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2007年02月06日

1月例会記録(2)

■山本紀久雄
「鉄太郎、千葉周作・玄武館入門」

ライフ・ベンチャー・クラブは生涯現役の代表に言われて25年前に発起人になった。そこで高橋さんに知り合った。高橋さんは『あぁ国民学校』という本を書かれた。幼稚園から今日まで記憶に入っている。先生の名前も1年から6年まで覚えており、データなしでも小説を書けてしまう恐ろしい人です。今は『昭和の追憶』という本を書いている。
高橋さんは、ライフ・ベンチャー・クラブで上野駅を借り切って、イベントをやり、そのとき東京ロマンチカを呼んだ。

今年は新年早々ついている。300人くらい集まる新年会で私も家内も抽選会で当たり、クラウンの歌手が来て歌ってくれた。その歌手の曲が東京ロマンチカの鶴岡さんの作曲だと言っていた。

家内がDIYのグランプリとして表彰を受けた。家内が店に行き、必要なものを全て揃え、日曜大工の年間スケジュールを作り、私は2年かけて壁紙・ふすま・雨戸のレールなどを作業員のように働いてリフォームした。応募したら審査員が自宅を調査に来てグランプリになった。

2007年は経済も非常に順調に行くという予測。来年はアメリカ大統領選挙がある。イラクで評判が悪いから、経済を順調にするでしょう。中国も北京オリンピックがあるから経済を順調にするでしょう。世界の2大消費大国が順調なので、株を買うなら今年ですね。いい株買ってくださいね。

1.江戸三大道場
・北辰一刀流・千葉周作の玄武館
・鏡新明智流・桃井春蔵の士学館
・神道無念流・斎藤弥九朗の練兵館
この三道場を称して江戸三大道場と称し
・「位は桃井、力は斎藤、技は千葉」と評した。
これに心形刀流・伊庭軍兵衛の練武館を加え、四大道場という場合もある。

鉄舟は幼少時は小野鉄太郎という名前で高山代官のご令息だった。両親が相次いで亡くなり、江戸に戻り義理の兄の元へ兄弟6人で転がり込んだ。一番下の弟は2歳だったので、義理の兄に乳母を雇ってほしいと頼んだが、兄は雇ってくれなかった。見かねた剣の師匠の井上さんが弟たちを養子に出すことを提案し、1人に500両の持参金をつけて、養子に出した。鉄舟は100両だけとって、残りは義理の兄に渡して、修行ができるようになった。今日のお話は、この後の話。

鉄舟は、江戸に来て修行に入った。剣・禅・色道修業を徹底的にやった。剣は高山でお世話になった井上清虎の紹介で、北辰一刀流・千葉周作の玄武館に入門。
玄武館は現在の神田岩本町にあった。角に交番があり、斜めに入ると一八通りがある。その細い道を入っていくと玄武館跡の石碑が立っており、隣には学習塾があって、当時は3800坪くらいありすごく広かった。

幕末、ペリーが来航し日本は科学的な兵器に圧倒された。危機意識から急速に剣の道が流行った。全国に600流派剣道道場があり、江戸にもたくさん道場があった。中国の大国・清が国を割譲されたと聞き、支配階級はすごい恐怖感を持ち、鍛えようと思って道場が増えた。

当時は剣道道場もブランドで、今で言う六大学みたいなもの。玄武館には3000人以上門弟がいた。千葉周作の道場が人気だった理由は、ほかの道場は3年しないと免許皆伝がもらえないのに千葉道場は1年でもらえた。

戦国時代が終わった頃の江戸幕府は、荒々しい時代だから剣道の修行も打ち合いで、死ぬことや怪我などもたくさんあった。危険なので、武家御法度も出て、打ち合いの稽古はやらなくなって、剣道は型になった。格好や薀蓄をつけるようになり、秘伝などとも言われたが、試合になったら負けてしまう。清水次郎長は型だけの侍には絶対勝てると言った。
幕府の中ごろから型だけでは仕方ないということになり、防具をつけて竹刀で稽古をやる方法が考え出された。怪我はしないから、ようやく打ち合い稽古がはじまった。
練習はしやすいし、危機意識で剣術道場が流行った。千葉周作は工夫して、入門から何段階も分かれていたランクを簡単に3段階にした。千葉周作はマーケティング論が進んでいて、ほかの流派は10や20ある段階を、初目録、中目録、大目録の3段階にした。評判があたって、千葉の道場は大流行する。商売が時代に流れにあっている。昔のまま守るのもいいが、時代に合わせていなかないとならない。

全国的に江戸に行けばなんとかなるという風潮があり、侍が脱藩して江戸に出てきた、坂本竜馬も江戸の千葉周作の道場入る。鉄舟も入った。

2.幕末刀、近藤勇の長曽祢虎徹

 刀も時代とともに変化した。実践を離れてきた江戸中期は刀をこしらえ物、と言いきらびやかな刀が流行った。幕末の刀は戦うための武器であり頑丈なものになった。有名なのが、池田屋騒動で有名になった近藤勇の「虎徹(こてつ)」。池田屋事件では新撰組は二手に分けて勤皇方を探した。近藤勇はたった4人で池田屋入っていき、ものすごい戦いをした。ほかの剣士たちの刀の刃はバラバラ折れるが、最後まで虎徹は折れなかった
虎徹は偽者という噂がある。近藤勇が虎徹を手に入れたいと古道具屋に相談したところ、古道具屋は適当に買って、50両で売ったという話もある。池田屋事件でも折れなかったが、偽物らしいということは間違いないらしい。

近藤勇も牛込柳町に道場を持っていた。儲からないときは出張講師、剣持っていて、教えていた。


3.小千葉道場に入門した坂本竜馬

千葉周作の弟千葉定吉も剣客だった。弟・千葉周吉は兄とは別に千葉道場をつくり、小千葉といった。場所は、当時桶町といい、今の八重洲ブックセンターあたりで、ここに坂本竜馬は入門した。

坂本竜馬はロマンがある。坂本竜馬は日本の大きな戦略に貢献した。2000年のときにこの1000年の日本の政治リーダーの人気投票をしたときの1位人気投票をした。司馬遼太郎が書いた『竜馬がいく』で人気ものになった。
竜馬は政治的リーダーとして人気。薩長同盟を竜馬がした。なければ今の明治維新が成り立たなかった。薩摩と長州は因縁の中だった。
長崎からの船の中で、船中八策、世界で日本が生きていく国家体制を作った。

坂本竜馬は千葉周作の道場で、免許皆伝をもらった。坂本竜馬の妻・おりょうさんは長屋で野垂れ死にした。坂本竜馬は早く暗殺されたから、その後苦労した。

免許皆伝の与えた紙を読むと、武道講習会の修了書とある、千葉弟の妹が長刀の名人で、彼女から教えてもらった修了書である。インターネットのウィキペディアにも書いてある。竜馬は剣客ではなかった。頭脳はよく、理科系だった、蘭学もできた。

剣客が一夜にして世界がわかる人間に変身するとロマン。鉄舟は地道の修行をやった。ロマンだけだと失敗の連続、緻密な計算の元に生きていくことが大事なので、私たちは地道な修行をしなければならない。

世界のアニメーションの60%は日本がつくったもの。海外では子供は夕方になると誘拐されるから家の中で遊ぶ。家で日本のアニメーションを見ている。アニメーションを作る人は絵がうまい人ではなく、理科系の人。水を表現するのに、水を計算して絵に描く。そういう才能を求められる。

4.鉄太郎の修行振り

鉄舟は千葉周作の玄武館に入って、幾千万と戦ったと剣の修行について書いている。幾千万は多すぎるかもしれないが、それくらい本人は一生懸命にやった。そういう無我夢中の修行は剣だけではなく、書・禅・色道も同じように修行した。
元プロミスの社長だった矢野覚さんにお会いする機会があった。消費者金融はイメージが悪いので、国家から統制が来る。仕入れたお金を貸すのが商売なのに、国が消費者金融にはお金を貸してはいけない、と統制してしまったから銀行はお金を貸してくれない。普通は商売できないなら止めてしまうでしょうが、矢野さんは日本の銀行が駄目ならと世界中の銀行からお金を借りて日本でお金を貸した。
問題は必ず出るが、あきらめたらだめ、苦労は超えるためにある。今や融資額1兆6千億円、利益600億、顧客230万人。また80歳になってから、胡錦濤の出身学校で東大よりレベルの高い中国の清華大学の教授で毎月指導に行っている。

バングラディシュのグラミン銀行は貧しい人にお金を貸すことでノーベル賞をもらった。なぜ貧しいかというと、人に雇われているから貧しい。竹細工を生業としていても、竹が買えないので材料を借りて作ってまた戻すという下請けの仕事になる。これではいつまでも貧しいまま。最初から竹を買って売れば利益が出る。その竹を買うための1万円を貸すのが、グラミン銀行。
グラミン銀行の貸し倒れ率は1%、先ほどのプロミスは4%、日本で不良債権が覆いときは何十パーセントになった。大手企業が返済せず踏み倒した。

要するに頑張れば、頭で工夫すれば何とかなる。


5.伊勢神宮早朝参拝で感じたこと
  中国との違い
①文化が途絶えている
毛沢東⇒劉少奇・鄧小平⇒文化大革命・紅衛兵・
天安門事件(1989.6.4)⇒江沢民⇒胡 錦濤
   ②「やさしい」という言葉がない
    「やさしい」だけは日本語で話す中国人。
但し、論語では「やさしい」を二つの言葉で孔子が語っている。
     仁⇒仁とはすなわち人を愛すること
     恕⇒まごころによる他人への思いやり

初詣で、伊勢神宮に参拝に行ってきた。前の日に神宮会館に泊まって、早朝に身を清めて、職員に2時間掛けて案内してもらった。ここで感じたのは、日本はいいなぁということ。伊勢神宮では内宮の遷宮が20年に1回ある。今まで62回やっているので1240年間の遷宮の歴史がある。

中国は毛沢東が1945年につくった。毛沢東は36年間くらい主席をやって、その後主席を譲った。しかし鄧小平のやることが面白くなく、若いものをおだてて、民主化運動の名のもとに紅衛兵を使って迫害・破壊を行った。ある100万人の都市では一夜にして数千人の人が反革命分子として生き埋めにされた。また勝手に人の家に入り家人を追い出し、財産を没収した。そういうことをした結果、紅衛兵が天安門広場で戦車を出して、大量殺人をした天安門事件が起こった。
毛沢東の後は、鄧小平が実権を握り、江沢民は反日運動をした。天安門事件のことを国民の意識から遠ざけるために、国外にターゲットを作った。第二次世界大戦の教育を始め、日本のことを持ち出した。
このままでは胡錦濤が国家の暴動になりやすいと考え、安倍首相就任のときになって、靖国のことをいわなくなった。中国は政権が変わる度過去を否定していくので、文化が壊れていく。韓国でも盧泰愚政権が終わり、ハンナラ派が実験を握ると今までと反対の政策になるので文化が長続きしない。
日本では戦後一貫して自民党が政治をしている。天皇陛下も繋がっている。中国は王朝が変わる。日本はすごいと思うのは、中国の本を読んだら、優しいという中国語がない。日本に来た中国人は日本で「優しい」という言葉を使うときは、「優しい」だけ日本語を使うという。中国語では、「優しい」を一言では説明できない。優しいという言葉がない国は優しくはない。

2500年前には、論語の世界で仁とはすなわち人を愛すること、恕とは真心による他人への思いやりとある。中国共産党の幹部連中は論語を知らない。日本に来て、論語を読まれていることを知った。
以上

【事務局の感想】
今回も現場に足を運んでいただいた現場の臨場感をもって発表をしていただきました。山本さんの鉄舟研究は、現場にもとづいて書くことを一つの基本にしておられます。これからも現場の力をもって、今までにない山本鉄舟研究が進んでいくことを楽しみしております。

投稿者 staff : 2007年02月06日 12:04

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