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2006年02月23日

2月例会記録(1) 「神道とは何だらう?(その二)」

2月例会記録

上米良恭臣氏 「神道とは何だらう?(その二)」

●三大神勅と宮中のお祭り 
●伊勢の神宮 
●埼玉県の大宮氷川神社
今日はこの3つを中心にお話し、神道の何たるかを漠然とでも知ってもらいたい。

■鉄舟先生と神道
1.鉄舟の生母磯も、鹿島神宮の神主の娘だった。
2.鉄舟が少年多感の時代過ごした、高山(この会で研修旅行した)も多数の秋葉社があった。高山は火消用の水が町中いたるところにあり、そばに秋葉社を奉って、水を大切に、悪戯がないようにしている。 ※秋葉神社=火防(ひぶせ)の神様といわれる。
3.鉄舟は参宮(伊勢神宮に参る)したこともあり、有名な祠官とも交流があった。その折、天誅組に加担した藤本鉄石とも語らいを持っている、という話を山本さんがすでに述べておられる。
4.西郷隆盛は実は菊池家の一族。南北朝時代の北朝方の有名な武将菊池武光。ここが西郷の出身らしい。西郷が奄美大島に流されときの仮の名を「菊池源吾」と名乗っている。菊池家の一族だということは間違いないと推測している。同じ九州で、菊池一族が米良の山に逃げ込んだ時の別れだ。
菊池は負け戦の神様で、当時の菊池一族も戦に負けて山に逃げ込んだが子孫は残った。江戸時代の間は幕府の寄合衆で無禄ではあったが江戸城につめて生き延びた。維新後に米良氏が生き延びて菊池を復興させた。
負け戦の神様ともいう菊池の一族である西郷隆盛と鉄舟が会談をしているのは何かの因縁ではないか。鉄舟は日本人として、日常の生活が神道に溶け込んでいて、禅の修業と矛盾しない生活であったろうと推測している。

■三代神勅
三大神勅とは、古事記・日本書紀に掲載されている、天照大神の言葉として伝えられている言葉。この三大神勅が宮中祭祀、神社本庁、全国神社の根幹となっているので、掲載した。読もう。
天(てん)壌(じょう)無(む)窮(きゅう)の神勅
豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、(とよあしはらのちいほあきのみずほのくには)
是れ吾が子孫の王たるべき地なり。(これあがうみのこのきみたるべきくになり)
宜しく爾皇孫就きて治せ。(よろしくいましすめみまゆきてしらせ)
行矣、宝祚の隆えまさむこと(さきくませ、 あまつひつぎのさかへまさむこと)
まさに天壌と窮無かるべし。(まさにあめつちときはまりなかるべし。)
(行矣:行かんかな。を、さきくませと読ませる日本文化の素晴らしさ!)
資料にある「皇祚無窮」は亡き父が書いた書。昭和天皇の後を追うように平成元年に卒去した。その1年前の元旦に書初めとして私に送って寄こした。
意味は、天壌無窮の神勅と同意で、皇室が永遠に続いていく、ということ。父は皇室をどのように絶えさせないで、隆昌させていくかを考えたのか。この書を私に委託した真意は?今、居間に掲げ、日夜悩み、考え、真意を追求しようとしている。

宝(ほう)鏡(きょう)奉(ほう)斎(さい)の神勅
吾が児、この宝鏡を視まさむこと、
(あがみこ、このたからのかがみをみまさんこと)
まさに吾を視るがごとくすべし。(まさにあれをみるがごとくすべし)
ともに床を同じくし、殿を共にして、
(ともにみゆかをおなじくし、みあらかをひとつにして、)
斎鏡と為すべし。(いはひのかがみとすべし。)
八咫の鏡は元は宮中に祀られ、約2000年ほど前に倭姫命が現在の伊勢の神宮にご奉斎されたという。また宮中三殿の賢所に同等の鏡が奉斎され、ご神体である。

斎(ゆ)庭(にわ)の稲穂の神勅
吾が高天原に所御す(あがたかまがはらにきこしめす)
斎庭の穂を以て、(ゆにはのいなほをもて、)
また吾が児に御せまつるべし。(またあがみこにまかせまつるべし。)
天皇は農業の中心である稲作を実践していらしゃる。同様に皇后は蚕を飼い、糸をつむぎ、布にして、神々に奉納されている。今では皇室の伝統になっているという。三大神勅を時代の変転に拘らず、忠実に実践されているのが皇室だ。

昭和天皇のご結婚の際、久邇宮家のどなたかに色盲の気があり、婚姻に大反対した岩倉具視に対して久邇宮良子女王を援護したのが杉浦重剛。皇室が言い出され、決められた婚約は実行しなければならない。変えるようであっては日本の中心は無い、として闘い、無事良子さまが昭和天皇の皇后になられた。(宮中某重大事件)
彼は東宮御学問所の御用係で倫理を担当しており、倫理を伝えるときに使った「貞操は冰雪よりも勵し」とは、権力に従わなかった男が土牢に入れられ、冰雪の厳しい環境の中でも節操を曲げず死んでしまう。「気高い貞操・節操を曲げないことは死ぬことより大切」だという教育を若き昭和天皇や香淳皇后にしたという。

天皇(本邦至高の祭主)さまの祭り(宮中祭祀)
■『天皇さまのお祭り』及び『伊勢の神宮』(冊子実費販売)
神社本庁では、日本の伝統に即したものを案内、販売している。国民精神研修財団には神道に関する本・資料を揃えてある。天皇さまのおまつりで、一等大事なのは、ご即位の後の、大嘗祭。これがないと天皇様は本当の天皇様といえない。


○大嘗祭と新嘗祭
剣璽御動座、天皇と一緒に動くのが剣璽の定め。先帝が崩御なさると即刻「剣璽の間」から次期天皇のところに剣璽が移される。
ご即位後におこなわれる大嘗祭は由紀殿・主基殿という白木の社を臨時に造って、相嘗といい、天照大御神や先帝と一緒に夜を徹して、お祈りとお食事をなさる。大変な神事であって、昨日までの皇太子も、この祭りを済まして出てこられると威厳を増した天皇陛下の御顔になられるという。

宮内庁の式部職の中に掌典部・楽部というのがある。
宮中の祭祀を行うのが掌典部、それを支えるのが楽部。楽部は雅楽を伝えるが国賓の接待のため洋楽もこなす。産経新聞に連載された主席楽長の岩波さんの記事(資料)を紹介するが、この内容の印象に残ることとして、大嘗祭の夜の儀式を終えて、「神秘性を感じました」という部分。常日頃宮中にいる方も天皇のお姿をみて、神秘性を感じたという、ここを特に紹介したい。


清子さまも最後に宮中三殿を参拝してから出られた。宮中三殿は賢所=天照大神(御鏡)、皇霊殿=累代皇祖の御霊、神殿=全国のお社の御霊をおまつりしている。をいう。新嘉殿は、神様がお祀りされていないもようで、幣物を捧げる場所ではないかと思う。また綾綺殿は天皇が親祭の装束に着替えられる所、俗界から神界に入るための結界でもあろうか?

皇室のまつりを普通の神社でも倣っているが、宮中のおまつりで、独特なのが四方拝と節折(よをり)。共に陛下が神嘉殿庭上に降り立って、おまつりになるという。元旦の四方拝では、神嘉殿の前庭に畳を敷き、屏風を囲って行われる。四方八方の天神地祇を遥拝されるという。節折は6月30日と12月31日の年2回、神社では半年間の人々の穢れを祓って川に流す、という日本古来の祭式(大祓式)があるが、天皇のためだけにやるのが節折。

■神宮の祭り
西行法師は伊勢にお参りして、歌を残している。
『何ごとの 在しますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる』
芭蕉も、彼(かの)西行のかたじけなさにとよみけん、涙の跡もなつかしければ
『何の木の 花とは知らず 匂ひ哉』と詠んでいる。 

■唯一神明つくりの美と「心の御柱」(忌柱)の不思議
○ブルーノ・タウトとC・W・ニコル
この会のために高崎市の達磨寺まで行った。境内の「洗心亭」の床の間にブルーノ・タウトの「私は日本のカルチャー、精神文化風土をこよなく愛す」(ドイツ語)が掛け軸にして掲げられていた。このドイツ語が知りたくて行った。(レジメに記す)
ドイツの世界的建築家のブルーノ・タウトは、ナチスの迫害を逃れて来日、高崎の達磨寺の洗心亭に住んでいた。彼は神宮を「構造はこの上なく透明清澄、明白単純。・・おそらくこの建物は天から降ったのだろう」といった。
さらに神宮のことを讃える外国人、C・W・ニコル氏(野尻湖在住)は「何処の国であろうと宗教がなんだろうと、聖なる地・聖なる森において、目に見えない存在を疑うほど私は未熟ではない」と言っている。
この精神に行き着かないと日本人じゃないと思う。
気をつけて見ないと分からないが、神宮の古殿地には不思議な囲いが中央にある。「心の御柱」(忌柱)だ。(写真)さまざまな理由があるという。

単に神宮という伊勢神宮を神社本庁では本宗として仰いでいる。本来はご皇室のお社。一般の者が私幣を奉納することはできないので、神楽殿がある。皇室の持ち物である神宮と国民祈願の神楽殿とに分けられている。神宮とは内宮・外宮・別宮・摂社・末社・所管社計125社の総称である。125社のまつりとは大変で、最下位の神宮神職である出仕などは定められた祭祀を全うするために、装束を柳行李に担いで年中旅回りだともいう。
元寇で鎌倉武士たちが戦ったとき、皇室も懸命に神宮にお祈りをした。台風が吹いて元寇を追い払ったので、小さなお社を別宮に昇格、奉った。風宮、風日祈宮などだ。神宮参拝コースに加えると他者とは違った趣深い参拝ともなろう。

神宮正殿の欄干には擬宝朱(ぎぼし)が、萱で葺いた上の並んだ鰹木の端にも金の飾りがついているでしょう。白木のお社ながら、私には黄金の世界に見えます。

時間の都合上、大宮氷川神社の話は割愛させていただく。


【事務局の感想】
今回も、上米良さんの発表にメモをとるのも忘れて、聞きほれてしまいました。
それは、体験からくる迫力に魅了されたからです。
懇親会の場で、遷宮にかかる費用は国の税金でなく、自前でするのであり、その半端でない金額に驚かされたのですが、まだ知らない神道の話を沢山お持ちのようですので、今年の後半にまた続編をお願いしたいと思います。

投稿者 staff : 2006年02月23日 15:31

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