« 「寺山旦中遺芳展」 | メイン | 1月例会記録(2) 1/2 »

2008年01月27日

1月例会記録(2) 2/2

■山本紀久雄氏

「回天一番乗り」2/2

2.清河については、明治・大正初期に活躍した山路愛山が次のように評している。
「(八郎)かつて書を同志山岡鉄太郎に与えていわく、予は回天の一番をなさんとするものなりと。その剣客たる風概もって想うべきにあらざるや」


清河八郎というのは、剣を学んで免許皆伝になった。清河八郎記念館があり、清河神社もある。靖国神社にも祀られている。そこに行くと「剣は意のごとし」と書いてある。剣は意のままに動くと理解している。清河八郎は傲慢だと言われており、最終的に暗殺されました。人気がない、生意気だ、そういう人間です。明か暗かで言うと、暗ですね。
小沢一郎と小泉純一郎の両方に仕えた小池百合子さんが『文芸春秋』に小泉さんは「明」、小沢さんは「暗」と書いている。小沢一郎は現代のマルクスだと評している。若いときはマルクスに、共産主義に被れる。小沢さんは国会で飛行機の時間だからと5分前に退出して非難を浴びた。鳩山幹事長がお詫びしたら、お詫びなんてけしからんと言っている。

 健康クラブの顧問の塩小路光孚氏は菅原道真38代目の直系子孫で、京都に住み御所の鬼門に書を書いている。日本と天皇家のご安永を祈るのがお仕事。天皇家と繋がっている。
孝明天皇が居たおかげで明治維新が遅れたといわれている。孝明天皇が攘夷と言い過ぎて暗殺されるという噂もあるくらいです。
塩小路氏に孝明天皇について聞いた。塩小路氏の大叔母が孝明天皇の女官で、戻ってきてから話した記録が残っている。孝明天皇は素晴らしく頭が良い人。もっと頭が良かったのは大正天皇で、書を書かせたら上手い。頭が良いが故に馬鹿に見えてしまう。
孝明天皇の話から小沢一郎の話になった。小沢一郎と一緒なんですよ。頭が良いという人はいちいち説明しないで行動してしまう。小沢一郎が言うには国会で賛成多数で決まるものを、どうして最後まで居なければならないのかと。
小池百合子さんが小沢さんを暗いという、清川八郎も暗い。素晴らしい能力があっても、この暗さが暗殺された原因ではないか。

3.清河が、同志山岡鉄太郎に与えたという手紙は以下の通り。
「先程より度々芳意(注:親切に対する尊敬語)を得候通り、最早各邦の義士参会、則ち近日中、義旗飜えし、回天の一番乗仕るべく心底に御座候。折角御周旋甲士(注:甲州の土橋鉞四郎)に早々御手配成さるべく候、塚田には内々国元に遣わし候もの、頼み遣わし候間、彼も義気あるもの故必らずうけがいくれ申すべく存じられ候。千万御苦心仰奉り候 頓首  
      初夏 十一日                正明
山岡高歩君
        薩の和泉殿(久光)明日当邸に着也
 
正明というのは清河の號です。山岡高歩というのは鉄舟の本名。文久2年(1862年)、初夏(4月)の手紙。
薩摩の島津久光が京・大阪に来る。それを機会に幕府を倒す旗を上げると清河は鉄舟に言っている。鉄舟は幕府を倒すための仲間だったのか?ここのところが疑問です。これを解明しなければならない。時間が掛かるので今日は解明できません。研究は続きます。

NHKの大河ドラマ「篤姫」見ましたか?薩摩は贋小判を作ったんだね。薩摩は前の藩主が使い込んで、財政破綻。江戸から遠いことをいいことにして、調所が緊縮政策と同時に贋小判を作り、そのことを篤姫が知っている。
薩摩藩は金持ちです。薩摩藩は幕府と対抗できるくらいの軍事力を持っている。沖縄との密貿易もやっている。幕府から見たら悪いことをやっているが、先見の明がある。島津久光は藩主のお父さんで、肩書きのない無位無官です。藩主の後見役であるその人が、1000人の侍を連れて京都に上がってくる。考えられますか?幕府体制の中で地方の一大名が1000人もの兵隊に武器・弾薬を持たせて街道を上がってくる。参勤交代するのは藩主で、久光は藩主の父親です。  
このように状況が変わったのは、万延元(1860)年3月3日に桜田門外で井伊大老が暗殺されてからです。たった2年で幕府の統制がそんなにも利かなくなったということです。この2年で清川八郎は回天の一番乗りができると思ったと同時にそのような思考の急進派が居た。

4.薩の和泉殿(久光)と伏見寺田屋事件までの系譜
 
幕府転覆を図る過激派が大阪に集まった。清河も過激派です。久光が1000人連れて上がってくる。これは幕府を倒す旗揚げだと思った。みんな大阪の薩摩藩の中に滞留していた。
ところが久光は幕府を倒す気はなかった。井伊大老が安政の大獄でみんな捕まえた。井伊大老が死んだあともその罪が正式に解かれておらず慶喜はまだ謹慎中です。それを全部辞めさせてくれと、京都に行って天皇陛下の許可を得て、
天皇からの命令で解除してほしいと動きに来た。その動きを急進派は全く察知できずに、久光は幕府転覆だと思った。
ひとつの物事の見たときに全く違う2つの考えがあった。ひとつの事件を見ただけでも全然違う。1000人連れて京都に行くというのはひとつの事実。
京都から江戸に回って処分を解いてもらって、その帰りに生麦事件が起きて、そこから薩英戦争が起きた。どうして倒幕だと思い込んだかがすごく大事。

5.尊王攘夷急進派志士である清河八郎の同志が山岡鉄太郎である。何故か。
過激派の中に清河八郎がいて、清河八郎の同士が鉄舟です。鉄舟研究会として、これを解明しなくてはなりません。

6.尊王とは。
7.攘夷とは。
攘夷は外国人を排斥することです。孝明天皇は「攘夷」を薦めた。
150年前(1858年)5月に日本はアメリカと修好通商条約で貿易しましょうと手を結び、その後ロシア・オランダ・イギリス・フランスとも結び開国した。外国人が日本に住んでいた。開国しているのに、ペリーが来たときから開国しているのに、なぜ孝明天皇は攘夷をしなさいと言うのか。
「攘夷」は、幕府を倒すためのスローガンです。開国のまま進んだ。外国から物を入れようとしたのが明治維新。坂本竜馬が一瞬にして本質理解したのは開国です。孝明天皇から攘夷しろといわれて、幕府は文久3(1863)年開国しているのに攘夷宣言して、諸外国に通達した。矛盾していませんか。外国人が日本にいっぱいいるのに、外国人は日本国外に出て行けと通達するのは矛盾していますよね。
アメリカの商船に「攘夷だ」と鉄砲撃った、そのあとに来たフランスの軍隊、オランダにも撃った。それで仕返しされて、下関に上陸されてめちゃめちゃにやられて、外国に敵わないと思って武器弾薬を購入した。
イギリス艦隊、フランス艦隊、オランダ艦隊、アメリカ軍が長州藩の軍事施設を破壊した。そのときに砲台60門を接収され、そのうちの2門がパリにある。
パリを訪れる外国人が、毛利候の紋章を高貴に見て眺めている。山口県は返還を求めているが、フランス政府はナポレオン一世以来、戦利品を対戦国に帰したことはないと言っている。
尊王攘夷はグランドデザインです。ここのあたりが一番ややこしい話ですから、じっくり皆さんにお話しします。
グランドデザインというと、大阪府知事の候補者が5名出ていますね。なぜ大阪が東京・名古屋に比較して落ち込んでいるんですか?大阪って何かあるんですか?観光がある。観光は24時間営業です。羽田・成田は24時間営業ではないが、大阪はできる。環状線がある。電車も24時間やる。世界中から来てもらうコンベンション施設をつくる。そういうグランドデザインを府知事候補は市民に出したらどうだ。グランドデザインがない。
尊王攘夷はグランドデザインです。急進派の清河八郎が鉄舟とどう絡んできたのか。これから研究の佳境に入っていきます。

【事務局の感想】
今年から、鉄舟研究のテーマが新たになりました。回天=天下の情勢を変えること。
鉄舟を研究していますと、実に今の世の中に似ている、繋がる、参考になることが多々あります。今、日本、否世界が変わろうとしています。そのときに、回天とはタイミングが良すぎる感じがいたしますが、今が変化の時期と理解していただいて、皆様の生活にもお役に立つことがあると思いますので、次月も山本さんの鉄舟研究をお聞きしていただきたいと思います。

投稿者 staff : 2008年01月27日 16:20

コメント

コメントしてください




保存しますか?