« 2月は上米良さんの「神道について」 | メイン | 1月例会記録(2) 「現代に生きる武士道 5」 »

2006年02月05日

1月例会記録(1) 「鉄舟が生まれた時代」

1月例会記録
山本紀久雄氏 「鉄舟が生まれた時代」

今日は鉄舟が生まれた時代について紹介したい。

テレビ朝日2月5日(日)14時から放映される「遥かなるオイスターロードの旅」という番組をお手伝いした。昨年テレビ朝日の製作ディレクターが私の著書をみつけて、会いにきたことがきっかけ。番組には森公美子、きたろう、料理研究家岸朝子、金子昇が出演する。岸さんは本を高く評価してくれて、料理研究家辻先生にも紹介してくれた。
4年前に書いた本で、売るためではなく専門書である。インターネットなどで何でも調べられる時代だが、専門書は必要な人には必要である。

翌年には温泉の本を書いた。あの本は今年で3年目になるが、あの本で最近忙しくなった。温泉の本を出版して以来「水・温泉」に詳しいと思われている。
今は、温泉業界ではリーダー的な旅館の若社長が鳴子温泉にいるが、その旅館へ田中さんとコンサルタントに行っている。若社長は温泉旅館の講演をしている人。旅館経営の話ではなく、いろんなことを話し合ってくるが、水・温泉に詳しいという前提で話が進む。水に興味がある会社から、ミネラルウォーターを売りたいので、マーケティング計画でアドバイスをしてもらいたい、という相談も来ている。
忙しくなったときにちょうど田中さんという強力な助っ人が来た。これも運である。

1、鉄舟の生まれた場所
鉄舟は、江戸、隅田川のほとりで生まれた。鉄舟の生まれた場所はお蔵奉行役宅で、
右側に隅田川が流れている。現在は川の向こうが国技館で手前側は台東区。京都・大阪・江戸に蔵があって、蔵には直轄地から米が送られてくる。ここで武士に米を配布する。武士は米をもらっても仕方ないから、札差という商売人が間に入り、米を売ったお金を武士に渡していた。札差が今の銀行である。資料では一番掘から八番堀まであり、黒い部分は米の倉庫。お蔵奉行は常時3~7人いた。
お蔵奉行役宅は複数あるが、鉄舟はこの役宅の中のどこかで生まれた。お蔵奉行は権力を持った勘定奉行の下にあった。

鉄舟の生まれた場所を先日撮影に行ってきた。隅田川のほとり、蔵前橋のところに、浅草お蔵跡という碑が立っている。なんともいえない景観の悪いところ。明治時代以降、我々は景観の悪化を進めてしまっている。昨年度、日本を訪れる外国人観光客が673万人になったが、韓国よりも低い。中国は4000万人世界中から訪ねている。GDPは世界第2位であり、国連の運営費の19%出している日本に観光客が673万人。それでも2005年は愛知万博があったから9%伸びた。2006年は何もない。現在観光客を増やそうとビジットキャンペーンをやっている。
しかし、景観の悪い日本には観光客は来ない。今の日本橋は高速道路が通っていて、寒々としている。江戸時代の景観は、まったく思い起こせない。明治時代はきれいだった。夕方になると、ガス灯が灯った。ガス灯に火を入れるお兄さんはかっこ良く、人気があった。明治時代以前は日本橋からも富士山が見えた。しかし近代化という名の下の破壊が進み、江戸時代・明治時代の美しい日本の景観は失われてしまった。江戸にはシンボルがない。
小泉さんが日本橋を復活させよう!という提案をした。検討した結果迂回案が出された。復活させる費用に6000億円が掛かる。誰が出しますか?1人1万円集めても6億人集めないとだめ、人口超えてしまう。

2、鉄舟の性格をつくった幼少時代の背景

鉄舟は大川端のお蔵奉行役宅で生まれた。当時大川は非常に豊かな川であった。鉄舟はお蔵奉行役宅に10歳までいた。高山時代からは鉄太郎について書かれた記録があるのでわかるが、10歳までの幼年時代は、9歳のときに剣道を習ったことしかわからない。

山岡鉄舟の2006年1月号の『ベルダ』に望嶽亭の松永さだよさんの写真を掲載した。松永さんには3回くらい会ったが話しが瑞々しいことに驚く。昔のことであり、代々伝わった話しなのに、昨日鉄舟に会ったかのように話す。なぜ瑞々しいのかと考え、それがヒントになった。鉄舟に直接会っている女将かくさんは、さだよさんから数えると4代前だが、話しが伝わる間に、そのさん1人しか入っていない。時間としては長いけれど、記憶が短い。だから話しが瑞々しいのです。

今年は大雪で被害が出ている。雪下ろしをしても、雪はどんどん積もり、雪を捨てるところがないので埋まってしまう。しかし何メートルも雪が積もる県で一人も死亡者が出ていない県がある。石川県だけは昔から地面に雪を溶かす装置を備えていたので、死亡者が出ない。

二見さんのお話の中で松代藩の藩主は自分の藩を良くしようと恩田木工を登用した。名君と言われる人には名参謀がいる。参謀の作戦がうまくいくと名君になる。名君には名参謀が必要。有能な人が必要なのです。

雪の話しに戻ると、再構築とはしくみを変えることである。雪が悪いようなことを言っているが、雪は降ってしまうのだから、溶けるようにする。道路を何年もかけて整備した結果、石川県は雪の被害が少ない。石川県は森総理、新潟県は田中角栄の出身。開発型と環境整備型の差が出ている。事件の裏については新聞記者は知っている。我々は政治家を選ばなければならない。時代の先端を示すことは我々の前に出てくる。

国の運営をつかさどる立場になった時、どういう心構えで政治家になればいいかという題目で、自民党より日経新聞の田勢康弘氏に、講演依頼があった。田勢氏はここで、「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人はしまつに困るものなり。このしまつに困る人ならでは艱難をともにし、国家の大業はなし得られぬなり」と話した。これは西郷隆盛が鉄舟の生き様から悟ったもので、『西郷南州翁』にかいてある。人は、生き方・死に方も変わらない。鉄舟は明治維新後出世して、お金が入ってきた。お金が入ってきても、貧乏しても鉄舟の人となりは変わらない。お金や地位によって変化しない人物が山岡鉄舟である。西郷は理屈ではなく、一瞬で鉄舟のそれを見抜いた。

山岡鉄舟を勉強しないと政治家になれない。4年前から勉強しているのはこのことがわかっているからである。世の中の流れを先取りしている。牡蠣の本も4年前に大事だと思ったから書いた。
鉄舟・21・サロンは、時代の最先端の精神を勉強する会であり、そのうちに大会場に3000人くらい集まるように、なってくるだろう。

1954年にゴジラは誕生した。今や世界のゴジラになっている。29年前にゴジラが世界に浸透すると思ってつくったかどうか。きっと予想して作たから今日浸透した。このように最先端の考え方の人がいる。

同じ景色を見ながら、先端と考える人と、捨ててしまう人がいる。みたものに対して、つかんで・編集して・ボールを投げる役目がある。田勢氏は、新しい考え方だよ、とボールを投げてくれた人。山岡鉄舟も世界に出していかないとならない。

最先端をリーディングエッジという、最先端の景色はヴューエッジ。ヴューエッジ見て、最先端だと判断するかできるかどうかが大事。『ベルダ』の編集長から旅先でヴューエッジを見つけて、コラムをやりましょうと言われている。
コラムのタイトルは「地球はフラット」にする。今、世界は階層がない、みんな平等である。感じたことを時代の先を示している最先端のリーディングエッジをつかんで書きたいと思っている。

鉄舟を研究するといろんなことに波及してくるということをお話したい。鉄舟の
幼年時代の背景について考える。鉄舟が生まれたのは、天候不順で飢饉もあり一揆があり、社会が混乱した、天保の時代。社会の混乱期に豊かな感性の人間が生まれるわけがない。いろんな本を調べていたら、鉄舟のような素晴らしい人間を育む、素晴らしい時代だったと、違った江戸時代像が浮かんできている。

鉄舟は豊かな時代に育ったとは、誰も書いていない。今後鉄舟の生きた時代の新しい姿を研究しようと思う。

3、小泉政権が進める三位一体改革

小泉政権が進める三位一体改革について説明する。
歳入・歳出=収入・支出のこと。歳出が91.3兆円、歳入が32.7兆円で、支出は収入の2.8倍の支出。

収入の対比をみると、国の歳入が52.7兆円、歳入総額は88.2兆円。国は6割、地方は4割で、歳入の差は「17.2兆円」これを地方に移す。これが三位一体改革。
地方が国より収入が多い。三位一体改革は単純に言うと、県民が代議士のところに陳情に来なくなるから押しとどめられている。

4、江戸時代の藩政治と幕府との関係
鉄舟が生きた江戸時代は幕府があり、270の藩があった。幕府は400万石だが、全国でみたら僅かな石高しか押さえていない。各藩は、今の日本みたいに、幕府(国)からお金を貰っていなかった。幕府は藩に一銭も出さない上に、藩政のチェックに入る。江戸時代は藩が財政の悪化など問題を起こすと、不行き届きといって、藩をつぶし、領地を幕府のものにした。参勤交代は忠誠心の証で、出張手当ても出ない。
そういう体制が江戸時代だった。各藩は自分の才覚でリストラを進める。
松代藩が恩田を登用したのは、各藩は100%自分のお金で生活しなければならないから。今は国からお金がもらえるから無駄遣いする。

鉄舟の本には、鉄舟が生きた時代背景のことが書かれていない。私はそこに時代を入れようと思った。時代を入れていくと、一人一人の言葉に意味が出てくる。
鉄舟が豊かな感性の持ち主だったということは、江戸時代が豊かだったということ。

無血開城の交渉がおわって、愛宕山の頂上で西郷が海舟に話した。

西郷:さすがは徳川公だけあって、えらい宝をお持ちだ
海舟:どうした
西郷:山岡さんのことです
海舟:どんな宝か
西郷:いやあのひとはどうのこうのと言葉尽くせぬが、なにぶんにも、ふのぬけた人でござる

西郷にとって鉄舟は、西郷が知る人物リストにはない人間。鉄舟は鋭い人であり、西郷自身が彼の説明に納得させられてしまった。西郷は、徳川慶喜の家来はすごい、その奥に控えている江戸幕府、徳川家は人材が豊富であり、奥行きのある人材ができる仕組みになっているのでは、と西郷は思ったのではないか。
いろんな学者の本を読んでいたら、江戸時代ほど豊かな時代はなかった、と北海道大学の井上氏がおっしゃっていた。今度お話しを伺う予定である。

来月からは鉄舟が生きた江戸時代をお話しします。


【事務局の感想】
今回「リーディングエッジ」という新しい言葉をお聞きしましたが、今までの鉄舟研究についても、時代の最先端の話と鉄舟を結びつけ発表していただいていました。鉄舟を研究することは、古くない。鉄舟を勉強し始めたことこそ、最先端の景色だったのではないかと思います。これからも、新しい感覚を勉強させていただきましょう。

投稿者 staff : 2006年02月05日 11:14

コメント

コメントしてください




保存しますか?