« 9月例会の感想 | メイン | 9月例会記録(2) 1/2 »

2007年09月28日

9月例会記録(2) 2/2

1.インドの金持ちはキリが無く、貧乏人もキリが無い。

インドは時代の流れを掴みつつある。BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)の4カ国が成長して、世界の経済を引っ張っている。前年日本が中国に投資した内の10%がベトナムとインドに流れている。インドは凄いと皆インドへ行く。
インドには金持ちが沢山いる。世界の結婚式ベスト1は、ベルサイユ宮殿で120億円掛けたインド人です。 その反対にストリートチルドレンやホームレスも街にいっぱいいる。ムンバイは安全だから歩きまわってみた。金持ちの人のところに調査に行った。なぜ金持ちなのか聞いてみた。インドには財閥がいくつもあって、同じ宗教の人、ヒンズー教ではなく、パールシー教というゾロアスター教の流れを汲む人たちが占めている。パールシー教の信者は世界で20万人しかおらず、そのうちの7万人がムンバイに住んで、証券取引所を作って成功している。この中のTATA財閥は車・バス・コンピュータ、何でもやっており、インドのGDPの3%を占めている。


なぜこのような財閥ができたのか?イギリスがインドを植民地にしたとき、イギリスが直接ヒンズー教を支配するのは大変だから介在者を作った。パールシー教の人はイラン系で顔立ちがヨーロッパ寄りだった。このパールシー教をヒンズー教との間に挟んだ。ヒンズー教徒も直接イギリスと対したくなくて、パールシー教を介した。イギリスが撤退したときにイギリスの財産をすっかり置いていった。これがパールシー教の財閥です。  
ヒンズー教にはカースト制度が残っている。ヒンズー教は「今の状態を納得しなさい」といっている。生き方の中で当然なのだから脱皮はやめなさい、しようとすると来世でよいカースト制度に上がれません、といっている。
日本では、明日は未来がある、今日より明日、という人がいるから明るい。インドの人は明日も今日と同じ。
金持ちの家に行くとお手伝いさんが居て、コックさんがいる。この人たちは読み書きできない。一番下のカーストに生まれたが、そこから脱皮しようという気がないから、そこにいる。だから貧乏人はずっと貧乏人です。

このパールシー教の財閥がインドを支配しているだけなら、ここまで成長しなかった。これにITが入ってきた。ITに関する職業は今までのカーストにない職業。カースト制度には3000くらいの職業あって、制度により職業が決まっているが、突如として出てきた職業がITです。従来のカースト制度にない職業は、貧乏人でもその職業につけて、高収入を得られる。インドは工業化という第二次産業を経ないで、第三次産業に入っており、すでに第三次産業はGDP50%を占めている。

インドの貧乏と鉄舟の貧乏は同じですか?


2.「道を修める者、衣食の為にする勿れ」大燈国師(妙超・南北朝時代の禅宗の僧)

鉄舟も貧乏です。1ヶ月のうち7日くらいしか3食食べられなかった。断食したことありますか?1回くらいなら水を飲んでいれば大丈夫ですが、それを毎月ですからね。それくらい貧乏なんですね。
不思議に思うのですが、皆さんお金がないときはどうしますか?お金を得たいと思いませんか?食べ物を子供や奥さんに与えたいと思うでしょう。お金を貰うために働きますよね。生活のために働いても良いじゃないですか。


3.鉄舟は何故収入を求めて働かなかったのか・・・山岡静山は勘定方(幕府財政の運営や幕府直轄領の支配・貢租徴収業務)勤務だった。鉄舟は勤務しなかったのか?

山岡静山はお城の勘定方に勤めていた。弟の高橋泥舟も勘定方。山岡家を継いだら鉄舟もお城勤めをしてもいいわけです。しかし鉄舟は、勘定方に就いていない。どの本も触れていないが、私は疑問を持っている。
または、お城勤めしていなかったら、剣が強いのだから、剣を教えたら良いじゃないですか。指南料、入門料など貰える。しかし、それもしない。

4.英子(ふさこ)は結婚当初文字を書けなかった。
「英子は貧乏生活のため、読書にいそしむことがないまま鉄舟と結婚したが、その後は読書、習字を一心不乱に学び、晩年はなかなか上手くなって、手紙等をみると師匠と間違えるほどであった。絵も上手になった。明治21年12月3日の大阪毎日新聞の記事に『山岡紅谷女史は故鉄舟居士の未亡人なるが頗る写生画に巧みにして来春を期し当地に来り揮毫せんと、即今其の支度中の由に聞く』とあるが、これは偽者で当時鉄舟の名声が高かったので、こういう偽者が各所に出没したのである」
(『おれの師匠』小倉鉄樹箸《絶版》島津書房)

5.子爵内命時の鉄舟と海舟(明治二十年五月)
「食ふて寝て働きもせぬ御褒美に 蚊族(華族)となりて又も血を吸ふ」鉄舟
  「いままでは人並の身と思ひしが 五尺に足らぬ四尺(子爵)なりとは」海舟

鉄舟と海舟の子爵内命時の歌。鉄舟は、自分はろくな働きをしていないのに、士族になってまた金をもらっちゃうと言っている。海舟は「子爵」を嫌味にしている。結果、海舟は子爵から伯爵になった。
海舟は自分の働きを知っている。海舟がいなければ、インドと同じ植民地になっていた。当時世界のことを知っていたのは海舟くらい。オランダ語を学んでアメリカいって、広い世界を知っていたから、和平派になった。小栗上野介みたいに武士の本分が立たない!と戦争していたら日本はどうなっていたか?
大航海時代、コロンブスがアメリカにたどり着いてから、世界中にいろんな土地があることがわかり、スペイン・ポルトガル・イギリス・フランス・オランダが海から来て、海から攻撃してインドのムガール帝国もアフリカもやられて植民地にしてしまった。海から来ると思っていないから、海からの防衛が弱かった。そこを狙って入ってきて、そこに住んでいる○○族と××族の双方に「あっちやれ」と突いて、内戦状態にしてお互いを崩しあう。国が一本になっていないから互いに戦い、植民地化されてしまった。
日本が突かれていたらどうですか。官軍にイギリス、幕府にフランスがついていた。幕府内から戦争をしないで和平を講じようといったのは海舟です。海舟は立派です。伯爵になってもいいじゃないですか。自分の価値を述べた正直な人です。
鉄舟のことを信奉する人は、信奉するあまり、海舟のことを悪く言う人もたまにいる。鉄舟だって借金、女性問題、剣道場、講武所のことなど問題はあります。

6.海舟への批判
  「海舟は死して金を残し、鉄舟は徳を積んで無一物であって、そこに二人の人間としての差がある」とも述べる人もいるが?・・・。

海舟も貧しかった。オランダの医学の本を写して売った。それを聞いて海舟はふざけたやつだという人もいる。海舟は死んだときに財産があった、鉄舟は財産がなかった。鉄舟は志で生きたから素晴らしい、死して金を残した海舟はけしからん、という人もいる。若いときにお金に苦労した人が子供に苦労させないようお金を残して死ぬことは悪いことですか?悪くないですよね。あたり前のことですよね。海舟と鉄舟を比較して、海舟は金が汚いとけなす人もいるが、私はそうは思いません。海舟が普通です。畳の下の床板をはいで火を燃やした、そういう貧しい暮らしに二度と戻りたくないから、海舟は貯金した。

7.講武所から遠のく
  教授頭の男谷精一郎との関係
 当時流行った「ちょぼくれ」で批判あり
「講武所始めたところが、稽古にゃなるまい。剣術教授大馬鹿たわけが、何を知らずに、勝手は充分、初心につけ込み、道具のはずれを、打ったり突いたり、足柄かけては、ずどんと転ばせ、怪我をさせても平気な面付、本所のじいさん(男谷精一郎)師範なんぞはよしてもくんねえ、高禄いただき、のぞんでいるのがお役じゃあるめえ、門弟中には、たわけをつくすを、叱らざなるめえ・・・」     

講武所の連中がたるんでいる。髷はゆるく(防具を被るため緩く結んだ)、セキレイ(セキレイという鳥がいて、尾が長いので、石たたききせると呼ばれた)といい、面の隙間から煙草を吸うため吸う部分を細くして講武所風としていた。
鉄舟はこのような乱れを嫌った。そして荒れた鉄舟のことをみんな怖がった。
講武所の所長の男谷精一郎は鉄舟に、酒はほどほど、女遊びもほどほど、おぬしの剣は鋭すぎると言った。
男谷精一郎は剣の腕が立ち、1本目は自分が勝ち、2本目は相手がどんなに弱くても勝たせ、3本目には必ず勝った。剣聖と言われたが、性格が穏やかだから、講武所内を厳しく指導しないため、講武所内は乱れてきた。鉄舟はせっかく世話役になった講武所を辞めた。幕府の訓練所ですから、給金があった。辞めたらどうなります?辞めた途端に鉄舟はさらに貧乏になった。


【事務局の感想】
今回は大変会場が盛り上がりました。それは身近にある新しい題材を分かりやすく解説していただいて、皆様が納得した笑いではなかったかと思います。テレビで柔道の世界選手権をご覧になった方は多かったとおもいますが、谷選手と戦った選手の国、キューバの国状が話しにでてくるとは思わなかったことでしょう。インドのムンバイの件もそうですが、日本を考えるときに日本だけを考えていただけでは、もう十分ではないということではないでしょうか。無血開城の凄さも、日本だけでなく、世界の情勢から比較をして考えてみたら、日本にとってどれだけ幸いなことであったか。鉄舟を通して、現状を理解していく手立てとしていただければと思います。

投稿者 staff : 2007年09月28日 15:22

コメント

コメントしてください




保存しますか?