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2005年03月23日

徳川宗家18代当主に聞く

徳川宗家18代当主 徳川恒孝(つねなり)氏(徳川記念財団理事長)から聞く

                            山本紀久雄
2004年は開国150周年

日本開国(1854年3月)は、日米和親条約(神奈川条約)によってなされ、昨年の2004年はその150周年にあたりました。
その150年を記念する事業が各地で行われ、その一環の一つとして2005年の3月19日(土)に東京都港区主催で「江戸250年の天下泰平を支えた仕組みと心」と題し、徳川宗家18代当主の徳川恒孝氏の講演が行われました。

徳川時代に今を当てはめれば享保の改革の時代

徳川時代は265年続きました。その265年間という長い年月、それに明治維新から今日までの137年という年月を当てはめたとしますと、それは徳川時代の八代将軍吉宗の時に当たります。
吉宗が登場したときは、江戸初期から上昇を続けてきた米価が、享保時代に入って急激に下落し、逆に諸物価は高騰し、米を売って暮らす武士は困窮化した。経済的は物価引下げが幕府の大きな課題であった。

吉宗の行った享保の改革の中味

吉宗は享保の改革といわれる諸政策を展開した。その政策の最大の目標は「開府当初の家康の強力な幕政を理想とする復古主義であり、それと上の経済政策であった。
そのために行ったことは多々あるが、そのなかでも享保六年(1721年)の目安箱設置である。庶民から投書を受け付けるという当時としては思い切った改革情報手段を採ったのである。
その目安箱の鍵が徳川宗家に今でも宝物として残っているという。目安箱は将軍しか開けられない決まりであった、と徳川恒孝氏が述べた。本当に将軍しか開けなかったのか、それは事実なのかはよく分からないが、目安箱を設置して、ここに当初される項目内容を考えると将軍しか開けられないということの意味が分かる。

続きは例会で発表

徳川恒孝氏の講演内容については、4月20日の鉄舟・21・サロン例会で発表いたしますので、お楽しみにしてご参加お願いいたします。

投稿者 Master : 2005年03月23日 11:24

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