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2009年10月29日

2009年10月例会ご報告 その1

山岡鉄舟研究会 例会報告 その1
2009年9月16日(水)
「人の使命について考える」
岡村紀男氏

10月の例会が行われましたので報告します。
今回は、メンバーの岡村紀男氏に、「人の使命について考える」と題し、幕末から明治維新にかけて活躍した人物の使命についてお話しいただきました。

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岡村紀男氏

岡村氏の資料は、次のような書き出しで始まっています。
「清河八郎の死から、人に与えられた使命について考えた。聖書に登場する預言者の多くは託された使命のために命を失うことを恐れず、使命を遂行した。征韓論で敗れた西郷隆盛は『だれが戦を好くものか』と言い、本来は非戦論者であった。しかし、一方では『道義(使命)を守るためには一国が滅んでも戦う』と言い、自らの命を投げ出した。以下の人物から使命の処し方・生き方について考察した」
自らの死を賭けて使命を全うするとはどんなことなのでしょう。それを岡村氏は、次の人物たちの生き様から考察されました。

1.吉田松陰「死の覚悟を超えて」
   〜自らの死によって草莽崛起の呼び水になった
2.高杉晋作「幕末長州のエネルギー」
   〜高杉は明治維新のベースを作って死んでいった
3.木戸孝允・西郷隆盛「尊王攘夷から討幕へ」
   〜明治維新実現を期に表舞台から去る
4.勝海舟「幕臣隋一の才人」
   〜幕末から彼の死まで日本にとって不可欠な存在
5.山岡鉄舟「江戸城無血開城の先駆者」
   〜今も我々に生き方を示し続ける人物
6.清河八郎「将軍を警護しつつ攘夷の魁に」
   〜浪士組組織後の2ヶ月が八郎の人生の秋

この中で印象深かったのが、高杉晋作の生き様でした。
岡村氏は山口県のご出身です。そのご関係から、彼の生き様の語り口は熱の入ったものでした。
高杉晋作は、吉田松陰の一番弟子といってもよい存在で、松下村塾のリーダーでした。
高杉の使命とはどんなものでしょう。このことを考えるにおいて、岡村氏はひとつの資料を提供してくださいました。それは、幕府による第二次長州征伐です。
第二次長州征伐は各地の防長二州の境にて行われました。幕府軍は手始めに岡村氏の出身地、大島を攻めます。幕府軍約2,000人に対して長州軍約500人。長州軍は一時大島を占領されるが、高杉の活躍で奪還を果たします。この戦勝を契機として長州軍は連戦連勝します。この戦争に投入された軍勢は、長州軍約3,500人に対して幕府軍は約122,000人でした。その差なんと約35倍。人数差が圧倒的に不利な戦争に、長州軍は勝利したのです。
この奇跡的な勝利に貢献した高杉の使命は、身分の垣根を解いた混合軍隊「奇兵隊」を創設し、全国から招集された各藩の正規軍を破ったことではないでしょうか。さらに、このことは、明治以後芽生える日本人の「国民」という思想の原型をなすもののように思います。
司馬遼太郎氏は小説『坂の上の雲』の中で、日清・日露の両戦争が、日本人をして「国民」という思想を定着せしめたと語っておられます。高杉は、その数十年前に、日本人が「国民」という意識を歴史上初めて持つ、その芽を植えた一人であると感じました。

岡村氏は、先に挙げた人物ひとりひとりの使命を端的に解説してくださいました。人は使命を持って生きていて、その使命を果たすときは突然やってくるのではないでしょうか。その使命を全うする機におよんで、紛うことなく成し遂げる準備を、日頃からしておくこと。鉄舟は、このことを私たちに教えてくれているように感じました。
岡村紀男さん、ありがとうございました。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 2009年10月29日 12:39

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