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2006年10月28日

10月例会記録(2)

■ 山本紀久雄氏
 
 修身二十則

いつも二見さんから教えてもらうことがある。日本の中で二見さんのような方が、しかも身近にいるということはすごいこと。

鉄舟会で勉強する目的は、山岡鉄舟がなぜすごい人間になれたか、その解明をしたいと私自身は思っている。鉄舟に関する本はたくさんありますが、鉄舟が何をやったかという過去の話しか書かれていない。知識としては勉強にはなる。しかし、鉄舟はどうして偉業を成し遂げたのかが書かれていない。例えば、どうやって西郷隆盛を説得・納得させたのか。鉄舟が動いた結果、ドラッカーが「世界の奇跡」と評価する明治時代になった。なぜこのような改革を起こせたのか、鉄舟はどのように自分自身を磨いたのか。行動ではなく、気持ちの部分を解明したい。

仕事とは問題解決。問題を解決しようと思ったら社会とのぶつかりがある。壁がある、壁の前で帰ってきたらその人は何もできず小さい世界に入ってしまう。壁を越えようとする強い意志。鉄舟はどうやって、その意志をもてるに至ったのか?
慶喜から指示を受けて業績を上げたのか、なかなか難しいが解明したい。

二見さんの講演であった「10円の日供」で思い出したことがある。アメリカの地下鉄に「小銭を大事にしましょう」という広告が出ていた。小銭とは1ドル以下。アメリカ人は計算が良くできないから、札で買い物して、小銭はどこかに失くしてしまう。その小銭を貯金しませんか、ということが地下鉄の中に書かれていた。


安倍内閣の最重要項目として、日本の教育再生会議の第一回目が行われた。
座長が野依先生(ノーベル賞受賞、理化学研究所所長)。居酒屋と介護施設をやっている渡辺社長(ワタミ社長)もメンバー。
座長も大事だが、実務的なことを担当する座長の補佐役も大事。その補佐を行う座長代理に知っている人が就いた。資生堂の相談役の池田守男さん。
池田さんは資生堂の社長も勤め、現在は相談役。

安倍さんが一番大事にしたいといっている教育再生会議の座長代理に、ただ社長を務め、相談役をやっている人を任せることはしないでしょう。
座長代理になぜ池田さんを指名したのか。池田さんは、若いときから新渡戸稲造の『武士道』を読んでいた。海外出張にも持っていき読むほど、武士道を熟読玩味し、実践されている。
教育再生会議は武士道精神が生かされた~今の次代の中に古いと思われているが~その精神が生かされた内容になる。
武士道を体得した人が国の全体の流れをつくるポイントに居る、と理解してほしい。

NYは日本人気。一番驚いたのは、居酒屋。イーストビレッジに日本の居酒屋があり、40分待って入ることができた。客層の7割は日本人。日本の居酒屋と同じだから簡単に注文が出来る。会計は5人で120ドル、1人2800円と日本と同じくらいの金額で居酒屋を体感できる。
日本の日常生活が世界のNYでそのまま表現されている、ということを言いたい。
日本マンガは、日本の日常をマンガにしている。日本の日常起きていることがマンガになり、それが、英語・ドイツ語・フランス語に訳されている。外国の人たちはマンガを読みながら日本の生活を見ている。
日本人の日常生活が外国で実現されていることは日本文化のソフトパワー、と日本経済新聞の論説員は言っている。

NYで、居酒屋やマンガ、レストランに実際に行く、レストランを作るポリシーを聞くと「日本のそのままがいい」という。
東京でオペラ公演できることが、世界の歌劇団のステイタスだという。今の日本の姿が、外国人が見たら憧れの的である。日本人は卑下することはない。
戦後ひたすら経済大国を目指し、自らのソフトパワーの可能性に気づかずにいた。
私も今回のNYで同感した。

NYは競争で勝たないと敗北者になるところ。競争とは生きる競争のことで、生きる競争とは、目的意識のこと。目的意識を持たずにNYに来ても中途半端になる。生きる基準が明確であると勝者の道に近づくが、ないとNYに弾き飛ばされる。

NYは不安定なところ。安定を求めて生きている人もいるが、不安定であることが普通。不安定の中で目的を持って勝ち進まなければならない。不安定さがNYは見事に表現されている。

なので、いろんなことに疑問を持つことが大事。疑問に感じたことは素直に質問する。疑問と懐疑は違う。疑問は質問であり、ディベートは質問会。疑問に思っても聞かないでいると、弾き飛ばされる。
グローバル化とはディベートができるということ。教育再生会議のメンバーも発言が出来る人。議論が出来る人が経済財政諮問会議のスタッフ。
NYのソフトパワーを正しく理解すると同時にNYの良いところも受け入れなければならない。

1.明治天皇の扶育係

鉄舟は明治天皇の侍従になった。孝明天皇が突然亡くなられ、明治天皇は15歳で天皇になられた。それまでは京都の御所で女官たちに育てられた弱々しいイメージの天皇だった。当時日本は帝国主義の君主と張り合っていかなければならなかった。よほどの人でないかぎり、当時の混乱する政局をリードできる知識や経験はない。環境を変え、英語・ドイツ語・日本語・習字・・・各教科の専門家が明治天皇についた。では、鉄舟は何を教えたのか?西郷隆盛は何のために鉄舟を侍従にしたのか?

勝海舟の研究家、江藤淳先生の著書『勝海舟全集』に勝海舟が語ったという内容が書かれている。
天皇をこのままにしちゃいかん。なよやかなものでは、いけない。武士的でなければならない。

扶育とは「世話をして育てる」という意味。天皇を世話して育てるとき、天皇に足りないのは民間の経験。鉄舟は極貧の生活をした経験もある。


2.明治天皇紀に見る鉄舟の実態

天皇陛下と鉄舟の接点については記録がない。何時に起床して就寝するかまで記録されている天皇紀というものがあるが、そこにも鉄舟については書かれていない。


3.明治天皇は鉄舟の何を高く評価したのか

NYコロンビア大学のドナルド・キーン教授が書かれた『明治天皇 上下巻』に一箇所だけ、明治天皇の酒の強さについて書かれている箇所がある。
明治天皇は、山岡鉄舟、明治天皇の外祖父中山忠能大納言(明治天皇の母親の父親)を度々召し寄せて、酒宴を開いたという。

ご自分のことを考えてみてください。嫌いな人と酒を飲みますか?お酒は気が合った人と飲むのが一番でしょう。
明治天皇の酒を呑む相手になっていたということは、気が合うということ。
酒を飲みながら、鉄舟はどんなことをしゃべったと思いますか?自分が経験したことを話すでしょう。それが天皇の内に入っていったのではないか。

人間はどういう思想を持つべきか、が潜在的にある話しを好んだ。明治天皇は明治時代の最高のリーダーで、どうこの国を治めていくか考えている。鉄舟と酒を飲みながら学ぶことがあったでしょう。
4.鉄舟の整理する力

鉄舟23歳のときに「宇宙」という言葉を使っている。宇宙を天地と区分けし、外国と日本に分け、日本の区分けした中には「徳川幕府」が入っていない。勝海舟が咸臨丸でアメリカにわたる2年前に、鉄舟の頭の中には民主主義思想が入っていた。

民主主義的な思想を持っていながらも日本古来の武士道精神も持ち、それが明治天皇に入っていった。当時は、各国の帝国と伍していくような、大変な時代だった。
この立派な明治天皇の、頭が柔軟な15歳の時代に居たのが鉄舟だった。


5.修身二十則

鉄舟は、嘉永3年正月(鉄舟15歳)に、この修身二十則を書いた。
奇抜なことはなく、平凡とも言える内容。日常できることが書かれている。書く人は沢山いる。書いたことを実行する人は極僅かいる。


6.無私の精神

無私の精神を養うには、1つ目は真実を判断する公平な目が大事。偏向した頭では真実を判断することはできない。2つ目は、強い意志。強靭な思考。どんな困難があってもやる。大きな問題は時間をかければできる。目の前にお菓子が山のようにあったとして、今すぐには食べ切ることはできないが、毎日少しずつ食べれば、食べきることができるでしょう。すぐに出来ないことを困難という、強い精神力、時間を考えれば、困難は乗り越えられる。


7.鉄舟精神の解明の旅はまだまだ続く

人のやらないことをやるのが成功するポイント。鉄舟の研究もやることが沢山ある。明治天皇を扶育したこと。明治天皇は明治時代の君主として立派だったことは、酒を呑みながらの鉄舟のちょっとした一言、態度から、思想的に明治天皇が吸収したのではないか。民主主義思想である宇宙の思想。修身二十則を決めたこと。

どうやって二十則を決めたのか?いつ勉強したのか?高山時代の資料を見ると、お寺の鐘楼を外してもってこようとした。そういうことしか書いてない。○年○月に何があったかではなく、その歴史の裏側を研究して解明していかなければならない。
裏にあるものを組み立てて、検証しないといけない。
鉄舟の研究する旅はまだ続きます。これからも皆様お付き合いください。

修身二十則

1.うそはいふ可からず候
2.君の御恩は忘る可からず候
3.父母の御恩は忘る可からず候
4.師の御恩は忘る可からず候
5.人の御恩は忘る可からず候
6.神仏並に長者を粗末にす可からず候
7.幼者をあなどる可からず候
8.己れに心よかざることは、他人に求む可からず候
9.腹を立つるは、道にあらず候
10.何事も不幸を喜ぶ可からず候
11.力の及ぶ限りは、善き方につくす可く候
12.他をかへりみずして、自分の好き事ばかりす可からず候
13.食するたびに、かしょくのかんなんを思ふ可し、すべて草木土石にても、粗末にす可からず候
14.殊更に着物をかざり、或はうはべをつくらふものは、心ににごりあるもと心得可く候
15.礼儀を乱る可からず候
16.何時何人に接するも、客人に接する様に心得可く候
17.己の知らざる事は、何人にてもならふ可く候
18.名利の為に、学問技芸す可からず候
19.人にはすべて能不能あり、いちがいに人をすて、或はわらふ可からず候
20.己の善行をほこりがほに人に知らしむ可からず、すべて我が心に恥ぢざるに務む可く候

 嘉永三年庚戌正月 行年十五歳の春謹記
                        小野鉄太郎


【事務局の感想】
鉄舟は弱冠十五歳にして修身二十則を記し、己を律したそうです。このこともまた、行うは難しと感心してしまうばかりでした。
また、鉄舟は同じく弱冠十五歳の明治天皇の扶育係として、天皇の思想形成に少なからず影響を与えたであろうことを解説していただきました。人間としての生き方、思想などにもっとも敏感で多感な時期に、明治天皇は鉄舟からどんなことを教わったのでしょうか。残念ながら明確な史料は残っていないそうですが、山本さんの鋭い分析になるほどと思うことしきり。今後の研究発表がますます楽しみになりました。

投稿者 staff : 2006年10月28日 13:16

コメント

小野鉄太郎「修身二十則」プリントアウトして掲示しました。
今、教育のみならず日本の何もかもが正しくない姿になって来ています。
修身二十則、日本全国に浸透して欲しいですね。

投稿者 慈風菴木堂 : 2006年10月29日 12:01

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