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2005年11月24日

11月例会記録「時代のタイミング」

11月例会記録(2)

山本紀久雄氏 「鉄舟とピストル」

●上米良氏の講演について
正月は神社に参りますね。そのときに神社というものは何か?というものを知らないままに一年間何かいいことありますように!とお願いする。国民の基礎教育なのに、神様の成り立ちは学校で教えてくれない。日本人の原点を知らずして、神社のお参りをしてよいものか、と。そこで上米良さんに講演をお願いした。

●望嶽亭のピストル 
若杉さんが編集した望嶽亭の小冊子にピストルがある。これはナポレオン3世が徳川慶喜に贈り、慶喜が鉄舟に駿府に行くときにあげたピストルである。
それが望嶽亭にある。冊子を読むと望嶽亭近くの薩?峠を鉄舟が一人で越えようとしたら官軍がおり、鉄舟はまずい!と山を逃げた。冊子には、鉄舟が官軍に"拳銃を打ち返しては必死に逃げた"とある。
鉄舟は剣の人なので、ピストルを撃ち返すのでは味がないと気になっていた。

●坂本竜馬と剣
2000年のときに朝日新聞がこの1000年間の日本の政治リーダー読者人気投票を行った。有名でロマンあふれる人間として、人気は坂本竜馬がトップ。剣の達人として著名であり、千葉道場で免許皆伝の腕前を持っている。しかし剣客竜馬は刀より銃ではなかったかと考えられる。竜馬は京都で2度襲われている。最初の寺田屋事件、刀は持っていたが、ピストル5発撃って、向かってきた人に対抗した。5発の弾がなくなってもピストルを離さなかったので、手を切られてしまった。竜馬は剣術使いではなかったという仮説を持った。剣術使いではないから、ピストルを護身用に持っていたのではないか。2回目は風邪ぎみだったが、床の間にあった刀を取る暇もなく切られている。竜馬は剣士ではなかった。竜馬はオランダの蘭学を学んでいて、兵法、爆弾の方の専門家だ、という仮説を立てた。

●鉄舟のピストル
望嶽亭には10連発のピストルがある。しかし山岡鉄舟とピストルなじみますか?なじまない。長い間心に引っかかっている。『誰も書かなかった清水次郎長』ではピストルは6連発とあるが、本当は10連発。
鉄舟は明治時代になって近代日本の最後の剣士といわれた。坂本竜馬も剣士と言われたが、免許皆伝の証書には、「長刀」と書いてある。
鉄舟は道場も作った、激しい訓練もしている、その剣の達人が護身用としてピストルを持って、逃げながら必死で撃った!と冊子には書かれている。鉄舟を好まない会だったら、剣士じゃなくなるかもしれないが、ここは鉄舟の会で、鉄舟を好む人が集まっている会。
望嶽亭女将かくさんの脳裏に残った口述伝書がさだよさんに来ている。鉄舟がピストルは持っていたことは事実だと思う。しかしどうしてピストルを持っていたかを研究していて『幕末維新本流の時代』という本を見つけた。

●ピストルの持つ意味
慶応3年10月大政奉還があったが、慶喜討伐勅書が出た。大政奉還したから慶喜を殺す必要はない。しかし西郷らは勅書を持って京都を離れ、もう一度徳川を倒す作戦を立てるために京都を離れた。そのときに反幕体制として一人だけ京都に残った岩倉具視に短銃を贈った。ピストルは貴重品で高いものであった。これは護身用ではなく「動揺するな」という意味で贈った、とある。

現在、著者の青山さんに「動揺するな」というのはどこからもってきたか、問い合わせしている。まだ返事はこないが。慶喜さんが鉄舟に駿府に行ってほしいと頼んだときに、ピストルを「自分と思って持っていってくれ」と渡したのではないか。
本当なら刀だが、謹慎している身であるから、ピストルを鉄舟に渡し、「自分と思って成功させてほしい、西郷のところまで行ってほしい」と頼んだと考えれば、鉄舟のイメージは狂わない。


【事務局の感想】
山本さんは、いつも、いろいろなことに疑問をもたれて、それを解明しようと研究を続けれています。いつも考えているので、その答えが現れ、研究が解明されていきます。
ピストルの件もその調査の一つです。今後もさまざまな解明を期待しています。

投稿者 staff : 2005年11月24日 12:56

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