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2006年04月29日

4月例会記録

4月例会記録

田中達也氏 「変体仮名について」
〜平安から江戸時代に使われていた、現在のひらがなの原型の
変体仮名を近世中期の文学とともに〜

 今回の発表は私が今まで勉強してきたことを発表させていただきます。

江戸時代の印刷
 私の発表の前に、下村さんから印刷についてのご講義をいただきましたので、それと関連いたしまして江戸時代の印刷事情について先にお話しします。
 江戸幕府が開かれた1600年前後は、すでに普及していた木版印刷、すなわち1枚の木にノミで文字を削る方式のものが存在していましたが、このころ現代の印刷技術の基礎である活版印刷術は日本に伝えられておりました。グーテンベルク式のものがヨーロッパより宣教師によって持ち込まれ、また、朝鮮からも秀吉の朝鮮遠征の際に活版印刷の機械が持ち帰られました。その後しばらく、活版印刷ブームが起こりましたが、すぐにもとの木版印刷に戻ってしまいました。日本語が活版印刷に合わなかったのだろうと思います。具体的には、
1.日本語の形に合わない(特に草書体)
2.字の種類が多い(活版を並べるのに非効率)
3.そのため、コストが高くなる
4.再版に一苦労する(その都度組み直しになる)
 これらの理由から、江戸時代はその全時代を通じて木版印刷を使用することになったのです。

変体仮名について
変体仮名とは
 現在使用されている平仮名は、明治23年(1900)に整理統一されたものです。
 現在の平仮名はひとつの音に対してひとつの文字と決まっています。
我々はそれを当たり前のこととして文字を使用していますが、実はそれはつい100年前に決められたものなのです。
それまでは、ひとつの音に対して複数の字母(仮名の字形のもとになった漢字)が存在しました。
当時の仮名は、約50の音に対して300文字ほどが存在していました。その中からひとつの文字を決めて統一したのが明治23年の整理統一で、それらを「平仮名」と呼び、その他の仮名を「変体仮名」と呼ぶことになったのです。

変体仮名の歴史
 日本に文字が輸入されたのは、遺跡の確認から弥生時代、2〜3世紀と推定されています。
その後、輸入された漢字を我が国の言葉の音に当てて表記し始め(音読み)たのが5世紀ごろです。
これを万葉仮名と呼びます。そしてさらに、漢字を思うように使いこなし、1字1音で日本語を表記する(訓読み)ようになっていき、奈良時代、9世紀ごろにはそれが一般的になっていったようです。
これが現在の仮名のはじまりです。草仮名といいます。やがてこの草仮名が簡略化していき、江戸時代になるとほぼ形式化したものになります。その頃使われていた仮名、草仮名が簡略化した後の11世紀ごろから1900年まで使用されていた仮名が、変体仮名です。

近世中期の文学「戯作(げさく)」について
 戯作は、江戸時代中期の文学の1ジャンルで、江戸の文化の代表をなす文学です。と申しますのも、江戸前期の文化はすべて上方(京都・大阪)の文化が江戸に伝わってきたもので、江戸独自の文化はなかったのです。江戸で独自の出版物が制作されるようになるのは、江戸開幕から100年以上経った18世紀半ばころからで、その時隆盛を誇ったのが、戯作と呼ばれる文学というわけです。
 戯作は簡単に言うと「大人の絵本」といったもので、ページ全体に絵が描かれており、絵の周りのすき間に文章が書かれているというものです。表紙に使われた染料の色から赤本、黒本、青本、黄表紙などと呼ばれており、これらを総称して戯作といいます。
 内容は、昔話や戦記物、歌舞伎などを題材としながらそこに当時の最新ニュースや流行を盛り込み、風刺や茶化し、パロディなどで味つけしたものです。
 戯作は日本の古典文学上、文学的地位は低いとされています。私が勉強していた20年ぐらい前はそうでした。理由は、内容が前述のように世俗的であること、簡単に言うと品がない、また、語学的、文法的にも例外的な使い方が多すぎて体系化が難しいことなどが挙げられます。そういうことで、あまり熱心に研究されることがなかったようです。
 しかし、戯作は当時の江戸の文化、風俗を知る上でとても貴重な史料です。江戸の庶民のことを知るには恰好の材料となりますので、江戸のことを知りたいと希望されている方々は、是非触れられることをお勧めします。

変体仮名を読む
 それでは今回のテーマである変体仮名に実際に触れてみましょう。
 お手本として、前述の戯作のうちの黄表紙というジャンルの作品である「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」を見てみましょう。

・「金々先生栄花夢」恋川春町作・画

 冒頭の文章はこのように書かれています。
「今はむかしかたいなかに金むらや金へえといふ者ありけり」
分かりやすく表現すると次の通りです。
「今は昔、片田舎に金村屋金兵衛という者ありけり。」
 「むかし〜」の「か」の字を見てください。現代の「か」という字と違いますね。我々の常識で見ると「り」に見えます。しかしこれは「可」を字母とする「か」なんですね。
 その次の「かたいなか」の「た」ですが、これもすぐには「た」とは読めませんね。
これは「多」を字母とする「た」です。

 このように、変体仮名の諸体表と見比べながら読めば分かるのですが、慣れれば文脈から類推できるようになります。
 鉄舟先生の書も同じことが言えます。鉄舟先生の書を読むには、まず書道の草書体の崩し方の規則を知ることが必要となります。鉄舟先生の字のクセをつかむことも大事だと思います。
 また、鉄舟先生の書は漢文であることがほとんどですので、漢詩などの知識があることが重要になります。

 皆さんも是非、古文書の原本や鉄舟先生の書を読み解くことに挑戦してみてください。


【事務局の感想】
田中さんが学生時代に学ばれた江戸時代の変体仮名の成り立ちと変体仮名を
用いた文章を発表していただきました。仮名の諸体から、あいえうおがどのような
漢字から変化していったのか分かり、すこしはあいうえおがよめるようになりました。
今後は、仮名ではありませんが、鉄舟先生の書を読むことができる一番近いところに
いる人が田中さんですので、ぜひ鉄舟先生の書の読み方にチャレンジしていただく
ことを期待しています。

投稿者 staff : 2006年04月29日 13:58

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