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2008年03月23日

3月例会記録(1) 

「大森曹玄老師の思い出」
今井 裕幸氏

 本日お話させていただきますのは「大森曹玄老師思い出」というテーマです。30年ほど昔、私が若いときに、皆さんご存知の『山岡鉄舟』の本を書かれた大森曹玄老師が、「鉄舟会」という座禅の会をやっておりました。私は18歳までは四国で過ごしておりましたが、東京に出て来まして、いろんな人に会ってみようと思ったこと。またヨガもやっておりましたので、大森曹玄老師を知ることになり、東中野にあった鉄舟会に参加させていただく機会に恵まれました。


レジュメに「鉄舟会清規」というものを載せています。鉄舟会は第2・第4日曜日に座禅の例会が行われていました。会費が例会出席者は月額100円でした。「ただより高いものはない」と言われます。ただだと実際には高くなるから、一番安い100円を会費として、ちゃんと会費はもらっていますという、相手に対する配慮のようなものです。箱に月額100円と書いてあり、そこに自分で入れるだけでした。
中野の高歩院(こうほいん)で、毎回大森曹玄老師が来られて15~25人くらい毎月例会が行われました。今から30年くらい前になりますから、当時の私も若く18歳くらいです。誰から紹介を受けて行ったわけでもない、そういう若造が行っても受け入れてくれる度量の深さといいますか、座ることに関してちゃんと座ってさえいれば、一人の参加者として扱ってもらえる会でした。

摂心というのがありまして、山梨県上野原にある青苔寺(せいたいじ)で行われる大摂心にも参加させていただきました。

座禅の一口メモとして
臨済宗   向い合って座る         公案がある      白隠禅師   天竜寺等
曹洞宗   面壁(壁に向かって座る)   公案はない。     道元禅師   永平寺等
黄檗宗   教室型(同じ方向を向いて座る) 鳴り物が入りお経が中国語読み 万福寺等
山岡鉄舟居士、大森曹玄老師は、臨済宗です。

居士禅(コジゼン)
本来座禅は出家しないとできないのですが、在家で座禅するのは居士禅といいます。鉄舟は居士禅の元祖みたいなところがありまして、本来は出家しなければできなかった座禅を、鉄舟居士の頃から在家でも座禅が認められるようになってきた、元祖みたいな位置づけもあります。
男性は居士(こじ)、女性は大姉(たいし)と呼ばれます。一炷香(イッチュウコウ)、線香が一本燃える時間で、およそ45~50分をさします。時計を使わず、直日(ジキジツ)の合図で一炷香を、一単位として座ります。居士禅では1日一炷香は毎日欠かさず座りましょうという考えがあります。

摂心会(セッシンエ)
 日常の修行の他に、集中して修行の成果を上げる為に、摂心会があります。1週間から10日くらい合宿して座ります。参禅をして公案をすすめることになります。在家の居士は仕事を休んで参加しますが、休めない場合はそこから昼間出勤します。その分、夜座とか、一晩中徹夜で座る、徹宵(テッショウ)とかをすることもあります。

法話・講話・提唱(テイショウ)
坊さんが話しをするときには、法話、講和、提唱という段階があります。普通に仏教の話をするのが法話、もうちょっと専門性がある段階は講和と言います。摂心の中で話される、老師・師家が境涯を捧げ出す、それが提唱です。提唱は聞く方も座禅の姿勢で、目だけを開けて、でも姿勢は座禅と同じ状況の中で老師の境涯を受けるのが提唱です。

性(せい)と相(そう)  「性=本質」  「相=表に見えているもの」 
 座禅は何のためにするかというと、「見性」するためにするのです。性(せい)と相(そう)という言葉があります。「性」というのが、本性とか、目に見えない本質の部分のことで、「相」が、実相とか、人相とか、円相など、表に現れて見えているもののことです。
 
見性(ケンショウ)
小さな悟りが見性です。人間の本性は卵の殻のように自我で囲われており、自我の殻を座禅で究極に自分を詰めていき、自我を破壊することが座禅をやる目的です。無念無想になるとか、雑念を取り去るなどと言っている段階では、実際やってみると、そうはなりません。足が痛いのを通り越し、もう疲れてどうでも良くなり、その段階を超えて自我の殻を破壊するために摂心をします。

臨済宗では見性をするために公案があります。公案とはいろいろありますが、例えば「父母未生以前の本来の面目」自分が生まれてこの世にある、自分を産んでくれた両親が生まれる以前の自分は何ですか。「隻手の声」は、両手を打てば音はするが、片手で拍手を打っても音はしませんが、その声を聴いてきなさいという禅問答です。理論で考えてもわからないから、その問題について「工夫する」という言葉を使います。工夫して、師家に参禅し、見解することにより、公案がすすんでゆきます。
悟った瞬間というのが、卵が生まれるときに、生まれる小鳥が殻の内側からくちばしでつついて突き破るのですが、同じ時に同じ箇所を親鳥が殻を突くその瞬間が悟りで碎啄同時(ソクタクドウジ)に殻を破る、参禅者と師家の関係になぞらえた話です。見性にもいろんな段階があり、公案がいくつも進んでいきます。公案が進んで、最終的に大きな悟りをします。
山岡鉄舟が1880年3月30日大きな悟りを開いて、適水和尚の印可を受けたことは、本にも書かれているし、大森老師もおっしゃっておられました。

鉄舟会で何をやっていたかというと、誰でも受け入れてくれる自由な雰囲気で、午前中座って、必ず大森曹玄老師も来られて、寺山旦中さんらも修行しに来ておりました。自分自身が修行をしにきて、一緒に修行している感じです。教えたり、教えられたりという関係ではなくて、全員が一緒の方向を向いていました。来るものは拒まず、去るものは追わず。若い私も受け入れてくれる度量の深さがありました。錚々たるお名前が並んでおりますが、来て、さりげなく普通に居られるわけです。

午後から鹿島神伝直心影流法定を稽古します。木刀より短く太いもので、打ち合うというより型が中心です。
その後は、筆禅道(ひつぜんどう)です。書道とはいわないで「筆禅道」と言い、円相、線を書きます。線を見て座禅の中で、どこまで進んでいるのか境涯を見ます。「墨気」墨の気がどういう風に立っているかというものを見ます。大森曹玄老師が一番中心になってやっておられました。

高歩院は、東中野駅から5分か10分くらいの、表通りからちょっと降りて行くような所です。例会の参加者は10名ちょっとから20名ちょっとくらい。青苔寺の大摂心のときは、それでも30名くらいです。水洗便所ではないですし、摂心のときの作務で田んぼや畑を掘って、トイレのものを埋めました。肥汲みもみんな競いあって一生懸命にやるんです。当時意識していなかったですけれど、錚々たるメンバーが来ておりました。みんな偉ぶっておらず、一緒に修行する人という感じで、厳しい中に気さくな雰囲気でした。

鉄舟会に通っていたのは、30年前の半年ちょっとくらいで、その後は大学の座禅の会にはいりました。大森曹玄老師が亡くなり、今はどうなっているのか分かりません。

【事務局の感想】
若い頃からいい会で勉強をされ、いまも鉄舟に縁のあるこの会で勉強をされている今井さんからの発表でした。大森曹玄老師が一番中心に居て、会の要になられていたという様子が分かりました。今回は大森曹玄老師のお話が少なかったので、ぜひ次の機会に老師についてと「境涯」について発表していただきたいと思います。

投稿者 staff : 2008年03月23日 12:47

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