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2007年07月14日

6月明治神宮 至誠館 館長 稲葉稔氏 講演記録 1

■明治神宮 至誠館 館長 稲葉稔氏
「鉄舟の武士道」

 鉄舟の研究会なので、武士道についてお話しさせていただこうと思います。
今書店などで流行っているのは、新渡戸稲造の武士道論で、これしかないようですけれど、他にもありまして、戦前は武士道全書というものが14、5巻出ておりました。明治20年に語られている山岡鉄舟の武士道論は、わかりやすくて、武道に武士道的生き方を求める自分の心に共通するものを感じます。

戦後の日本
 日本の負の歴史を日本人は克服していません。私は昭和19年生まれですから、天皇、神道というものを学校で教わらない、近現代史も学校では教わっておりません。今の日本人は、自分の国の近現代史を知らず、戦争を起こした犯罪国と教えられてきているため、自分の国に自信が持てていません。戦後の教育が悪かったことは、はっきりしています。
 こうした状況の中で、それらの弊害を一掃する“解決策”として、武士道が求められています。しかし武士道は言行一致を重んじますので軽々に論ずるわけにはいかない性格のものです。言行を一致させることは知性と勇気が要ります。一致させないといけないと思うと、言ったことを行動に移さないとならないから、一致させるためには、おしゃべりを慎み、黙って実践の機を窺うことになります。自分で実践しようと思っていない人、評論家たちは、武士道論について、あれこれといいますけれど、そういうわけにはいきません。

 神社にお参りするという意味を教えなくてはと思います。お参りする意味は、御祭神の心を知る、ということが根本です。御祭神が、どういう事蹟をお持ちか、どういうお心持ちだったのか。何をなさったのか、結果としてどうなったのかを考えます。
 お参りをするときは、現在直面している問題に対して、御祭神のお立場になって考え、御祭神ならどう思うか、御祭神ならどうされるかを自分自身で考え、対話を行い、自分はこう思うが、いかがでしょうか?と、柏手を打つことは、御神霊をお呼びして、ご説明して「宜しいか、だめか」を教えていただくことです。これがお参りです。

 明治神宮ができたのは90年ほど前のことですが、これほど大がかりに天皇様をお参りする神社はできていませんでした。こんな大掛かりの神社が作られたことはありませんでした。熱心な神道家の方たちのほうが反対されたと聞いていますし、創建されてからは、そうした方々の崇敬が篤かったと聞いています。
 歴代の天皇様は、天照大神様と直接的な信仰に基づいています。大神様の声をお聞きする一方、国民の声も聞いて、それを政治に反映させて、国民を指導していきます。これが祭政一致で、祭りと政治が一致する、日本国の根幹の考え方です。

 戦後の現憲法は、天皇の存在を見えなくするものとなっています。国の統治の権限をなくし、財産を没収し、国民への影響力を制限し、まるで監獄に入れたような形にしているのが今の憲法です。ですから天皇を戴く日本国の体質にあっていません。戦争に負け占領されたから、このような憲法になってしまったのです。

 今、その憲法が改正されようとしています。大きな歴史的な転換点にさしかかっています。
 明治憲法は明治22年に公布されました。この憲法を作られるのに、どのくらいの時間がかかり、犠牲が生れたか。
 1853年にペリーが来航し、大騒ぎになって、1868年(明治元年)明治維新が起きて、新政府ができた。できたけれどもこれではいけないと西郷隆盛らが第2の維新ともいえる西南の役が起こりました。内乱は西郷軍の敗北となりましたけれども、西郷隆盛の精神を継ぐ民権運動が活発になり、国会の開設が約束され、明治憲法ができました。新政府と在野の人々の思想が入ってひとつになった憲法といえるものです。
 国家としての意志が決まり、体制がしっかりしたから、明治20年代、30年代の日清戦争、日露戦争が戦えました。明治天皇がお亡くなりになって、大正に入り第一次世界大戦が起こります。昭和で迷走しました。

 なぜ、こうした戦争が起こったのかを考えないし、どこが悪かったのか、どうすべきかを考えないままに、今度は大東亜戦争までに突入し、未曽有の敗戦を期し、占領され、東京裁判をやられて、日本国が悪い悪いと教育された。戦後の日本人は自信がなくなり、自主独立できなくなって60年経ちました。これが2、3年ではなく、2世代、3世代、続いていることが問題です。国防は日米安保条約で米国に任せて、自分たちが責任を持たなくてもいいようになっていました。このような状態が続いて国民は何をどうしていいか、どうなっているのかわからなくなっています。

 明治憲法の歴史をみると、今よりも激動の時代です。薩長を中心にする官軍と幕府がぶつかり、かたやイギリス、かたやフランスが協力しています。明治維新は、財政が破綻し、外交ができなかったことが大きな原因です。
 内乱が続き日本が割れてしまっていたら日本は独立を失っていたでしょう。が、明治維新の志士たちが、維新を起こし、西南の役を起こして、憲法体制を整え、西欧列強と対し国威を発揚しました。それが明治時代です。
 その明治憲法は、第2次世界大戦の敗戦で終わって、占領されて、破壊されました。破壊されたのは良い悪いの問題ではなく、占領軍の絶対的軍事力によって押し付けられたものです。
 靖国神社には戦闘でなくなられた方230万人が祀られています。民間の犠牲となられた方と合わせると310万人という数にのぼります。それだけの犠牲を強いられて、出来たのが、現憲法なのです。

 

投稿者 staff : 2007年07月14日 13:35

コメント

大量の講演記録すばらしいです。
稲葉講師も押さえるところは押さえながら、平易に現代を、我々の不甲斐なさを叱責していただいたようです。ありがとうございました。
実際のご講演は他の講演には見られない四股の実演など、体全体を使った迫力あるものでしたが、記録には表現できないのが残念です。
これも実際に参加した者だけの役得と致しましょう。

武道の勝負に、勝ち、負けはない。拍手もない。というお話も削除されてしまいましたね。長すぎると削られたのでしょう。

投稿者 上米良 恭臣 : 2007年07月16日 22:15

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