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2010年06月17日

6月例会が開催されました

2010年6月の例会が16日開催されました。

今月は鉄舟の彰義隊解散説得も聞かず、徹底抗戦方針を打ち出した彰義隊理論的指導者(司馬遼太郎見解・・花神より)と称された上野寛永寺覚王院の立場と、攻撃側の大村益次郎のリーダーシップの違いについてまず解説しました。

次に、大村が展開した彰義隊攻撃に当たっての作戦の内容、つぶさに検討すればするほど、その内容が際立っており、細部にわたって漏れがないことを述べました。

一般的に、5月15日の戦いは、午前中は彰義隊優勢、午後になって官軍側の勝利となった最後の決定打として、加賀藩邸から不忍池越えして発射されたアームストロング砲の威力の前に敗戦を迎えた、まるで第二次世界大戦時の広島・長崎への原爆投下と同じ扱いで解説されている事が多いわけです。

しかし、アームストロング砲そのものが薩英戦争でイギリス軍が使用し、不発や事故が多った事から考えると、この砲だけで勝敗の帰趨を決したと断定するには疑問があり、それを伝えるのが「真説上野彰義隊 加来耕三著 中公文庫」で、その内容は「覆面部隊」の登場、つまり、長州兵を会津兵と偽り、上野の山に援軍と称してもぐりこませ、アームストロング砲の発射を合図に覆面をとり、黒門口の彰義隊の背面から襲いかかったことで、彰義隊は崩れ敗走した、というのが真相ではなかったか、という主張があります。。

大村という人間を分析すれば、勝つことに緻密な作戦を立てるわけで、不安があるアームストロング砲のみに最後の勝負を掛けるわけがなく、次の手、又次の手を打ち続けるはずで、覆面部隊は当然に彰義隊の情報管理の甘さをつく作戦として当初から組み込まれていたと考えるのが妥当です。

覆面部隊を卑怯な手だという批判があるが、戦争なのだから「勝つことが最終目的」であるから、卑怯というのは負けた側の見解であり、勝った側から見れば、勝利するための作戦が有効に機能したと考えるだけである。

このような分析解説を加え展開しましたが、ここで今の日本との関係にも触れました。

菅首相は「奇兵隊内閣」だと自ら称しましたが、奇兵隊をつくり展開した高杉晋作は、倒幕の狼煙を上げた革命家です。だが、今の日本は昨年10月の衆議員総選挙で自民党政権が倒れたのですから、倒幕は終り、今はその後に山積する問題点の解決をするのが菅内閣の仕事です。

ということは、問題解決への作戦を緻密かつ大胆に作り上げ、それを実行解決するのが菅内閣の使命であるわけで、その意味から今は大村益次郎的な進め方が求められています。

我々も大村益次郎の冷静で緻密な計画能力を見習うことが必要ではないか。大村が戊辰戦争の指揮をとったことで、明治維新が完成されたという事実を再認識したいと思います。


投稿者 Master : 2010年06月17日 11:31

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