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2005年11月05日
「時代とのタイミング」
10月の例会記録(3) 山本さんの講演(2)
1.鉄舟の江戸無血開城タイミング
①海舟が益満を牢から出したタイミング
鉄舟の江戸無血開城にはタイミングがあった。立派な方は沢山いた。立派な方が時代に見出されると偉人になる。この時代、勝海舟という人間が素晴らしかった。金がないので剣道で身を立てようとしたが、厳しい時代であり剣術では食べていけない。そしてオランダ語を勉強した。それが身を結んで、長崎で幕府の洋式海軍をつくることになり、オランダからのカッケンディーケという教師団長が来て、この教務主任になった。
ここで海軍のことを学ぶと同時にヨーロッパを学ぶ、ヨーロッパを学ぶことは世界を学ぶことである。それによって海舟の頭の中は開け、その後、軍艦・陸軍奉行になった。
たまたま薩摩屋敷を幕府が攻撃して、捕らえた人物として、益満休之助がいた。鉄舟が勝海舟邸にくる3日前に鉄舟が訪ねてきた。益満休之助を自宅(勝海舟邸)に引き取った。鳥羽伏見の戦いを引き起こすきっかけになった3人は本来なら死罪だが、その彼らを3日前に引き出す。偶然だが、その感覚がすごい。
現在、薩摩の上屋敷は、セレスティンホテルになっている。セレスティンホテルは東京駅八重洲北口にあるホテル国際観光が作った。ホテルの売上は宿泊、宴会、飲み物(バー)で形成されている。今までホテルは宴会と飲み食いで成り立っていたが、今は2つともダメになり、本来の「宿泊」に戻ったホテルは今、経営状態が良い。ホテル国際観光は宿泊に集中しようとセレスティンホテルをつくった。
②鉄舟と益満は昔仲間だった
勝海舟が益満休之助を山岡鉄舟に合わせた。鉄舟と益満休之助は、10年前清川八郎の下で尊皇攘夷党の仲間だった。尊皇攘夷党で顔見知りだから、話がまとまる。
③海舟が上洛しようとしたが許されず
幕府と官軍の関係がこじれたとき、勝海舟は、私が大阪にいって、天皇(官軍)と交渉すると言った。軍艦奉行になったときに一度交渉している。2回目に慶喜にお願いして、交渉に行ってこようと言ったときに、江戸城の皆が、もし勝海舟が捕らえられたら誰も指導者がいなくなってしまい、官軍とのルートが切れてしまう・西郷とさしで話せる人がいなくなる、と止められた。
④このタイミングに鉄舟が使者に選ばれた
勝海舟が交渉する道が閉ざされた、そのときに鉄舟が使者として選ばれて、西郷の元に交渉に向かった。
⑤西郷の目的と鉄舟の目的は相反する
ところが官軍と幕府の目的は全く正反対もの。戦略・目的がまったく相反する。
西郷・官軍の目的は慶喜を殺すこと。鉄舟は慶喜を助けることが目的。
⑥駿府で西郷との会見交渉
*覚悟を示し、西郷が鉄舟の人物にほれた
鉄舟にとり最大のタイミングがよかったことは、交渉が西郷であったこと。大久保利通であった場合、彼は理路整然、情に流されないので、駿府で会見しても交渉は失敗に終わったであろう。
*西郷と島津久光の関係
西郷側から見た場合、矛盾があるのは、鉄舟が島津公の立場で慶喜のことで考えてくれ、といったが、それは表向きの言葉。西郷は斉彬を毒殺したのは久光だと思っていたわけですから。鉄舟が、久光を慶喜だと思って考えてみなさいといっても、西郷はわからないでしょう。
*西郷は新政府の一員、薩摩藩であって薩摩藩でなし
実は、西郷は薩摩藩と言っているが、薩摩藩であって、薩摩藩ではなかった。王政府復古の大号令のときに新政府が作られた。
王政復古の新政府組織
慶応三年(1867)12月 王政復古の大号令によって新政府が発足し、その発足時の天皇のお言葉と組織は以下の通り。
(天皇のお言葉)
「嘉永6年以来、未曾有の国難となって、先帝が連年宸襟を悩まし給うていた次第は、人々のよく知るところである。よって、近上は叡慮を決し給うて、王政復古、国威挽回の基礎を給うために、自今、摂関、征夷大将軍、国事係、議奏、伝奏、守護職、所司代を廃し、今は先ず仮に総裁、議定・参与の三職を置いて、万機を行わせられる。ついては、諸事、神武天皇創業の始めにもとづいて、公卿、武家、堂上、地下の差別なく、至当の公儀を尽し、天下と苦楽を共になさるべき叡念であらせられる故、各々勉励して、旧来の驕惰の汚習を洗い去り、尽忠報国の誠をもって奉公いたすべきこと」
(組織)
総裁 有栖川宮熾仁親王
議定 仁和寺宮嘉彰親王 山階宮晃親王
中山前大納言 正親町三条前大納言
中御門中納言
尾張大納言(慶勝) 越前宰相(春嶽) 安芸少将(長勲)
土佐少将(容堂) 薩摩少将(忠義)
参与 大原宰相(重徳) 万里小路右大弁宰相(博房) 長谷三位(信篤)
岩倉前中将(具視) 橋本少将(実梁)
尾州藩 丹羽淳太郎 田中邦之輔 荒川甚作
越前藩 中根雪江 酒井十之丞 毛受鹿之助
土佐藩 後藤象二郎 神山左多衛 福岡藤次
芸州藩 辻将曹 桜井与四郎 久保田平司
薩摩藩 岩下佐次上衛門 西郷吉之助 大久保一蔵
嘉永6年=ペリーが来た年、先帝=孝明天皇、近上=明治天皇
総裁=総理大臣、議定=大臣、正親町=おうぎまち、忠義=久光の息子、参与=芸州藩辻
お言葉のあと、辞令発表があった。従来の藩は残っているが、王政復古で徳川慶喜が返してしまったら、天皇中心にして国家をつくることとなり、組織運営するために新政府案をつくったその中の一員に入っている。
鉄舟が交渉したときには、西郷は薩摩藩ではあるけれども、新政府一員。新政府の一員であるという思いで対応するはず。
*イギリス・パークスの発言、万国公法に反する
西郷の部下がイギリスのパークスに江戸の攻撃について相談した際、パークスからは、相手が白旗掲げて恭順し、城から出ているのに攻撃しては、万国公法に反する!と言われていた。
⑦鉄舟の個人的力量が最大の功績だが、時代と周りとのタイミングが合致
鉄舟が西郷と交渉したとき、上記のことが重なっていた。
一番は鉄舟の人柄。鉄舟には時代の環境が有利に鉄舟に現れた。タイミングを計れない人物は大きなことはできない。
2.現地、現場、現認する目的は、時代とのタイミングを計るため。人と会う目的は時代の接点をとらえ、つかみ、編集し、行動するため
金子さん・小野寺さんとNYにスポンサーを探しに行き、いろんな会社を訪問した。
先方の社長に金子さんは説明する。
サブカルチャーが日本の文化として隆盛を極めている。村上隆が2002年にパリで「ぬりえ展」を開き、今年は「リトルボーイ」を開いて、その中にぬりえが出ている。
日本が認められて、アニメーションがあって、漫画がある、アニメーションも漫画も、その原点はぬりえである。金子さんの説明に先方の社長は頷いてしまった。
時代を掴むときにブラーっと歩いてもダメ。キーポイントの社長が何をいうか、それを察知して受け答えをする。先方の社長もクールジャパンをよく知っている。なぜなら日本企業の業績がいいのがその最大の理由です。日本全体が受け入れられているから企業の業績が認められる。駿府をNYにする。金子さんと小野寺さんが鉄舟、先方の社長が西郷。
3.成功するマーケティング
①新しい商品を、新しいマーケットに売る・・・危険
②今までの商品を、違うマーケットに売る・・・チャネル拡大
③新しい商品を、今までの客に売る・・・目指すところ
物事はセオリーを踏まないとダメ。成功するマーケティングをしなければならない。
新しい商品を新しいマーケットに売ることは最大の危険を伴う。
今まである商品を違うマーケットに売るのは成功する。スーパーやコンビニの展開が、このチャネル拡大。場所を広げるから客数は広がり、売上が上がる。日本の企業はほぼこれで拡大してきた。
今、これが限界に達している。どうしたらいいかというと、 目指すところが新しい商品を、今までの市場に売ることです。
「新しい商品=ぬりえ」過去あったものだが、ヨーロッパ・NYには新しい商品となる。
ヨーロッパ・NYは日本のアニメーションを受け入れてくれている。そしてぬりえをアニメーションと同じに理解してくれる。
こういうコンセプトを持つには、現地の感覚を握ることが大事である。現場で現物をみた感覚。感覚と理論と商品の世界をミックスさせないとつくれない。
来年NYで展覧会を開催する。おそらく展覧会の時期は、松井はヤンキースにいて、ヤンキースが、そのころはリーグの4位に入っていて、プレーオフをやっていると思う。
NYの地下鉄は安くて早い。地下鉄は5回+1回サービス。6回券で10ドル。1回1.7ドル。112円で換算すると190円。どこまで乗っても190円。7日間で24ドルの定期券がある。1日380円で何回乗ってもいい。日本にはこういうのがない。車両も良くて、24時間動いていて、安くて、女性が夜中乗っても危なくない。NYの安全度は全米4位。NYは安全ということを確認してきました。ぬりえ展と剪画展を開催します。宿泊先の
シェラトンホテルも確認してきました。来年一緒にNYに行きましょう。
事務局の感想
NY、パリの現場感覚が、山岡鉄舟と結びつく。それが山本鉄舟研究の面白さです。
同じ時期にNYに居たとは思えない山本さんに鋭い観察力。これからも勉強をさせていただきたいと思います。
投稿者 Master : 2005年11月05日 13:29