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2011年10月26日
山岡鉄舟研究会2011年10月開催報告
山岡鉄舟研究会2011年10月開催結果を案内申し上げます。
1.2011年10月開催結果
① 北川宏廸氏・・・ 2006年3月の例会で北川氏が「必勝の剣法はある・・・剣の『理』と『技』をめぐる数理」に続くご発表でした。
「活人剣(かつにんけん)」と「殺人刀(せつにんとう)」
――「必勝の剣法」はある、それが≪武士道≫だ――
この内容、大変参考になり、興味深く、鉄舟剣法を新たなる視点から分析し、加えて、数式と図表を持って解説しておりますので、その全文を北川氏のご了解を受けまして、以下に掲載いたしましたので、是非、ご一読されます事をお薦めいたします。
http://www.tessyuu.jp/archives/2011/10/post_349.html#more
②末松正二氏・・・繆斌(みょうひん)工作について
末松氏には、今年1月に「盧溝橋事件」、4月に「朝日テレビドラマ『遺恨あり~明治13年最後の仇討』についての解説」を頂き、今回は、殆どの人が知らない「繆斌工作」についてご発表を特にお願いいたしました。
繆斌工作とは、1945年3月の戦況悪化著しい時、繆斌が以下の和平条件を持って来日した事実です。
●日本の中国本土からの撤退、
●満州国、台湾は現状維持、
●蒋介石が米国との和平を仲介する
これを当時の小磯首相が最高戦争指導会議に提案しましたが、結局、昭和天皇の反対もあり受け入れなかったのですが、平成3年5月21日に繆斌の慰霊碑を中央区鉄砲稲荷神社に建立したように、顕彰行動をしている人達もいるわけで、その状況を含め当時の生々しい実態を解説頂きました。
11月と12月は末松氏から「終戦工作」についてご発表頂きます。昭和時代を過ごした我々が知るべき「昭和史」を学ぶ機会を大事にしたいと思います。
③山本紀久雄・・・山岡鉄舟という偉大な人物を改めて考察いたしました。
鉄舟はご存じのように、西郷隆盛の「南州翁遺訓」に「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」と評された人物です。
この評価を現代人の眼から判断すると大きな誤りで、当時の武士階級の常識から判断すべきで、改めて、当時の常識から検討しても鉄舟はけた外れの人物であった背景を解説いたしました。
また、大久保利通が鉄舟を茨城県知事に強く推した背景について、水戸藩と長州藩を財政・産業・人口面から分析し、尊皇攘夷思想を同じく持ちながら、水戸藩は幕末低迷の上人材払底、長州藩は新時代を切り開く人材を多数輩出した、その差と要因について解説いたしました。
投稿者 Master : 2011年10月26日 11:44