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2007年07月14日

6月明治神宮 至誠館 館長 稲葉稔氏 講演記録 4

鉄舟の本格的な剣術修行は明治に入ってからです。剣術が時代遅れになってしまってからでした。
柔道の嘉納治五郎は、学生時代に柔術をやって、体にいいと、柔術をやっていましたが、下火になって、やる人がいなくなりました。彼はもっと教えてもらって、残したいものだと考え、柔術では古いからと、柔道と名前を変えて、スポーツ化しました。また、文部省の官僚だったので、学校教育に柔道を取り入れて柔道師範が多くなりました。

そういう時代の中で、鉄舟は、明治維新前、一刀流の達人浅利又七郎に負けたのがきっかけで、すさまじい執念での剣術修行に励む。そして20年刻苦精励して、明治14年ごろ、無刀流を編み出しました。


無刀流について
鉄舟は(小野派)一刀流を学んだのに、なぜ無刀流なのでしょうか?「一」と「無」はどういう関係があるか、一刀流とは何か、どうして無刀流というのかについて少しお話したいと思います。

無刀流については、文献も残っています。お配りした資料『日本武人の武道論資料編』の127ページには、無刀流の説明があります。

無刀流剣術は、勝負を争わず、心を澄し、胆を練り、自然の理を得るを要す。事は技なり、理は心なり、事理一致の場に至る、是を妙処と為す。
無刀とは何ぞや、心の外に刀なきなり、敵と相対する時、刀に依らずして心を以って心を打つ、是を無刀と謂う。

刀に依らずして、相手の心を見て、その心を打つこと、そこに行き着きます。刀を毎日毎日修練し、刀と刀で切りあうのも、戦いですが、技を使う中でその刀が自分の体に入り、心の中に入って一体化すると、相手の刀、体、その奥の心をみて、その心の悪いところを切ります。つまり心を持って心を打つ。これは相当修練しないとそうは出来ません。


日本文化の「一」、一刀流で云う、「一」の考えかた
「無刀」で云う、無とは何か。無の概念は数学でいうと、インドにあった考え方といわれています。インドにはゼロの概念があります。そこから「一」が出てきて、ニ、三となって行きます。日本では、柔道で技を決めると1本、剣道でも、1本と「一」です。自然体の無の状態から一にするといって良いでしょう。
 体としては一とするのは難しく、修練しないとタイミング良く一つになりません。無の状態の体から一つの命題を与えると、それを頭で考えるようになってきて、ある時必要な回答が「1」となってでてきます。これが一刀流という考え方ではないか。

剣道でも自分の身を守りながら、相手の隙が見えたときに、体を一剣にして打ち込むのが一刀流です。これは修練しないと、心と体と剣がばらばらになって出来ません。敵を前にしてまず無の状態にして、時期を得て一にする修練をします。他の「一」にしていると、別の「一」が出てきた時は、それを無に返して、新たな「一」にしなくてはならず、遅れてしまうからです。 鹿島神流は無構えになります。人間は、敵を意識すると硬くなるので、敵に対して守るものなし、何もこだわらない、前も後ろも何もない、構えを無しにします。相手に勝手に打たせて、「ここ!」というところが、見えたら、それに対して「一」と出て行きます。これが実際にできるかというと何年もかけて稽古しないとできませんが。どうしたら自在に「一」にすることが出来るかというと、無の状態にするから、「一」に集中できるのです。
無といっても最初に形があります。宮本武蔵は「構えありて構えなし(有構無構)」と言っています。構えはあるが、形なし、形はあるけど、構えはない、という意味ですが、禅問答のようになってしまいますので、説明すればするほど難しくなります。

 江戸中期頃から一刀流が広がって行きます。室町末から江戸初期は鹿島の一之太刀が出います。鹿島というのは鹿島神宮という神社があって、タケミカヅチノカミという最強の武の神様が祀られています。武道を修行する人は、この神様に祈願して一流を編み出しています。

投稿者 Master : 2007年07月14日 14:18

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