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2005年03月29日

「現代に生きる武士道」—新渡戸稲造・山岡鉄舟・恩田木工—

1.二見さんの発表(2月その2)
▼明治までの武士道関連の主要書籍
●甲陽軍鑑(こうようぐんかん)著者 小幡景憲(おばた かげのり)(1573?1663)
武田家興亡の歴史、武田流軍学の理論、甲州武士の心構えなどを書いた全20巻からなる。
1 戦争の目的を忘れるな  
2 攻撃こそ最善の防御
3 人材の尊重と活用 「人は城 人は石垣」
4 内政の充実こそ勝利への道
5 全軍を手足のように
● 「五輪書」(ごりんのしょ)著者 宮本武蔵(みやもと むさし)
(1584?1645)全五巻。宮本武蔵が到達した兵法の心をまとめた書。
 地之巻、水之巻、火之巻、風之巻、空之巻からなる。
● 「山鹿語類」(やまがごるい)
著者 山鹿素行(やまが そこう)(1622?1685)
泰平の世における武士の役割と心構えを説き文武両道を求めた。
● 「葉隠」(はがくれ)著者 元佐賀藩士山本常朝(やまもとつねとも)(1659?1719)
口述。田代陣基(たしろつらもと(1678?1748)
筆録全十一巻。武士の言行の批判を通じ、道徳を説く。
注 「武士道というは死ぬことと見つけたり」という文章で、有名。
しかし、死を賛美するよりも、武士が本分を全うするために、最後迄勤め上げるための心構えを説いている書である。
● 「武道初心集」(ぶどうしょしんしゅう)
著者 大道寺友山(だいどうじ ゆうざん)(1639?1730)。
葉隠れと似ているが 義を中核においた。

■「春風」の表紙の由来
●建築家伊東忠太(一八六七〜一九五四)
▼ この「春風」の仁王様のような不思議な表紙に巡り会ったのは、忘れもしない昭和四一年一二月二五日であった。品川先生七六才、私二〇才であった。辞するときに頂いた小冊子が「野人の叫び」誌であった。
「野人の叫び」誌の装幀は、故東京帝国大学名誉教授工学博士忠太、伊東先生の独特の筆になった、見るからに凛然たる野人不動の勇姿である。
私は、品川先生が「野人の叫び」誌を創刊されたのと同じ、四十才の昭和六一年九月に「春風」を創刊。その表紙に品川義介先生の長女にあたる榊原節子様宅にお伺
いし、品川先生の表紙(忠太による仁王様)をお譲り頂き「春風」の表紙とさせて頂いた。
▼忠太を人物辞典で調べると。
慶応三年に山形県に生まれ、明治・大正・昭和前期の建築家。東大工科を卒業、東大教授で、昭和二十六年に八十四才で文化勲章を受賞し、昭和二十九年 八十七才で逝去された。
ちなみに「春風」の題字は、江戸城の無血明け渡しの功労者の鉄舟の菩提寺にあたる全生庵の住職であられた平井玄恭老師に揮毫頂いた。
忠太の設計した建築を挙げると昭和九年 築地本願寺をインドの仏教建築の様式にて設計。昭和初期には 靖国神社 明治神宮などを日本建築として設計。
他に震災記念堂、湯島聖堂、阪急梅田駅壁画など数多くある。
忠太はインド、日本風の建築だけでなく西洋のロマネスク様式の建築もてがけていた。昭和元年 一橋大学の兼松講堂・事務棟・図書館などはロマネスク様式による忠太の作品である。


●事務局の感想
合気道歴がながい二見さんに「武士道」をお願いするのが一番ふさわしいということで忙しい中を数回にわけて、隔月の講演をお願いいしました。何事も自分から実践される姿に、大変尊敬をしています。4月もよろしくお願いいたします。

投稿者 Master : 2005年03月29日 15:01