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2005年07月09日

二見氏の現代に生きる武士道 3−1

新渡戸稲造著 「武士道」について 
素晴らしい伝統ある日本を守り、健全なる社会をつくり、徳ある自己を確立しようするとき、必要なるものは、「かくあるべし」という「意志」「志」の力であると思う。「志」を徳まで高めた精神、文化は、日本が誇る「武士道」である。
 
新渡戸稲造の「武士道」は、全体 17章で構成されている。
▼第一章 道徳体系としての武士道
武士道はその象徴たる桜花と同じく、日本の土壌に咲いた固有の花である。古めかしい美徳ではなく、今なお、私達の心の中にあって、力と美をかねそなえた生きる対象である。
騎士道の規律と似ているが、それより含蓄がある。武士道とは、武士階級の「高い身分に伴う義務」である。
武士が守るべきとして要求されている道徳的義務である。武士とは、サムライのことで、身分の高い人の身辺を警護することを「侍(さぶら)う」という言葉から転じたものである。

▼第二章 武士道の源をさぐる
武士道は、仏教と神道と儒教(陽明学)から影響を受けた。
剣道の極意は、剣を抜かない。剣を使わない。生かす道。殺人刀、活人剣。
仏教から 運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避てきなものへの静かな服従。危険や災難を目前にした時の禁欲的な平静さ、生への侮蔑、死への親近感
神道から、神社の奥殿にある鏡
1親に対する孝心  2祖先に対する崇拝  3主君に対する忠誠  
孔子の教訓は、武士道の最大の淵源である。   
五倫の道として、君臣の義 父子の親 夫婦の別 長幼の序 朋友の信 は、孔子の文書が中国から輸入される前から日本の民族本能の認めていたことである。
「論語読みの論語知らず」にならないことを戒めている。王陽明は、実践を重視した。
陽明学・・王陽明が説いた。知行合一(ちこうごういつ)(知ることと行う事とは一つ)を説いている。王陽明の教えは、「新約聖書」と類似点が多い。
▼第三章  義
義は、道理であり、条理であり、人間の行うべき道。「義」は、勇」と並ぶ武士道の双生児である。両者は、武人の徳である。
儒教で人の常に守るべき五つの道徳として「仁 義 礼 智 信」をさし五常といい、仁をトップにおいているが、武士道においては、「義」を最高に置いている。
「正義の道理」こそ、無条件の絶対命令。
赤穂四十七義士の話は、「義の泉」である。
「義理」は、義からの分岐した語。義理の本来の意味は、義務である。
▼第四章 勇
勇気は、義によって発動されるのでなければ、徳行の中に数えられる価値はない。
勇気は、正しいことをすることである。
例 上杉謙信が、敵である 窮状している武田信玄に、塩を送った。
論語 義を見てなさざるは、勇なきなり
(なすべきことは、敢然として行う。しかし、なすべきでないことは、断然しない)
敢為の行為が勇気の動態的表現たるに対し、平静はその静態的表現である。真に勇気なる人は沈着である。
▼第五章 仁
愛、寛容、他者への同情、憐れみの情は、いつも最高の徳、すなわち人間の魂がもつあらゆる性質の中で 最高のものと認められてきた。
義は、男性的であるとすれば、
仁は、やさしく、母のような徳である。
「武士の情(なさけ)」という言は、ただちに我が国民の高貴なる情感に訴えた。
孔子の言 「君子は徳を謹む。徳あれば此れ人有り、人あればこれ土有り、土有ればこれ財有り、財有ればこれ用有り、徳は本也、利は末也」(大学)
弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士にふさわしい徳として賞賛せられた。
格言 「窮鳥懐に入る時は、猟師もこれを撃たず」
▼第六章 礼
礼とは他人に対する思いやりを表現すること礼の厳しい遵守に伴う道徳的な訓練である。
「礼は寛容にして慈悲あり、礼は妬まず、礼は誇らず、たかぶらず、非礼を行わず、己の利を求めず、憤らず、人の悪を思わず」と言いうるであろう。
あらゆる礼法の目的は、精神を陶冶することである。
茶の湯は、儀式以上のものである。それは芸術である。それは詩であり、リズムを伴った理路整然とした動作である。それは精神修養の実践方式である。
礼の必要条件とは、泣いている人とともに泣き、喜びにある人とともに喜ぶことである。
▼第七章 誠
孔子は、誠を尊び、これに超自然力を賦与してほとんど神と同視した。
「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」
「誠」という漢字は、言葉を意味する「言」と、完成を意味する「成」の結合
「武士の一言」「武士に二言はない」
武士の世界において正直であることは、名誉とわかちがたく混合していた。
アングロ・サクソン民族の高き商業道徳に対する私の答えは、「正直は最善の政策なり」 ラテン語とドイツ語において、正直と名誉の語源は同一である。
▼第八章 名誉
名誉の感覚は、人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。
名誉は武士階級の義務と特権を重んずるように、幼児のころから教え込まれるサムライの特色をなすものであった。
少年の振る舞いを正す 最後の切り札
「人に笑われるぞ」  「体面を汚すな」 「恥ずかしくないのか」 「羞悪の心は義の始めなり」(孟子)
西郷隆盛の言葉
 「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とする。・・人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし人を咎めず、
が誠の足らざるを尋ぬべし

投稿者 Master : 2005年07月09日 20:14

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