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2011年01月23日

2011年1月開催結果

2011年1月開催結果

①末松正二氏のご発表

末松氏から「盧溝橋事件」の後半「盧溝橋事件和平交渉経緯」についてご発表いただきました。
末松氏のご発表は現場から常に説き起こします。今回も要を得て簡でありながら、当時の日中対決が全面戦争につながるまでの激しい交渉過程、加えて昭和天皇と軍部が絡み合った姿を、在り在りと浮かび上がらせる迫力あるご説明にさすがと感じました。

末松氏が強調した指摘、「盧溝橋事件当時に、鉄舟が昭和天皇の傍らにいたら和平が整ったのではなかろうか」、という解説に正にその通りだと頷かせられたご発表でした。

時期を改めて「盧溝橋事件」後の昭和史についても、続いてご発表いただきたいと思っています。

②今月初参加の方からの資料

曾祖父が鉄舟宅におつとめだったという縁で、鉄舟研究をされておられ、その研究過程で、当会を知り初参加されました。
この方から勝海舟が鉄舟葬儀で読みあげた「山岡鉄舟弔文」の内容をいただきましたので、ご参考までに最後のところだけご紹介します。

「塵世ヲ横行シ磅礴タリ精気 
残月弦ノ如ク光芒地ヲ照ス」
「在天の霊それ亭よ活し 勝 安芳」

(現代語訳)
「俗世をほしいままに行き道をふさいでしまうような精気があった。
 残月は弦のようだがきらきらと地を照らしている」
「天にある霊よこれを受けてくれ 勝 安芳」
 
③山本紀久雄の発表

山本からは山岡鉄舟を研究するという意味は、最終的に日本人全員に内在しているであろう「武士道精神」の究明につながること。

また現在、世界の人々が武士道に関心持っているのは「新渡戸稲造の武士道」であるが、真のサムライとしての「武士道を実践貫いた鉄舟」を世界に発信するタイミングにそろそろ来ているのではないかと思い、それをまとめてフランスの大学教授にアプローチしてみた結果、双方の文化理解の面で、しっくりこないところが多く、その内容について、まずお伝えいたしました。

次に、村上春樹の小説、本人は意識していないかもしれませんが、何か「武士道と共通する」ものがあるように感じています。

村上春樹は、日本の大きな変化の節目は1995年(地下鉄サリン事件が発生した年)だったと以下のように語っています。

「日本人はいま、自分たちのアィデンティティを模索しているのだと思います。戦後、日本は徐々に豊かになり、1995年まではほぼ右肩上がりの良い時代を生きました。それまではおおむね経済的繁栄が私たちを幸福にし、心を満たしてくれると考えられていました。
でも日本は大変豊かになったけれど、我々は幸せにはなれなかった。そしていま、我々は改めて問い直しています。我々は何をすべきなのか。幸せへの道は何なのか。いまも我々はそれを探っているのです」
(COURRiER Japon 2009年7月号 )

同様に日本経済も95年が分岐点であったこと、それは日本の生産年齢人口(15歳から64歳)の過去最高が95年で、それ以後減り始めていることからですが、これについてYAMAMOTOレターで触れていますので、ご参考までにご紹介します。
http://www.keiei-semi.jp/blog/archives/2011/01/post_318.html#more

我々はそれぞれ異なった人生を歩んでいます。ですから、一人ひとりが違った価値観で人生を送っています。これは日本人でも外国人でも同じです。

しかし、村上春樹が世界中から受け入れられている事実から考えますと、村上小説には世界中の人々が納得する「ある共通した価値観」が随所にちりばめられ、それが「世界の人への生き方アドバイス」になっているのではないかと推察していますが、これは鉄舟の生き方哲学にも通じるものではないかと思っています。

しかし、その共通性を持つであろう鉄舟哲学を世界に伝えるためには、村上春樹のような文体が具わらないと難しい、ということをフランス大学教授とのやりとりから思ったわけで、今後の大きな課題として受けとめています。

投稿者 Master : 2011年01月23日 05:29

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