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2010年02月25日

2010年2月例会報告

山岡鉄舟研究会 例会の感想
2010年2月17日(水)
「戦略的思考 彰義隊・・・その二」
山岡鉄舟研究会会長/山岡鉄舟研究家 山本紀久雄氏

今月の山本会長の発表は、勝海舟の戦略的思考と、それに基づく役割を見事に果たした豪傑たちの歴史的瞬間をお話しいただきました。
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標題にあります、戦略的思考とは、立場を分析することと、山本会長は語ります。
立場を分析するとは、それに関係する人間の視点から多面的に考えることではないかと思います。
勝海舟の戦略的思考は、自分や西郷、それを取り巻く状況を分析し、手を打ったことにあらわれています。官軍との和平交渉において海舟は、入念に保険をかけたと、山本会長は表現されました。
官軍へ恭順を示し、和議を結ぶにあたり、鉄舟が西郷との直談判に臨みました。海舟は鉄舟に一目会って、その「人となりに感」じ、会談成功の可能性に賭けたわけですが、成功を確実なものにするため、海舟は「保険」をかけたのでした。
海舟はアーネスト・サトウと英国公使パークスと3月9日夜に赤坂の海舟邸で会談を行いました。海舟はサトウ・パークスを通じて英国ルートからの和平工作を図ったのです。その後3月13日、パークスと官軍参謀・木梨精一郎が横浜にて会談を行いました。パークスは海舟との会談結果とその後の情勢から、木梨の江戸城攻撃に強く反対し、江戸城への攻撃を実行すれば、外国とも戦争状態になりかねないと圧力をかけたのです。結果、歴史は江戸無血開城へと向かっていったのです。
海舟のかけた「保険」は、官軍との和議を決定的なものにしました。しかし、最も重要なのは、鉄舟が慶喜の命を帯び、駿府にて西郷と会談し、見事和議に成功した。という事実があったからこそ海舟の「保険」が効いたのです。英国を動かした背景に、鉄舟が誰もが成し遂げられなかった駿府行き、命を賭した切落し行動があったという事を、理解することが大事なのです。
鉄舟の人間力が、江戸無血開城を実現しました。その裏には、海舟の卓越した戦略的思考のもと周到な下交渉が行われていたのです。これは本当に凄いことだと感嘆するほかにありません。

このことは、私たちに、立場に立脚した視点からの多面的な考察が、事を成し遂げるに必要なことであることを教えてくれます。
歴史は、私たちに今の生き方、戦略的思考を教えてくれるのです。

山本会長の研究は続きます。
来月の山岡鉄舟研究会も、ご期待ください。

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3月は2010年3月17日(水)18:30〜東京文化会館 中会議室1です。
皆様のご参加をお待ち申し上げます。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 2010年02月25日 07:45

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