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2007年07月27日

7月例会記録(2)

■山本紀久雄氏

「鉄舟の結婚運」

 小林さんのタイトル「私が発表できるようになりました」に注目してもらいたい。できるようになったことを証明したい。これは大事です。モチベーションです。話す前にその気ですよね。
 最初に会ったとき、小林さんは「私は主婦です」と言いました。主婦という職業はないんですね。小林さんは、そこから自立して着物を着るとどうなるかということを話した。
 刺激的な宿題を小林さんに申し上げている。今いいことをいっぱい言いましたが自分の中身から、もっともっと引き出して、言葉にして自分のブログに書く。着物を着たら、自分がどう変化する、素晴らしい世界があることを言葉と文章とこういう場で語る。それをすることが小林さんの自立する道だと思います。
 小林さんは分かってらっしゃって、もう8年もやっていらっしゃる。一度やったら止めませんとおっしゃっていましたからね。ぜひ、これからも第一回のスタートとして、毎年定期報告会してもらいますか。大変うれしいですね。

 今年の山岡鉄舟全国フォーラムの講師は高田明和先生で、『人生に定年はない』という本を書いていらっしゃいます。
 日経新聞の夕刊に連載小説を書いていた、諸田玲子さんの親戚です。諸田さんが、次郎長の第一の子分である大政のことを書いた。諸田さんが自分は次郎長の血をついでいると言っているが、大政のことを知らないで書いているため、高田先生は次郎長の姿を書かなければならないと、この本を書いた。
 高田先生は次郎長の係累ですが、本来は脳学者です。特にセロトニン関係、認知症の専門家です。  NHKの「心の時間」の放送で高田先生のお話を聞いて、この間直接お話した。
大森曹玄先生のご関係で、禅も修行されている。この本は春秋社から出している。大森曹玄先生の山岡鉄舟の本も春秋社。
 本の中身は非常に優しいけれど、なるほどと思うことが書いてあります。脳の中味、禅の境地、仏陀の悟り、これは一体化していると図表にしている。うつ病になるくらい禅に打ち込んでそこから開けた、それをご自分の研究である脳の研究と仏教を結びつけ、新しい境地を作った。そのようなことが書いてあります。

1.鉄舟は結婚する気がなかった

 鉄舟は20歳、山岡静山の妹の英子(ふさこ)さん16歳のときに結婚した。この結婚で鉄舟は山岡家になり、小野鉄太郎から山岡鉄太郎になった。
 ここで、鉄舟20歳、英子さん16歳、ということを考えたときに、鉄舟が結婚する気があったかなかったか、素朴な疑問を感じた。鉄舟の研究書には書いてない。しかし一般的に考えると男の20歳と鉄舟の立場を考えるとそんなに結婚したい気持ちではなかったと思う。

1.年齢

 理由のひとつは年齢。20歳、当時の江戸時代の平均結婚年齢は何歳か。
 女性は15.16歳が多い。井原西鶴『好色一代女』にも女性のつぼみは15.16歳と書いてある。女性の16歳は結婚適齢期ということがわかった。
 では男性の町民が結婚する条件は何でしょうか。当時女性はあまり働かなかったので、職業が確立しないと結婚できない。

 昼間に健康倶楽部に行ってきたが、そこで、新しくできる病院長の先生から聞いた話では、日本人は飢餓体質にあっているそうです。食べないことに我慢できるタイプ。食べないのに向いているが、食べ出すと逆に出て、今メタボリック症候群というが、太ったのが病気の原因だそうです。
 その方は外科専門で、痩せるための最先端の外科手術は、食道から胃に来る食べ物を、胃の入り口をホチキスでとめて、入れないようにしちゃう。食べられないようにする。もう一つの方法は、内視鏡で風船を胃の中に入れる。胃の中で膨らませると、いつも満腹だから食べなくなる。9月から新しく導入するそうです。
 日本人が飢餓体質というのは、終戦直後の食べ物がなく、その頃の栄養基準でできているからで、今言われている30品を食べると日本人は太ってしまう。

 当時の男性は職業がないと結婚できない。一人前のお金をもらえる立場になるのが20代半ばなので、男の結婚の平均年齢は20代半ばと考えてよいでしょう。
 もっと遅い人もいました。40代に結婚するのは大店の奉公人です。分店を出してもらうような番頭さんは徹底的に修行を受けるから、結婚が40代になる。  
 お侍さんの結婚平均年齢については、事例はいっぱいあるけれど調べても平均が分からない。殿様がいなくなると困るから、幼いもの同士結婚して、跡目相続、家督相続させてしまう場合もあるが、個別の例で違う。しかし客観的に考えて、男として20歳で結婚するのは、特別な事情がない限り早い。
鉄舟は20歳で結婚する気はなかったと思います。


2.剣の修行

 鉄舟は江戸に出て玄武館に入門した。剣道の修行を行い、21歳になったら、来年できる講武所の世話役にすると師匠の井上清虎からも、千葉栄次郎からも言われている。周りからも期待されている。鉄舟は剣一筋で乗っていた、やる気になっていた。

 20歳で徹底的に鍛える時期だった。ある一つのことに集中的にしたとき、生きるセオリーを身に付けている。若いから体力的に苦しくてものり越えられる。

 この剣の修行の理由からも鉄舟はこの時期、全く「結婚」ということは念頭になかったと思う。

3.色道修行 (しきどうしゅぎょう)

 1853年ペリーが来日した日、鉄舟は内藤新宿の色街、そこの女郎屋で目をさました。と何條範夫の小説にある。
 鉄舟は、3500両の遺産をもらって、弟たちに一人500両の持参金をつけて養子に出した。それまでは幼い弟たちを抱えていたが、ようやく一人になった。お金も残っている。小野家は600石で、お金もあります。
 好きなことしませんか?しますよね?鉄舟は修行熱心だから、結婚する気はなかった。

4.剣への志

 結婚する気のなかった鉄舟がなぜ結婚したかは、英子さんが鉄舟にほれたからです。山岡静山の跡継ぎがいなかったからです。
 高橋泥舟が鉄舟に、600石の旗本が百俵二人扶持の山岡家には来てくれないだろう。そう言われたら、鉄舟の人柄なら動いてしまう。このことがなかったら、鉄舟は結婚していなかった。
 当時、鉄舟がどういう志を持っていたかにこの話を結び付けたいのですが、
鉄舟は山岡静山に弟子入りした。静山は槍、鉄舟はそれまで剣を学んできた。どんな武術が来ても剣で倒せると思って、剣一筋だった。井上清虎に連れられて静山のところに行って木っ端微塵にされて、静山に入門し、剣と槍と両方を学び始めた。

 鉄舟は、自分は剣の道を歩むのか、尊敬する静山先生のようになりたいのか、つまり剣の道を進むのか、槍の道に進むのか、剣と槍の両方なのか?鉄舟は、自分の道を決めるのに悩みました。自分の生きる道、進むべき道を決めるのは志です。
 最も敬愛する師匠が山岡静山なのに、何故槍の道に行かなかったか、なぜ剣に戻ったか。それは鉄舟に志があったからです。

 5月28日にミスユニバースが日本人に決定しました。コンテストは、メキシコシティで行われました。審査員10人中10人が森さんを一位にして日本人がミスユニバースに選ばれた。
 ミスユニバースは美人だけでなく、教養、歩き方、食べ方、着こなし、スピーチが必要。スピーチも英語とフランス語。森さんは、フランス人の女性に特訓を受けた。フランス人のイネス・リグロン氏の実家モンペリエに住まわせて、歩き方などの訓練や、スピーチの質問想定集300問をつくり、何が来たって大丈夫なようにした。そして10人が1位にして満点でミスユニバースに選ばれた。日本は素晴らしい、世界一の美女が出たってこと。それを意識しないと駄目です。今の時代が求めている女性が基準になる。
 これを誰が仕掛けたかというと、フランス人のイネス・リグロン氏です。ではミスユニバースを日本から出しなさいと指示したのは誰ですか?

 もうすぐ参院選ですね。福沢諭吉は「優れた人間はいない」と言っている。政治家にも優れた人間はいない。なら悪さ加減が少ないほうに入れるのが、良いんじゃないかといいました。
 福沢諭吉は「衆論が決める」といいました。衆論には二つあって、「私智」は、頭がいい、美しい、囲碁が上手いとかそういったもので、「公智」は公の智で、大きな目的のために使う知恵。
 今度の問題は、社会保険庁の人たちが税金もらって働いていなかったことです。この官僚を普通の人は指導出来ない。指導する人を、しかるべきポストに配置するのは政治家、その政治家を選ぶのは、私たちです。目的を持った大いなる智恵で選ぶのです。しかるべき志で、29日に選挙に行って選んでください。予測など意味はありません。

 10年前にミスユニバースを日本から出しなさいと、フランス人の派遣を指示したのは誰ですか? アメリカ五番街トランプタワーの持ち主です。トランプ財団がミスユニバースの仕掛け人です。

 国連に110人の日本人が勤めている。人数は世界4位、拠出金は世界2位。日本人は、もっと国連に行かれたらいいと思います。
 先日トランプタワーの隣に住んでいる人の家に訪れた。旦那さんは国連に勤めている、奥さんはシティバンクに勤めている。相当収入も高いはずだから立派なお宅なんじゃないかなと思いました。しかし入り口が狭くて入れないくらい物がいっぱいで、まるでウサギ小屋でした。

 日本の生活水準はウサギ小屋だと欧州から言われた時期がありましたが、今はそんなこと誰もいいません。日本は凄く良くなった。
 また昔は労働時間が長く働き蜂といわれた労働時間世界トップの時期がありました。今は、労働時間は2100時間から1750時間に落ちました。
 それから生活費も、昔は東京が高いといわれたが今は高くない。先日大阪出張時に大阪のリッツカールトンホテルに泊まった。夕食なし、朝食つきで3万円です。
 3万円高いと思うでしょう?しかしNYに行ってマンハッタンのホテルに泊まった。小さな部屋、冷蔵庫もコーヒーポットもない、朝食もない、これで3万円です。大阪のリッツカールトンは、大きなベッド、ソファ、テレビ、水、ビール、豪華な朝食がついて3万円です。
 地方のビジネスホテルに泊まっても、ほとんどのところは朝食がサービスでついて4000円くらいで泊まれます。そのくらい日本は安い。

 今一番生活費が高いのは、モスクワです。ホテル代が6万~8万円なので、旅行客は少ない。2番はロンドン、3番はソウルです。これはある調査会社が調べた結果です。
 何がいいたいかというと、日本は一人当たりの居住空間は広くなって、働く時間も減り、生活費用も下がって、住みやすい国になったということです。これは日本人気のバッググラウンドのひとつになります。
その代わり1人当たりのGDPが下がった。伸びている国には厳しい条件がある。今GDPが伸びている国はBRICsブリックスです。その中の一国である中国は住みにくい。どうしてでしょうか?
 中国のものを食べない。中華料理でも箸を洗ってからにしたい、そんな国にしたのは鄧小平です。鄧小平は先富論を唱え、中国は、国が広大で人口も多い、日本みたいに一斉に良くなることは政策的に不可能だから、良くなるところから良くないって行きましょう、良くなったところは、そうでないところを助け、そのうち全国よくなりましょうと唱えた。それから15年経つが、沿岸地帯3億人は良くなったが、ほかの10億人は貧しい。格差が出て、問題が出ている。

 みずほ総合研究所の大内社長から教えてもらった話では、中国政府から中川政調会長(昔は経済産業大臣)に質問がきている。
 今、中国は元高。日本が円高をどう克服したかをその経緯教えて欲しい。日本は明治・大正・戦争直前まで農村が貧しかったが、今は豊かになった。昔は川が汚く、隅田川も汚い。銀座線も臭かったが、今は排ガスの臭いもしないし隅田川も鯉が泳いでいる。この3つを克服した経緯を教えて欲しい、と中国政府から言われ、中国で勉強会をして教えている。

 いま日本の自殺者は3万人です。日本の人口はおよそ1.2億人。それに対して中国の人口は、13億人。人口比例で考えると、日本の約10倍ですから、自殺者数も30万人くらいかと思うでしょう。ところが中国の自殺者数は240万人。日本人は日本のことしか見ないから、3万人と大騒ぎしますが、240万人と比べたら少ないですね。

 中国では株がどんどん上がっている。沿岸に住む中産階級の3億人は株の話ばかり。バブルになるんじゃないかと株の危機について雑誌などに記事を書くと、クレームのメールが何百万通と来る。株価が下がると困るから、下がるような発言したら国賊みたいな言われようをするそうです。金だけが目的、見栄えばかり大事にしていてはだめです。志が必要です。

5.鉄舟が結婚につけた条件

 鉄舟の志はなんだったか。鉄舟は剣と槍とを迷った結果「剣」に戻った。なぜ剣に戻ったかというと、それは、自分を知ったということです。槍の世界では修行しても免許皆伝までは行くが、それで終わるだろう。適・不適です。
 鉄舟は9歳から剣を久須美閑適斎から教わってきた。剣が一番自分に合っていることに気づいた。それを気づかせたのは山岡静山で、鉄舟は静山に、槍を修行しても免許皆伝まで行くだろうが、それから先は難しいだろう、考えてごらん、といわれた。それで悩んでふらついたが、「剣の道で行く」と志を決めた。
剣の道に進むと決めたのだから一生懸命修行しなければならないのに、なぜ結婚したのか?
 自分の剣の修行を越える条件が出てきた。静山が亡くなり、山岡家が絶える。静山は槍の人だから、槍のできるものが継ぐと普通考えるべきでしょう。鉄舟は頭から山岡家に行く気がなかった。しかし泥舟が来て英子さんが鉄舟と結婚したいと言ってきたことを告げた。
 この結婚に鉄舟は条件をつけたでしょう。私は「槍は継がない、剣で行くぞ、槍は泥舟がいる」と話したでしょう。

 鉄舟は英子さんと結婚することによって、結果的に素晴らしい運を得ました。英子さんの情熱によって鉄舟は山岡家になった。鉄舟は山岡家になったおかげで、素晴らしい運を持ちました。そして日本のために素晴らしい運を与えました。鉄舟が単に剣・禅・書の達人だけだったら、こんなに鉄舟会に人は集まりません。鉄舟には、それだけではない何か魅力を持っている。なぜ鉄舟に魅力があるかは、国から考えないとならない。

 日本の国体の危機は過去に何度も訪れました。
 たとえば元寇の襲来。ロシアに行ってわかったことですが、ロシアはモンゴルに攻められて、1千年くらい前にモンゴルの王様に支配されていました。モンゴルが世界を征したことがあった。ドイツの国境くらいまで攻めて来たし、イラクまで支配した。その勢いで日本まで2回攻めて来た。

 今度南アフリカに行きます。訪問する国の状況を研究するため何冊も本を読んで知ったことがあります。
 アフリカには全然文化がない。これは産業革命後の白人が作った歴史の捏造です。アフリカには文明を備えた帝国があったが、白人が侵略して歴史を書き換えてしまった。日本人は西洋の歴史を日本語に訳したものを読んでいる。アフリカの方が文明は進んでいた。しかし今なぜそうなっているのか。酷い状況があったからです。

 1400年代、スペインとポルトガルが世界を制した時期があり、世界をスペインとポルトガルで二分した。
ローマ法王の承認の元に、アフリカのケープ諸島から42度で線を引き、東をポルトガル、西をスペインと世界を二分した。
 ポルトガル、スペインは、自分たちは二つの国で世界を自分たちの砦にすることに決めた。人がいようがいまいと、その土地に入ったら、自分のものだと決めた。
日本はスペインのものということになっていた。ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝来したと歴史ではなっているが、本当は侵略に来た。日本はスペイン領だったから、ポルトガルが遠慮しただけです。その後、訪れたザビエルはスペイン人です。キリスト教はキリスト教を出して、キリスト教を普及しながら侵略するのがやり方だった。

 豊臣秀吉がなぜキリスト教を禁止したかというと、北朝鮮の拉致と同じことが行われたからです。
 当時キリスト教に入信したキリシタン大名が、スペインが持ってくる武器・火薬がほしいため、50万人もの日本の娘をヨーロッパの奴隷に売りつけた。秀吉はこれを知って、バテレンを呼んで、ヨーロッパに送った日本人を日本に返しなさい、返さないならば、キリスト教を禁止すると言った。
 そして家光の時代に鎖国した。もしキリスト教を受け入れていたら、日本もフィリピンと同じように侵略されていたかもしれない危機があった。それを救ったのが、豊臣秀吉です。

 その次の危機が明治維新。ヨーロッパによる侵略と同じことが起きた。官軍側にイギリスがついて、慶喜側にフランス軍がついて、フランス軍は慶喜に、味方します、武器を出します、お金も貸しますと言い兵隊も日本に呼び寄せた。味方する代わり北海道をよこしなさいとフランスは言ってきた。小栗上野介忠順が判を押しそうになったが、それを知った勝海舟が止めた。官軍が攻めてきて江戸で戦争が起きたら、日本は外国に侵略されていた。

 鉄舟がこの危機を救ったのは、泥舟と姻戚だったからです。高橋泥舟は慶喜の護衛頭だった。それまで何度も、官軍に江戸へ攻めて来るなといったが効かなかった。最後の奇策として思いつき、人に賭けるしかないと行かせたのが、高橋泥舟の義理の弟の鉄舟だった。鉄舟は、海舟のところに行って手紙を受け取り、西郷隆盛と会談した。
 高橋泥舟が鉄舟を良く知っていたから、交渉に行かせたのでしょう。泥舟が鉄舟を知らなかったら、ただ剣が強いくらいの人としか知らなかったら、この交渉に鉄舟を投入しないでしょう

6.鉄舟の結婚対する海舟評論
 ここは講演で省略した。

7.英子との結婚が鉄舟に運を授けた

 英子さんの情熱が結果的に日本を救った。もし、鉄舟が英子さんと結婚していなかったならば、鉄舟は剣や禅や書家として名を残したでしょうが、国の危機を救った、無血開城の鉄舟として名を残してはいなかったでしょう。
 そうしていなければ、今ここに居る人たちは、日本人ではなかったかもしれない。日本はどこかの植民地だったかもしれません。鉄舟が山岡に行ったことで救われました。


【事務局の感想】
 誰もが当たり前に結婚するものとして捕らえていた問題について、そのまま受け取るのではなく、疑問として問題を追及して、今回の発表になりました。
 言われてみれば、そうなのだと納得してしまいました。鉄舟については、まだまだ継続して研究されているテーマがあるとおもいますので、ますます鉄舟研究は続くことでしょう。
 ミスユニバースの話や豊臣秀吉のキリストの禁止など今月も楽しく勉強になるお話でした。9月の鉄舟研究を楽しみしています。

以上

投稿者 staff : 2007年07月27日 12:21

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