入り、「大坂の役」を最後に大規模な合戦はなくなり、天下泰平の世となった。
 ここで剣法は、「介者剣法」から「素肌剣法」へと大きくパラダイムシフトする。剣法の「理」が「殺人刀」から「活人剣」に変わったのである。

 活人剣は、殺人刀の「殺」が、敵を威圧してその働きを殺す意味だとしたら、活人剣の「活」は、敵を働かせて、敵の働きを利用して、それに対応して勝ちを得る、という柔軟な考え方をとる。この考え方を突きつめていくと、自分と敵の関係を見極めて、自分と敵を共に生かす、という生き方につながっていく。

 敵を先に働かせて、そのスピードとパワーに応じて、無形の位から自由闊達に剣をふるって勝つ。相手は「斬った」と思っているのに、いつの間にか斬られている。これが活人剣が想定するところの《必勝の方程式》だ。

 実は、武士道は、「殺人刀」の介者剣法から「活人剣」の素肌剣法への移行期に、そもそも、剣法の「普遍的価値」とは何なのか───さらにいえば、権力を握りこの世の中を統治する《武士》という支配者階級に求められる「真実の道」とは何なのか───という重い課題を、真摯に追求するところからはじまったのである。

 すなわち、《武士道》とは、人間の生き方の、兵法における「真実の道」を発見することだったのだ。

 「真実の道」は、何も兵法にだけあるのではない。それは、およそ技術をもち、道具を用いて生きていく、あらゆる「人間」と「人間」の間に無数に存在する《 間合い=「時間」と「空間」 》において、極めて有効に作用しているところの語りがたき「理外の理」の働きなのである。

 だから、武士道は、人間の《観念》のうちにあるのではなく、人間の有効な《行為》のなかにある。
しかし、有効な行為の理論は、あまりに精妙で、これを観念によって極めることが不可能であることから、人は器用・不器用などという曖昧な《言葉》で済ませようとする。

これを曖昧にせず、《器用》という言葉の中に含まれる「理外の理」を突きつめること、これがまさに《武士道》だったのである。

「上泉伊勢守」
と「宮本武蔵」

 
この「介者剣法」から「素肌剣法」への移行期にあらわれたのが、柳生新陰流の流祖・上泉伊勢守と、宮本武蔵だった。

 伊勢守は室町時代末期の1508年頃生まれ、戦国時代の真っただ中を生き、75歳ほどで死んでいる。武蔵は、本能寺の変があった天正10年(1582年)、ちょうど伊勢守が死んだ頃に生まれ、1645年の乱世が収束した時代に死んでいる。

 面白いことに、「活人剣」の創始者である伊勢守と入れ代るかたちで、最後の「殺人刀」最強の剣客であった武蔵が生まれてきたことだ。

 伊勢守の偉大なところは、戦国期のある特異な時点において、その時期に形成された新当流(神道流)、念流、陰流の3つの流れを修め、なかでも陰流を最も重んじ、それに自らの工夫を加えて、「新陰流」という新しい「活人剣」の流儀を創造したことだ。

 伊勢守の「活人剣」の奥義は、伊勢守が著した秘伝書『影目録』(全四巻)の『燕飛』の巻に収められている。

 また、武蔵の剣法は、武蔵が死ぬ2年前の寛永20年(1643年)に書いた『五輪書』によって知ることができる。

 これを読むと明らかになるのは、両者の間に、剣法の「技」においては、寸分の優劣の差はなかったが、剣法の「理」において、両者の間に根本的な理解の差があった、ということだ。

 それは、「技」において優劣の差のない、相対峙する2つの存在が、〝いのち〞をかけて対決する「斬り相い空間」において、相対峙する2つの別々の太刀の、それぞれの回転運動を貫くところの「理」の違い──── つまり、2つの太刀のそれぞれに働く運動力学の違いをどう理解していたのか───という問題だ。

 武蔵の「殺人刀」では、太刀の運動力学の視点がまったく欠落しているのだ。

 「斬り相い空間」は、マトリクスで示すと、「空間軸」と「時間軸」の合成空間だ。「自分」の立ち位置は、両軸の交点0の空間軸上にある。相対峙する「相手」の立ち位置は、自分からみると時間軸上の《時間空間》のなかにある。
運動力学の理論に従えば、太刀に同じ力が加えられたとしても、太刀の回転速度(スピード)は、時間軸上よりも、空間軸上の方が、回転スピードが速い。

つまり、空間軸上にいる「自分」の太刀の方が、時間軸上にいる「相手」の太刀よりも、斬り下ろす太刀のスピードが速い。「自分」は、常に相対優位のポジションにいるので、十分注意深く、かつ、臨機に対応できれば、「自分」は自然の理によって守られているのだ。

 伊勢守が「活人剣」を編み出したのは、「空間軸」と「時間軸」の隙間にある、この「理」に気がついたからではなかったのか。

彼は、これを「理外の理」というかたちで認識し、どうも「空間」と「時間」の関係を相対的なものとみていた節があるのだ。

 現代物理学の立場から言えば、伊勢守はアインシュタインの「相対性理論」の力学に立っていたのである。これに対して、武蔵には時間軸が存在しない。彼は、ニュートン力学の立場に立っていたのだ。

柳生新陰流の
剣法の「奥義」

 柳生新陰流剣法の「奥義」とは何か。

 柳生新陰流を他流と隔てている柳生新陰流の奥義は、「性自然」と「転」(まろばし)という2つの理念を剣法の要においたことにある。

 一、「性自然」

 剣術では、心と身体、身体と太刀を自然と一体化させて、バランスよく動くことが理想だ。ところが人間は相手を斬りたいと気がはやると身体と太刀、手と足がバラバラになりがちだ。なまじ手が器用なため、手先のみに頼って相手を斬ろうとしたり、手が先に出て足が残ったりする。それでは自然の摂理から離れてしまう。

 新陰流では、「性自然」の状態を、「刀身一如」とか「心身一如」、また、「刀中蔵」、「神妙剣」あるいは「無刀取り」と教えている。

 「刀身一如」とは、太刀という道具と自分を一体化すること、「心身一如」とは、自分の心と身体を一つにすること、「刀中蔵」とは、相手から見たときに自分の身体を構えた太刀に隠す、という意味だ。

 「神妙剣」とは、「人知を超えた剣」という意味で、ありのままで滞りなく、怒りや怖れといった感情に左右されない純粋な心こそが、敵の千変万化の働きに対して自在に応じる太刀捌きの原動力になる、という教えだ。

 また、「無刀取り」とは、太刀を持って向かってくる相手に対して、太刀を持たない無刀の状態で立ち向かい、相手の太刀を奪って勝つ技だ。しかし、抜刀した相手に素手で立ち向かい、その太刀を奪取するのが無刀取りの目的ではない。

 太刀を持たない無刀のときに、人ははじめて太刀を持つ人の気持ちになれる。そのとき、本当に自分と敵が「自他一如」の状態になる。そうなると、必要以上に焦ったり、不利に思ったりせず、敵の気持ちになって、敵が斬りやすいように誘い出し、敵に斬り込ませて、これに対応することができる。

 無刀という究極のシミュレーションを介して、真剣勝負の本質を知ることができる、と教えるのだ。

 二、「転」(まろばし)

 流祖・伊勢守は、先にあげた秘伝書『影目録』のなかで、「転」(まろばし)の極意を、次のように説明している。

 「‥‥‥懸待表裏は、一隅を守らず。敵に随って転変して一重の手段を施すこと、恰も
風を見て帆を使い、兎を見て鷹を放つが如し。懸、懸に非ず。待、待に非ず。懸は意待に在り。待は意懸に在り。‥‥‥‥」

 ここに出てくる、「懸待表裏」とは、相手との「斬り相い空間」を構成する重要な4つの要素のことだ。
「懸」とは、先制攻撃を行うこと、「待」とは、敵の攻撃を待つこと、「表」とは、敵が構えた太刀の刃の方向あるいは前の方向から攻めること、「裏」とは、それとは逆に敵の構えた太刀の刃の裏から攻めること。また、「一隅を守らず」とは、いずれにもこだわらず、の意味だ。

 そして、伊勢守は、「転」とは、この「懸待表裏」の4つのいずれにもこだわらず、相手の出方に応じて柔軟に対応することなのだ、という。

 これは、水夫が潮風を見て船の帆を操り、猟師が兎の動きを見て鷹を放つのと同じで、攻めることは攻めることではない、守ることは守ることではない。攻めることは守ることであり、守ることは攻めることなのだと、伊勢守は看破したのである。

 柳生新陰流の「活人剣」は、この「性自然」と「転」という2つの理念を要においている。

 では、ここで新陰流「活人剣」の奥義を整理しておこう。

 新陰流の「活人剣」は、相対する2つの存在がぶつかり合う「斬り相い空間」において、まず、「相手」と「自分」の関係を見極め、「相手」を先に働かせて、相手の「転」(まろばし)を活かして、これを活用するかたちで、「一瞬の時間差」を利用して、後から「相手」に打ちかかり、迷わず、自らの《 人中路 》(自らの身体の中心を貫くライン)を真っ直ぐ、一刀両段に、斬り下ろせば、「相手」の太刀の上に乗るかたちで、必ず勝ちを治めることができる、というものだ。

一言でいえば、《 「後手必勝」の剣法 》ということができる。

 要するに、活人剣においては、こちらのシナリオに沿って相手を動かし、斬り相う前から、こちらが主導権をとり、相手が「勝てる」と思ってどう斬ってくるかを予測して、待ち構えて、これに打ち勝つのである。

柳生新陰流剣法の
「後手必勝」の数理

 では、後から打ってなぜ勝てるのか。

 新陰流の剣法では、先に働かせ斬ってきた相手に対し、後から打ちかかって、相手の太刀に乗って勝つ、という。普通に考えると、先に動いた方が有利で、それを見てあとから動くと、この「一瞬の時間差」で斬られてしまうはずだ。

 実は、「斬り相い空間」における、このほんの僅かな「一瞬の時間差」に、新陰流秘伝の「後手必勝」の数理が働くのである。

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(事務局からお詫び)
(数式部分が正しく表示できないため、該当部分をスキャンして掲載いたしました。見難いとは存じますがよろしくお願いいたします)

「生きる」とは
どういうことか

 生きものが「生きる」ということは、このe(時間軸)とπ(パイ・空間軸)の回転スピードの「一瞬の時間差」を利用して、「自分」のいのちを、「敵」から守ることなのだ。

 生き続けるには、《3つの条件》を満たす必要がある。

1、敵の「転」を観て、その働きを予測する。
2、敵の「転」に、臨機応変に応じ、その働きを封じる。
3、そのためには、普段の「習い」「稽古」「工夫」を欠かさない。

 「生きる」こととは、生存価値の善・悪・正・邪以前に、この世の自然の摂理に従うことであり、生きる価値は、生き続けること自体にある。

 野生のライオンはシマウマを食べて生きている。追われるシマウマは、ライオンから、15%の時間軸上のハンディキャップを使って逃げ切ることにより、食われない確率が五分五分になる。だから、シマウマは絶滅しない。

 生きものが自らの生存リスクを察知して、十分注意深かければ、この世の中で生き続けられる理由が、まさにここにあるのだ。

以 上      

 この内容についてお問い合わせは北川宏廸氏hirom-ki@js4.so-net.ne.jp
 又は山岡鉄舟研究会info@tessyuu.jpにお願いいたします。

(参考文献)

1、「英傑 巨人を語る」(勝海舟/評論、高橋泥舟/校閲、安部正人/編、日本出版放送企画発行、1990年)

2、「負けない奥義───柳生新陰流宗家が教える最強の心身術」(柳生耕一平厳信著、ソフトバンク新書161、2011年)

3、「五輪書」(宮本武蔵著、佐藤正英 校注・訳、ちくま学芸文庫、2009年)

4、「宮本武蔵 剣と思想」(前田英樹著、ちくま文庫、2009年)

5、「博士の愛した数式」(小川洋子著、新潮文庫、2005年)

投稿者 Master : 2011年10月26日 11:06

コメント

久々に鉄舟会に出席させて頂き感銘をうけました。北川氏の剣のお話は、わかり易く非常に参考になりました。 特に先手必勝と後手必勝の違い、後手必勝の真髄はわれわれビジネス構築にもあい通じるものがあります。 日頃の鍛錬、訓練、情報力、連携力、洞察力が大事で、決断のタイミングと実行力が勝負の別れ目であるーー、思いあたる事が多々あります。参考にしていきたいと思います。 ありがとうございました。

投稿者 toyohiro.kitamura : 2011年10月27日 09:58

鐵舟先生の大ファンで、こちらのサイトで勉強させていただいております。現在カンボジアのプノンペンで歯科医院を開業しておりますため、講演会にはなかなか参加できませんが、それでも可能であれば是非入会したいと思っております。
5年ほど前にカムバック致しました剣道に夢中で、ここプノンペンでも稽古を続けております。
大人になっての剣道は、理を追求する面白さも加わり、カンボジアの方々に剣道の魅力を伝えるのもまた楽しんでおります。
ところで、赤心で中心に打ち込んだ面に乗られてあきらかに強い打をほんの少し先に決められることを、すばらしい先生たちとの立ち会いで時々経験致しますが、これがオイラーの方程式で説明されるとは思いませんでした。時空の話は数学的には理解できませんでしたが、その15パーセントの不利をついても先の先で打ち勝ちたいと稽古しております。むずかしいですね!
鐵舟先生の一刀正伝無刀流の極意,12箇条にも留意してやってみます。
これからも、アカデミックかつ形而上的な記事を期待しています。

投稿者 森 いたる : 2012年05月11日 00:05

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