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2008年09月15日

さいたま市常泉寺

鉄舟の書を訪ねる
山岡鉄舟研究家 山本紀久雄

新しい企画として鉄舟の書を訪ねる旅をしたいと思います。
日本各地や世界のどこかにも鉄舟の書は数多く存在しています。
その鉄舟の書を、存在する場所に訪ね、その背景を探る企画です。



そこで、皆様にご協力お願いしたいのです。
鉄舟の書が存在しているところをご存じの方、
また、実際に鉄舟書を保有されている方は多いと思います。

その情報を山岡鉄舟研究会にご連絡いただき、皆様のご協力、
ご参加のページで進めたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

最初は、地元さいたま市の常泉寺です。

埼玉新聞の2008年8月8日に以下のように掲載されました。
「さいたま市見沼区染谷の曹洞宗『常泉寺』の本堂正面には、江戸無血開城に尽力した山岡鉄舟(1836~1888年)直筆の山額(横一㍍二十七㌢、縦五十二㌢、厚さ四㌢)が掲げられている。鉄舟は剣、禅、書の達人として知られた」

山額の文字は「瑞谷山」(ずいこくさん)「正四位山岡鐵太郎書」とある。
明治初期、常泉寺が火災で本堂を焼失した際、鉄舟が住職に協力して本堂再建をし、その際に書いたもの。

「瑞谷山」は山号である。常泉寺は寺号。

「瑞」とはめでたいこと、めでたいしるし。「谷」は水のあるなしにかかわらず、山間のくぼんだ所を意味する。
「正四位」(しょうしい)と記名していることから、鉄舟が「正四位」に叙せられたのは明治十五年(1882)であるから、それ以後のものであろう。

下記の写真は常泉寺で出される煎餅である。煎餅に「瑞谷山」と書かれている。因みに味はあまり甘くなく、程よいバター味で、食べた後味が大変よろしい。

なお、常泉寺内には「広島・長崎の火」が燃え続けている。原爆投下された後の焼跡の火である。その設置の経緯を書いたものも境内に掲示されている。

投稿者 Master : 2008年09月15日 15:13

コメント

鉄舟先生の正四位は明治15年でしたか。宮内省を辞めるときですね。最終は従三位子爵とあるのですが、子爵は生前。従三位(じゅさんみ)は死後の贈なのでしょうか。
小御門神社の手水舎も「正四位」山岡鉄太郎書でした。公的な書には階位を記したのでしょうか。

投稿者 かみめら たかおみ : 2008年09月16日 21:01

かみめら様

コメント拝読いたしました。
以下の資料で確認してみました。
「鉄舟居士の真面目」「山岡鉄舟(教育評論社)」「おれの師匠」「山岡鉄舟(小島英煕)」
前半ニ書は全生庵のもの。「おれの師匠」については小倉鉄樹が鉄舟臨終の際は京都にいたので、少し信用できないと小島英煕氏が述べています。その通りで不確かなところあります。

「従三位勲二等」(じゅさんみ)を陞叙(しょうじょ)の勅使を受けたのは、生前の明治21年7月18日のようですが、「おれの師匠」では7月19日の逝去後とあります。
子爵になったのは明治20年5月24日です。

投稿者 山本紀久雄 : 2008年09月17日 09:33

2回研究会に参加させていただきました。小谷野です。

実家に鉄舟の書が一幅、掛け軸としてあります。
父が生前、海舟・泥舟・鉄舟のそれぞれの書があり、その一幅がこれだ。といっておりましたが、全然興味の無かった私は「ホンマカイナ」と思っていました。
古美術や書に興味がある方がくると、「なんて書いてあるのか」とよく話題にしてました。
未だに、何が書いてあるのか、どこで手に入れたのか、そして、本物であるかもわかりませんが。

投稿者 小谷野 : 2008年09月17日 18:05

小谷野様

研究会ではいつもお世話になります。
ご実家の書、三舟そろい踏みとは何と素晴らしいことでしょう。
是非拝見させてはいただけないでしょうか。
我々は、書の読みや真贋などの鑑定はできません。ですのでお父様のご期待に添うことはできないかもしれませんが、書を拝見し、いろいろ教えを請いたいと願っています。
ただ今、研究会では壮大な夢を抱いて準備を始めています。
できますれば、それにご協力いただきたいという希望も持っております。
是非ご検討のほど、よろしくお願い申し上げます。

事務局 田中達也

投稿者 田中達也 : 2008年09月17日 19:53

上米良です。
①三舟揃い踏みが「鎌倉宮」の展示室にも。
 鉄舟書は「至誠動天」です。
②木曽の奈良井宿、上問屋資料館には
 「山色健」と。
③某旧男爵家には七言二行の書が十二幅。
 これはお断りが必要です。読み切れませんが。

投稿者 かみめら たかおみ : 2008年09月17日 23:46

小谷野(コヤノ)です。
 9/21お彼岸で実家により、早速、鉄舟の書を捜しました。母に依れば、海舟・泥舟の書もあるとのことで、なんと三幅揃ってしまいました。
しかし、どれが、海舟・泥舟・鉄舟の書なのか分からず。だが、真ん中の一番デカイのが海舟だろうということになったが、果たしてどうやら。(本物かどうかも含めて。)
また、保存状態もよくない。全く素人で、文化財を粗末にしているのが情けない。
 さらに当時、いかに父の言っていることを私がまじめに聞いていなかったのか思い知らされました。
今回、研究会の勉強で参考になれば幸いです。

投稿者 小谷野 : 2008年09月22日 18:21

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