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2008年03月07日
天璋院篤姫展見学
2008年NHK大河ドラマ特別展・江戸東京博物館開館15周年記念 4月6日(日)まで開催中
3月というのに今年の春は風が冷たい。少しは温かかい4日に両国の江戸東京博物館に行き見学をしてきた。
見学理由は、
一つには、山岡鉄舟研究会の代表でもあるので、幕末から明治に関心があること。
二つには、先日「ルーブル美術館展~フランス宮廷の美~」を見学したが、日本の美をみたいと思ったこと。
会場は、現在NHKで放送中ということもあり、女性の来場者が非常に多く見られた。会場の混み具合からは、ルーブル美術館展の方が見学者が多かったようだ。
篤姫展はポスター・チラシに篤姫の顔を大きく取り上げた。NHKのドラマの主人公でもあるので、人物に焦点をあてたということであろう。ルーブル美術館展では、展示物の道具、マリーアントワネットの旅行用携行品入れがポスターの取り上げられており、品物中心の展示であることがわかる。
篤姫の顔を見ると、江戸時代から明治までの激動の時代を生き抜いてきた女性だけあり、強い意志がその目と姿勢に現れていると感じた。
篤姫は、薩摩の島津家の一門の今泉島津家に生まれましたが、島津斉彬に見初められ、その波乱の人生の幕開けとなります。島津斉彬の養女となり、徳川十三代将軍徳川家定の嫁いでいく。
正式に嫁ぐまでにも、側室という立場になるかもしれないなど紆余曲折があり、3年も江戸で待たされてやっと婚礼となる。
ところが結婚してわずか1年半で、家定は死去してしまい、その後7日後に支援者である斉彬も急死。両腕をもぎ取られたように状況の中、篤姫は天璋院となり、その後の大奥を生きていく。
家定亡き後は、島津の望みの慶喜ではなく、家茂(いえもち)が十四代の将軍となり、篤姫は、力を発揮でずにいたが、家茂の後見役として、公武一和の実現に尽力をする。
しかし、家茂も21歳の若さでなくなり、孝明天皇が急死すると、天璋院の実家である島津家と嫁ぎ先である徳川家の間に亀裂が生じ、修復不可能になり、世の中は倒幕に傾斜していく。しかし実家といえども嫁に出れば婚家が家となる時代である。天璋院は徳川のため、薩摩の西郷隆盛らに働きかけ、江戸の無血開城のために尽力をしていく。
又天璋院は、徳川の存続を嘆願し、十六代家達(いえさと)の家名継承を取り付け、その重責を果たすのである。
明治に入っては、天璋院は、幼い家達の養育を第一にその成長を支え、旧幕臣の精神的な後見役として、四八歳の生涯を閉じる。
この篤姫の生涯を、今回の展覧会では、手紙、日記などの資料でもって解説している。
天保六年生まれは、西暦1835年。今からたった173年前のこと。資料がよく保管されている。
・島津斉彬の画像は、明治天皇のことも描いたキヨソネが、1857年に自らが撮影した銀板写真をもとに、斉彬の親交のあった旧大名たちや斉彬付き女中たちの意見を聞いて描かれたもの。立派な顔立ちである。
・新政府軍の旗の「錦の御旗」を初めて見ることができた。
・江戸開城談判の絵 結城素明筆 慶応4年3月13日 田町の薩摩藩邸
西郷隆盛、勝海舟の談判している図である。まさにこの時代に鉄舟は活躍した。
・勝海舟江戸開城図 川村清雄著 明治18年(1885)
足元には、葵紋の軒丸瓦が落ち、背後に海舟を襲わんと刀を構えた人物とそれをとめようとするものが象徴的に描かれてる。明治政府にすんなりなったわけではなく、こういう不穏な時期もあったのだと分かる。
・勝海舟日記 巻八 明治2年 1869年 7月2日
篤姫に薩摩藩から天璋院に三千両(援助)を送ったことを記した日記。
天璋院は、徳川の賄いで十分であると断っている。
・明治6年3月1日には、「断髪許可証」なるものがあった。
女性が理由なく断髪することを醜態だと禁じている。
天璋院は、明治16年(1883年)11月20日49歳で亡くなる。
・勝海舟日記 巻十七 明治16年(1883)11月12日~ 11月16日条
天璋院の死因は、ベルツ血栓ではないかと見立てている。
二つ目の関心である日本の美であるが、もっと多くの道具類や着物などの展示があるのかと想像していたが、今回は少なく篤姫の化粧道具や貝あわせ、着物等が展示されていた。貝あわせは、黒の漆の中に金で鳳凰や葵の絵が描かれている。貝は同じものでないと会わないことから、結婚に際しての非常に大事なお道具として、興し入れの際には行列の先頭に立って、持ち運ばれるほどのものであるという。
化粧道具は、かなりの数の道具が漆塗りで作られていました。女性は、化粧道具に力をいれるのでしょうか、マリーアントワネットも天璋院の道具も、かなり凝ったものである。お姫様のお道具としては、見ていて楽しいものの一つである。
今回の展覧会は、歴史に沿って手紙や日記などにより具体的にその過去をたどったものになっている。
女性の人生は一人で切り開いていくことが難しい時代を、波乱ではあるが強く婚家のために生き抜いた一人女性の姿を通して、激動の幕末、明治の時代を知ることができた。
投稿者 Master : 2008年03月07日 22:05