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2005年07月09日

二見氏の現代に生きる武士道 3−2

▼第九章 忠義(忠実の義務)
忠義とは、主君に対する臣従の礼と忠誠の義務を表すものであり、封建道徳を顕著に特色づけている。武士道においては、個人より国が重んぜられた。
中国では、親に対する服従が第一の義務とした これに対し、日本では、忠が第一位。
主君と意見がわかれる時、家臣のとるべき忠節の道は あくまで 主君のいうところが非であることを説くことである。

 ▼第十章 武士道の教育 訓練
 武士道の枠組みを支えているかなえの三つ
     智   仁   勇   即ち   智慧  慈悲  勇気
 武士道の訓育
  剣術 弓術 柔術 乗馬 槍術 戦略戦術  書 道徳 文学 歴史
 欠けているものは算術 武士道は損得勘定をとらない
 武士道は無償、無報酬で行われる実践のみを信じた。武士道の本性、すなわち算術で計算できない名誉を重んじるという特質は、近代の経済学以上に、はるかな真実の教えを人々に教えた。
  ▼第十一章 克己
 武士道においては、不平不満を並べたてない不屈の勇気を訓練することが行われていた。
 克己の理想とは、心の安らかさを保つことである。自殺と仇討ちの制度のその極致がみられる。
 死せる子の不在を常のごとく、とんぼつりにでかけたものと想像して、わが心を慰めようとした一人の母(加賀の千代)の句がある。 蜻蛉つり今日はどこまで行ったやら
  ▼第十二章 切腹
 切腹  武士がみずから罪を償い、過去を謝罪し、不名誉を免れ、朋友を救い、自らの誠実さを証明する方法であった。真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは卑怯であった。あらゆる困苦、逆境にも忍耐と高潔な心をもって立ち向かう。これが武士道の教え。
  赤穂 四十七士の例 
 主君(浅野内匠頭)は死罪を命ぜられ、控訴すべき法廷がなかった。仇討ちの手段。切腹。
▼第十三章 刀 武士の魂
刀は、忠誠と名誉の象徴。
刀鍛冶は、単なる工人ではなく、霊感を受けた芸術家であり、鍛冶するところは神聖な所であった。鍛冶は重要な宗教的行為であった。
武士道は適切な刀の使用を強調し、不当な使用に対して厳しく非難し、かつそれを忌み嫌った。血を見ない勝利こそ最善の勝利。武人の究極の理想は平和である。
▼第十四章 婦人の教育及び地位
女性の薙刀習得の動機には二つある。
1己の身を潔く守った。   2息子たちの教育。
女性が男性の奴隷でなかったことは、その夫たちが封建君主の奴隷ではなかったことと同じ。妻たちが果たした役目は、「内助」の功として認められた。
武士道は、自己の個性を犠牲にしてでも、自己自身をより高次の目的に役立たせることとした。
▼第十五章 大和魂
サムライは民族全体の「美しき理想」となった。  花は桜、人は武士。
武士道は、当初、「エリート」の栄光として登場した。だが やがて国民全体の憧れとなり、その精神となった。それが「大和魂」。サクラは、大和魂の典型である。
本居宣長
敷島の大和心を 人問はば  朝日に匂ふ山桜花
▼第十六章 武士道は蘇るか。
日本に押し寄せてきた西洋文明により、武士道は消え入りようとしているのか。
武士道は、無意識のうちに、日本国民の一人一人を動かしてきた。
吉田松陰が刑につく前夜に詠じた歌
かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂
西洋化の波において、日本人を動かしてきた力は、日本自身にある武士道である。
▼第十七章 武士道の将来
武士道は、その姿を消す運命にあるのか。
現在の我々の使命は、この遺産を守り、古来の精神をそこなわないことである。
未来における使命は、その人生の全ての行動と諸関係に応用していくことである。
武士道は不滅の教訓である。
武士道は一つの独立した道徳の掟としては消滅するかもしれない。
しかしその力はこの地上から消え去ることはない。

●事務局の感想
新渡戸稲造の武士道は欠かすことができないものであります。最後の十七章の 「その人生の全ての行動と諸関係に応用していくこと」というところは、日頃から二見さんが言われ行動されていることであるので、二見さんの生き方の基本になっているものは武士道であったと感じました。

投稿者 Master : 2005年07月09日 20:18

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