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2007年05月25日
5月例会記録(1)
■上米良 恭臣氏
明治神宮参拝資料
心得の事
1、正中を歩まぬ事 (特に正殿直線部)
2、手水の作法 (ハンカチ必携)
(柄杓一杯の水を左手、右手、左手に水を受けて口漱ぐ)
手水所役がいる場合は
(両手で手を洗い、左手に水を受け口漱ぎ、さらに両手を流す)
3、修祓の作法
無言。姿勢を正す。神職祝詞(祓詞)奏上時、ならびに幣祓時は低頭。
祓詞はお手元の神社本庁神拝詞の後ろから一頁目にあります。奉読します。
4、夕御饌祭参列の作法
無言。姿勢を正す。神職祝詞奏上時、起立低頭。
5、正式参拝の作法 (玉串を奉りて拝礼)
整列の後、代表者、玉串を受ける。(一同起立)
後取の差し出す玉串を、左手上向き、右手下向きにて、上、上と両手で執る。(片手取りは非礼)
玉串案前、1歩手前まで進む。一揖。
玉串を胸高に立て、両手で玉串の根元を執り、祈念する。
玉串の穂先を右へ回し、右手で中頃を下より受け、左手を添う。1歩を左足より進め右足を揃え、案上に玉串を奉る。
右足より1歩後退。二拝、二拍手、一拝。(一同これに合わせる)
代表者は右足より3歩ほど逆行。回転して正中をはずし、元の席に。一揖。
着席。(一同着席)
直会がある場合は代表者より順次、1拍手、盃を受く。退出。
かってないお願いをして、夕御饌祭に参列させてもらうことにしました。祝詞があげられますので、交手(さしゅ)15度の腰を折ることをしていただきたいと思います。
正式参拝の作法。
玉串を奉りて拝礼、という作法がある。玉串は、榊に「紙垂(しで)」といいましてそれを結びます。白い紙です。和紙を折るんですね。刀で切れ目を入れまして折っていく。神主さんのお祭りで、紙垂を切ったりするのは重要なことであって、非常に手間もかかることなんですけれども。
代表者1名がご神前まで進んで拝礼することになると思う。
(玉串の受け取り方を実演解説)
玉串は、いただくほうが上上といただくようになります。
神前に行きます。どちらの足から先でも結構です。神殿の1歩手前でお祈りをこめる。胸高=胸の高さ、これは重要な高さであって、清潔なものをいただくときは胸高、神饌を三宝で運ぶときは目通り=目の高さに合わせる。薦や案を用意するときは腰高に持って用意するとされています。
胸高にいただく。両手で持って、玉串に祈りをこめる。
神道は逆に回すことはない。時計まわりにまわして。
(実演解説)
一歩進んでお供えします。一歩下がって、お参りをする。何故1歩下がるかというと、机に頭があたっちゃうから。
正中では進左退右(しんさたいゆう)という作法がある。足の問題。進むときには左足から、下がるときは右足から下がる。そういう決まりです。でも普通人では間違っても問題ないが、作法は知って欲しい。
一歩ひいて、二拝(90度に腰を折る。手はひざの前に。頭を下げるのではありません。腰を90度に折ります)
二拍手(拍手はまず両手を合わせる。右手を少し胸元に引き、両手を打つ。二拍手したら指先を揃える)
拍手を参加者全員が合わせるのは難しいから「二拝、二拍手、一拝」のとき合わせやすいように、拍手のときに、代表者の人が肩幅よりも手を広くしてくれると非常に皆さんが合わせやすい。後ろからお参りしているので、見えるから。
拍手の稽古もしてみてください。若干膨らませたほうが良い音が出ます。
動作の始まりと終わりに「一揖(いちゆう)」5度くらいでいいので腰を折ってください。
もし直会、お神酒をいただくときは、拍手を一拍してからいただく。これが本当の作法です。杯は胸高でいただく。
真賢木(玉串)は根元を神様のほうに向けてお供えします。
安倍総理が真賢木の鉢植えを靖国神社に奉納した。あれは故があることでして、『古事記』という書物の天岩戸の伝説のところに
天の香山の五百津真賢木を根許士爾許士て上枝に八尺の勾たまの五百津の御須麻流の玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取り繋け、下枝に白丹寸手、青丹寸手を取り垂でて、此の種種の物は、布刀玉命、布刀御幣と取り持ちて
真賢木にとりかけてお参りをしたという古来のはなしがある。「根許士爾許士て」根がついたままの榊をあげたのが始まり。その榊を手前に倒した形が神前の案上に乗せるときの作法になっております。
「ねこじにこじて」これだけ覚えていただければありがたいですけれども。
ねこじにこじた榊を安倍さんは奉納したということは、その原点のところに帰っているのだということを感じていただければよろしいと思います。
白丹寸手、青丹寸手(しろにぎて、あおにぎて)これは、綿布(めんふ)。白い色の綿布・青い色の綿布を榊に結び付けた。古事記の時代から、このようなお参りの方法はありました、ということです。これが紙垂の始まりです。
お参りの方法はこのくらいにします。
神社に生きる人々はこのように生きています。
敬神生活の綱領 (昭和31年5月23日:神社本庁設立十周年記念)
神道は天地悠久の大道であつて、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基である。神慮を畏み、祖訓をつぎ、いよいよ道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。ここにこの綱領をかかげて、向ふところを明らかにし、実践につとめて、以て大道を宣揚することを期する。
一、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと。
一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと。
一、大御心をいただきて、むつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること。
「敬神生活の綱領」は、神主さんたちが集会のときには、みんなで唱和します。神社本庁ができたのが昭和21年で、10年後の昭和31年に神主さんたちもしっかりしようではないか、よって立つ考え方をつくろうじゃないかと、これができたわけです。
ほとんど、解釈を入れなくてもわかっていただけることじゃないかと思います。私が一つひっかかったのは、「世のため人のため」という箇所。皆さんよく使いますよね。
前にTVをちょっと見ていましたら、この本(神社広報『まほろば』)の9ページに出ている片岡鶴太郎さんが親子でテレビに出ていて、子どもをぶん殴った時の話をしていました。
片岡鶴太郎がなぜ子どもをぶん殴ったかは、使い終わったトイレットペーパーの芯をはずしてトイレに置きっぱなしだった。それが人のためにはならんと言ってぶん殴ったらしいですね。
後にも先にもそれ以外ぶん殴られた記憶はない、と子どもは言っています。
片岡鶴太郎さんはマルチな才能を持っている。最後の行のところに「毎日、自分の中で魂との会話があって、一日を振り返ってのだめだしがあるんですよね。その反省を翌日につなげて、修正して、毎日この繰り返しが人生なんだとつくづく感じます」と書いている。
先ほど言いました「世のため、人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと」の「つくり固め成す」は、『古事記』なんかみますと、修理固成といって、世の中は変わっていくわけですから、神道というのは世の中を作り変えていく原動力といっていいわけです。作り変えてより強固な地盤の強いものにしていくのが神道。
片岡鶴太郎さんが言った「人のためにならん。」このような普通に流れるような言葉にはこだわってほしい。鉄舟さんも「忠孝」に拘った。具体的には一体何なのか?
会社でトイレットペーパーの残り芯が放置されていることも多いが、これを片付けることが人のためになるんだと具体的に捉えて、実行、考えていくべきだろうと思う。
「世のための」世は、世は代々継いで行く。現世ばかりでなく、もっと包括された先祖からわれわれから、子孫の子ども、孫、ひ孫たち、そういうところまで含めた世の中に奉仕していこうじゃないか、というのがこの神道の精神ですね。それが表明されていると思います。
ボーイスカウトの創始者の一人であった後藤新平が、ボーイスカウトの憲章に述べているのは、「人の世話にならぬよう、人の世話をするように、そして報いを求めぬように」ということを謳っていますよね。
神道に関りなくとも、我々は世のため人のために尽くすのが当然でしょうが。ネ。
最後になりますが、「神拝詞」は神社本庁で売っています。頭のほうから、大祓詞。特に神主さんたちが禊をするときに唱えます。6月と12月の大祓えのときには、このことばが述べられます。
あとで声に出して唱えていただければいいと思います。
あまつみやごともちて あまつかなぎを もとうちきり すえうちたちて
ちくらのおきくらに おきたらわして あまつすがそを もとかりたち
すえかりきりて やはりにとりさきて あまつのりとの ふとのりとごとをのれ
で一息入れる。一呼吸して続いていく。
かくのらば あまつかみは あめのいわとを おしひらきて あめのやえぐもを いづのちわきにちわきて きこしめさん くにつかみは たかやまのすえ
そのことだけ覚えておいていただければと思います。振り仮名も振ってありますので、唱和しながら、般若心経みたいなものですね。
もうひとつだけついでに言っておきますけど、伊勢神宮の前少宮司を勤められた幡掛先生、私は私淑しているのですが、神主さんに揮毫するときは、「底」という字を贈られるみたいですね。神主さんたちは社会の底で生きろ、底が大切なんだよ、という意味か。あるいは世界宗教の底という意味かもしれません。
お亡くなりになりましたけれど、幡掛正浩先生。非常に豪傑で、筑前玄洋社、頭山満の流れを汲む方で、「底」ということが肝心なので、この話をさせていただきました。
【事務局の感想】
上米良さんにお願いをして、明治神宮の正式参拝が叶うことになりました。
そして、今月の「心得の事」を勉強させていただき、6月の参拝に備えることになりました。一番肝心なのは、代表ですので、しっかり覚えて参拝をさせていただこうと思っております。このように作法をする機会は、めったにありませんので、してみると非常に美しく、気持ちも凛としてくるように思いました。がんばります。
投稿者 staff : 2007年05月25日 15:04