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2011年12月30日

2011年12月開催結果

2011年12月開催結果をご案内します

①末松正二氏の発表

11月に続く終戦工作を資料に基づき発表がありました。
昭和20年8月14日10:00皇居防空豪で御前会議が開かれ、そこで昭和天皇が次の発言をされ、戦争終結の聖断が下されました。

「外に意見が無ければ私の考えを述べる。反対論の意見はそれぞれ聞いたが、私の考えは前に申したことに変わりは無い。私は世界の現状と国内の事情とを充分検討した結果、これ以上戦争を続けることは無理だと考える。

国体についていろいろ疑義があるとのことであるが、私はこの回答文の文意を通じて先方は相当な好意を持っているものと解釈する。先方の態度に一抹の不安があるというのも一応は最もだが私はそう疑いたくない。要は我が国民全体の信念と覚悟の問題であると思うから、この際、先方の申し入れを受託してよろしいと考える。

どうか皆もそう考えて貰いたい。(中略)この上戦争を続けては結局我が邦が全く焦土となり万民にこれ以上苦悩を嘗めさせることは私としては実に忍びがたい。

祖宗の霊にお応え出来ない。素より先方の遣り方に全幅の信頼を置き難いのは当然であるが、日本が全く無くなるという結果に比べて、少しでも種子が残りさえすれば、さらにまた復興という光明も考えられる。

私は明治大帝が涙をのんで思い切られたる三国干渉当時の御苦衷を忍び、この際耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、一致協力して将来の回復に立ち直りたいと思う」(以下続くが省略)

この内容をお聞きし、改めて日本は天皇中心国家であると確認し、その後の歴史が昭和天皇ご聖断は妥当であったとことを証明しています。

また、日本は天皇判断で国体の戦略決定がなされているという最適例であり、世界で稀なる天皇制の日本は恵まれていると感じた次第です。
 末松氏のご発表から学ぶ点が多き12月例会で、末松氏に感謝申し上げます。

②山本紀久雄の発表

「鉄舟が明治天皇侍従となる前提を理解したい」というテーマで発表いたしました。

鉄舟は、明治天皇侍従として、天皇が二十歳から三十歳になられるまでの、人間形成時期として最も大事な年齢時に仕えました。

しかし、当時の状況を考えると武士階級出身の一般民間人が、簡単に侍従として仕えられたのかという疑問が浮かびます。

その事例として、明治天皇即位時の各国公使謁見に対する宮廷内の反対事件を取り上げ、公家以外の一般人が侍従という立場にはなれることなどありえなかった慣習の塊、これを破壊しなければ鉄舟の登場もなかったことに触れました。

なお、改革推進には必ず賛成と反対があって、それは両者の外国との接し方の痛み度合いによるものだということを、明治維新改革と現在二派に分かれて論議されているTPP問題を事例として取り上げ解説いたしました。

加えて、アメリカのNYとSFの武道家と11月に出会い、外国の武道家が武道指導する際に、新渡戸稲造以外の英文武士道本を求めている実態についても報告いたしました。

投稿者 Master : 2011年12月30日 05:56

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