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2007年03月16日

2月例会記録(2)

■山本紀久雄氏
「山岡静山との出会い・・・その一」

 松永さんから大変いいお話をいただいた。鈴与グループは大きなグループの会社でして、そこで研究をされている。配られたタバコの害を読むと副流煙の方が害は大きい。どのくらい離れたら害がないか専門家にきいたら、煙は70メートル流れてくるとのこと。防衛できませんね。

 人口問題の件も、幕末時の人口は2700万人だったが、現在の人口は1億2600万人と4.7倍に増えている。その結果いろんな矛盾が起きている。歴史は流れですから、少子高齢化は流れの中にあると思っている。松永さんみたいに元気な方が生産性をあげていく。全要素生産性として、労働生産性、資本生産性だけでないほかの部分で生産性を上げて、一人当たりのGDPを増やせば、豊かな暮らしができる。

 松永さんのお父さんは望嶽亭でお生まれになった。西郷隆盛に交渉に行く前に官軍に追われた山岡鉄舟を助けた望嶽亭は、現在23代松永さだよさんが守っている。

 朝倉さんの本は納得した。調べ抜いて、データも戸籍からもってきていますから、データのチェックとしてすごく役立つので高く評価している。

 金子さんは3月に外交評論家や和田中学校校長の藤原さんなど著名な人の講演会を行っている清話会で、経済界の人たちに講師としてぬりえの話をする。

 午後テレビ局の人が8人ほど来て、取材の収録があった。「本に出会う」という30分間のテレビ番組で3月3日と4日に放映される。前半はフランスを救った日本の牡蠣、後半は脳力開発の、こういう仕事をするきっかけとなった城野先生の教えについて話した。話しだけではつまらないですから、生牡蠣とフランスから買ってきたワインをあけてみせることをやる。牡蠣はノロウィルスで大変ですが、スポンサーから撮影用にたくさん送ってくれた。毎日食べている。おいしいですよね。

1.蓮華寺・山岡静山の墓
 蓮華寺は、文京区白山にある。現場から発想するということで、静山のお墓に行った。わからないので庫裏に行って、お寺の奥さん=大黒さんに尋ねた。

 なぜ大黒さんというのですかね?頭巾かぶって左肩に袋もって、小槌もって、俵の上に載っているのが大黒さん。大黒さんは炊事場に飾る習慣があるので、大黒さんとなった。

 ご住職が持ってきた紙には、「山岡静山、明治20年死ぬ」という記述があって、明治20年というのは山岡鉄舟がなくなった日で、静山は江戸時代に亡くなっている。
 立派なお墓ですが、120年くらい経っており、文字が擦り切れて読めない。「山岡累世墓」この意味が住職もわからず、困っていた。

 先日家内の母が亡くなり喪主として役目を果たした。仏壇屋に聞いてみたら、調べてくれて「累世墓(るいせいぼ)」と読み、代々のお墓という意味がわかった。
 目の前におきたことを結びつけて解決していく。そうしていかないと人生は動いていかない。

 蓮華寺は名門のお寺で、建立は豊臣秀吉が小田原北条を攻めたころ、ヨーロッパでは、スペイン無敵艦隊が負けたころにできた。武士寺として武士しか祭られなかったという由緒あるお寺。自分のところに歴史的なものがあれば研究して誰が来ても説明できるように。

 間違いなく、静山のお墓だというものを確かめないとならない。お墓の後ろに戒名があいてある。明治10年山岡鉄太郎建立とある。歴代の戒名が多数書いてある。そこから静山を探さないといけない。写真を撮って家で調べた。静山の戒名は、「清勝院殿法授静山居士」安政2年六月晦日とあって、静山のお墓であるとわかった。

 院殿=院号=位の高い人、法授=道号、静山=法号=生前の名前、居士=仏教徒
静山は鉄舟が敬愛し、尊敬し、影響を受けた人。静山と鉄太郎が会わなければ、あのような人物にならなかった。


2.ペリー来航時の日本の外交政策
13代将軍・徳川家定   
老中首座・阿部正弘
海防参与・徳川斉昭

(明治10年に山岡鉄太郎と書いている。いつから鉄舟になったのかは解明しないとならない。)
 嘉永6年、ペリー来航時、鉄太郎は18歳。ペリーが来て、江戸中が大騒ぎになった。南條範夫さんの話によるとその前の晩、鉄舟は新宿のいかがわしい場所にいた。道場に行くとひそひそ話しをしていて、鉄舟は情報集めに走った。

 当時の国際法を説明する。欧米諸国は勝手に世界中を文明国と半未開国とにわけた。文明国=欧米のみ、半未開国=トルコ・ペルシャ・朝鮮・中国・日本、で領事裁判権を認めない。未開国は国と認めていない。未開の国に入っていって認めたら、自分の国という。文明国国際法に基づいて交渉に入ってくる。そういう国際法があった。

 将軍徳川家慶が亡くなって、家定が将軍になる。日本が迎えた大事件の発生、時のトップがなくなって、次の世襲制によりなった。家定は体が弱い。
 老中首座の阿部正弘、名宰相を言われた人で10年以上老中首座であった。若いときから有能で、包容力、柔軟性があったが、後に働きすぎで過労でなくなった。

 阿部老中首座は、このとき初めてペリーから来た国書を諸大名、旗本、御三家に回して、意見を求めた。打ち払う(戦争)、戦争を避ける、条件付に貿易をする、開国論といろんな意見が出た。
○簡単に貿易を許すべし
○5年・10年公益を行い、その間に守りを備える
○公益を行って、国益に会わなければただちにやめる。
○アメリカ・ロシアは許すが、イギリスは許さない
○朱印船を復活して貿易をはじめる

 喧々諤々、まとまらないときに、徳川家の斉昭が意見を出し、その政策に決められた。
「ぶらかし」=ごまかし政策
胡麻菓子=小麦粉に胡麻を混ぜて焼き膨らませたお菓子で、外見だけで中身がない。
時間を稼げということ。ペリーが何を言ってもへらへらして、あきれて飽きてしまってアメリカに帰るのではないかというのが、苦心惨憺してあみだした妙計だった。石井先生の本に書いてある。大変な政策。

 表面上は鎖国ですから、「戦う」というけれど、実際は和で行こうというすっきりしないことをいうからペリーは怒り狂う。

 次の政策は、あぶもとらずはちもとらず政策という珍策。長崎において、今年から3年間、石炭を供給する。3年間汽船で試験的に貿易する代わりに石炭を供給する。一案二案ともたいしたことがない案。ペリーは、どうしようもないな、と帰っていくのではないかという考え。アメリカから徹底的に議論でやられ、とうとう和親条約を結ぶ。


3.足高制による人材登用
    岩瀬忠震・旗本三男部屋住み

 ペリーとの交渉政策は、徳川斉昭が提案した。有能な官僚は、上級旗本ではなく下級旗本だった。吉宗の時代から能力のある下級武士を登用する足高制度を導入し、弾力のある組織にしていた。封建といいながら、こういう施策を取っている。

筒井政憲、岩瀬忠震、川路聖謨、水野忠則、勝海舟
 当時の日本を支えたのは、こういう有能な人。ペリーも驚いたのは、サスケハナ号に乗ってきた与力が、地球儀を指し示しながら、NY、ワシントン、パナマ運河を見て、パナマ鉄道を作っているらしいがもう完成したか、という質問をした。


4.アメリカ・メジャーリーグと鉄舟に通じるもの・・・プロ意識

 ロサンゼルスにあるアナハイム・エンゼルスの球団職員タック川本氏と会った。2002年にワールドチャンピオンになったが、チャンピオンになると選手、球団職員はダイヤモンドのついた指輪をもらう。
 ヤンキースはワールドチャンピオンになっていない。タック氏は「運は簡単な運ではだめだ。もって生まれたものでもない。日ごろからの行動を正しくしていないとワールドチャンピオンにはなれない」と言う。

 テレビのインタビュアーから、経営コンサルタントのほかに海の牡蠣、世界の温泉、鉄舟、ぬりえと幅広く研究されているが、どれがあなたの素顔か?と聞かれたが、どれも素顔。脳力開発は戦略的思考を身につけること。城野先生の本によって身につけた。また、山岡鉄舟と脳力開発とはつながりますか?と質問を受けたので、当然つながりますと答えると、どういう意味ですか?と聞かれた。

 鉄舟は23歳のときに「宇宙と人間」を書いた。天皇陛下、武士公家、農民、これはぶれていない。天皇陛下の下に国体を維持する。西郷隆盛に国体の姿を天皇のところから判断していけば、西郷隆盛の思想同じ。戦略的思考をぶれないで持っているから迫力も生まれるし、西郷隆盛も納得する。

 開国すべきか議論が起きる。高山に「アメリカがきたおかげで、毎日忙しい生活をしておりますと手紙を書いている」みんなと一緒になって、あちこちに行っている。
 そのときの剣の師匠の井上清虎が鉄太郎に、「今おまえはどんな立場に居る?ペリーがきて騒いでも、おまえが解決できるか?それは政治の仕事だろう」といなされた。

 北川さんと伊古奈で早朝経済教室をやった。北川さんは経済とは、人間が朝起きてご飯食べて仕事するという一人一人の積み重ねという。ペリーがきた、テロがあった、核が飛んでくるというのが政治。政治と経済をごちゃごちゃにしてしまうと考えがまとまらない。

 鉄舟もペリーが来たとことによって入ってしまうと、自分の目的を見失う。ペリーの対応は幕府の政治家が行う。おまえは修行することが目的ではないか。そうだ!と目覚めて、剣の修行を再開した。

 何を言いたいかというと、自分の内面にあることを大事にしないとならない。
 「武士の一分」という映画は、毒見で失明した夫のために、奥さんはお百度参りして直そうとする。神仏に頼る。自分の内側に問題を抱え込むということ。

 静山という人物は、「およそ人に勝とうと思うならば、まず自分に徳を身に着けなければならない。徳がまさに敵を自然に降参させる。真の勝ちとはそういうものだ。」と述べている。

 自分を大事にしないとならない。外のことに目をくれるか、うちのことに目を向けるか。内因、外因とした場合、問題が起きたときに自分の中に問題があるから問題が起きた、主因は内因にありと、脳力開発でもいうが、こういうことを静山は言っている。「武士の一分」もそう。

 伊古奈に行って、「伊古奈」は、事代主命の奥さんの名前。神話の世界。日本の成り立ちの話を知らないと理解できない。
 すべての問題は自分側にある。外ではない。今の世の中は、外因が中心になっている。テロ、インターネットで情報が入ってくる。外因だけに目を奪われているとバランスが崩れる。「武士の一分」は、内因を鍛えなさいということを言っている。

 タック川本さんもそれを言っている、大リーグで成功するためには、一日4食食べなさいという。最後の4食目は寝る前に野球以外の知識を食べなさい。人間がゆがんだ人は本当の大リーガーになれない。知識を身につけることによって、自分の才能を自分で見つけることができる。
 日本人が高校を出て、タックさんの下に来る。技術があっても成功しない人がいる。
50名くらい大リーグに入るが、その人たちにタックさんは「氷が解けたら何になりますか?」と質問をする。「ウイスキーの水割りがもういっぱいほしくなる」「南極の氷がとけたから船が進む」「海水が増える、春だから」という答えがでる。

 高校時代に覚えたことを変えないから、変化できなくて大成できない。自分の中に変化するものを見つけて、プロになっていけというのが、大リーグで成功するはなし。

 テレビの取材で申し上げたが、いろんなことをやっていて、どれが素顔?どれも素顔。自分の中にある財産を探す旅をしている。その財産を他人が認めてくれたときにプロになる。自分だけが認めているうちはアマチュア。

 日本の選手が頑なに教えてもらったことをやっているようではプロにはなれない。
タックさんの大リーグの話も、鉄舟の話も生き方は共通している。内因の話を鍛えていく、探していく。自分の中にあるプロといえる道を探していく。

 鉄舟は静山に会うことによって、23歳で、「宇宙と人間」を書いた。ここからぶれないで一つのことをやっていった。戦略が正しければ、ぶれずに続けていく人が強い。

【事務局の感想】
 鉄舟研は、毎回現場からの研究を続けていただいていますが、その他に山本さんがお会いになった方や出来事などから、皆様にお伝えすべき情報をお話していただいています。
 今回は、内因、内面など自己の内側を探求することを発表していただきました。
つい忙しさにかまけて、忘れてしまう又は見ないようにしてしまう内因、内面について、立ち止まって考えなければいけないテーマをいただいたと思います。

投稿者 staff : 2007年03月16日 12:43

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