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2007年09月29日

9月例会記録(1) 2/2

 それでは、いよいよ鉄舟の書を読むことに挑戦したいと思います。
 鉄舟さんの書のうち、掛け軸や襖などは漢文体で書かれたものが多いのですが、これらはみな漢字を崩したものです(草書体)。これらは私の専門外(書道の領域)ですので、ここでは仮名で書かれている書を取り上げます。


<図3>
■一行目=行先に我が家
■二行目=ありけり 
■三行目以降=か(可)たつむり(梨)


<図4>

■一行目=馬車ならて 我乗物(わがのりもの)
ならて=ならで。「で」は打ち消しの接続助詞。ならないという意。
「乗物」の「物」は、瓦版の資料<図2>「食してよろしき物の方」の「物」と同じ崩し方です。ですから「物」はこのように崩す規則であることが分かります。
■二行目=は(者)火の(能)車 か(可)け取る
掛取り=借金取り
■三行目=鬼のたゆる間も
たゆ=絶ゆ=絶える
「間」=門構えや冠をこのように崩すパターンが多いです。鉄舟の落款「山岡」の「岡」をどこかで見ていただければ分かりますが、これが鉄舟の門構えや冠の略し方のパターンです。
■四行目=な(奈)し

(意訳)
「馬車ではなく、私の乗り物は火の車です。借金取り(鬼)の絶える間がありません」

 鉄舟が、自身の貧乏話を句にしています。

ここで、鉄舟の貧乏のエピソードを、『鉄舟居士乃真面目』(全生庵発行)に収録されているものからご紹介します。

『居士(こじ)壮年時代は極めて貧乏であったが、なかんづく元治元年の大晦日には、わずか八両の支払いができぬため、晩方より掛け取り一同が台所口へ詰め寄せて、代わる代わる催促する。時に居士、台所にて大あぐらかいて、晩酌のご機嫌斜めからぬ折からであったので、

「さけのめば なにか心の 春めきて 借金とりは 鶯の声」

と高声に口吟して一向平気でいられる。彼らは苛立っていよいよ厳しく催促する。居士また、

「払うべき 金はなけれど はらいたき こころばかりに 越ゆる此暮」

とうなりつつ。やがて脇差の巾着の内より二朱と二百文を取り出し、彼らに示して、「こは余の軍用金なれば、片時も手放しがたし」と言われた。彼ら一同この体を見て大笑して去ったと。』

 元治元年の大晦日の話です。
 元治元年(1864年)は鉄舟29歳のときです。その前年、清河八郎が刺客に殺されています。また、浅利又七郎に剣を学び始めた頃で、その4年後、33歳のときに駿府に赴き、江戸無血開城の交渉を西郷隆盛と行ったのです。無血開城の4年前は、こんなに貧乏だったのですね。
 鉄舟さんの書をご紹介しつつ、その原文を読み解いてみました。


3.鉄舟の書について
「書法に就いて」(『鉄舟随感録』・山岡鉄舟筆記・国書刊行会)より

『・・・世或いは云う。山岡鉄舟の書は書として何流にもかなわぬものにて、書か画か判然すべからずと。こはすこぶる明言にて、一点抗弁を用いるの余地なし。これの如きはすべてその人の心の鏡に任せ写さば可なり。以上の如くにて、余がこんにちの書はすなわち鉄舟流なり。・・・
   明治18年12月30日 鉄舟 山岡 高歩(たかゆき) 誌』

 私の書はあなたの心で見てくださいという、鉄舟の教えです。
 その言葉を最後に、締めさせていただきます。また機会がございましたら、お話させていただきたいと思います。ありがとうございました。


【事務局の感想】
田中さんには、昨年4月に発表をしていただいてから、久しぶりの発表でしたが、内容的に大変分かりやすく、興味深いものでした。まず簡単なものからということで、『麻疹能毒養生弁』を変体仮名一覧と読み比べて、準備運動。
そして、鉄舟の書を読むことにチャレンジ。少し読めて嬉しくなりました。
今後も田中さんに鉄舟の書を教えていただきたいと願っております。
以上

投稿者 staff : 2007年09月29日 12:55

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