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2006年03月26日

3月例会記録(1)

3月例会記録
北川宏廸氏  「必勝の剣法」はある -剣の「理」と「技」をめぐる数理-

1、「必勝剣法」の二つの流れ

 必殺の剣法はあります。鉄舟研究会でこのことを是非お話したいと思っておりました。30分で解りやすく説明するつもりですが、剣法を言葉でお話することは非常に難しい。言葉の論理は甘いし、我々は五感で感じて事態を判断するが、五感で感じて判断することは思い込むことでもある。思い込むと、対象に対して客観的に迫ることができなくなる。
だから、自然科学者は、認識の手段として、古今東西の共通語である「数学」を使うわけですが、残念なことに、多くの人は数学のことを誤解しております。数学は計算だと思い、答えがでないとあせってしまう苦い思い出を持っておられる方が多いと思います。しかし、数学は客観的に事を認識するひとつの道具と割り切り、肩の力を抜いて、数学をイメージで、捉えていただきたいと思います。

お話ししたいことはレジュメに全て書いておきました。今日は軽く聞き流して、帰ってからもう一度読んでください。
さらに勉強したい方は最後のページに参考文献を挙げておきましたので、これを読んでいただければと思います。
「オイラーの賜物」や「虚数の情緒」という本は、中学生を対象とした参考書ですから、分厚い本ですが、大変とっつきやすく、面白く書かれていますので、興味を持たれた方は是非読んでみていただきたいと思います。柳生延春先生がお書きになった新陰流の秘伝の本は国会図書館に行けばあります。

 今回の話で、1番大事な本は、ここに持ってきました柳生新陰流の21代当主・柳生延春先生が書かれたこの本です。この本には、秘伝が写真つきで出ております。読んでいただければ一番いいのですが、今日はここに書いてある新陰流の剣法についてお話します。
その前になぜ私が剣について語るのかをご説明したい。実は、私は門外漢ですが、剣に触れる機会が2回ありました。
 昨年の秋に開催された鉄舟サロンの静岡研究旅行で、「水欧流」の実技を生々しく拝見しました。
 それ以前に、最初に剣に触れたのは、東大医学部(生命科学)名誉教授の清水博先生が主宰しておられる「場のアカデミー」という研究会で5年前に、名古屋にある柳生新陰流の柳生延春先生道場で、これからお話します柳生新陰流の「必勝の剣法」の奥義の実技を、実際に拝見したわけです。どんなかたちで攻められても、それを受けて、木刀一本で、必ず相手の剣を叩き落して勝つ。これには本当に驚きました。
水欧流の先生も、"死んだら終わり"だとおっしゃっていた。「必勝の剣法」だからこそ、死なないで、今まで綿々と続いてきた。このとき私は、「必勝の剣法」はある、と確信したわけです。そのとき、私は、これは、オイラーのe(ウー)の方程式で説明できると思いました。
それについてお話したい。

 「必勝の剣法」には、宮本武蔵に代表される「殺人刀」と、柳生新陰流の「活人剣」の二つの流れがあります。水欧流も活人剣ではないかと思います。後日お聞きしたいと思っています。
「必勝の剣法」といいますのは、これは、生きものや人間が生きていく、ということとも、密接に絡んでくるわけです。必勝の生き方があるから、我々はこのように生きていることができるのです。
柳生新陰流の発想の原点を作り上げたのは、上泉伊勢守信綱でした。彼が作り上げた新陰流を最も正確に理解したのが2代目の柳生石舟斉宗巌で、伊勢守信綱からその奥義を直伝するというかたちで柳生石舟斉が引き継ぎました。
 なぜ柳生新陰流が有名になったかといいますと、真剣で打ち込んでくるのを木刀一本で受ける、という柳生新陰流の「無刀捕り」のうわさを徳川家康が聞きつけ、家康が自分の太刀を受けてみよ、と実際に試技を命じたことにあるといわれています。家康の真剣を見事に木刀で受け、これを打ち落とした。これが縁で、石舟斉は徳川本家の剣道師範になってくれと頼まれます。しかし、自分は年寄りでお役に立てない、と五男の柳生宗矩を推し、宗矩が徳川本家の剣道師範になった。その息子が柳生十兵衛です。その後、柳生本家は大名になってしまいます。
 柳生の剣法を継いだのは、石舟斉の孫の柳生兵庫介です。彼はなかなかの剣術家で、徳川の中で剣術に造詣が深かった尾張徳川の初代藩主・義直に所望されて、尾張藩の剣術指南役になります。柳生の剣法の本道は、兵庫介に引き継がれました。そして、柳生新陰流の剣法は、現在21代の延春氏まで綿々と引き継がれております。
素晴らしいのは、その剣法の奥義が、きちんと秘伝として残されており、まさにそのまま再演できることです。柳生先生が再演されたのをみて、我々は、驚き、納得し、感動したわけです。

 柳生新陰流は、宮本武蔵の「殺人剣」と違い、「威圧する剣」ではない、ということです。柳生先生曰く、「一刀両段」。この「段」は自分と相手の中心線を重ね合わせて共に斬り下ろすこと。
 相手がこちらに截り込んでくることを確認してから、一拍遅れて、自らの「人中路」(自分の中心線)を一刀両段に、十文字に、打ち下ろす。「一刀両断」(相手を真っ二つにすること)ではない。
そうすると、丁度良いタイミングで相手の太刀の上に、自分の太刀が打ち乗って、相手の太刀を跳ね飛ばし、相手のこぶしを截り下すことができる。
ほんの僅かな時間差、この時間差がポイントで、これを解明するために「数学」が必要になるのです。

①自分と相手が対峙する「截相の時空間」は、時間軸と空間軸の「合成された時空間」だ。この時空間では、相手は「時間軸の時間空間」の中に身を置き、自分は「空間軸のユークリッド空間(縦・横・高さ)」の中に身を置く。

②お互いの太刀が円運動(円弧)で相手を截り裂く力は、それぞれが、それぞれの太刀の円運動(円弧)に投入するところの「エネルギー量」の大きさに比例する。

③太刀の円運動(円弧)に投入される「エネルギー量」の大きさは、太刀の円運動の回転率(円周率)、すなわち回転速度によって《計量》することができる。

④回転率(回転速度)とは、直線運動(一点)に投入される「エネルギー量」と、円運動(回転運動)に投入される「エネルギー量」との比である。
  例えば、円周率のπは、ユークリッド空間における直線運動と、円運動とに投入された「エネルギー量」の比を表す。

⑤すなわち、
・空間軸のユークリッド空間における円運動の回転率(回転速度)は、
       円周率のπ =3.14159265358………
・時間軸の時間空間における円運動の回転率(回転速度)は、
      オイラーのe=2.71828182845………
つまり、
相手が身を置く時間軸の「時間空間」におけるよりも、自分が身を置く空間軸の「ユークリッド空間」の方が、太刀の回転運動の回転率は高く、したがって、太刀の回転速度(スピード)も速い。
すなわち、常に、「自分」は、初めから比較優位の位置にある。

⑥したがって、次のようなことになる。
《相手が、こちらに向かって太刀を截り下ろしてくるのを確認してから、遅れて自分の太刀を一刀両段に振り下ろしたとしても、丁度良いタイミングで相手の太刀の上に、自分の太刀を打ち乗せることができ、その結果として、相手の太刀を飛ばして、相手のこぶしを確実に截り下ろすことができる。》

 この原理を利用したゲームが、野球。
バッターは空間軸、ピッチャーは時間軸に身を置く。したがって、ピッチャーが円弧運動で渾身の力を込めて剛速球を投げたとしても、バッターのスウィングの円弧運動エネルギーの方が大きい。バッターのスウィングのエネルギーの方が大きいから、得点が入るわけだ。バッターは打ち急がず、ボールを良く見極め、きちっとミートさせればホームランを打つことができる。
空間軸の回転スピードが、時間軸より15%速い。ここがポイント。

 また、シマウマを追うライオンの例。
追われるシマウマは、空間軸の15%のハンディキャップがあることによって、食われない確率が五分五分以上となる。だから、シマウマは絶滅しない。

生きものが、リスクを察知して、注意深ければ、生き続けられる理由がここにある。

 無理数「オイラーのe(ウー)」は、無限級数の和で表すことができます。この無理数がどのような式で表すことができるか、また、どのようなイメージで捉えたらよいかは、レジュメの(参照)のところを見ていただきたいと思います。

 eは、スイス人の数学者オイラー(EULAR)が見つけ出した無理数で、「イー」ではなく、「ウー」と読みます。オイラーは、この無理数に、自分の名前のイニシャルの「e」と命名しました。
数学者のオイラーは、直感的にこの無理数の「e」を「エネルギー」「時刻」「生きものの命」とイメージしていたのではないか、と思われる節がある。

私は、eを時間軸、πを空間軸と考えるわけです。我々は、横軸をπ、縦軸をeとする「時空間」の中で生きていると考えるわけです。

話は少しそれますが、
『博士の愛した数式』(映画と小川洋子の小説)の中で「オイラーの方程式」が出てきます。

houteishiki.jpg

オイラーは、この世の中は、このような数式でデザインされていると考えました。
この式は量子力学と相対性理論の基本方程式でもあります。
このように、数式はこの世の中で起きている現象を類推する手がかりを提供してくれます。数学者は皆、数式で厳密に論理を追いながら、神様によってこの世の中が、どのようにデザインされているか、神様の手帳をこっそり覗き込もう、としているのです。それがわかると数学はものすごく面白い。

「必勝の剣法」には2つのパターンがありました。
宮本武蔵の剣は、自分は自分一人で独立して生きているという思い込みが強い。自己中心的です。これに対して、新陰流の活人剣は、自分という存在は、相手があって自分がいる、という自分を相対的な存在として認識しております。
ニュートンの力学は、宮本武蔵の力学。一方、新陰流の剣法は、相対性理論の力学に立っております。空間軸と時間軸を相対的な存在として、自分と相手の関係を相対的に客体化して見つめなおす。これが「相対性理論」の立場です。
「殺人剣」から「活人剣」への転換は、ニュートン力学から相対性理論の力学への大きな転換とも重なります。

その相対性理論も2つに分かれます。

 空間軸に視点を置いて時間軸を相対化したのが、アインシュタインの相対性理論です。これに対して、時間軸の時間空間から、空間軸を相対化して観察したのが、朝永振一郎博士の「超多時間理論」です。
超多時間理論は、この空間のあらゆる一点には、固有の時計が埋め込まれている、と考える。我々は、一人一人、固有の時計を持っている、という考え方。
eという回転スピードの遅い「時間空間」の回転の外周りを、πという回転スピードの速い「ユークリッド空間」が回転運動をしている。
すなわち、eが我々の"いのち"であり、πが我々の"肉体"だ、というわけです。

 我々は、時間が過去から将来に向かって、このユークリッド空間を突き抜けているというイメージを持っているが、時間は、我々の肉体(=空間)の中に内在化していると考えるのです。
内在化している時間が"いのち"。死ぬのは"いのち=時計"を包んでいる肉体(=空間)の方が朽ちるから…外身が朽ちてなくなるから中身の"いのち"が失われる。そのように考えるのが、「超多時間理論」です。

【事務局の感想】
 剣法と数学が結びつくとは思いませんでした。北川さん曰く、数式をやりながら
この世の中をイメージしているのが数学者だということですが、剣法を数学で表した素晴らしい展開でした。算数も苦手な私には数式は難しかったのですが、宮本武蔵の「殺人刀」の自己中心的な考えと柳生新陰流の「活人刀」の相対的理論は、大変よく分かるものでした。自分は、どちらかというと・・・かしら?
 鉄舟を通じて、数学の勉強までできるところが、このサロンが他にはないユニークな点であり、特長だと思っていますので、ぜひメンバーの皆様、発表をお願いしましたら、ご協力よろしくお願いいたします。

投稿者 staff : 2006年03月26日 16:21

コメント

今晩は。
 新陰流の「一刀両段」をオイラーの定理に当てはめて説明されたのを楽しく拝見しました。
 私はアマチュアの物書きですが、新陰流の剣理に傾倒しています。

 私も合撃でなぜ敵に勝てるのか?とその真理を私なりに見極めようと思っています。

 ただ、新陰流の稽古を見ていると体の移動もさりながら、袋竹刀の振りかたとタイミングに未知の部分があります。

 剣道家が新陰流を知らないで同じ事をやろうとしても、たとい高段者であろうとも、不可能であると言われます。

 肩から腕を剣の一部として、切っ先から振り下ろす技は簡単に出来ないようです。

 そしてお互いの竹刀が交差する時点は、人によって微妙に異なり、真剣で本当に勝てたのかはやってみないと分からない領域となります。

 「肘を伸ばして手首を使わず」という柳生兵庫の十禁集を全て行って初めて理論が実践されるという分けで、この部分の数式での説明も是非お願い致します。

投稿者 泊瀬光延 : 2008年06月01日 18:41

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