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2005年03月29日

義経の実像とは、そして鉄舟の脳とは

2.山本さんの発表
1.源義経の実像(平治元年〜文治五年 1159年〜1189年)
義経が美形の人物像に描かれているが、実はチビで出っ歯の男だった。
源平争乱より200年後の室町中期に、類まれな美貌の持ち主として定着する。

2.新選組 沖田総司の実像
沖田総司も、あばた面の酷い男だったようだが、憧れの男性に変化していく。

3.バレンタインのチョコレ−ト・・・フェニルエチルアミン
チョコレートの中には、フェニルエチルアミンという神経伝達物質が含まれていて、食べると脳が"愛""幸せ"を感じることができる。シナプスの動きを良くして、頭の回転を良くする。薔薇の花にも、同じ成分が含まれている。

4.アインシュタインの脳・・・グリア細胞が多い
脳の重さは、だいたい1400g位であるが、アインシュタインは、1230g
それでも素晴らしい業績を残している。子供の頃には、言語障害があった。
アインシュタインは、脳の重さは少ないが、脳細胞の周りにグリア細胞が多くある。

5.鉄舟の脳・・・目的から入る思考(西郷との会談に向かうに当たって海舟の問いに対する答えから類推する)・・・脳のワ−キングメモリ−(作業記憶)に強い・・・大脳新皮質の前頭葉と側頭葉のネットワ−ク力が強い
普通の人は、手段から考える人が多い

6.東海遊侠伝について
1)東海遊侠伝の中味は次郎長と黒駒勝蔵の争い
<すべては米国ペリ−の来航から始まった>
幕府の対策として急遽江川太郎左衛門英龍が登用された。黒船ショックを経験した幕府は、ようやく江戸湾防備の重要性を気づき、以前からそのことを進言していた伊豆韮山代官の江川が幕府の中枢に登用されたお台場作りを懸命にした。

2)竹井安五郎、通称「吃安」という無宿人、今で言えばヤクザであり博徒島抜けをした。
お台場作りは急務である。お台場作りの人足候補者として博徒が使われた。その博徒の親分が大手を振って幕府の危急困難時の対策に活躍したのである。
その博徒の親分が間宮久八(後に大場久八と言われた)であり、この久八と兄弟分が竹居安五郎であり、安五郎はこのタイミングに久八のところに逃げ込んだのである。
竹居安五郎は甲州に戻り、そこで博徒として売り出していく。そこに隣の村から子分入りしたのが黒駒の勝蔵である。
この勝蔵は「東海遊侠伝」の中では、男伊達清水次郎長に対して敵役の卑怯者としてイメ−ジしやすい描かれ方をしている。
ところで、その後竹居安五郎はどうなったか。指名手配人物としてとらえようとするのが幕府の法としての当然行動であるが、それが上手くいかないので二束草鞋の博徒を使って捉えようとするゲリラ戦法をとった。
それは国分三蔵(高萩万次郎)一味の投入である。この三蔵グル−プが安五郎を騙まし捉え、牢内で毒殺との説もある死に方をさせる。これに勝蔵は怒り、その後の闘いが激化していく。
三蔵と清水次郎長は盟友である。ここに安五郎の意思を継いだ勝蔵と、三蔵の盟友としての次郎長の二大勢力が闘う構図が出来上がった。

3)慶応四年(1868)正月21日、赤報隊として突如勝蔵が現れる。
その後の勝蔵はどうなったか。明治三年8月に御暇を貰い、黒川金山開発を目論見中、帰隊の日限を守れず脱退と見なされ、明治四年正月25日伊豆蓮台寺で温泉治療の帰途捕えられ甲府に送致された。
この脱退したことと、国分三蔵との闘いで相手の子分三人を殺害したことを問われ、明治四年10月甲府で斬処された。

4)一方、勝蔵の喧嘩相手、敵役の清水次郎長はどうなったか。次郎長も勝蔵一派の子分を多く殺害している。それは「東海遊侠伝」に書かれていることで分かる。また、次郎長は幕府側での行動をとっていた。ということは官軍の世界になってみれば、次郎長こそが捕まって罪に問われるはずである。それが次郎長は過去の博徒喧嘩の殺人は不問にされて、明治時代に力をつけて生延びたのである。勝蔵とは天地雲泥の差である。この差は何故発生したのか。生き残った次郎長の背景には誰がいたか。それへの究明・研究が次の課題である。

●事務局の感想
バレンタインのチョコレートから、アインシュタインや鉄舟の脳までの解説に思わず、手段人間の私としては、うーんと唸ってしまいました。臨機応変にということばを念仏のように唱えたいと思います。
東海遊侠伝は昔浪花節で聞いたり、東映の映画で見たことがありましたが、歴史的背景を山本さんが大変面白く語ってくれるので、優しく頭に入ってくるようです。

投稿者 Master : 2005年03月29日 15:04

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