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2010年03月28日

2010年3月例会報告

山岡鉄舟研究会 例会の感想
2010年3月17日(水)
「鉄舟の生き方をブランド化する・・・彰義隊その三」
山岡鉄舟研究会会長/山岡鉄舟研究家 山本紀久雄氏

今月の山本会長の発表は、鉄舟の生き方をブランド化すると題し、ブランド化とは何か、また、彰義隊誕生への原動力となった出来事についてお話しいただきました。
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今回のテーマは、鉄舟の生き方のブランド化でした。
人の生きざまをブランド化することについて、その好例は現在、NHK大河ドラマで放映されている坂本龍馬がその好例と思います。
龍馬をブランド化したのは、言うまでもなく司馬遼太郎氏です。司馬氏の著書『竜馬がゆく』によって、坂本龍馬は後の世になって多くの人を魅了する人物に書き換えられ、幕末維新を代表する偉人として確固たる地位を築いた感があります。
一方、鉄舟はその生前、明治期は大変な有名人でした。子どもの手まり歌に歌われ、鉄舟が逝去し葬儀が行われた際には、数百人の人がその参列に加わり別れを惜しみました。しかし、その後龍馬のように時を越えブランドとして名を馳せるには、残念ながら至っていません。この違いはどのようなことなのでしょうか。

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鉄舟の活躍により官軍との和議が内定したと時を同じくして、上野寛永寺・輪王寺宮が覚王院以下僧侶たちを随行し、駿府に向かいました。東征大総督・有栖川宮に慶喜の助命と東征中止の嘆願を直訴するためでした。
輪王寺宮一行は、大変な苦難の末、3月7日駿府城にたどり着き、有栖川宮と合うことができました。しかし、その苦労は功を奏すことなく有栖川宮に一蹴されました。
5日後の3月12日、あらためて有栖川宮は輪王寺宮に、ただ一通の謝罪書だけを提出して罪を許してほしいとは言語道断だと言い残し、その後の決定事項は参謀の宇和島藩士・林玖十郎に伝えさせて座を辞しました。
輪王寺宮はその無礼な対応に憤りながらも、これは直接天皇にお願いするしかないと決意し、有栖川宮に再度かけあいました。有栖川宮は断固として拒否し、江戸に戻られよと命じました。輪王寺宮は度重なる無礼と本懐を果たせぬ屈辱を抱き、江戸に戻りました。
このことで、随行した覚王院らは激怒しました。このときの怒りが、後に彰義隊をバックアップするエネルギーとして燃え上がっていくのです。

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あるものをブランド化するには、ストーリーが必要です。
坂本龍馬は司馬遼太郎氏によってその生き方がストーリー化され、その魅力が創り出されたことによってブランド化を果たしました。もちろん、それは龍馬がブランド化されるに足る魅力を備えた人物であったことは言うまでもありません。
鉄舟も、その生きざまが私たちに素晴らしい示唆を与えてくれる偉大な人物です。ブランド化されるに足る魅力を備えた人物であると確信します。山岡鉄舟研究会は、その鉄舟の示唆に富んだ魅力溢れる生きざまを描き出す場であるのです。山本会長は鉄舟の生き方の研究を通じて、鉄舟のブランド化に務めておられるといえるのではないでしょうか。
鉄舟の生きざまが広く国民の心を捉え、魅力溢れる人物として創り出されることが、これからの研究の楽しみのひとつとなりました。
来月の山岡鉄舟研究会も、ご期待ください。

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4月は21日(水)18:30〜東京文化会館 中会議室1です。
皆様のご参加をお待ち申し上げます。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 2010年03月28日 10:02

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