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2009年05月31日

2009年5月例会報告

山岡鉄舟研究会 例会報告
2009年5月21日(水)
「鉄舟は新たなる環境下へ」
山岡鉄舟研究会会長/山岡鉄舟研究家・山本紀久雄氏

5月の例会が行われましたので報告します。

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前回(3月例会)にて、山本氏は清河が暗殺された本質を解き明かしました。
清河の暗殺は不意であったのか。
清河は、覚悟の上で金子与三郎宅に向かい、佐々木只三郎らに斬られたのではないか。山本氏の研究は、清河の聡明さを新たに掘り起こすものであったように思います。

清河暗殺の翌日、幕府当局は関係者の処分を行いました。
主な処分者の内容は次の通りでした。
・泥舟、鉄舟、松岡…御役御免の上蟄居
・窪田冶部右衛門……御役御免の上差控…二カ月後、小普請入り(出世)

窪田に対する処分は、実質無罪と同じでした。

この謹慎蟄居に関して、泥舟が異なる見解を示しています。
それは、『泥舟遺稿』に記されています。
「泥舟遺稿によれば、泥舟は様々な局面で幕府に建言し続け、いずれも用いられず辞職したが、逆臣の疑いありとして無期限の幽門を命じられた」
(山本氏資料より)
しかし、小倉鉄樹の『おれの師匠』にはこう書かれています。
幕府から英国大使館を守れと旗本に指示が出たにもかかわらず、英国人を守る気はしないと拒否したのだが、拒否するなら切腹を申し付けると言われ、ひとり去りふたり去っていき、最後に鉄舟だけが残り、沙汰を待っていたのだが、その潔さに切腹を免ぜられ、謹慎となったとあります。
しかし、暗殺の当日清河は鉄舟(または泥舟)の家にいたのです。『おれの師匠』によれば、門前を青竹で囲まれ、すでに謹慎の身となっていた鉄舟の家に、暗殺されようと狙われている浪人が出入りしているのは不自然のように思います。従って、『おれの師匠』の見解は信憑性が薄いと考えられます。この説をとる研究家はいません。

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いずれにせよ、鉄舟は謹慎蟄居を命ぜられ、行動が著しく制限されることになりました。
このような逆境に置かれたとき、人はどのような態度をあらわすでしょうか。
【1】何も感じない
これは論外です。
【2】嘆き悲しむ
このように感じる方は多いのではないでしょうか。
例えば、会社で異動になってしまったとき。いわば左遷です。
なんであんなところに飛ばされなければならないのだ、悪いのはそれを指示した上司だ!と怒り嘆くというようなことです。
【3】転機と思い気持ちを切り替える
このような境遇になったのは、自分が何かを求め、時がそれを与えてくれたからだ、これはチャンスだ!と考えることをいいます。

さて、どの考えがよいと思われますでしょうか。
【3】がよいと考えるのは自然でしょう。できるかできないかは別としてです。

鉄舟はまさに上記の境遇に立たされました。
このとき、鉄舟はどのように振る舞ったのでしょう。

このことを考えるにあたって、鉄舟が行ってきた行動について振り返ってみましょう。
●鉄舟が認めたもの
・嘉永3年(1850)15歳 修身二十則
・安政5年(1858)23歳 心胆錬磨之事
・同年          宇宙と人間
・同年          修身要領
・安政6年(1859)24歳 生死何れが重きか
・万延元年(1860)25歳 武士道
★文久3年(1863)28歳 清河暗殺される
・元治元年(1864)29歳 某人傑と問答始末
・同年          父母の教訓と剣と禅とに志せし事
・明治2年(1869)34歳 戊辰の変余が報告の端緒

上の表を見ますと万延元年から元治元年までの約4年間、鉄舟は何も著していません。ちょうどこのときが、鉄舟が清河と行動を共にしていた期間と重なるのです。尊王攘夷党結成〜清河暗殺までの時期です。そして、清河暗殺後、謹慎蟄居となり、思惟の時間を持ったことにより、4年のブランクを経て『某人傑と問答始末』を認めたのです。「某人傑」とは清河のことで、名前を伏せながら清河暗殺に関する総決算的な心情を述べたのです。

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人は、新たな環境下に置かれたとき、どうするでしょうか。
今、世界の経済は百年に一度といわれる不況下にあります。企業は軒並み売り上げを落とし、消費は冷え込みを増しています。
その中で、私たちはどう生きていくべきでしょうか。

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山本氏はその戦略として、次のことを挙げられました。
(1) 縮小した経済を受け入れ、現状の経済規模こそが正常な状態なのだと認識し生きていく。
(2) 精神的な幸せを追求する生き方を選ぶ。他人のためにお金を使うこと。
(3) 限られたパイの中で、競争に勝つための工夫をする。「同一化競争」ではなく「誰も気がつかないが、気がつけば当たり前のことを見つける」こと。
(4) 積み上げ型の技術ではなく、革新的な発想の事業を考えること。

皆さんならどの方法で現状を乗り切りますか。

鉄舟は己に訪れた新たな環境に対し、どのように処したのでしょうか。
鉄舟は、上記の4つの項目にない方法を選んだのです。
どんなことでしょうか。
それは、次回の楽しみということで…。

次回は、靖国神社正式参拝と旧跡散策の特別例会です。
たくさんのご参加、お待ちしています。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 2009年05月31日 10:33

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