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2009年04月27日

2009年4月例会の感想

山岡鉄舟研究会 例会報告
2009年4月15日(水)
特別例会「ジョン万次郎講演会」
講師:中濱武彦氏

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今回は特別例会として、『ジョン万次郎講演会』を行いました。
講師はジョン万次郎の直径の曾孫でいらっしゃいます、中濱武彦氏です。
山岡鉄舟と同時代に生き、維新に大きな影響を与えたジョン万次郎について、中濱氏からお身内ならではのエピソードも交え、その人間像に迫っていただきました。

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講師の中濱武彦氏

当日は大変多くの皆様がご参加くださいました。ありがとうございました。
中濱氏は、万次郎の漂流から帰国、そして、欧米列強との外交交渉において万次郎が果たした重要な役割についてお話しくださいました。


万次郎は幼少期、とても活発な男の子だったそうです。
もう少し正確に申しますと、創意工夫を凝らす利発な子どもだったのですが、まわりの大人からはやんちゃと誤解されることがあったようです。
その万次郎が、日本の変革期を支える大人物に成長するのです。このあたりは鉄舟に通じるものを感じます。では、なにゆえに万次郎はそのように成長し得たのでしょうか。
このことを、中濱氏は、メジャーリーグの松坂大輔氏のエピソードを交えて語られました。
松坂投手に記者が、アメリカに渡って何が一番変わりましたか?という質問をしたとき、松坂投手は「自分が日本人であることを知った」と答えたそうです。
自分の一挙手一投足が、すべて日本の代表として見られている。否応なくそれを認識させられた松坂投手は、自然と背筋がピンと張り、自分は日本の代表として振る舞うようになったのだそうです。
期せずして日本から世界の荒波に飛び出した万次郎は、そこで自分が日本人であるということを初めて認識したのではないでしょうか。万次郎がアメリカで過ごした数年間は、日本国の代表として見られ、そして自らも行動したことでしょう。それが、彼を大人物へと成長させた大きな原動力ではなかろうか、中濱氏はそう分析しておられます。

鉄舟も、境遇はまるで違いますが、私心を捨て自分自身を「公人」として、始終振る舞っていました。それは、『宇宙と人間』や他に遺した訓戒などからも読み取ることができます。

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幕末維新という大きな檜舞台の上で、己は何を演じるのか。時代が用意したシナリオに相応しい振る舞いができた人物が、傑人として名を残すことができるのではないでしょうか。その意味で、私たちは彼らから大いに学ばねばならないと強く感じた講演会でした。
中濱様、貴重なお話を賜り、誠にありがとうございました。

(事務局 田中達也・記)

投稿者 lefthand : 2009年04月27日 11:08

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